前世の私は幸せでした

米粉

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24 君の叫びを

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 グレースの言葉を理解出来なかったのか、一息置いた後、フィグは「はぁ!?」と、大声を上げた。

「なんでそうなる! ブラムの怪我が見えてないのか!?」
「そうですね。じゃあ、お願いしましょうか」
「ほら、ブラムだって駄目って言っ……あぁ!?」
「良いですか、オルストン嬢。無理だと思ったら、すぐに戻ってください」

 驚くフィグを余所に、ブラムは淡々と話を進めていく。

「待て、部屋の中にはダイナーの野郎だっているんだぞ!」

 名前を聞いて、グレースは誘拐事件の時の犯人を思い出した。
 弟のディックと共に別の部屋で監視下に置かれている筈の彼が、何故リヴェルの部屋にいるのか。

「どうして、あの人が……」
「駆けつけた時、室内から微かにリヴェル以外の魔力を感じました。憶測の域をでませんが、彼は何者かに操られてリヴェルの心を揺さぶる為に利用されたのかもしれません」
「心を揺さぶる?」
「ダイナーがリヴェルに言っていたんです。憐れだと。誰もお前を愛さないと。不安を煽り、わざと魔力を暴走させるのが狙いだったのかもしれません」
「なっ……」

 グレースは絶句した。

(何、それ)

 そんな言葉を正面から投げつけられて、リヴェルがどれだけ傷ついたか。想像するだけで胸を締め付けられると同時に、怒りがこみ上げてくる。

「結界をはる直前、倒れるダイナーが見えました。ダイナーから感じていた魔力も消えましたし、多分、彼を操っていた人物はもう居ません。だから、彼に関しては気にしなくても大丈夫ですよ」
「だからって、何すんなり許してんだよ!」
「オルストン嬢が一番リヴェルを宥められる可能性が高いからです。分かるでしょう? 貴方と私よりも、リヴェルは彼女に心を開いてる」
「そりゃあ、そうだけど……もし何かあったら」
「心配は分かります。なので、フィグが出来る中で一番強い結界をオルストン嬢にかけてください。私にかけてる魔法、全部外していいですから」

 蒼白い顔でいつも通りの笑顔を浮かべるブラムに、何か言いたげだったフィグも根負けしたようで「あーーー!」と叫んでグレースに手を差し出した。

「グレース、手!」
「は、はいっ!」

 差し出された手に右手を乗せると、優しく握り返される。
 フィグはグレースの右手に額を当てて、意識を集中させるように目を閉じた。

「……堅牢堅固。全てに耐えうる守護を」

 静かに呼吸を繰り返してフィグがそう呟くと、触れられた手から徐々にグレースの身体を温かい何かが巡っていく。包まれるような感覚に満たされたかと思うと、体に馴染むように消えていった。

「これで暫くは大丈夫だけど……無茶はするなよ」
「有難う、フィグ。行ってくるね」

 これ以上心配させまいとフィグに笑顔で返して、グレースは杖を握りしめて立ち上がった。
 廊下と部屋の境に立ち、意を決して一歩踏み出す。

(暗い……)

 見れば、ボロボロになったカーテンが陽光を遮っていた。窓ガラスは割れ、扉も開き、音を遮るものは何も無い筈なのに、外の喧騒が一切聞こえてこない。
 床に飛散する窓ガラスや壊れた家具の破片。数日前に訪れた部屋とは思えない程に荒れ果てた室内と、部屋の中を満たす静寂にグレースは息を呑んだ。

(先生とフィグがすぐそこに居るのに、まったく別の世界みたい)

「!」

 室内を見渡していると、床に俯せに横たわるダイナーの姿があった。
 不用意に近づく事はせず、少しばかり遠巻きに眺めてみると、外傷もなく呼吸も安定している。ブラムの言っていた通り、気を失っているだけのようだ。

 ダイナーを目覚めさせないように、グレースはリヴェルとヴェントの姿を探す。
 意を決してやってきたものの、肝心のリヴェルの姿が見当たらない。
 薄暗く、家具が散乱する部屋の中で目を凝らしながら辺りを見渡すと、倒れたテーブルの向こう側に靴を履いた男性の足が見えた。

(あれは……!)

 急いで近づき、テーブルの反対側を覗き込むと、壊れた椅子を支えにして座り込むヴェントの姿があった。

「ヴェントさん!」
「ん……、グレース……?」
「大丈夫ですか?」
「俺は……そっか、気を失ってたんだな」

 ヴェントは頭を抑えて暫し呆然としていたが、何かを思い出したように周囲を見回し始めた。

「リヴェル……、そうだ、リヴェルは……いっ!?」
「ヴェントさん!?」

 勢いよく立ち上がろうとするものの、ヴェントは肩を抑えてうずくまってしまう。

「どこか怪我を……!?」
「いや、ちょっとぶつけた程度だから大丈夫だ。それより、なんでここに居るんだ? それに、リヴェルはどこに……まさか外に出たんじゃ!」
「落ち着いてください、ヴェントさん」

 部屋の中を見渡す限り、リヴェルの姿は見当たらない。
 窓から出た可能性もあるかもしれないが、リヴェルが三階から飛び降りるとは考えにくい。
 グレースはもう一度ゆっくりと部屋の中を見渡して、クローゼットに目を留めた。

「もしかして……」
「おい、グレース?」

 グレースの部屋にもある、壁に埋め込まれた広めのクローゼット。近付くと、大きな折戸の扉は今にも外れそうに傾き、その隙間から毛布の端がはみ出ていた。

(あぁ、やっぱり――)

 覗き込むと、毛布を被った何かが見て取れる。

「リヴェル君」

 驚かせないように気をつけて名前を呼ぶと、毛布の塊がびくりっと動き、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「おねえさん……?」
「うん。そんな所に居ないで出ておいで」

 こちらに背を向け、頭か毛布を被るリヴェルは驚いた表情を浮かべるも、ぱっと目を背けて首を横に振る。

「どうして?」
「…………だって、僕……また、傷つけた」

 返ってきたリヴェルの声は小さく、か細い。

「でも、誰も怒ってないよ」
「……ほんと?」
「リヴェル君がわざとやったんじゃないって、分かってるもの」
「……っ、でも、でも! 僕は、兄様のじゃまだから、居なければ良かったのにって」

 クローゼットの扉がリヴェルの声に反応して、カタカタっと震え始める。

「みんなが言ってた……。あんな前世じゃなければって、おそろしいって」

(駄目だ、このままじゃグレースまで巻き込んじまう)

 空気を震わせるリヴェルの魔力にヴェントは危険を感じ、怪我をさせる前に逃がさなければと、グレースを見る。しかし、グレースは逃げるどころかその場に座り込み、自身の隣に杖を置いた。
 その姿勢は、恐怖でへたり込んでしまったわけではなく、しっかりとリヴェルの声を聞くために取られたものだ。

「お母様も、兄様も……!! 僕が、人殺しだったから……みんな僕のこと、きらいだって……、誰も愛さないって……!!」

 悲痛なリヴェルの叫びに呼応して、周囲の家具や空気がひと際大きく震え始める。
 その瞬間、外れかけていたクローゼットの扉が、バキリっと音を立ててグレースの方へ大きく傾いた。

「グレース!!!」

 ヴェントが反射的に駆け寄ろうとするも間に合わず、傾いた大きな折り戸の扉はそのままグレースめがけて倒れ込む。

「……!?  おねえさん!!」

 ヴェントの叫び声と大きな音にリヴェルが振り返ると、そこには扉の下敷きになったグレースの姿があった。

「グレース!!」
「っ…………、ぼく、ぼくが、」
「落ち着け、リヴェル!」

 動揺と混乱でリヴェルの魔力は膨らみ続けている。駆け寄ったヴェントはなんとかリヴェルを宥めようとするが、リヴェルはその場にへたり込み、荒い呼吸を繰り返すばかりだ。

(まずい……このまま魔力が爆発すれば、さっきみたいに吹き飛ばされる程度じゃ――)

「……驚いた、急に倒れてくるんだもの」

 焦るヴェントの耳に飛び込んで来た、穏やかな声。
 続いて「よいしょっと」と、目の前の扉を持ち上げてグレースが下から這い出てきた。

「!?」
「お、ねえさ……」

 突然の事に驚くヴェントとリヴェル。
 リヴェルの魔力暴走も驚きからか、ぴたりっと止んでいる。

「ごめんなさい、驚かせて」
「いや、それはいいが、大丈夫……なのか?」
「平気です。意外と丈夫なんですよ私」

 ヴェントの眼には扉が頭部に直撃したように見えたが、頭部どころか、グレースの体には傷一つない。
 ヴェントは、廊下にいたフィグとブラムの存在を思い出す。
 二人の内どちらかが、グレースに結界をかけたと確信すると同時に、二人の許しを得て、グレースが此処にいるのだと理解した。

「だから大丈夫よ、リヴェル君。私は、あなたの魔法で傷つかない」

 そう言うと、グレースはリヴェルの両手を取る。

(小さな手……)

 子供らしい小さな手の温もり。
 人を傷つけた事を悔やむリヴェルを、どうして責められるだろう。

「私はあなたを怖いと思わないし、前世でした事を咎めようとも思わない」

 優しく、語りかけるようにグレースは続ける。

「それにヴェントさんが、リヴェル君の事をどれだけ大事に思ってるかも知ってる。邪魔だなんて、ヴェントさんは思ってないよ」
「……でも、お母様が僕をここに捨てたように、いずれ兄様もぼくを――」
「そんなわけあるか!!」

 リヴェルの言葉を遮るように叫んで、ヴェントは真っ直ぐにリヴェルを見る。

「俺がお前を捨てるわけないだろ!」
「っ……」

 今にも泣きそうな表情を浮かべるリヴェルの手をそっと握り、グレースは微笑んだ。

「リヴェル君は、ちゃんと愛されてるわ。私もリヴェル君のこと大好きよ」
「……うっ、ううっ……うわああっ……」

 ぼろぼろっと、リヴェルの瞳から大粒の涙が落ちる。
 リヴェルはグレースに抱きつくと、声を上げて泣き始めた。

「ご、ごめ、うっぐ……ごめん、なさいっ……!」
「うん。大丈夫、大丈夫よ」

 声を詰まらせて泣くリヴェルの背中を撫でながら、グレースは優しく声をかけ続けた。


  
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