前世の私は幸せでした

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26 サイラスとエリダル

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「ちょっと待っててくれ」と言い残し、部屋を出て行ったヴェントが二人の男性を引き連れて戻ってきたのは、十数分後の事だった。
 中肉中背、淡緑色で癖毛のショートヘア。暗い桃色の瞳をしたスーツ姿の男性は、真ん丸の目を見開いて驚きを露に。片や長身痩躯、紫紺の髪に灰色の瞳。白衣にマスク姿の男性はポケットに両手をいれたまま、静かに部屋を見回していた。

 先に動き出したのはマスクの男性で、真っ直ぐにブラムの元へ歩み寄り、その場にしゃがみ込んだ。

「………………」
「久しぶりですね、エリ。すみません、こんな姿で」

 何も発さずに傷だらけの腕を凝視する男性にブラムが声を掛けると、男性は首を横に振った。次いで、隣に居たフィグに視線を移す。

「痛み止めと止血の魔法はかけてある。あと、お前らの主も肩やられてるらしいから」
「本当ですか!?」

 フィグの言葉に反応したのはエリと呼ばれた男性ではなく、もう一人の男性の方だった。しまったと言わんばかりの表情を浮かべているヴェントに、男性は一気に詰め寄る。

「どうして言わないんですか!」
「…………忘れてた」
「そんな言い訳が通用するとお思いですか? 早く処置を――」
「待て、サイラス。俺のは致命傷じゃないし、後回しで良い。さっき話した通りに部屋の修復と、彼女とリヴェルの事を頼む」
「ですが……!」
「頼む」

 数秒の睨み合いの後、折れた様に溜息を着いたのはサイラスの方だった。

「……分かりました。終わったら即、エリに治療して貰いますからね」
「あぁ。グレース!」
「は、はい!」

 急に名前を呼ばれ、グレースはさっと居ずまいを正した。

「うちの執事のサイラスと、専属医のエリダルだ。困った事があったら頼ってくれ。俺は、そいつの部屋に行ってくる」

 ダイナーを見るヴェントに、フィグは首を傾げる。

「あ? ダイナーの部屋に行くのは俺一人でも平気だぞ」
「お前はブラムの代わりに院内を見てきた方が良いんじゃないか? 看護師達への指示と、患者達の様子を確認してきた方がいい」
「うちの看護師は、指示が無ければ動けないような奴らじゃねぇし、放っておいても大丈夫だろ」
「いえ、ヴェントの言う通りにして貰えますか? フィグ。この階に張ってある結界の境に数名、人の気配があります。多分、看護師達かと思いますが行って説明を――」
「おい、こらっ。魔法使うなって言ってんのに、気配探知してんじゃねぇ」
「フィグに行って貰えれば安心して切れます」

 にっこりと笑うブラムにフィグは諦めの表情を浮かべ、深い溜息を吐いた。

「……分かったよ。おい、エリ。ブラムが魔法使おうとしたら傷口抉ってでも止めてくれ。じゃ、後は任せた」

 フィグとヴェントが部屋を出ていくのを見送り、グレースは改めて二人に視線を移す。

(執事さんと専属医さん……。ヴェントさんに着いて病院に来てたのかしら? フィグや先生とも知り合いみたいだし)

 ヴェントが部屋を出てから、二人を連れてくるまでにかかった時間はほんの十数分だ。
 帰宅して連れ返ったとは到底考えられない時間にグレースが疑問を浮かべていると、視線に気づいたサイラスがこちらへ歩み寄ってくる。
 どことなく幼さが残る整った顔立ちを、主の客人に対する執事のものへと切り替えて、サイラスは流れるように片膝をついた。

「ご挨拶が遅れてすみません。初めましてレディ。サイラス・アヴィー・セラリアスと申します。サイラスとお呼びください。それと」

 サイラスは視線をエリダルの方へ向ける。

「彼は口がきけませんので、代わりにご挨拶を。彼はエリダル・シェトラン。彼の事も、どうぞエリダルとお呼びください」

 サイラスの言葉にあわせて、エリダルもグレースに向けて一礼した。
 突然の事に多少面食らいつつも、グレースは小さく咳ばらいをし、背筋を伸ばす。

「こちらこそ、このような姿勢のままで申し訳ありません。グレース・リー・オルストンと申します」

 グレースが軽く頭を下げると、エリダルの表情に変わりは無いが、サイラスは何かに驚いたように一瞬目を見開いた。しかし、誰にも気づかれないよう、すぐに表情を戻しサイラスは笑みを浮かべる。

「オルストン様。ブラム様はエリダルに任せるとして、先ずは、オルストン様とリヴェル様の休める場所をご用意します。申し訳ありませんが、もう少々お待ちいただけますか?」
「もちろん。あの、私の事は大丈夫なので、リヴェル君が横になれる場所だけでも先にお願いしても良いでしょうか? 力を借りる身で、口を出すのは申し訳ないのですが……」
「いえ、承知いたしました。お気になさらないでください」

 サイラスはそう言うと一礼して、ブラムの元に駆け寄っていく。それからブラムと、二、三、会話を交わしたかと思うと、部屋を出て行ってしまった。

(一体、どうするのかしら)

 一面荒れ放題、壊れ放題の部屋の中。一人で片付けるには時間がかかるし、魔法を使うにしても容易ではない筈だ。
 誰か手伝いを呼びに行ったのかもしれないが、やはり任せきりにしてしまうのは何だか申し訳が無い。
 少しでも手伝うべきだとグレースは判断して、リヴェルを横たえられる場所は無いか探していると、サイラスは一人で戻ってきた。
 上着を脱いでベストとシャツ姿になり、袖を捲ってサイラスは壊れたベッドの側に立つ。

「よしっ」

 そう呟いてからのサイラスの働きは、凄まじかった。

 小さく言葉を唱えたかと思うと壊れた瓦礫が動き出し、徐々に元のベッドの形へと戻っていく。
 魔法で物が動く様を見た事はあるが、大小様々な破片が一斉に動く様は圧巻だ。
 グレースが見入っていると、あっという間にベッドと、その横に椅子を修復。ベッドにリヴェルを寝かせ、グレースに椅子と、どこからともなく取り出した膝掛けを勧めた後「風で冷えますね。お待ちください」と言うやいなや魔法で同じように窓を直し、次々に壊れた家具を修復していく。
 一通り家具の修復が終わったかと思うと、天井、壁、床、クローゼット。最後に入り口の扉を直し、部屋の中は見事に元通りになった。

「……すごい」

 見入っているうちに終わってしまった修復作業に、グレースは感嘆の息を吐く。
 ものの一時間もかからず、流れるように作業を終えたサイラスの顔には汗一つ流れていない。

「有難うございます」
「こんなに短時間で直してしまうなんて、驚きました。修復魔法お得意なんですね」
「得意という程ではありませんが、習得していた方が執事として主の役に立てる魔法なので」
「それに手際もよくて、思わず見入ってしまいました。元通りというか、むしろ元よりも新しいものに近い感じというか……」
「身に余るお言葉、有難うございます。流石に見たことが無いものを元通りには出来ませんから、同じ造りの病室をブラム様に許可を得て先程確認してきたんです。後は見た通りに直したまでなので、そこまで絶賛して頂くものでは」

 さっきサイラスが部屋を出たのは、別の病室を確認するためだったらしい。
 確かに執事やメイドの中には、修復魔法を扱える者も珍しくはない。だが、ひと目見た情報だけで、家具と部屋の修復、配置までを短時間で、一人で完璧にこなせる人間はそう居ないだろう。

(謙遜してるけど簡単に出来るような事じゃないわ。それに、サイラスさんも凄いけど……)

 グレースは、少し離れた所でブラムの治療をしているエリダルに視線を移す。
 血だらけの白衣を脱ぎ、服の袖を切り取られて露になったブラムの右腕は血で赤黒く染まり痛々しい。だが、腕を伸ばし、掌を握って開く動作をゆっくりと繰り返しているブラムの指は、さっきまで折れていた筈だ。

(エリダルさんも凄い人だわ。先生の指、複雑に折れていたように見えたけど、もう治ってる)

 治癒魔法は難易度が高く、人体の構造を理解する医師ですら使いこなせる人間は多くないと聞く。専属医と言っていたが、あれだけの治癒魔法の技術を持つ医師が、いち家庭の専属医として雇われている例は聞いたことがない。

 エリダルの治療の様子を凝視していたグレースに気付き、サイラスが遮るように間に立った。

「あまり視界に入って気の良いものではありませんよね。気付くのが遅れて申し訳ありません。すぐに衝立の用意をしますので」
「だ、大丈夫です! 私こそエリダルさんの治癒魔法の技術の高さに目を奪われていたとはいえ、不躾に眺めてしまって……すみません」

 焦って視線を逸らすグレースに、サイラスは、ぱちぱちっと瞬きを繰り返す。

「血が、怖くないのですか?」
「怖くはないです。誰しもに流れているものですし、怪我だって、生きてる限り負う可能性のあるものですから」

 なんなら戦時中、前世でもっと酷い怪我を目にしたこともある。思い出したくはない記憶のため、口に出すことはしないが、グレースは伏し目がちに答えた。
 そこに、治療を終えたエリダルが近付き、背を向けていたサイラスの肩を叩いた。

「エリ。終わったのか?」

 サイラスの言葉にエリダルはブラムを示し、次いで自身の白衣の袖を引っ張った。

「あぁ、白衣の修復か。すみません、オルストン様。少し失礼します」

 サイラスは、踵を返してブラムの元へ。
 服の修復も出来るのかとグレースが感心していると、隣から視線を感じた。
 見ると、しゃがみこんだエリダルがグレースの脚を凝視している。

「な、何か?」
「…………」

 エリダルはグレースを見上げ、グレースの脚と杖を交互に指差した。

(多分、脚の事を聞いてるんだと思うけど)

「えっと、これは転移症の初期症状で長く眠りすぎたせいで筋力が落ちまして、今リハビリ中なんです」
「……?」

 グレースの答えが求めているものではなかったのか、エリダルは眉間に皺を寄せ首を傾げた。そして、再度グレースの脚を見つめ続ける。
 膝掛けで隠れているとはいえ、そこまで見つめられると何だか居たたまれない。どうしたものかと困惑していると、横から助け舟が出された。

「エリ、オルストン嬢が困ってますよ」
「ブラム先生」
「すみません、彼は怪我に興味があるだけで悪気は無いんです」

 エリダルをたしなめるブラムの白衣は、赤黒い染みが消え、白に戻っていた。あれだけの怪我を負っていたとは思えない程いつも通りのブラムに、グレースはほっと胸を撫で下ろす。

「もう大丈夫なんですか?」
「えぇ。多少貧血気味ですが、普通に動けるくらいには元気です。ご心配をおかけしました。サイラス君とエリも。助かりました。有難うございます」

 深々と頭を下げるブラムに、サイラスは「いいえっ……!」と、大きく首を横に振った。

「ブラム様のお力になれたのなら僕らは本望ですし、困った時は呼んで下されば、いつでも駆けつけます!」

 力強く話すサイラスは、先程グレースに見せていた表情よりもどこか子供っぽい表情を見せ、エリダルもそんなサイラスの言葉に何度も頷いている。

「有難う。さて、サイラス君のおかげで部屋は片付きましたが、色々とやる事が山積みですね」
「他に僕らに出来ることはありますか?」
「そうですね……」

 ブラムは寝ているリヴェルの寝顔を覗き込み、そっと頭を撫でる。
 それからグレースを見て、優しく微笑んだ。

「一先ず、お茶にしましょうか」


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