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29 赤色の繋がり
しおりを挟む風良し、湿度良し、気温良し。
陽の光も強すぎず、今日は一日過ごしやすい気候だ。
つまりは絶好の視察日和なわけだが……。
「いつまでそんな顔をしてるおつもりですか? アーヴェント殿下」
「んー……」
サイラスは、冴えない顔で頬杖をつきながら外を眺める自身の主人に、半ば呆れ顔で声をかけた。
朝、ベッドから出るのを渋るアーヴェントを引っ張り出し、進まない朝食と身支度を同時進行で済ませ、視察へ向かう馬車の準備が整うのを待つ現在まで、ずっとこの調子なのだ。
たとえ自身の主人で一国の王子だとしても、多少の不満が顔に出る事は許して欲しい。
「何を急に落ち込んでるんですか。一週間前に帰宅した際、執事長に見つかって王妃様に報告され、しっかり説教受けた時だってそんなに落ち込んで無かったでしょう? むしろ、如何にして早く病院に行くかで燃えてたじゃありませんか」
「それは、そうだが……」
「オルストン様にお会いするのに、そんな情けない萎れた姿でお会いするおつもりですか?」
「今日は一段と容赦ないな……」
「当たり前です。肌、髪、服、その他諸々。我が主を更に盛り立てるために施した完璧な仕事が、今、中身が萎れてる所為で無に帰してるんです」
ピシャリっと、言い放ったサイラスにアーヴェントは返す言葉も無い。
「……悪い」と返ってきた小さな謝罪にサイラスは、はぁっと溜息をついた。
「そんなに正体を明かすのが嫌なら、いっそ無かった事にしたら如何です? 会わず、話さず、視察以降は病院に行かず、オルストン様の退院を待てばいいのです。彼女も退院して日常に戻れば、徐々に忘れていくと思いますよ」
「できるわけないだろ。あんなに俺らの事を考えて、力になろうとしてくれた人に、やっぱり何も話しません。じゃあ、あまりにも不義理だ」
魔力暴走騒ぎの時、クローゼットの前に杖を置いて座り込んだグレースの姿を思い出す。
リヴェルの話を聞こうと相対する小さな彼女の背中が、アーヴェントの脳裏に焼き付いて離れない。
「正体を話すのが嫌なわけじゃない。ただ、出来ればヴェントとして、もう少しグレースと接していたかっただけだ」
わざとでは無いにしろ、騙してしまう形になった事への罪悪感もある。
だが、その罪悪感以上に、ヴェントとして、グレースに接する事ができなくなるのが嫌なのだと気付いてしまった。
王族と知られて、距離が開いてしまう事が怖いのだ。
(結局はただの我儘……ガキか、俺は)
ガシガシと頭を掻くアーヴェントにサイラスが声を掛けようとしたその時、コンコンっと部屋の扉を叩く音がした。
扉をあけて、サイラスは外の従者と会話を交わす。
「殿下、準備が整ったようです」
「あぁ」
気付かれないように一度だけ小さく深呼吸をして、アーヴェントは席を立つ。
(俺とリヴェルがこの国の王太子だと知ったら、グレースはどんな顔をするんだろうな)
丸眼鏡も無ければ、髪の色も変えず、前髪で顔も隠さない。
アーヴェントは背筋を伸ばすと、サイラス曰く萎れた表情を消し、王太子に相応しいものに切り替えた。
***
「退院が決まったのは嬉しいけれど、ここの食事が食べれなくなるのは残念ね」
「えぇ、それはもうっ……本当に……!!」
ライラの言葉に心からの同意を込めて、力強くグレースは頷いた。
「ウーちゃんと食堂の皆さんの作る食事は本当に美味しくて……ほんとっっっに、美味しくてですね……!!」
「二度繰り返すほど、感極まる気持ちも分かるわ。貴方の退院の日には、バートとアーティも来るでしょうから、此処で食事にしましょうね」
今日は、王宮からの視察団の訪問日。
朝から慌ただしい看護師達と、王太子が間近で見れると盛り上がる患者達で、院内にはどこか落ち着かない空気が流れていた。
邪魔にならないように今日は一日病室で過ごすそうと考えていたグレースだったが、母ライラの急な訪問と「食堂で食事がしたい」という要望により、早めの昼食をとりに食堂へとやってきていた。
食堂内に人はまばらだが、遠巻きにこちらを伺う視線を複数感じる。
ひとつ隣のテーブル席から、あるいは厨房から。元舞台女優であるライラに向けられた好奇の視線。
だが、当のライラは意にも介していないようだ。
「お父様とアーティが来れなくて残念です」
「バートは仕事。アーティは勉強。二人とも着いて来ようとしてたけど、元から今日は王都に用事があって一人で来る気だったの。だから置いてきたわ」
悪びれなく「お土産買っていかなくちゃ」とライラは微笑む。
「用事はもう済ませたんですか?」
「まだよ。貴方の顔を見てから、あの子のところに行くつもりだったから。今日は良いお天気だし、絶好のお墓参り日和だわ」
「お墓参り……もしかして、ご友人の」
「えぇ。ここからそう遠くない霊園にあの子のお墓があるの。まさか、たまたまグレースの顔を見に来たら退院が決まったって言われるとは思わないじゃない? だから、あの子のお墓に行って、しばらくしたら先生のお話を聞きに戻ってくるわ。先生も何だかお忙しそうだし」
ライラが時折一人で王都に出向き、親友である友人の墓を参っていたのは知っていた。
「病気で亡くなってしまったけど、とても明るくて可愛い子だったのよ」と、以前それだけ教えて貰ったのを覚えている。
「それにしても、まさか王宮から視察が来る日とはね。おかげで見舞いのご家族の多いこと……。グレースの病室に行くまでに、何人の方に声を掛けられたことか」
「呼んでいただければ、入口まで迎えにいきましたのに」
「それじゃあ、秘密で来た意味がないじゃない。急に訪ねて驚かせたかったんだもの」
「確かに驚きましたけど」
「ふふっ、良かった」
拗ねたような表情から一変、美しい笑顔を浮かべるライラに周囲の視線の熱が上がるのを感じる。
同席しているグレースでも気付くファンからの視線に、ライラが気づかない筈がない。
それでも依然として動じることなく食事を続けるライラの所作は、一挙手一動が美しかった。
「……お母様、今日は女優モード全開ですね」
「休まらないわよね。ごめんね、グレース。王都は昔の私を知ってる人が多いから、イメージは崩せないわ。それに今日はバートもアーティも居ないから、私がグレースを守らないと」
「守る?」
「ええ。私の娘に変なちょっかい出したら、承知しないわよって」
最後の一口を食べ終え、ナプキンで唇を軽く拭うと、ライラはひとつ隣のテーブル席に座る男女の医師に、にっこりと微笑んだ。隣のテーブルだけではなく、厨房や周囲の客にも効果てきめんなようで、小さな悲鳴が聞こえてくる。
(なんだか思い出すわ。友達に誘われて一緒にコンサートに行った時のこと。若い演歌歌手のお兄さんの微笑みひとつで開場全体が虜になってたわねぇ)
グレースがしみじみと前世での思い出に浸っていると、ライラの視線が再度グレースに向けられる。
「貴方に近づく変な虫の気配も感じるし、牽制しておくに越したことはないわ」
「変な虫、ですか?」
周囲に虫でも飛んでいるのかと、辺りを見回すグレースに「そっちじゃないわ」とライラは笑う。
「病室の花瓶に生けられた花。あれは誰に貰ったのかしら?」
その言葉で、グレースはライラの言う「変な虫」の意味を理解した。
同時に浮かんだヴェントの顔に、カッと顔が熱くなる。
「あ、あれは、そういうのではなくてですね!! えっと、同じ階で入院してる男の子のお兄さんがくれまして!」
「お兄さんねぇ。グレースは、あの赤い花がどこで咲いてるか知ってる?」
「いえ、見た事のない種類のお花ですし、お花屋さんで買ったものかと……。あの、兎に角そういう関係ではなく……!」
「……そう」
呟くと少し視点を下げて一点を見つめるライラ。
何かを考え込んでいる様子を不思議に思い、グレースは首を傾げた。
「あの、お母様?」
「あぁ、ごめんなさい。そういえばお墓参りに行くのに、お花を買うの忘れてたのを思い出したわ。あの子、赤い花が好きだったから、買っていかなくちゃ。そういうわけだからグレース、私もう行くわね」
何事も無かったかのように、ライラは席を立つ。
「あ、あの! 何時ごろに戻りますか? お母様にお話ししたい事があるんです」
話とは勿論、リヴェルの事だ。
バートにも話さなければいけないが、退院までの間に少しでも早く話をしておきたい。
「あら、何かしら。そうね、視察の方々がお帰りになった頃には戻るわ。あぁ、そうそうグレース」
ライラは席を立つとグレースの隣に立ち、小さな声で耳打ちした。
「王宮の人間には、不用意に心を許してはダメよ」
言葉の意味が分からずライラを見るが、それ以上は語らず「それじゃあ、またね」と、ライラは席を離れていった。
(どうして王宮の人が出てくるのかしら? 視察の人達の事?)
食堂中の視線を集めて立ち去っていくライラの背中を見つめながら、グレースの頭上にはクエスチョンが浮かぶ。
その内に考える事を諦め、食後のお茶を頂いたら部屋に戻ろうと考えていると、食堂の空気が変わった。
ざわつく周囲の視線を辿り、入口を見る。
視界に入ったのは、揃いの服を着た数人の男女を先導するブラムの姿。そしてその隣、ひと際目を惹く赤髪の青年の姿だった。
***
「お待たせしました! こちらで宜しいでしょうか?」
「えぇ、とても綺麗。お任せして良かったわ。ありがとう」
「そう言って頂けると嬉しいです! またどうぞ!」
快活な笑顔を浮かべる店員の少女は、グレースと変わらない年齢だろうか。
軒下に並んだ赤い花が目について、初めて立ち寄った花屋だったが店員の接客も花束のセンスも悪くない。
またここにお願いしようと心に決めながら、鮮やかな花束を受け取って、ライラはその場を離れた。
日傘で日差しを避けながら、辿り着いた王都で一番大きな霊園。
その奥、中央に立てられたひと際立派な、けれど決して華美ではない墓石の前でライラは立ち止まる。
墓石の前に供えられた多くの花束は、彼女が亡くなった今もなお愛され続けている証拠だ。
「久しぶりね、早速だけど聞いて頂戴。今日、遠巻きに貴方の子供を見たわ。貴方と揃いの赤髪が綺麗な男の子」
周囲に人が居ないのを確認し、ライラは墓石の前にしゃがみ込み、語りかけた。
「グレースが花束を貰ってね。その中にあの花があったわ。王宮の庭園に貴方の旦那が植えた、貴方の髪と同じ色の四つ葉の赤花。驚いたけど、今もちゃんとお世話されている証拠よね」
あの赤い花は、王宮の庭園にしか咲いていない。
育成の難しい赤花を育てるために、彼が王宮庭園内に専用のハウスを作ったのだと、彼女は少し困りながら、けれど嬉しそうに話していた姿を今も鮮明に覚えている。
「贈ったのはきっと、その貴方の息子よ。まったく、二人の関係がこのまま進展するのは、貴方の友としては嬉しいけれど、娘を心配する母としては複雑なのよ。ねぇ、”赤華の妖精”?」
置いた花束が、吹き抜けた風に静かに揺れる。
「……貴方が視た最悪の未来に、これ以上近づかないように、どうかあの子達を見守っていてね」
墓石に刻まれた「先視の王妃 アーリベル・レイ・アルバディオン」の文字にそっと目を伏せて、ライラは手を合わせた。
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