前世の私は幸せでした

米粉

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37 希少な果実と笑顔を君に

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 グラバー領にある唯一の村、トルジニア。
 オルストン邸はこの村の外れに位置し、現在向かっている目的地もまた、邸とは反対の村はずれにあった。

「そろそろ見えてくる頃かしらね」

 邸を出て村を横断し、さらに馬車を走らせること数分。
 開けた土地に出たかと思うと看板が現れ、そこから一瞬にして景色が変わった。

「わぁ……!」

 道沿いに並ぶ柵の向こう側には実をつけた木々が立ち並び、道の先には赤い屋根の建物が見える。
 瞳を輝かせながら外を眺めるリヴェルを微笑ましく見つめていると、馬車がゆっくりと停止した。

「着いたな。それ、持つ」
「うん、お願い」

 マウロに用意して貰った弁当をアーティに渡し、降りる準備をしていると「失礼します。到着しました」と、馬車の扉が開かれた。

「道中お疲れ様でした。足元気を付けてくださいね。迎えは予定通りで大丈夫ですか?」
「有難う。予定通りでお願いします」
「了解しました。いってらっしゃいませ」

 御者に礼を言って馬車を離れ、グレース達は歩を進める。

「皆さん、どこに居るかしら?」
「来る途中で人影が見えたから多分あっちで収穫してるな。そろそろ休憩時間だし声かけてくる。姉さんとリィルはここで待ってると良い」
「そう? じゃあ、お願いするわ」

 弁当を預かり、小走りで駆けていくアーティを見送って、グレースはリヴェルに視線を移す。
 リヴェルは近くの樹を見上げたり、周囲を見回したりと忙しなく、その愛らしさにグレースは思わず笑みがこぼれた。

「リィル君、楽しい?」

 グレースの問いに大きく首を縦に振って、リヴェルはきらきらとした瞳を今度はグレースに向けた。

「ここに、お姉さんが言ってたグラバー領の要の人が居るの?」
「えぇ、正確には人ではないけれど。ここはグラバー果樹園。この領地の特産品を育てている場所で、その特産品がこの領地の要なの」
「特産品?」
「あれ」

 グレースはそう言って近くの樹の下まで移動し、頭上を指さした。
 そこには、洋梨のような形をした半透明の果実が実っており、太陽の光が透けて美しく輝いていた。

「すごい、きれい……」
「あれはグラバーアップルといって、ここでしか採れない希少な果物でね。生産量も限られているから広く流通しているわけではないけれど、この国と隣国の王室にお墨付きを頂いた、いわば王室御用達の果物なのよ」

 グラバーアップルは、その昔、領主のグラバーが旅人から貰った種を植えたのが始まりと言われている。
 その味と見た目の美しさは、隣国との友好関係を結ぶ際、贈り物のひとつとして選ばれた事がある程だ。しかし、当時の王が王宮でも栽培を試みたが王宮は勿論、他の領地でも育つことは無く、やがてグラバー領でしか生産できない希少な果物と呼ばれるようになった。

「リィル君は食べたことある?」
「うん! あのね、具合が悪い時にお母様が――」

 母親の事を思い出し、リヴェルの声色は徐々に小さくなっていく。

「貴重な果物なのよって、切ったやつ食べさせてくれた……」

 胸元を握りしめて、寂しそうに俯くリヴェルの背にグレースはそっと手を添えて隣にしゃがみ込んだ。

「リィル君、良ければ収穫してみる?」

 グレースの一言にリヴェルは目を見開いて瞳を輝かせたが、再度戸惑いがちに視線を逸らした。

「で、でも、大事な果物だし、失敗して傷つけちゃったら」
「大丈夫! 一緒にやれば怖くないわ。それに」

 グレースは口元に手を添えて、小さな声でリヴェルの耳元で囁く。

「もしも失敗したら、皆に内緒で食べちゃいましょう?」

 まん丸の瞳を向けてくるリヴェルに、グレースは口の前で人差し指を立てて、悪戯っぽく笑う。
 その笑みにつられたのか、リヴェルも肩を竦めて「へへへっ」と笑った。

「お、なんだい。楽しそうだね二人とも」
「! お父様、お母様っ」

 タオルで汗を拭いながら歩いてくるバートとライラの姿を見つけ、グレースは立ち上がる。

「お疲れ様です。今、リィル君にグラバーアップルの話をしていたところで……。アーティは一緒じゃないんですか?」
「アーティなら別で作業してる皆を呼びに行ってくれてるよ。リィルも一緒に来てくれて有難う」

 そう言って、バートはリヴェルの頭を優しく撫でる。
 アーティの大きな手やグレースの温かな手に撫でられるのとは違って、バートの手に撫でられるのは、リヴェルにとって少しくすぐったい。

「あなた、軍手で触ったらリィルの髪が汚れますよ」
「あ、そうだった! すまないっ」
「だ、大丈夫っ」

 ライラの注意にバートは急いで手を離した。
 しかし、反対にリヴェルはバートから視線を外さず、じっと見上げている。

「ん? どうかしたかい?」
「えっと、お二人とも、いつもと格好が違うから不思議で……」

 大きな麦わら帽子に動きやすそうな作業服。首にはタオルを駆けて、背に大きな籠を背負う姿はいつもの伯爵と伯爵夫人の姿からはほど遠い。

「あぁ、なるほど。いつもの姿だと動きづらいし、汚れてしまうからね。収穫作業にはこの姿が適しているんだよ」

 両手を広げて、リヴェルに見せるようにバートはその場でひと周りしてみせる。
 格好もそうだが、伯爵である領主自ら収穫作業に勤しむなど聞いた事が無い。

「果物の収穫をする伯爵夫妻なんて不思議でしょう?」

 思っている事を言い当てられて、リヴェルは咄嗟に頭を振ったがライラは「良いのよ」と微笑んだ。

「お、アーティ達も戻って来たな」

 賑やかな話し声と共に、アーティと二組の男女がこちらに向かって歩いてくるのが伺えた。
 アーティ以外は一様に背に籠を背負い、動きやすさを重視した作業服に身を包んでいる。恐らく、バート達と共に収穫作業をしている人々だろう。

「あちらはこの果樹園を管理しているティガー夫婦と、その娘さんと息子さんなの。リィル君のことは親戚の子として説明してあるから怖がらなくても大丈夫よ」

 知らない複数の大人を目にして身を固くするリヴェルにグレースが耳打ちすると、少しばかり強張った表情を浮かべながらも、リヴェルは小さく頷いた。

「さ、皆戻って来たし、中に入って休憩しよう」

 バート達はマウロが作った弁当の感想や今の収穫状況、グラバーアップルについてリヴェルに話して聞かせたりと、賑やかな休憩を終えるとまた収穫作業へ戻っていった。

(さすがマウロ、お願いした通りの完璧なお弁当だったわ。ティガーさん達も絶賛していたってマウロに伝えないと)

 三段重ねの重箱の一段目と二段目は、唐揚げと卵焼き、他にも数種類のおかずが入り、ミニトマトとブロッコリーなどの野菜で彩りが添えられ、三段目には三角に握られたおにぎりが並べられていた。
 予定では頭の中にある善子の記憶を頼りにグレース自ら作るつもりだったのだが、良ければ自分に作らせて欲しいと、試作の様子を眺めていたマウロが弁当作りを買って出てくれたのだ。

(あと、リヴェル君も食べたそうにしてたって伝えよう。知らない人とお昼を食べるの、もしかしたら気を使うかもと思って先に食べてきたのだけど)

 昼食を食べてきた為にお腹が空いていなかったようだが、お弁当に熱視線を送っていたのをグレースは見逃さなかった。あの様子なら今度は弁当を作って庭で食べるのも良さそうだ。

(唐揚げ、卵焼き、エビフライ、タコさんウィンナー、きんぴらなんかも個人的には好きだけど、子供向けではないかしら。あとは……)

「とれた!」

 お弁当のおかずで頭がいっぱいになっていたグレースの思考が、リヴェルの声で引き戻される。
 今はリヴェルの収穫体験を見守っている最中だ。
 声のした方を向くと、リヴェルがアーティに支えられながら脚立を降りるところだった。

「お姉さん、見て!」

 嬉しそうに駆けてくるリヴェルの手には、グラバーアップルが大事そうに抱えられている。
 休憩中、バートとライラがそれとなく会話の方向性を気にかけてくれた為に、リヴェルの身の上についてティガー一家に触れられることは一切なかった。おかげでリヴェルの緊張も解れたようで、さっきまでの強張った表情が嘘のようにリヴェルは笑顔を浮かべている。

「すごい、立派なのが採れたのね」
「うん! あの、本当にこれ持って帰っていいのかな」
「ティガーさんもお父様も良いって言ってたから大丈夫よ」
「待て。今、入れ物を貰ってくる」

 そう言ってアーティは足早に建物の方へと向かっていった。
 自らが採ったグラバーアップルを嬉しそうに眺めるリヴェル。しかし、不意にその瞳が悲しげな色を滲ませた。

「兄様に見せたいな……お母様とお父様にも」

 ぽつりっと呟かれた声に、グレースの胸が痛む。

 リヴェルが領地に来てから一ヶ月。
 情報が漏れて大きな騒ぎになるなんて事もなく、世は平穏そのもの。毎日が穏やかに流れていた。
 このまま全てが解決するまで、何事もなく過ごせるならばそれでいい。しかし、まさか実の親である王と王妃から連絡ひとつないとは思ってもいなかった。

(リヴェル君の預かり先がうちだという事を陛下達は知らない。でも、立場を考えれば難しいのかもしれないけれど、リヴェル君宛に手紙とか、せめて一言くらいヴェントさんに言付けがあっても良さそうなものなのに……。やっぱり王妃様は――)

 脳裏に王妃を疑っていたサーリーの姿が浮かび、グレースは嫌な考えを打ち消すように頭を振る。
 悲しげにグラバーアップルを見つめるリヴェルに、切り替えて明るく声をかけた。

「リィル君。マウロとメイリーのお土産にしたいから、あと二つ選んでくれる? リィル君が選んでくれたら二人も喜ぶわ」
「……マウロさんも喜ぶ?」
「もちろん! 嬉しくてにっこにこになるわ」
「にっこにこのマウロさん……」

 勢いで言ってしまったが、グラバーアップルを持って満面の笑みを浮かべるマウロの姿は、正直ちょっと面白い。それはリヴェルも同じなようで、暫し真顔で考え込んだかと思うと堪えきれずに「ふふっ」と、リヴェルは吹き出した。

「大きいやつ探さなきゃ」
「うん! お願いね、リィル君」

 笑顔で顔を見合わせると、リヴェルは木々を見上げながら周囲を散策し始める。
 その姿を見守っていると箱を手にしたアーティが戻ってきた。

「入れるの、この箱でいいか?」
「ねぇ、アーティ」
「ん?」
「リィル君、可愛いわよね」
「可愛いけど、どうした?」
「少しね、こんなに可愛い盛りなのにリィル君の親御さんは勿体ない事してるなって思っただけよ。……私が親なら、あんな寂しそうな顔何度もさせないわ」
「姉さ――「おねえさーん! これはー?」

 少し離れた場所から届いたリヴェルの声にアーティの言葉は遮られた。

「はーい! 今行くわ」

 グレースは、ぱっと笑顔を浮かべてリヴェルの元へ近づいていく。
 頭上になっている実を指さしながら、楽し気にリヴェルと話すグレースを見て、アーティは息を吐いた。

「もしかしなくても、怒ってるな。あれは」

 幼い頃から見ていたから分かる。
 きっと、今のグレースの胸の内はリヴェルの両親への腹立たしさで一杯だ。

「アーティ、手伝って!」
「アーティにいさまー!」

 此方に向かって呼びかけるグレースと、満面の笑みで手を振るリヴェル。

(まぁ、その怒りは分かる)

 家族は守り、助け合うもの。
 幼い頃からそう教えられてきたグレースとアーティにとって、今のリヴェルが置かれている現状は理解しがたいものだ。
 王族としての立場や責任、色々と複雑な理由があるのだろうとは思う。
 ならば親としての立場と責任は? 勝手な理由を押し付けられる子供の気持ちは?

 今、目の前で楽しそうに笑うリヴェルが、夜、泣きながら魘されている事を王と王妃は知っているのだろうか。

 アーティは右手をぐっと握りしめる。

(立場も家柄も身分も、全てが許されるのなら、とっくに一発殴りに行ってる)

 しかし、それでもその感情をリヴェルの前で晒す事は絶対にしない。
 笑顔でリヴェルに接するグレースを見て、アーティは握った拳を開いて、手を上げた。

(凄いな、姉さんは)

 リヴェルの前では絶対に不安にさせまいと振る舞う姉の姿を見習うべく、アーティは小さく息を吸う。
 満面の笑みでも浮かべられたら最高だが、生憎自分の表情筋は人よりも動きが硬いらしい。

「今、行く」

 せめて冷静に、いつも通りに。
 リヴェルが喜ぶ顔を想像しながら、近くにあった脚立を担ぎ上げてアーティは二人の元へと急いだ。


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