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カズマの登校

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「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 いつも通りのやりとりを終えると、おじいさんが修繕したばかりの土と木の階段を11段駆け上がる。1段1段高さが違うのだが、カズマの身体にはそれがリズムとなって刻み込まれ、何の苦も覚えず登り切る。舗装路に出ると同級生の女子がこちらへ向かっているのが見えた。

『カナちゃんが赤屋根まで来てる。出るのが遅かったか。タカちゃんもう坂下に来ちゃってるだろうな』

日和(ひより)町に住む小学生は宮台駅から一駅の区間、電車に乗り学校へ通う。カズマの家は、宮台駅のある大通りより川沿いへ一段下った通りにある。駅までは鬱蒼(うっそう)と茂る森の急坂を登らなくてはならない。坂の上り口の向こうにタカちゃんの家はある。だから二人はいつも坂下で待ち合わせているのだった。しかし、今日は会いたくなかった。全くあんなことを言わなければよかった。

 緩やかなカーブを抜けかかると、いた、タカちゃんだ。カズマより少し背が低い。いつもにように太い横縞シャツを着た姿が、しかしいつもなら少し手を上げてそれを小さく振っているはずなのだが、今日はそれをしていない。『そうだよな』カズマの心中にその文字が浮かび上がった。カズマはそれに対して全く気にしていないことを誇示するかのように、頭の上まで大きく腕を伸ばし手を振り返す。何も言わなければますます気まずい。思い切ってカズマは声をかける。

「おはよう」

「おはよう」

そうは言っても、その後が続かない。何事もないように二人は並んで坂道を上り出す。少しうつむいたカズマは横を歩くタカちゃんをチラリと盗み見る。

二人は特撮テレビ番組「マスカライダー」の大ファンだ。当然のように学校の男子のなかはその話で持きりだ。日頃ふたりは坂を登っている間も熱中して番組を語り合っている。カズマは園児だった頃からマスカライダーのファンだった。市民会館でマスカライダーショウが催された時、客席から選ばれてマスカライダーと一緒に変身ポーズを決めてから、さらに熱は高まった。小学校に入ってから知り合ったタカちゃんは、カズマのその熱に感化されたようで、いつしかカズマにも劣らぬファンとなっていた。

 しかし、マスカライダーも新シリーズが始まるとともにカズマも小学校中学年となった。その年頃になると少し見方が素直でなくなってくる。一部の子らが、敵役の“ジャッカー“の方がカッコイイと言い始めたのだ。確かに最近マスカライダーのライバルともいうべきかっこいい敵役が現れた。それにこれまでのように単純にマスカライダーをかっこいいと言っているのがなんだか幼稚な気がしていたカズマだった。そして昨日の帰り道のことだった。

タカちゃんが抑え切れないように語り出した。

「昨日のマスカライダー、やっぱ逆でもできるんだね」

「えっ、何が」

「あれ、カズちゃん気が付かなかった。ライダー右手を怪我してたからいつもと逆の変身ポーズだったんだよ。変身する前に、ちょっとぎこちなかったでしょ」

「ああ、それね。わかってたよ。でも幹部ゼットも強かったね。あそこまでライダー追い詰めちゃうんだから。最近俺さジョッカーがカッコいいんだよね」

「えっ、カズちゃんそうなの。でも結局ライダーが勝っちゃうんだけどね。」

本当のところカズマはマスカライダーの異変に気づいていなかった。『タカシのやつ、はじめはあんなにマスカライダーに興味なかったのに』

「んっ、カズちゃんどうしたの」

カズマの表情に何かが現れてしまったのだろう。タカちゃんは気遣わしげに声をかけたのだった。ちょうど坂を降り終わったところだった。カズマは何も言わずプイッと左へ曲がった。

「じゃあね、カズちゃん」

背中の声になんの反応もせずカズマはそのままズンズン歩き続けた。

 それが昨日の経緯だ。二人はちょうど駅までの中間地点に差し掛かった。カズマは話を中断して探し物を見つけようとするそぶりをみせた。

『あった』

カズマは心の中でそう呟くと

「先行ってて」

いつもならカズマの言葉に『えっ、また。じゃあ先に行っちゃうよ』と答えるタカちゃんだったが重苦しい今日の雰囲気を感じていたタカちゃんは

「わかった」

とだけいって先に進んだ。

 左手には坂に沿って小川が流れている。右手はこの道を作るために山を切り崩した3メートルほどの崖だ。その崖の上に道に覆い被さるように、太い木が斜めに生えている。その木は毎年秋になると大きな手のひらのような黄色い葉を落とす。いつだか年上の子が、それを下に見える小川へ向かって紙飛行機のように飛ばしてるのを見かけた。するとそれは揺らぎもせず、見事な姿勢を
保って小川まで飛行した。それ以来、カズマはその葉を見かければ、片っ端から飛ばしまくった。毎日それを続けていると、だんだんとよく飛ぶ葉っぱの目利きができるようになる。タカちゃんと離れるいい口実を見つけたカズマは、早速黄色い大きな葉をつまんで、見極める。

 気持ちよく飛んでくれれば少し気分が変わるかも知れない、と願いをこめて飛ばしてはみたものの悪いことは続くものだ。今日見つけた葉は、バランスが悪かったのか目の前にすとんと墜落してしまった。

「ちぇっ、ダメか」

 こう言う時は、何をやってもダメなことをカズマは学んだ。首を横へ向ければ、横縞シャツの姿は次のカーブまで進んでしまっている。駆け足で追いつく理由もないが、のんびり歩くのもわざとらしく感じる。少し急ぎ足で登り息を切らせて坂と登り切る手前で追いつく。

上の大通りにでた。もう駅が見える。右から左から小学生たちがぞろぞろ集まっている。横断歩道にはいつものおばさんが黄色い旗を持って立っている。

いつもならこちらから挨拶をするのだが、今日の二人はそんな気分ではなかった。

おや、と訝しげな顔を見せながらもおばさんは明るく

「おはよう。今日も気をつけていってらっしゃい」

「はい」

揃って返事をした。

 カズマはこの駅の佇まいが好きだった。少し高い植え込みに隠れるように、ひっそりと人知れず池があり、数匹の金魚が泳いでいる。駅前の小さな広場の中央には楓の木がそびえている。今はうっすらと紅葉が始まっている。無人駅なので、そのまま線路を跨ぐ階段を登ると単線のホームが見えた。

もう端から端まで子供たちで埋まっている。幼少の頃は駅員がいた木造の駅舎は、もう使われていない。ホーム側の壁には『東京オリンピックを成功させよう』と言う文字がうっすらと見える。大正○年というプレートが打ち付けてる屋根の下を通過するといつも電車に乗り込む場所まできた。

二人の目の前には、お城の基礎の石垣に似た不思議な構造物がある。(これは後に知った事だが、一般にお城窯とよばれる石灰石を焼き生石灰をつくるための施設だったらしい)
いつだったか、二人でこの不思議な建造物の話をしたことがあった。地元のみんなは城跡だよ、などと根拠のないことをいっていたが、反論する根拠もないので「駅の城跡」と呼んでいた。

この城跡にはアーチ状の横穴が開いている。年上の子らから聞いた話では、以前この構造物でマスカライダーの撮影があったらしく、噂では爆発のものすごい煙とともにライダーが横穴から飛び出して来た、ということだった。思い返してみれば、番組中にみた覚えのある場所があったような気がした。

その噂話を聞いた時、二人は心底残念に思った。この目で見たかった。なんとしてもみたかった。撮影は前触れもなく突然やってくるから仕方ないことだが、その場に居合わせた子供がいたなんて。その話をしていた時には思わず二人して

「いいなぁー」

となった。

 そして、奇跡は同じように前触れもなく訪れた。

 線路の向こう側には右から左にかけて緩い登り坂になっていて、上り口には城跡、登った先には採石場へとつながっている。今、右手の先にある踏切を渡ったマイクロバスがある。こんな朝早くにそんな車が走ってりるのが珍しく、カズマの目は自然とその姿を追っていた。窓ガラスは朝の光を反射して白く光っている。そして登り坂に差し掛かろうとしている。光のカーテンが取り払われると、窓には何着かの服が垂れ下がっていて、中の様子はよくわからなかった。が、そうではない。少年二人の目を釘付けにしたのは垂れ下がっている服、いや、衣装だ。

その衣装もただの衣装ではない。ハンガーに掛けられ、車の振動に触れていたのは黄色いマフラー。ファンであれば見間違うことのない、マスカライダーのシンボルであるあの黄色いマフラーだ。そして、その横では見たこともないが、間違いなく怪人と思われる黄緑色の衣装。

「カズちゃん、あれ・・・」

「来たよ、来たんだよ。撮影だ。絶対そうだ。タカちゃん、ついに来たんだよ」

気がつけば、二人は肩を抱き合って飛び跳ねていた。

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