世界樹は詠う

青河 康士郎

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アクナス修練堂ー狂戦士ガス

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大屋根に整然と並べられた受陽石は、存分に陽の光を受け修練堂の大空間に送り届ける。屋外から心地よい風が吹き、室内に居ながら全く屋外と変わらない環境が整えられている。

 今日の修練堂は開放されており、10歳以下の修練生、外入り口の受付から入ってきた入堂生の親、一般が段位確定検査を見学するのはまったくの自由とされている。現にこの王樹前の広間にも、ちらほらと見物人が見えている。

 濃紺の堂着下を白位のベルトで締める豹人が検査生と分かると、見物人が増えたようだ。審判はいない。検査生は選ばれた修練生で、その判断は審判を必要としないほど正確、厳格であり、異議は認められない。

 5ロピテ(5mあまり)ほど間を空け双方が対峙した。

「用意が整ったら掛かってきなさい」

豹人の喉から唸るような声がそう伝えて来た。

 エルガーはヨールを正眼に構えた。

あまりに基本に忠実なその構えから、グルファは軽く落胆を覚えた。
しかし、何か違和感がある。そう、非の打ちどころのないほどの正眼なのだ。また、初心者にありがちな身の固さが感じられないのは気のせいであろうか。

 位の上の者から『掛かって来なさい』と言われはしたものの直ぐには動かなかったエルガーだが、機を見計らってスーと歩みを寄せる。グルファの予想を越えて、3ロピテまで近づいた。

『おいおい、豹人を相手に近付き過ぎであろうに』

最初の立ち位置から退がれば相手の間合いを正当に把握している、と評価する積もりであったのに、豹人の心中ではマイナスポイントが再び積まれた。

 これは少年のヨールを手痛い程に叩き落とし心を入れ替えさせてやったほうがいいだろう、と豹人は決めた。特有の眼にも止まらぬ攻めを始めようと、動きに現すときであった。

 そのグルファの動きを写しとるように、僅かに早くエルガーは足を踏み替え左右に動いた。

豹人は攻めを中断した。

『これは見る目を改めなくてはならない』

 人の眼にも止まらぬ速さで動けるならばそれは速く動ける方が有利である、というのはある意味では正解かも知れない。

しかし、それは相手が止まっている、または相手の動きが予想できる場合に限る。瞬間的な動きを始めた後、相手が少しでも予想外の動きをすれば、こちらはその瞬時の間に対応を変えなければならない。素早い動作は相手によっては諸刃の剣となる。

 この少年はそれを知っている。少なくとも素早く動く者を相手にするのは初めてではないようだ。

 それならば、とグルファはケッパーの爪をそろそろと深く地に食い込ませ、何の予備動作もなく瞬時に間合いを詰めることとした。「森林の双璧」と呼ばれるフルワ族と豹人族。豹人族がそう呼ばれるのは、他の追随を許さぬ圧倒的な素早さに裏付けされているからである。ただの素早く動ける者どもと比べられては困るというものだ。

 何の動きを見せることなく3ロピテの間合いを瞬時に詰め、僅かに振り上げたヨールで頭を撃つ。グルファの膂力を持ってすれば、少しの振り上げで猛烈な打ち込みとなる。

 エルガーはしかし豹人の動きの起点を捉えていた。体を開き、激烈な打撃をヨールの峰で受けるとその勢いを駆って体幹を軸にくるりと反転すると、片手打ちに避け得ぬ撃ちを腰に放った。

 背後に回り込む今度は豹人が体を反転させた。レイワールの衝突が修練堂に一際大きく響く。グルファは受けと同時に大きく後方宙返りし、距離をとった。

 『満足だ。待っていた甲斐があった』

心中にそう思うと、心と共に身体が熱くなった。

「これで検査を終える。エルガー新入堂生、段位は・・・」

検査の終了を告げ、段位の決定を伝え終える前にグルファは呼吸を止めた。

 ランカル内面に潜んでいた悪意が目覚めた。体温の上昇を感じるとコーティング剤が溶け、巧妙に封印されていた薬剤が揮発し豹人の体表に沿って立ち昇る。

 ほぼ無臭の薬剤の微かな異臭を豹人は機敏に感じ取ると、吸い込んだ呼吸を即座に止め吐き出した。がその行動は既に時を逸していた。揮発ガスは僅かな量でグルファに確実な反応を引き起していた。

 豹人の血液を通り脳裏に忍び込んだ物質は、本人さえしかとはわからぬ幼少の恐怖の蓋を開けた。

 豹人の目の前に広がる修練堂の森林区は、故郷の森林へと変貌する。焼け落ちる村落の屋根、村人たちが黒い影となって逃げ惑う。最悪の結末だ。保持者は殺され、世界樹の種は潰されてしまった。

『助けなければ、倒さなければ』

それきり思考は途絶え、本能が行動を支配する。口角から垂れ下がる涎、怒張し充血する眼球、真っ赤に染まる耳。全身の毛並みが逆立っている。

「狂戦士ガスだ。みんな、退がれ」

腹から響くエルガーの声が修練堂に響き渡った。医学書に齧り付き、必死に詰め込んだ知識が少年に危険を告げた。


狂戦士ガス・・・戦時に使用される兵器。精神を歪ませ周りに居る者すべてを敵対者に見せる。吸い込んだ者は狂気に侵され周辺を殺戮、破壊してしまうという残酷な兵器である。攻城戦では、砲弾に仕込んで籠城する相手に対し使用する。調合が大変に難しい上に素材が希少なので、史上の使用は2例ほどしかない。素材、調合方法は公開されておらず・・・

『この中ではあいつが1番強そうだ。あいつから倒さねば』

グルファの本能の指令が終わらぬ内、「キェーッ」という叫び声と共に豹人の猛進は開始された。

 常人からは考えられぬ動きと力を発揮するため、狂人を相手にするときは余程に気をつけなければならない、亡き父の言葉がエルガーの耳に蘇る。

 相手は力を隠し持っている実力者だ。それがガスのせいで制限を解除してしまっている。全力を出し切っていったい何合か打ち合って耐えられるだろうか。

 『受け身ではだめだ。自分が倒されたら、周りを狙い始めてしまう。気力で打ち勝つ』
豹人は斜め前方に跳んだかと思うと、逆斜めに跳躍しエルガーの脇をすり抜けざまに強烈な撃ちを頭部に放つ。後方に飛ばされぬよう足元から広げたテンセルを全開に、これをヨールで斜めに受け流す。が、直撃したような衝撃がエルガーの全身を貫き痺れさせる。反射的にしゃがみ込む。豹人の振り向きもせずに放った片手打ちのヨールがしゃがんだ頭上の空気を切り裂く。唸りを上げる尋常ではない風圧。前方に捻りを打って宙返りしたグルファは、着地の反動を利用し跳ね返るゴム玉となって再び少年に襲いかかった。

 上段に振りかざしたヨールに圧倒的な気迫を宿し、撃ち下ろされる一撃はしかし対象を失った。僅かに体を開く動きで豹人の撃ちをかわすと、背を向ける相手の腰に短ヨールが見えたが構わずエルガーは横一閃。グルファは倒れ込みざま仰向けに身体を捩りヨールを狂人の力で振り上げる。高々と飛ぶエルガーのヨール。豹人は勢いのままゴロゴロと転がり王樹の根壁に激突する。
 
 己のヨールを取り戻そうと駆け出すエルガー。あまりの激闘ではあるが、その場まで遠間にあること安心したのか、好奇心に駆られた観客、修練生が居残っている。その人影前に転々と転がるヨールに瞬足を飛ばしたエルガーの手が届くその時、脚を強烈に撃つ何かがあった。グルファの投げ打った短ヨールは遠距離に関わらず正確に的を得た。たまらず転倒するエルガー。互いに離れたはずの距離は既に無く、豹人は背後に迫っていた。

 既に勝ったも同然の獲物に襲いかかる肉食獣そのままに、陶然とするグルファの顔がエルガーの瞳に映った。

この大騒動に気がつかない訳がない。上位の修練生たちが急いで集まって来る。が、群衆に阻まれ近寄ることすら困難な状況である。その彼らが目にしたのは白い輝きを発するヨール。白位の強者、豹人グルファ・グアが放とうとしている『破岩』であった。ヨールの下に転がる少年は叩きつけられ、頭部が飛び散る様を誰もが予想した。

「だめー」

倒れたエルガーの上に小さな女の子が覆い被さった。

その瞬間、エルガーの脳裏に悪夢が蘇る。

『これだ、またなのか』

エルガーの身を守ろうと我が身を呈するフルワ族の少女。血を浴びて震えながら少女を抱きしめる。

『そうはさせない』

右手で拾い上げた短ヨールに磐石の力を込めて豹人の一撃を真っ向から受けた。

ダァーン

衝撃音が辺りを包む。エルガーは左手に取り戻したヨールの柄を床に突き立てた。切先は見事にグルファの下腹を突き、豹人の勢いのままに少年を飛び越えその姿は宙に飛ばされた。が、狂人と化していたグルファの左拳は正確にエルガーの側頭部を強打し、少年はそのまま気を失った。
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