世界樹は詠う

青河 康士郎

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アクナス修練堂の日々−2

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リヨルと呼ばれた男性もこれに既に気づいたようだ。

前方の草むらで、小さな光点が瞬きセリナの瞳をとらえた。蓄光石だ。念達(耳に埋め込まれたコラン石をワールによって振動させ、単純な信号を送る)を送っても良いか、という合図だ。

セリナは脳内のマノン(霊門)を開き、拡張神経系オーグを展開する。返事を待っているであろう相手に草むら辺りを目掛けて、承諾の念波を送る。と、セリナの耳に埋め込まれた耳報石は、座に“人、行く、待て“、と震えた。念信と違い、念達はやはり聞き取り辛い。

「念達だ。牛車はここで待て。リヨル、私と先へ」

しばらくすると、セリナ、リヨル姉弟の横に見える大木の裏から一つの影が現れた。咄嗟のことにリヨルが剣の柄に手を掛ける。セリナがそれを片手で抑える。

人影は現れるとそのまま二人の正面に回った。その後から三つ、人影が現れた。それらの顔には、喜、怒、哀、そして初めに現れた人物には笑い皺の深い表情が浮かんでいた。しかし、よくよく見れば、なんの動きも見せぬ、固められたような表情。それは精巧に作られたお面であった。

『視界を邪魔しない良い作り』
セリナは自然に見てとった。
 中央の人物がお面を外し素顔を見せる。日に焼けた農夫のような穏やかな顔に、不釣り合いな冷徹な眼差し。

「私は警邏隊を率いておりますデンス・ケンスと申す者。只今、市中で乱暴狼藉を働いた者どもを捕縛したのですが、その内一名が逃走中です。あの草叢の向こうにある廃屋を捜索中で、事情説明も兼ねてお引き留めいたしました。」

先方への配慮をし、セリナも声を落とす。

「それはご苦労にございます。これなるは南クロイダン共和騎士国より参りましたセリナ・カナリ、弟リヨル・カナリ。ニイン流御宗家クリスイン・エンテス様にお目どおり願いたくここに参じております」



「承りました。光影石に登録された人物と確認いたしました。この銀証板をお持ち下さい。この先にある関所は全て素通りできます」

リヨルは若いだけあって好奇心に駆られたか、
「差し支えなければ、何が起こったのかお聞かせ願えますか」

デンスは微かに笑うと

「失礼とは存じますが、職務上この先しばらく警護させて頂きます。一度、詰所に戻るところでしたので、道すがらお話しいたしましょう」

この申し出を受け入れ、五人となった一行は街中へ向かって進み始めた。

「ホーウィッ、ホーウィッ、ピィルルル」

招春鳥がどこかで仲間をよんでいるようだ。春の麗らかな日差しに目を細めながらデンス・ケンスが口を開いた。

「セリナ様、リヨル様はやはり修練生として当地にお越しになられたのでしょうか」

そう問われてセリナは

「はい、ニイン流の高名は祖国にも届いております。父母より是非行って来なさいと勧められまして」

「それは嬉しいことを聞きました。かねてより宗家エンテス公は当流を秘する考えは全く持たず、むしろ来る者は拒まない心でおります。そういったこともあってか近頃、当家の流派を学びたいと広くから大勢の方々がいらっしゃいます。それは誠に喜ばしい限りなのです。が、中には良からぬ思いを抱いてやって来る輩がおりましてな。ニイン流の高位者を打ち負かし、己の名声を世に知らしめてやろう、などと考える不埒者が領内に潜むようになりまして」



 剣の名門クリスイン家の名は、ベグナ選出王国近隣諸国に広く知れ渡っている。が更に名声が高まった出来事があったのをセリナは知っていたが、敢えてデンスは口に出さなかったようだ。三年前のあの時期、通っていた理術剣術学校の友人や親族の間ではその話でもちきりだったものだ。

 その人物は、セリナ、リヨルの二人が師事しているアンテ流師範カーリス・マヨルの友人で遍歴を重ねる武者修行者、ヴォイドとだけ名乗っていた。日焼けした顔が笑うと、真っ白な歯がよく目立つ、おどけた強者、といった男だった。

 今から三年前、ベグナ王国の南の隣国-神聖クロイダン王国が突如として軍を動かしベグナ国との国境を脅かした。平原台地にあるダヌイ城を守る城兵500は少数ながら奮闘し、なんとか落城は免れた。しかしベグナ軍が布陣を始めた頃には既に敵兵に飲み込まれ、攻め落とされるのは時間の問題であった。

 世に言うダヌイ会戦である。

その剣士ヴォイドの父親は若き頃より、ニイン流宗家のクリスイン・エンテスと昵懇の仲であったようで、息子であるヴォイドは幼き頃よりニイン流修練堂に預けられたそうだ。
 この突如として起こった会戦に、ヴォイドは一兵卒のメルテ(メルタインの装着者)として参戦した。預けられた身ではあるが、すでに心はクリスイン家にあった。

 カーリス・マヨルは後学のためにもなると考え、修練生に戦場の話を聞かせることとした。従軍者の話が聞けると言うので、通っていたアンテ流修練場はいつもは見かけない修練生まで詰めかけることとなった。どこの誰ともわからぬ男に、子供達がホラ話など聞かされては叶わないと大人たちも詰めかけたものだから、それほど広くない修練場は見たことのないほどの混雑ぶりだった。
 
 皆が静まるのを待つと、すっと目を開きよく通る声で師範の友人は静かに語り始めた。

 敵方は二万、一方のベグナ側は一万五千。神聖国側の急襲が功を奏し、ベグナ側の兵力は集まりきれていなかった。

 北方の守りは息クリスイン・ダンガスに任せ、手勢を引き連れたクリスイン・エンテスが戦場に姿を現したのは開戦前日の夕刻であった。自身と同様の家門色である濃紺に白く縁取りされた高機動甲冑-エメルタイン兵三百騎。機動甲冑メルタイン兵三千騎の総勢三千三百騎。夕焼けに染まる空の下、クリスイン家の戦旗(優美に弧を描く刀-タルツを二振り掴んだ銀の翼竜が濃紺地に浮かぶ)が戦場に到着するとベグナ全軍から歓声のどよめきが起こった。

 開戦当日の早朝、定石通り両軍のワーレイスたちは戦場を濃霧で覆い隠す。霧に紛れながらそれぞれの両軍は陣立に慌ただしく蠢く。後方に控える一角竜たちが戦の予兆にいきり立ち、口輪に押さえ込まれくぐもった咆哮を漏らしていた。

 突如として馬蹄の音が響き渡ると、己の手さえはっきりと見えぬ霧を裂き、ベグナ側から楔形陣形を組んだ一団が、神聖クロイダン軍の前線に突き刺さった。

 楔の勢いは凄まじく、速力を全く落とす事なく幾重も敷かれた神聖国の陣を軽々と切り裂いてゆく。音は聞こえども濃霧のためにどこが急襲されたのか判然としない神聖国は慌てて霧を払わせる。薄れゆく霧に浮かんだのは、黒々とそそり立つ城。横陣を切り裂いた一軍はどう進路を割り出したのか、道無き道を一直線にダヌイ城に向かっていた。

陣内に遊軍として散在していた神聖クロイダンの精鋭-「紅黒の猟犬兵」がその後を追う。追撃の対操甲兵用重量弾が放たれる。楔形陣の殿(しんがり)を務める馬上の盾兵の背に重量弾が命中したのであろう。盾に張り巡らしたコルワールが輝き、あちらこちらで薄れ行く白い霧を赤く染めている。

 この一軍を援護するかのようにベグナ側から一斉射撃が始まると、戦の火蓋は切って落とされた。

 その後の戦況などはいちいち覚えてはいないセリナであったが、お気に入りの場面だけは今でもはっきりと覚えている。ヴォイドの語るその部分を後に文に書き起こし、何度繰り返し読んだことだろうとし。

 ダヌイ城を囲む神聖国側が背後からの襲撃を想定していなかったのは当然である。襲いかかった謎の軍団に囲みはあっという間に蹴散らされ、この騎馬の軍はついにダヌイの城に到達してしまった。しかし、城門はよほどにしっかりと固められていたのか、または内部との連携がうまくとれていなかったのか、軍が城門前に到達したにもかかわらず、堅固な門はわずかな隙間を見せた後、動きを止めてしまった。

 霧は薄れ、悠々と群れ集まる猟犬兵。巨岩に囲まれた表門前は、追手に蓋をされた形となり、ベグナの一軍にとっては逃げ場のない死地となってしまった。

 初手で遅れをとってしまった神聖国としては、憎きこのベグナ兵を殲滅しなければ収まりがつかない。血に飢える猟犬たちは凶悪な気を纏い、じわりじわりと間合いを詰めてゆく。

 ヴォイドは予めこうなることは知らされていた。が、実際に己がその状況に置かれてみると『こうなれば腹を括るしかあるまい。一人でも多く道連れにしてやる』と覚悟を決めていた、という。

 磐石の重みを持って囲みを詰める神聖クロイダンの厚みある包囲。極度に緊迫した空気が戦場に静寂をもたらした。いや、実際には凄まじい喧騒の中にあったが、その場にいた者たちは皆、静寂の中にいた。

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