at night

八木山

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暗がりの一枚向こう側で、男は女の一挙手一投足を眺めていた。
目当ては勿論、アガタだ。
黒いシャツ。黒いズボン。そして、黒いマスクと黒いニット帽。
それらは暗闇の舞台裏に紛れ込む最大限の努力。
事実としてそれは功を奏したのだろう、アガタはこちらを見向くどころか、男がいることを認識すらしてないように見えた。


一人ばっこりと照らし出されたアガタは、何やかんやでその場から離れようとしない。
動き回ることもしなければ、大仰に身振りをするわけでもない。
ただ突っ立って電話に向かって話すだけで、表情を大きく歪めることもしない。
プロポーションだけは年齢よりか5から10歳は若く見えるかもしれないが、薄化粧の下の小じわが浮かび上がっていた。
熟れきらず、かといって若々しくもない。華も色気も微塵も感じられない、どこにでもいる普通の女だ。


「おばけぇ!?」


と彼女が頓狂な声を上げると、男は口元の笑みを手で押さえた。
仮にそう聞いて驚いたにしても、そんな声を上げないだろう、普通。
どこか作られたその雰囲気が、男にはどうにも鼻に着いた。


―――最後まで見届ける必要あるのだろうか


アガタは、この世界で生きるのを諦めようとしていた。
誰も彼女に価値を見出さず、何より彼女自身が諦めきっている。
本当になったときに誰にも迷惑を掛けないために、一人きりになろうとしている。
いや、精神的には「なろうとしている」なんて現在進行形ではなく、過去形になっているかもしれない。
そうしないのは、単にきっかけがないだけ。

そんな彼女を見る男は、死神である。


「危険?」


アガタがそう言い、キョロキョロと辺りを見回した。
時々腰をかがめて目を凝らそうとして、はずみで尻ポケットから鍵が落ちた。
カチャカチャと言う音と共に転がる鍵を、彼女は拾いながら言い返した。


「私が?」


その言葉には真実味が宿っていた。
アガタにとって、ある意味では正しいからだろう。
しかし、死神は評価を改める。
自然に、それでいてそれとなく、死神にも解ったこと自体は、目を見張るべきだからである。

クスクス、まるで本当に電話をしているようじゃないか。

死神は知っている。
あの携帯電話からは、誰の声も聞こえていないということを。

死神は知っている。
彼女自身が死に誘われている現実を、知らないはずがないと。

死神は知っている。
ここが、まさに今、この場所この時間こそが、彼女の人生にとっての分水嶺となることも。
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