夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第1章 お姫様はつらいよ

間話1.国王と宰相

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「失礼します」
 自慢の片眼鏡をクイっと持ち上げて宰相が国王の執務室に入ると、珍しく国王の仕事の手が止まっていた。
 深いため息が何度も聞こえて来る。
「ロイ、これは夢なのか? 夢だと言ってくれ…」
「陛下、次の決裁書をお持ちしました。お目通しを」
 肩を落とす国王に、宰相は素気無く答える。
「我が娘は…、我が娘は本当にいなくなってしまったのか? それとも頭を打って記憶喪失にでもなったのか? そちらの方がよほど現実的だ。あの口が悪く品もない姿を見ることは耐えがたい。亡き王妃になんと詫びればいいのか…。ああ、どうか、嘘だと言ってくれ」
 国王は悲嘆に暮れて肩を落としていた。
 それに対して、宰相は片眼鏡を持ち上げて冷静な見解を伝えた。
「何を申しましても現実は変わりません。ヴァネッサ様の魂は行方不明。ヴァネッサ様のお体はならず者に乗っ取られたままです」
「おまえは昔から素っ気無いな。もう少し娘を誘拐された父親に対する同情はないのか」
 国王が少し拗ねたような視線を送るが、宰相は平然としている。
 宰相が執務室へ入る前から、国王がなんと言ってくるのか予想がついていた。
 昔から感情豊かな人物ではあるが、溺愛している王女のこととあって、いつもに輪をかけて起伏が激しい。
 宰相はそれに付き合うほど無駄な労力を使うつもりはなかった。
「忌憚なく申し上げれば鬱陶しいの一言に尽きます」
「本当に容赦のない男だな、おまえは。そのような性格だから嫁も来ぬのだ」
「結構なことです。答えのない女の相手など時間と労力と金の無駄です。そんなものよりもこちらの方が遥かに単純明快で注ぎ込んだ労力と時間に見合った対価が返ってきますし、なにより遣う金も倍以上になって返ってきます。やりがいしかありませんね」
 宰相はパンッと手にする書類の束を叩いて見せた。
「それよりもこちらの決済をお願いいたします」
 宰相の国王に対する言葉は間違いなく不敬罪のそれだが、それがこの二人の昔からの呼吸である。
「まったく勤労者の鏡だな。だが、もう少し付き合ってくれてもいいだろう」
 と言いながら国王は宰相から書類の束を受け取った。
「同情で解決は致しません。よろしければ署名を」
「この仕事人間め」
 とぼやきながら、やっと国王は仕事を再開した。一度手が動き始めると、淀みなく進んでいく。書類に目を通すスピードも並ではなく、手に取ったかと思えばすぐに署名したり宰相に最低限の質問をして署名、あるいは棄却、再提出と仕分けていく。朝起きてから夜寝るまで常に仕事をしている宰相と違い、怠け癖があることがこの国王の悪いところ。だが、本来はずば抜けて優秀な人なのだ。
 ヴァネッサ王女が倒れてから三日目。
 国王と宰相が会話しているのは、目覚めた翌日の夜ことだった。
 国王と数年前に亡くなった王妃との間に生まれた子はヴァネッサ王女ただ一人。
 その後新たな王妃を迎えることもなく、国王自身にも兄弟がいないため、王位継承者はヴァネッサ王女一人だけだった。
 その王女の身に何かあっては、サフィニア王国自体の存続が危うくなる。
 何より、たった一人の娘を溺愛する国王は、王女が倒れたと聞いた時、すべての公務を投げ出して王女に付き添おうとしたほどだった。それを宰相が押し留め、代わりに侍従長が付きっきりで看病した。
 王女が目覚めたと聞いた時は安堵したが、その報告をもたらした魔法師団長は同時に恐ろしいことを告げた。
 曰く、王女は目覚めたが、他人の魂が王女の体を則っている状態である。
 王女の魂はどこにもない、と。
 そんな馬鹿な、と国王は否定した。
 しかしすぐに謁見の場を設けて王女と会ってみれば、立ち振る舞いが全然違う。
 凛とした佇まいもきりっと引き締まった表情も艶やかな笑顔も、すべて跡形もなく、背は曲がり卑屈そうな目つきで礼儀もなっていない。終いには国王でもある父に向かって怒鳴るという有様。
 その場で国王が卒倒しなかっただけでも奇跡だと宰相は思っていた。
 感情のままに激昂した国王だが、サフィニア王国は魔法が盛んな国。国王はすなわち魔法王と称され、サフィニアで最も強い力を持つ魔法使いでもある。
 激昂しながらも、その実冷静な部分を持ち合わせている国王は王女の顔を見た瞬間に理解した。
 目覚めた王女は魔法の力を失っている。それが王女とは別の魂が入り込んでいる結果だということは容易に推測できた。
 だからこそ、非常に頭の痛い事態となっている。
 国王に次いで、王女は強い魔法の力を有している。
 その力を持って、王女は魔法学院を卒業して以来、常に国民の期待に応え、魔法の力を使って国民の困難を救ってきた。
 王女が倒れて以降も国王の元には王女に助けを求める願書が途切れることはない。今のところ、三つある騎士団の中で最も魔法に長けた魔法師団に命じて奔走しているが、王女一人で足りることに、魔法士団員五名を派遣しなければ釣り合いが取れない状況だ。
 王女自らが望んで行ってきたこととはいえ、魔法師団への負担が大きく、なおかつ王女が慰問に来られなかったことに対する国民の不満も上がりつつある。
 それだけ王女の人気が高いということでもあるが、今王女への不満が高まると、この先王女の結婚に何らかの問題が生じかねない可能性もあった。後継者問題として切迫しているだけに、それだけは避けなければならない問題だった。
 故に、目覚めた王女の魂が別人であるなどと、さらに魔法の力を持たないなどという真実が外に漏れることだけは避けなければならないことであった。
 宰相が最重要問題に関わる報告を挙げる。
「サイネリア王国のユージン王子が王都を出発したと報告がありました。到着は十一日後。ご成婚のお披露目式の前日の予定です」
 十二日後、隣国である剣の国サイネリア王国の第二王子と、サフィニア王国のヴァネッサ王女の成婚のお披露目式が開かれることになっていた。
 たった一人の王位継承者であるヴァネッサ王女の元に、第二王子が婿入りする形だ。
 将来、ヴァネッサ王女が女王となり国を治め、第二王子は夫としてヴァネッサ王女を支える立場になることとなる。
 これはヴァネッサ王女が五歳の時、友好国であるサイネリア国王と二人の婚姻について盟約を取り交わし、王女が成人になったことを機に執り行うこととなっていた儀式だった。
 王女が成人を迎え、晴れて婚姻を結ぶという時になって、王女の魂の誘拐。
 無関係であるはずがない。
「それまでに我が娘の魂を必ず見つけろ」
「それは魔法師団長の腕次第です。一応、保険はありますがね」
 宰相の言う「保険」に、国王は鼻を鳴らした。
「ふん、保険にもならん。いっそのことポトスに命じて昏睡させようか」
「陛下。乗っ取られて見る影もなく非凡が平凡以下と化した王女様を見たくないというお気持ちは分かりますが、試してからでも遅くはないでしょう。最悪、日をずらすことは可能です」
 宰相の明け透けな物言いに、さすがの国王も「誰もそこまで言っとらん」と釘を刺した。
「我が国で女王の夫という地位につくこととなる第二王子のサイネリア国内での派閥争いか、我が娘との婚姻を狙う不届き者か。さては虎視淡々と領土を狙うドラセナの仕業か…」
 血の繋がりがないことから王位継承権を得ることはない第二王子だが、サフィニア王国の国政に強く影響力を持つことは事実である。あわよくば第二王子を介してサフィニア王国を操りたい者もいれば、第二王子の権力が強まり本国サイネリア王国の威光が弱まることを恐れる者もいる。
 そしてもう一つの隣国であり、サフィニア王国ともサイネリア王国とも仲が悪いドラセナ国が、二国の結束力が強まることを警戒して邪魔しようとしている、という推測も容易に想像できる。
 国王と同じことを考えている宰相は片眼鏡を持ち上げた。
「それについては最優先で調べておりますので、今しばらくお待ちを」
「ドラセナは手段を選ばん。念のために国境に護衛の騎士を派遣しろ。サイネリアの第二王子が国境を越え次第常に付き従い警戒を怠るな」
「サイネリアも警護には十分力を入れているかと思いますが」
「大切な婿殿だ。道中の歓待もある。ああ、追加で護衛に向かう騎士たちには申し訳ないが、都までの滞在地においては野営を行うように」
「御意。次に王女の身辺警護についてですが、この時期に入れ替えは不可能としても強化を図るべきかと」
 王女という言葉が出た途端に国王が苦虫を噛み砕いたような顔をした。
 口にはしなかったものの、宰相から見ても非常に子供っぽい仕草である。
 心境としては王女は大切だが、結果的に今王女の体を乗っ取っている輩を守ることに激しい葛藤が渦巻いているというところか。
「…王女の護衛は古兵ふるつわもの」ばかりだ。このままで良い。ただし警戒を強めるよう喚起を行え」
 その時、来訪を告げる声が入ってきた。
 国王が許可すると、現れたのは侍従長だ。
「アザレア殿、お待ちしておりました」
「おお、ハンナ。娘…、の様子はどうだ?」
「芳しくございません」
 侍従長は淡々として答えた。
 その表情は、無表情というよりも苦虫を噛みつぶしたような表情が微かに混じっている顔だ。王族の身の回りの世話をする侍女たちの長である侍従長が国王の前で表情を取り繕えないことに、よほどのことがあったかと宰相は考えていた。
「不思議なことですが、読み書きや高度な数学等の知識は持っているようです。ですが教養は潰滅的。本日一日付ききりで必要最低限の教養を教えましたが、まるで身につく様子がありません。その上言葉遣いも所作も品がないこと極まりありません」
「ロイ、やはり昏睡させよう。その方が護衛の手も省けるというものだ」
 もはや国王の目が据わっている。
「陛下、たった一日で早まってはいけません」
「宰相様、あれのどこに期待していらっしゃるのですか? 本当にヴァネッサ様の身代わりができるとお考えですか?」
「まさか」
 国王を諫めたその口で、宰相はさらりと否定した。
「ヴァネッサ王女の身代わりなど誰にもできません。王女としての品格も立ち振る舞いも一朝一夕で身につくわけがありません。特に魔法の才はどうしようもありません。こちらが望むことはただ一つ。ただ立っているだけで王女を見破られない程度の立ち振る舞いができればそれでいいのです。マナーを身につけるだけの脳がないというのなら、立って歩くことだけ徹底的に覚えさせてください。お披露目の舞踏会は最悪立っているだけでいい。後はなんとでも理由をつけて退出させればいいのですから。立つだけなら馬鹿でもできるでしょう」
「ロイ、おまえは優男の顔をして一番冷酷だな」
「自負しております」
 国王が呆れていえば、宰相はさらりと返す。
「果たしてそれすらできるでしょうか…」
「おや、そんなに出来が悪いのですか?」
「品がない上に文句ばかり言っております」
 侍従長の憮然とした表情を見て、宰相は片眼鏡を持ち上げた。 
「ハンナ、無理をしなくていいぞ。すぐさまポトスに命じて昏睡させてやる」
「いえ、職務は全ういたします。何としても当日までに立っているだけならヴァネッサ様に見えるよう、鍛え上げて見せます」
「その意気です」
 侍従長が退室した後、入れ替わるように魔法師団長が入室した。
「改めてご報告に参りました」
 報告とは、王女への鑑定を行った結果のことだ。王女が目覚めたという一報を受け、侍従長とともに王女に面会した際に、魔法師団長は王女に鑑定を行った。その後、国王と謁見した際には告げられなかったことを、こうして報告に来たのだ。
「王女様の魂が何者かに誘拐され、別の何者かの魂が王女様のお体にいるということは間違いございません。ただし、それが同一人物である可能性は限りなく低い、と申し上げます」
「では、王女の魂を盗んだ何者かが、別の人物の魂を代わりに入れた、ということか」
「そうとも言い切れません」
 魔法師団長は、口元を片手で覆うように持ち上げた。
「そもそも魂に関わる魔法というものは禁忌中の禁忌。魔法が最も盛んであるこのサフィニア王国においても王宮の図書館に禁書として封じられ、陛下の許可なくば見ることは叶わない。そして許可というものも余程の有事でなければ下りることはない。つまり戦時中でもなく未曾有の大災害でもない今世、禁書が解禁されることはなく、我々魔法師団が魂に関わる魔法に着手することも叶わない。…最も、倫理だなんだという文句を垂れる連中もいることからその手の魔法の研究すら禁じられているわけでして、探求者として僕個人としてもそこはちょっとぜひとも融通していただきたいところなんですけど…」
 この魔法師団長、魔法のこととなると周りが見えなくなる真性の魔法バカと陰で呼ばれていた。
 魔法以外のことには非常にものぐさなのに魔法についての話が始まると一日中でも話し続ける悪癖がある。魔法の実力こそ国王、王女に劣るものの、その実力は折り紙付きで、何よりも研究者として非常に優秀な人物であった。
 熱を帯び始めた魔法師団長に国王が「ポトス、報告を続けろ」と言っても、明後日へ向いてしまった魔法師団長の思考は戻ってこない。
 そこで宰相が魔法師団長の目深に被ったフードをばさっと払った。
「ああ! 何するんですか! 僕は光が大嫌いだ!」
「魔法師団長、報告は簡潔に」
 慌ててフードをかぶる魔法師団長に、宰相が冷たく言う。
「まったく昔から頭がいいくせに乱暴なんだから…」
「アル、陛下の御前です。まずは報告を」
「はいはい。ええっとそれでですね。つまり何が言いたいかって言うと、魔法の使い手としても国内随一である王女様の魂に干渉するような魔法の使い手は、極々限られるっていう話です」
「つまり、目星はついていると」
「ええ。そこでロイに頼み事です。隠密性に優れる者を何名か貸して。うちは役職がら魔法の研究者が多くて、魔法を使った捜索は得意でもそういったことに向いてないから」
「いいでしょう。すぐに手配します。魔法師団長、わかっているとは思いますがこの件については最小限の人員で当たってください」
「もちろんわかっているよ。それから、王女様の中にいる魂なんだけど」
 彼と昔馴染みの宰相と話しているうちに、国王の前だというのに魔法師団長の口調がどんどん砕けていっている。これもいつものことなので、国王は特に咎めることはしなかった。
 そもそも宰相の不敬にあたる言動を許し宰相という地位に起用し続けている時点で、魔法師団長の奇行など大したことはない。
「犯人が代わりに入れたっていうよりも、間違って入ったんじゃないかなと思ってるんだ。王女様の魂が抜けたことで、器が魂を引っ張ろうとした。でも本物の魂は何らかの方法で束縛されて体に戻ることができず、結果、異なる魂を引き込んでしまったんじゃないかっていうのが僕の見解」
「つまり、王女様の体が抜けた魂を呼び戻そうとした結果、別の魂を引き寄せてしまった、と?」
「そう。たぶん王女様の魂は真犯人によって厳重に囚われていて抜け出すことができないでいる。今王女様の体の中にいる人は、突然引っ張られてびっくりしたんじゃないかな。夢だ何だって子供みたいに喚いてたでしょ。この世界のこと理解してないみたいだったし、随分毛色が違うからたぶん別の世界から引っ張られたんだろうね」
「別の世界、とな?」
 国王が複雑な表情で腕を組んだ。
「古来より、異世界から現れた、という逸話を持つ聖人の伝説は数少ないながらも存在します。ならば魂がやってきても不思議はないかと。サフィニア王国建国の伝承にもそういう伝説、ありましたよね」
「ふうむ、確かに…」
「では、王女様の魂を戻せば、今王女様のお体にいる人物の魂は出ていくんですね?」
「そこはちょっと調べてみないとわかんないな。でも調べる手段が限られているんだよね」
 そう言いながら、魔法師団長が意味深な視線を国王へ向ける。
「これを機会にぜひ禁書を紐解きたいと探求者としての純粋な欲求が叫んでいるんですけど?」
「まかりならん」
 国王の返事はにべもない。
「魂に関わる魔法は王家の秘術。実力の問題ではなく王家に連なる者ではない者に伝承することは叶わぬ」
 魔法師団長はそう言われると分かっていたと言わんばかりに肩を竦めた。
「もちろん、そうでしょうね。でも残念だなあ。魂って本当に興味深いよね。どこから来てどこに行くんだと思う? なんで異世界なんてものがあって魂は何故行き来できる? 考えれば考えるほどキリがないよねぇ。王女様の魂が戻ったらぜひとも一度頭の天辺から足の爪先まで余すことなく調べあげたいなぁ…」
「アル、陛下の御前です」
「ちぇ。仕方ないね。まあ、秘術なんて言われて秘匿されてたらどうしたって嗅ぎつけるのが人のさがってものだけれど、仕方ないよねぇ。でも僕は諦めないよ。是が非にでも調べてやる。王家の人間じゃなきゃ伝承されないとは言われたけど、研究しちゃいけないとは言われてないし、すでに魂に関わる魔法を行使した弩級の馬鹿がいるわけで、そいつができて僕がたどり着けないはずがないんだ。絶対にこの手に収めてやる」
 最後の言葉は「ふふふふふ」と仄暗い笑いを添えて呟く魔法師団長。
「ポトスよ。念のために、あえて確認するが、わかっておるだろうな?」
「もちろん、わかっておりますよ。魂を体から抜き取られるなんていう前代未聞の所業の体験者だ。研究対象にはこれ以上ない逸材。丁寧に扱わせていただきます。万が一にも壊れてしまったら、魔法学院で一度も勝てなかった思い出が汚されてしまいますからねぇ」
 そしてまた「ふふふふふ」と暗く笑う魔法師団長。
 それを尻目に、国王と宰相は顔を見合わせ、暗黙の疎通を図ったのだった。
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