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第1章

30:意地とプライドを懸けた戦い

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 俺は固く握った拳を力の限り前に突き出し、久瀬をぶん殴った。バランスを保てないのか久瀬は勢いのまま後ろへ下がり、生えていた大樹に背中を打ち付ける。
 結構なダメージがあるのか、奴は大樹にもたれかかると少し遅れて俺を睨みつけた。

 俺は僅かに切れた息を整えるために深く空気を吸い込み、拳を硬くしたまま久瀬を見つめる。確かに意識を刈り取る一撃を放ったはずだった。けど、あいつはまだ立っている。
 僅かに芯を外したのか、それともあいつが上手く躱したのか。どちらにしても俺にとっては喜ばしくない状況だ。

「たいしたもんすね。俺っちの居場所を突き止め、さらに殴り飛ばすなんて。こりゃあ一本取られたっすわ」

 久瀬は切れた唇から流れ出てくる血を拭い、もう一度俺を睨みつけた。ゆっくりと大樹に預けていた身体を起こし、しっかりと立ち上がると久瀬はポケットからあるものを取り出す。

 それは鈍く輝く一つの探索者コインだ。久瀬は俺にそれを見せつけると、一つの宣言をした。

「ちょっとだけでいいと思ってたっすが、完全な本気を出さないといけないみたいっすね。あんまりしたくなかったっすが、俺っちは今猛烈にアンタを叩きのめしたいって思ってるっすよ」

 こいつ、と俺は思った。だけど薄々感じていたことが確信に変わる。
 こいつはまだ底を見せていない。つまり、本気じゃなかったんだ。どうしてそんなことをしていたのか。そんなのわかる訳がない。

 ただ言えるのは、さっきの一撃で久瀬の考えが変わったということだ。
 その証拠に久瀬は俺に宣告してくる。

「アンタはいい感じに強いっすから、全力を出させてもらうっすよ」

 久瀬が掲げた探索者コインが一気に輝きを解き放ち、翠に染まっていた空間に白銀の世界が広がる。よく見ると久瀬の黒い髪は銀色に染まっており、その姿は力強さよりも不変さと妙な冷たさを感じさせた。

 ここからが本番だ、と俺は受け取る。そしてこの戦いを見守っていたリスナー達も同じように感じ取ったようだ。

〈やんのかゴラァ!〉〈やってやるぞアカ氏がな!〉
〈俺達の力を見せてやる〉〈アイテムなげろ〉〈投げろ投げろ!〉
〈投げまくれ!〉〈課金だ課金だ!〉〈特別に投げてやる〉
〈やれアカ氏〉〈やっちまえ〉〈ぶっころ!〉〈やれー!〉

 血の気が多い奴らだ。だけど今はとてもありがたい。
 みんなが俺をパワーアップさせるためにアイテムを投げてくれる。これでもう怖いものはない。俺はまっすぐと久瀬を見つけ、拳を固く握った。
 だが、久瀬はそんな俺を見て怪しい笑みを浮かべる。

「いい感じに強くなったっすね。じゃあその力、いただくっす!」

 久瀬が持っていた探索者コインが怪しく笑う。途端に久瀬の後ろに痩せ細った人影が現れると、大きく口を開き何かを吸い込み始めた。
 直後、妙な感覚が俺に襲ってくる。それが何なのかわからないまま、俺は攻撃に出ようとした。

「ししし、たいしたもんすね。こりゃ対応できないのもわかるっす。でも、アンタはもう大暴れできないっすよ」

 しかしその前に久瀬は駆ける。目にも留まらない速さで俺の懐に飛び込んできた。
 咄嗟に拳を突き出すが、それはいとも簡単に叩かれ軌道を逸らされてしまう。

「パンチっつーのはこうやるんすよ!」

 遠慮のない拳が右の頬をえぐり、俺は耐えきれずに後ろへ吹っ飛んだ。何が起きたかわからず、そのまま地面の上を転がっていく。
 そんな俺の姿を見て、リスナー達は驚愕の声を上げていた。

〈アカ氏ー!〉〈アカ氏ー!〉〈アカ氏!〉
〈バカな!〉〈やられた〉〈なんで?〉〈アイテム投げたぞ!〉
〈あいつ強い〉〈もっとアイテムか?〉
〈もう金ない〉〈金ないー〉〈貯金切り崩せ〉〈アカ氏やばい〉

 ジンジンと痛む右頬。だけどそれよりも俺を殴り飛ばした久瀬を睨みつけていた。
 何かしたのは明白だが、何をしたのか全くわからない。

 いや、それよりも妙に身体が重たいな。さっきまでとても快調だったんだけど、今は全身が錆びついたように動けない。
 なんでこんなに身体の動きが鈍いんだ。あんなにアイテムを投げてもらったのに、パワーアップしている気がしないぞ。

 まさか、あいつ――

「気づいたみたいっすね。そう、その通りっすよ。俺っちの覚醒スキルでアンタにかかってたバフを全部奪い取ってやったんすよ」
「なんだと……!?」
「俺っちの探索者コインは対人特化してるっすからね。だからアンタ自身が俺っちを超えない限り、どんなにパワーアップしても俺っちのものっすよ」

 久瀬の後ろにいる人影が笑う。まるで俺を小バカにしているようにも思えた。どうにかしたい、と考えるけど今の俺には対抗する術が見つからないから自然と奥歯を噛んでしまう。

 どうする? 俺の覚醒スキルが封じられた。
 みんながくれたパワーアップが全部久瀬のものになるから、これ以上のアイテム投げは悪手だ。かといってこのままじゃあ一方的にやられるのが目に見えている。

 本当にどうする?

〈くそ!〉〈チクショー!〉〈チクショー〉〈打つ手なし〉
〈まだだ!〉〈まだ終わらん!〉〈ゴリラどうにかしろ〉
〈アカ氏まける〉〈俺達のアカ氏が!〉〈ゴリラ分析!!!〉〈どうにかしろ〉

〈そういわれても困るウホ〉
〈でも気になるものはあるウホ〉

〈気になるもの?〉〈なんだそれ〉〈早く教えろ〉
〈早く早く〉〈スピードが足りない!〉〈ガッツも足りない!〉
〈もったいぶるな〉〈はよしろ!〉〈ゴリラプリーズ!〉〈ぷりーずぷりーず〉

〈変な生き物が奴の後ろにいるウッホ〉
〈あれがものすごい吸い込みをしてから戦況が変わったウホ〉
〈もしかするとあれをどうにかすれば勝てるかもウッホ〉

〈確かに〉〈変なのが出てきてから変わったな〉〈風を感じた〉
〈ならあれ倒せばいいのか〉〈どうやって?〉〈どうすんの?〉〈スタンド倒せんの?〉
〈わかるか〉〈スタンドいうなし〉〈奴のスタンド名はオンリーダイソン!w〉

〈ただ一つの吸引力!〉〈世界一ぃぃぃぃぃ!!!www〉
〈wwwww〉〈いわせんなしwww〉〈わらわせんなw〉〈まじめにやれwwwww〉

 賑やかでいいな、こいつらは。
 ただいいヒントをもらえた。確かに久瀬の後ろにいる変な奴が出てきてから状況が一気に変わったな。

 もしかすると、ゴリラの分析通りあれさえどうにかすれば勝てるかもしれない。問題はどうやって対処するか、だ。
 今の俺の手札じゃあとても難しい。だけどどうにかしてやれなきゃやられる。

 なら、やれるだけのことをやってみるしかない。

「よし」

 俺は腹を決める。
 もしかすると大ケガになるかもしれないが、生きていればいいだろうと考え直すことにした。
 それだけの相手なんだ。だから、勝つことに集中する。

 そんな俺を見てか余裕を見せていた久瀬の顔から笑顔が消え、同じように集中すると全方向を警戒し始めた。
 厄介な相手だってつくづく思う。だが、それでも俺が勝つ。

 静かに、ただ静かに時間が過ぎていく。俺達は合図となる何かを待ち続け、互いに意識が逸れる瞬間を伺っていた。

 そして、その時が訪れる。

「明志君!」

 カナエの声が聞こえた。どうやら追いついたようだ。
 俺の意識が僅かに逸れた瞬間、先に久瀬が大地を蹴った。それは目には止まらないスピードだ。
 さすがカナエの覚醒スキルだ。そう感じ取った後に俺は遅れて後ろへ飛ぶと、久瀬がさらに踏み込んだ。

 確実に俺の意識を刈り取るための踏み込み。だが、それが俺に勝利を確信させる。

「終わりっす!」
「お前がな!」

 久瀬は右の拳を突き出した。顔面に迫ってくるそれを敢えて受け、俺はそのまま腕を絡め取る。
 そのまま流れるように影で絡め、久瀬の後ろにいるスタンドを縛り上げた。
 俺の身体が勢いに負け、飛んでいく。同時に久瀬はバランスを崩し、一緒に飛んでいく。

「なっ!」

 俺達が飛んでいった先には高性能ドローンがある。それはわかっていたかのように銃口を向けており、センサーが感知すると同時に銃弾が撃ち出された。
 その銃撃は久瀬のスタンドをハチの巣にする。攻撃を受けたそれは大きな悲鳴を上げ、久瀬から離れたのだった。

「ってぇー」

 久瀬は倒れた痛みで顔を歪めている。スタンドはというと、ダメージが大きいのかそのまま姿を消した。
 途端に奪われた力が戻ってくる。どうやら予想は当たっていたようだ。

 なら、もう勝ったも同然である。だからこそ俺は久瀬にトドメを刺すことにした。

「パンチの打ち方を知ってるか、だったよな?」

 俺は右手を上げ、拳に変えて硬く握る。それを見た久瀬は顔を青ざめさせると、俺は奴の胸ぐらを掴んだ。
 そのまま立たせるように持ち上げ、そして――力の限り顔面をぶん殴った。

「知ってるさ、そんなもん」

 久瀬の身体が飛んでいく。コアを飲み込んだ大樹に身体を打ちつけ、力なく落ちていく。
 大きな衝撃を受けた大樹は、実らせていた果実を揺らす。その揺れはあまりにも大きく、果実が地面に落ちた。

 すると迷宮コアを包み込んでいた大樹は光へと変わり、一気に霧散するとそれは空間の中に消えていく。
 気がつけば見慣れた空間が広がっており、心地いい歯車の音が響いていた。

 久瀬との勝負がつく。
 同時に迷宮の存亡に関わる問題も解決したのだった。
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