上 下
40 / 41
5:英雄に憧れた少年達

新たな伝説のプロローグ

しおりを挟む
 それは凄惨な光景だった。
 モンスターの返り血を全身に浴びながらもナイフを何度も振り下ろす少女。命乞いをしていたそれはいつしか事切れ、動かなくなったにも関わらず攻撃が止まらない。

 フィーロは止めようとするが、近づくことができなかった。下手に身体に触れてしまえば自分まで殺されてしまう気がしたからだ。
 ずっと、ずっと見ていることしかできない。それがなんだか情けなく、どうしようもないことだとわかっているのにとても苦しい。

「ふぅー」

 ようやく手を止めたクリスは、顔にかかったモンスターの血を汗と一緒に拭っていた。どこか達成感を抱いている彼女を見て、フィーロはちょっとだけ安心する。
 正気に戻ったんだ、と思い、近寄ろうとした瞬間に大きな地響きが起きた。

「何?」
「地震? でもこの辺りはそんなの滅多に……」

 二人が妙に嫌な予感を抱いていると、事切れたはずのオーガが不気味な笑みを溢し始める。
 思わず視線をそれに向けると、オーガは勝ち誇ったような笑顔を浮かべていた。

『たいしたやつだ。まさかこの奥の手を、使わないといけないとはな』
「奥の手? お前、何をしたんだよ!」
『ククク。何、我らが神を目覚めさせただけだ。贄としてお前らを捧げるつもりだったが、それはいいだろう。なんせ神直々にお前らを食らうからな! ならば我らが命を贄にしても変わりはしない!』

 高笑いをするオーガに、フィーロは血の気が引いた。もし言っていることが本当ならとんでもないことになる。どうにかして止めないと、と思っているとクリスが小さく微笑んだ。
 そのままナイフを持ち直し、そして笑っているオーガにこう告げる。

「好都合。ありがと、復活させてくれて」
 オーガの笑い声が止まる。そんなモンスターを見て、クリスはトドメの一撃を脳天に食らわせた。
 完全に事切れたオーガは、力なく手を落とす。
 クリスはそれを確認した後、フィーロにこう告げた。

「行くよ」
「え? 行くって、まさか――」
「うん、村」
「む、無理ですよ! いくら何でも邪神を倒すなんて! それに僕は――」
「大丈夫。あなたの魔力はいい色をしてるから。それに、あっちにはラインとリリアがいる」
「だ、だけと……」
「戦う力をあげる。たぶん、この程度なら大丈夫」

 クリスは微笑む。
 それはあまりにも美しく、恐ろしくも力強く、目に焼きついてしまう笑顔だ。
 返り血で穢れているにも関わらず、フィーロはクリスに目を奪われていた。クリスはそんなこと知ってか知らずか彼の身体を抱きしめる。
 そして、ある存在との契約を始めた。

『おや? おやおやおや? これは珍しい呼びかけですね』

 現れたのは、本を読む妙齢の男性だった。それはクリスに微笑みかけると、彼女も同じようにして笑い返す。
 フィーロはそんなやり取りをする者達を見て、不思議な感覚を抱いていた。

『今回はどんな用件で? また話を聞いてくれるのですかね?』
「この人と契約して欲しい。才能はあるけど力がない」
『ふむ、ふむふむ。なるほど、わかりました。ですが、どう変化するかは保障できませんよ?』
「大丈夫。この人は強くなるから」

 どういった確信を持っていてそう言い放つのか。フィーロは訊ねたくなったが、やめる。
 呼び出された存在はというと、一度下顎に手を添え考えるもののすぐに微笑み、どこか納得したかのようにしてから『わかりました』と告げていた。

『彼女と雰囲気が似ていますね。気に入るのもわかりますよ』
「時間がないから早くして」
『承知しました。では契約をしましょう』

 それはひどく冷たい空気が身体を飲み込んだ。とても寒く、凍え死んでもおかしくないほどのものだ。
 だが、フィーロの中から何かが呼びかけてくる。それは負けるなとかそういう言葉ではない。

『受け入れよう、冷たさを。君にはそれに負けないほどの温かさがある』

 悔しい思いをしてきた。
 たくさんバカにもされてきた。
 だが、それでよかった。それが幸せだと気づいていたから、それでよかったのだ。
 しかし、それはもう終わりである。

『あなたの守りたいものは何? 答えはもう出てるはずだよ』

 弱いからこそ英雄に憧れた。
 でも、ただ強いだけが英雄ではない。
 どんな葛藤があったのか。どんな悩みがあったのか。それが知りたくて英雄譚を読み込んだ。
 そんな日々が幸せだった。ありふれた日々だったからこそ、守りたい。

『じゃあ、行こう。あなたの幸せを守るために』

 手を引かれ、フィーロは走り出す。
 力を得た者としての大きな責任を果たすべく、新たな翼と共に飛び出した。

◆◆◆◆◆

「おいおい、なんだよありゃ?」

 ラインは突如現れた巨人に、呆然としていた。
 炎をまとうあまりにも大きなそれは、一歩踏み出すごとに大地が燃え上がる。それがどんどんと村へ近づいてきており、ラインは思わず逃げたくなっていた。

『なるほど、あれがクリスの言ってたのか』
「何冷静に分析してんだよ。逃げるぞ!」
『何言ってるのおっちゃん? 今こそチャンスだよ』
「わかってんのか子ブタちゃんよ! あんなのどうやって止めんだよ!」
『わかってるわかってる。クリスがこのためだけに用意した魔術道具があるから』
「はぁ?」

 リリアに言われ、ラインは顔をしかめさせた。ひとまず酒樽を調べるようにと言われ、見てみるとそこには一つの弓があった。
 まさかこれで戦えと、と考えているとリリアがある要求をし始める。

『おっちゃん、お酒を控えられる?』
「今聞くことか!? ヤバいんだぞ!」
『とにかく答えて! できるのできないの?』
「生き延びたらやってやるよ!」

 その言葉を聞いたリリアはにぃっと笑う。そして、飲んだくれが戦える力を与えることとする。

『わかった、じゃあ誓約してね』
「してやるから早く――」
『おっちゃん、元兵士なんでしょ? なら弓の腕前はすごいよね?』
「人よりはよかったよ! それがどうした!」
『じゃあ、この矢包みをあげる』

 矢包みと言われ、ラインはリリアに顔を向けた。そこにはどこから取り出したのかわからない矢包みがあり、五本ほど矢が入っている。
 まさかこれで太刀打ちしろと。そう思っているとリリアがこう告げた。

『おっちゃんが持ってる弓、それクリスが大切にしてる魔術道具だから。どんな矢でも力をまとわせられるもの。おっちゃんの少ない魔力でも力を発揮できるはずだよ』
「何の冗談だよ。まさかこれで戦えと?』
『英雄になりたいんでしょ? ならやらなきゃ。それに、あれはそこまで強くないよ』

 リリアに言われ、炎をまとう巨人にラインは目を向ける。明らかにヤバい存在だ。
 しかし、それから逃げたとしてどうなるか。村がなくなれば当てのない放浪をしなければならない。
 ならば戦い、死んだほうがマシだろう。

「わかったよ、やればいいんだろやれば!」

 もうヤケクソになり、ラインは弓矢を手にした。矢の数が少ないから外せない。だから一撃で決めにかかる。
 ギリギリと弦を弾き、そして頭に狙いを定めて矢を放った。
 風を切り、飛んでいく。まるでそれは、獲物を見つけ翔る鷹のような鋭い飛び方である。

『あぎゃあああああ!』

 その矢は、巨人の頭に突き刺さった。途端に炎は消え、それは苦しみだす。
 頭を押さえ、振り回している姿を見てラインは呆然とした。

「当たった……」

 思いもしないことだった。
 確かに腕前は人よりよかった。だが、遠くから当てられるほどのコントロールはない。
 どうして、と考えすぐに気づく。そう、今手にしている弓のおかげだ。

『大切にしてね、おっちゃん』

 リリアは微笑む。それを見たラインは、力強い顔立ちとなった。
 やれる。そう思えたからこそ次の攻撃を仕掛け始めた。
 まずは進撃を止めるために足を。
 それが終わったら腕を。
 そしてトドメに心臓を。
 方針が決まると共に、ラインは矢を射る。

「うぉぉぉぉぉ!」

 全ての矢が当たる。面白いように狙ったところに直撃した。
 だが、巨人は倒れない。

「くそ、攻撃力が足りないか!」

 これ以上はどうしようもない。それに巨人は怒り狂っている。
 どうするべきか、と考えるライン。それを見ていたリリアがある方向を見た。
 視線を合わせると、そこには一人の少年がいる。
 満月を背にし、巨人を見下ろしている少年は突撃した。
 途端に巨人の身体は切り裂かれ、大きな悲鳴をあげる。その戦い方はまさに、英雄アクセルを彷彿させた。

「うおぉぉぉぉぉ!」

 巨人が倒れるまで、何度も突撃をする。
 見ていた村人達は、その鬼気迫る戦いぶりに呆然とした。そして、最後には巨人を氷づけにする。
 恐ろしくも幻想的で、美しい。
 降りしきる季節外れの雪に息が白くなりながらも、村人達は新たに生まれた英雄達を見る。

 そう、これは始まり。

 一つの伝説が終わり、新たに始まる二人の伝説。
 そしてこの出来事は、プロローグでしかない。

 このことを二人は、まだ知らないでいた。
しおりを挟む

処理中です...