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第3章

34:悪いことをしたらごめんなさいと謝るのが大切

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 穏やかな光が広がる世界に禍々しい二つの闇の塊が宙に浮いていた。それが交わりあうと途端に爆音と突風が発生する。私は主と仲間達を守るために結界を張り、事態が落ち着くのを待つ。緑があふれていた穏やかな光景は焼け野原へ一変しており、もし私が結界を張っていなかったらどんな悲劇が待っていたのか、とつい想像し身震いした。

 だが、今は消えた未来の出来事に震えている場合じゃない。復活した邪竜をみんなと一緒に倒すことが先決である。

『たぁーすぅーけぇーてぇー!』

 私が決意を固めていると聞き慣れたアホな声が耳に入ってきた。空に目を向けるとシロブタとキナコ、そしてライオが一緒に落ちてきている姿が目に入る。
 どうしてあいつらが空から落ちてきているのか。そんな些細な疑問を抱いている間にミィが動いてくれた。

「仕方ない奴らじゃのぉ」

 ミィは身体を屈ませ、地面に触れた瞬間に残っていた草が一気に伸び始める。気がつけば私よりも大きな背丈となっており、それは落ちてきた三人をしっかりと受け止めていた。
 変わった使い方をするものだな。私なら地面を柔らかくしてどうにかしたのだろうが、こっちのほうが身体へのダメージは少ないかもしれない。
 そんなことを考えていると空から追いかけるように聖剣がやってくる。彼女は心配しつつもどこか呆れた様子を見せているが、どうしたのだろうか。

『もぉー、だからイタズラしちゃダメって言ったでしょ』
『うるせぇー! 俺は少しでも元に戻りたいんだ。それを邪魔するほうが悪いんだよ!』
「だからって一緒に飛ぶことないだろ。死にかけたよ」
『だったら手を離せばよかっただろ。つーかなんで急に飛んだんだ、あの身体は?』

 シロブタが何をしようとしていたかわからないが、ひとまず止めてくれたライオ達に感謝しよう。ただでさえ大変な事態なのにこれ以上、厄介事を持ち込まれたら面倒だ。
 それにしてもまだ元に戻ることを諦めてなかったのか、シロブタは。そっちのほうが驚きなんだが。

『シロブタくん! 君、すごいね。諦めないなんてなかなかできないよ!』
『っせぇ、黙ってろイケメン! 俺はてめぇみたいな根暗とは違うんだよ!』
『そ、そんな。僕はただすごいって言っただけなのに、そんな言い方あんまりだよ……』
『カリバーン、真に受けないの。あなたよりシロブタのほうがみじめなんだからね。あいつはただ八つ当たりしているだけよ』

『でも、でも、僕はシロブタくんとは友達だと思ってて……』
『誰が友達だ、誰が。いいか、俺はお前とは違うんだ。根暗は黙って悶えてろ!』
『ハゥッ! シロブタくんに嫌われたぁぁ。でも、これも悪くない』

 あいつらはいつの間に仲良くなったんだ? いや、それよりもカリバーンのあれは隠さなくていいのか?
 まあいい。今はあんなやり取りを見ている場合じゃない。
 復活するぞ、邪竜が。一体どんな姿になって我々の前に立ち塞がるだろうか。

『ククク、俺を追い詰めるとはたいした奴らだな。だが、その快進撃はここまでだ!』

 漆黒の闇、いや真っ黒な塊から一つの影が現れる。
 黒い髪に大きな傷跡がある左目が印象的である精悍な顔つき。無駄な筋肉はついていない鍛え込まれた肉体と十代半ばと思える人の姿に、私は目を大きくした。その頭には大きな二本の赤い角があり、尻からは立派な尾が伸びている。
 まさか、あれが邪竜と呼ばれた存在の本当の姿なのか。見た限り人に近い姿だが。

「なるほど、あれが邪竜か」
『見た目はそこまで強そうではないが――』
「舐めてかからんほうがいいぞ。内包する瘴気が桁違いじゃ。下手に勝負を挑めば簡単に返り討ちに合おう」
『だからシロブタが騒いでいるのか。にしても、あれにお父ちゃんは勝てるのか?』
「言ったじゃろ、下手に勝負を挑めば簡単に返り討ちに合うと。それはお父ちゃんも例外ではない」

 まともにぶつかり合えばこちらが不利か。しかし、もう逃げることはできない。そもそもそんな選択は取る気はないが。
 だからこそ少しでも勝利する方法を見つけたい。少しでも有利になるようなそんなものが。

『さあ、続きを始めようか。そのふざけた顔を殴り潰してくれよう!』

 邪竜が宣言すると同時にお父ちゃんは飛んだ。それに応えるかのように邪竜も飛び込み、凄まじい衝撃波が広がる。猛烈な風が吹き抜けていく中、激しい音があちこちから響き渡る。
 もはや私でも目で追えない高次元の殴り合いだ。状況が把握できていないが、こちらが不利であることに変わりない。
 どうする? どうにかお父ちゃんを助ける方法はないか?

「くっ、どこでどんな戦いをしているのかわからん! このわしがこんなにも遅れを取るとは!」
『そんなことを言っている場合か。魔王、このままだとお父ちゃんが負けるんだろ? ならどうにかその状況を覆す方法を考えろ』
「無理なことをいうな。そんな方法があったら真っ先に試しておるわい」
『泣き言は後にしろ。とにかくどうにかしなきゃ私達は一緒に殺されるぞ』

 と言ったものの、私も手詰まりだ。ミィの言う通り方法があったら試している。
 くっ、せめて先ほどみたいに刻印があればまだどうにかできたんだが。

『ねぇねぇ、シロブタくん。その額のマーク、いつの間につけたの?』
『なんだ根暗? 額にマークって?』
『なんだかカッコいいね。ドラゴン、かな。まるで勇者の紋章みたいになってるよ』

 この絶体絶命な危機的状況でのほほんとしているシロブタ達がいた。こいつら本当に状況がわかっているのか、と多少苛立ったがすぐに私はあることに気づく。
 シロブタの額に浮かび上がるもの。それは邪竜の刻印だ。
 なんでこんなものがシロブタに? そう思って見ていると、シロブタは自慢げな顔をしてきた。

『なんだ? もしかしてそんなにカッコいいものなのか? いいぜ、真似しても。あ、そうだな、ちゃんと許可料ってのが発生するんだろ。じゃあ今日の晩飯を全部くれたら一日だけ許可してやるぜ』
『お前、それどこでつけてきたんだ?』
『知らねぇよ。ああ、でも神殿にあった棺に頭をぶつけた覚えがあるな。もしかしたらそれかもしれねぇー』

 なんていう偶然だ。いや、シロブタが余計なことをしてくれたおかげで盤面をひっくり返す方法が見つかったぞ。しかもこの刻印、邪竜は気づいていない様子だ。
 だが、先ほどの方法だとこの好機は活かせない。そもそも私が持つ浄化の力はほとんど使ってしまった。ミィに任せようにもあいつは正反対の力を持っているから意味がない。

『いや、待て』

 とびきりの方法があるじゃないか。魔王であるミィの瘴気を消したとてもいい方法が。
 私は応援している主に目を向ける。そして彼女に駆け寄り、あることをお願いした。

『主よ、今いいか?』
「また? 何よ、今忙しいの。だいたい人の都合ってものがあるのよ。そのことを考えないとダメよ。そうそう、都合で思い出したんだけど――」
『シロブタがお腹を空かせている。今すぐ食べないと死んじゃうそうだ。悪いが何か作ってくれないか?』
「えー? 今なのぉぉ?」

『そうだ、今だ』
「んもぉぉ、困った子ね。わかったわ、おにぎり作ってあげるからそれでガマンしてっていって」

 主はそういって拠点の馬車に戻る。そして彼女にとって本当に時間がないためか、すぐに戻ってきた。大きな皿に乗ったおにぎりというものが山盛りで存在する。それを確認した私は『ありがとう』と言って受け取った。
 急いでシロブタに食べさせなければ。そんな気持ちのためか焦って動いてしまう。だからこそ邪竜がすぐ近くにいることに気づかなかった。

『カァァァ!』

 邪竜と目が合う。すぐ近くにはお父ちゃんがおり、私を庇おうとするがその一瞬の隙を突かれ殴り飛ばされた。そのまま私を睨みつけ、拳を振ってくる。
 避けようがない。防御しようにも両手が塞がっている。どうしようもない中、迫る拳が目に入る。それはひどく遅い。一瞬の出来事のはずなのに、何もかもが遅くなっていた。
 私は死ぬのか。そう考えていると、何かが割って入った。

「舐めるな神よ! わしだって負けておらぬ!」

 迫る拳が絡め取られ、軌道が明後日の方向へ向かう。勢いのまま一緒に邪竜の身体が飛んでいくと、ミィが満足そうな顔をしていた。
 なんて無茶を。だが、その無茶のおかげで助かった。

『借りはあとで返す』
「倍にして返してほしいのじゃ」
『考えておく』

 一瞬の出来事。時間にすればそんなものだが、その一瞬が全てを決める。
 助けてくれたミィのためにも私はシロブタの元へ走り、山盛りとなったおにぎりを目の前へ置いた。

『私からのプレゼントだ』
『はっ?』
『いいから食べろ。それともいらないか?』
『いらない訳ねぇーだろ!』

 挑発するように山盛りおにぎりをプレゼントすると、シロブタは喜んで食べ始める。そのおにぎりは主が作ってくれたもの。当然、浄化の力はとんでもない。美味しさも抜群であり、やみつきのシロブタは戻れなくなることがわかっていても食べていた。
 それが大量に食べられていく。シロブタの浄化の力は強まると、額の刻印が苦しげに輝いた。そう、シロブタを通じて邪竜がダメージを受けた証拠である。

『ぐぉぉっ! 急に腹が……バカな、繋がりは全て断ったはず』

 邪竜が苦しげにお腹を抑えている。それと同時に殴り飛ばされたお父ちゃんが立ち上がった。思いもしないことに邪竜は歯を食いしばったが、お父ちゃんは容赦なくその顔面に拳を叩き込む。
 ものすごい勢いで飛び、地面を滑っていくその姿は壮観だ。できればあんなことにはなりたくないと思う私である。

『おのれが!』

 形勢が完全に逆転した。邪竜はどうにか立ち上がり、お父ちゃんを迎え撃とうとするがまた顔面を殴り飛ばされる。どうにかしようと拳は振るっているが、その全てはお父ちゃんに受け止められていた。
 そして、トドメの一撃が腹部に深々と突き刺さる。邪竜の身体はくの字となり、そのまま力なく倒れた。

『か、はっ』

 勝利が近い。あとはしっかりトドメをさせば、と思っていたその矢先だ。
 倒れた邪竜の近くに主が立っており、その姿を見下ろしていた。

「アンタ、まだやるのかい?」
『俺は、やめられない。あいつを裏切った時から止まることは――』

「かぁぁ、だからアンタはダメなのよ。いい、悪いことをしたら謝る! これ基本だからね。どんな悪いことをしたかわからないけど、悪いことをしたって思っているなら謝るの。ごめんなさいを言える人って偉いのよッ! どんなに権力やお金を持っても、ちゃんと謝れない人って人としてダメって思われちゃうからね。アンタは人でしょ? じゃあしっかり謝らきゃッ! 悪いことをしたらどんなに偉くなっても謝る。それが本当の偉い人なのよッッッ!」

 いやいやいや、今そんな説教をしている場合か。
 いくら弱っているとはいえ、まだ危険な敵だぞ。それをどうにかしようとしているところだぞ。

『お前、変わっているな』
「アンタのほうが変わっているわよ。それよりほら、謝るの謝らないの?」
『……謝りたい。だが、そいつはもういない』
「いなくても謝れるわよ。どんなことでケンカしたかわからないけど、できるわ。アンタがそう思っているなら、例え死んでてもね」

『……そうか』
「そうよ。おばちゃんなんかいっつも謝っているからね! あ、いっけなーい。マー君に頼まれてたアイスを買ってなかったわ。後で買っておかなきゃッ!」
『俺もお前みたいな母親が欲しかったよ。いや、恐れない者達といえばいいか。ずっと、俺の力じゃなくて俺を見てほしかった』
「じゃあ見てもらうように頑張らなきゃね。願っていても叶わないわ。そういう努力をしなきゃッ!」

『ははっ、そうだな。本当にそうだったな』

 なんだか邪竜の様子がおかしい。どうしたんだ?
 そう思っているとミィが隣に立った。そして胸に手を当て、邪竜を見つめている。

「お前も早くやらんか」
『やれって、何を?』
「あれはもうここにはおれん。だからじゃよ」
『おれん、ってまさか』
「そのまさかじゃ。邪竜は満足したようじゃ」

 確かに勝利は収めた。しかし、あいつを満足できるような戦いはしてない。
 ならどうして満足しているんだ。

「どうやら腹を割って話をしたかったようじゃ。なんたる盲点。まさに力を持つ者の悩みじゃの」
『なるほど、力があるからこそ恐れられ、心の奥底のものが言えなかった、ということか』

 邪竜は大きな力を持つ。それ故にみなは恐れ、中には私達のように殺そうとした存在もいただろう。それが嫌で嫌で堪らなかった。先代もおそらく心の何処かでそんな感情があったかもしれない。

 だが、主は違った。大きな力を持っていても真正面からぶつかり、怒る。それが邪竜の求めているものだとは知らずに、いつものように。
 だからこそ邪竜は嬉しかった。しっかりと自分の悪いことを怒り、見てくれた人がいたことを確認できて。求めていた人がいて、よかったと思っているのだろう。

『厳しいことをいうな、お前は。できないかもしれないだろう』
「できるわよ。おばちゃんができたんだもの。ならアンタにだってできるわ。よし、じゃあこうしましょ。おばちゃんも一緒に謝ってあげる。そうすればきっと許してくれるわよ!」
『ははっ、心強い。本当、心強いよ』
「じゃあ謝りにいきましょうか。ほら、立って。一緒に謝るわよッッッ!」

『いや、いい。もう俺は、大丈夫だ。一人で大丈夫だよ。だから、ありがとう。アンタのおかげで勇気が持てたよ。ありがとう、こんな俺を見てくれて。ごめんな、ケンカして』
「いいわよ、そんなの。じゃあしっかり謝ってきなさい。おばちゃん、応援してるから!」
『ありがとう、ありがとうおばちゃん。しっかり謝ってくるよ――』

 邪竜が満足そうな笑顔を浮かべて消えていく。
 おばちゃんはそれを静かに見送る。隣に立つお父ちゃんと一緒に。
 全ての騒動、いや事件の終わり。それはどこか呆気なく、なんだか切なく、だけどとても穏やかな幕引きでもあった。
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