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四
11月にも入ると、冷え込みは日一日と厳しくなる。病棟内は空調でちゃんと温度湿度管理されているけど、夜が明ける時間はどんどん遅くなっていくし、窓の外の風景も木々は葉を紅葉させたり落としたりで、外を見るたび、目に入る景色は寒々しくなってゆく。
その日わたしは夜勤を終え、更衣室から出ながらスマホを開いた。
メールの着信がある。
通知欄には、上條からの『お伺い』という件名が。昨日の夜遅い時間、ちょうど病棟に入った時間のメールだ。
深夜にメールをくれたことなんてなかったから、なんのお伺いなんだろうと少し緊張して開いてみた。
「!」
そこに現れた文面に、わたしは文字どおり、ぎょっとなって息を呑んだ。
『先日ご飯を食べに行ったときに会った、結城さんというひとを覚えていますか?
みゃー先輩の連絡先を知りたいとのことです。
結城さんのラインアドレスを書いておきますので、もし先輩が構わないということであれば、連絡をお願いします。』
駐車場に向かう足が、温度の読み取れない文字の羅列に、止まる。
結城さんのことは覚えている。とにかくイケメンだったひとだ。その彼が、わたしの連絡先を知りたい……と?
それがどういう意味をはらんでいるかなんて、判らないほどバカじゃない。
スマホの画面に表示されている知らないアドレスが、重たいプレッシャーをかけてくる。
上條、こういうの、イヤなんじゃないの?
元カノに心変わりされて、トラウマになってるんじゃなかったの? ……って、わたしの勝手な想像でしかないんだけど。
でも、あのときの上條の様子からすると、こういうことはしたくないはずなのに。
上司だから……断れなかった、とか? 大人の事情、ってやつ?
ふつふつと、お腹の底から苛立たしさがこみ上げてきた。
上條らしくない。そう思った。
こんなこと、して欲しくない。
握り締めるスマホでこのまま電話をかけてやろうかと思ったけど、夜勤明けのこの時間は、普通の会社はもうとっくに始業をしている。
憤りが募る一方の気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を数回繰り返す。
上條のバカ。落ち着け、わたし。落ち着け。
長い息をひとつ吐ききると、スマホをタップする。
ただひと言、
『どういうこと?』
とだけ書いて、メールを返信した。
上條は、わたしが現在彼氏募集中だということを知ってはいる。だからきっと、結城さんがどんな不思議かわたしに興味を抱いたことに対してアクションを起こしてくれたんだろう。わたしとは彼女彼氏の関係じゃないから、上條にとっては「ああ、そうですか」という程度のものだったのかもしれない。
―――だけど。
釈然としない。
納得がいかない。
結城さんがまったく気にならないのかと問われたら、「気になる」と即答できる。あれだけかっこよくて存在感のあるひとだもの、たった一瞬の邂逅だったとしても気にならないわけがない。
だけど。
どうして上條がこういうことするかな。
判るよ。結城さんにとっては上條のルートでしかわたしと繋がれないんだってこと判るんだけど。上條、昔からフェアな男だし。
でも。
だけどさ。
なんだか、悔しくて、寂しかった。
自宅までの道のりを運転しても、いつもと変わらない道だからなのか、苛立っていたせいなのか、気がつくといつの間にか到着したマンションの駐車場で、クルマを降りていた。
マンションに帰って眠り、夕方に目が覚めた。
スマホを見ると、メールの着信がある。確認すると、予想したとおり上條からだった。
『そういうことです』
着信時間を見ると、おそらくは昼休憩のときのものだ。
そういうこと、って。
溜息が出た。
素っ気ない返信に、寝ぼけた頭であっても凹んでしまう。
怒ってるんだろうか。
時間を確認すると、あと一時間くらいで一般的な企業は定時を迎える時間だ。まぁ、残業があるだろうから定時直後に連絡があるとは思えないけど、何時に終わるか判らない上條に電話をかけるよりも、向こうからメールなり電話なり寄越してくるのを待ったほうがいい。
「あー、もう」
昨日の夜にもらったばかりに結城さんのLINEメールを開いて、布団に突っ伏す。
「いっそのこと、連絡しちゃおうかなぁ」
胸がもやもやする。
上條と話をしたい。だけど、なにを話すんだろう? なにを話そうとしているんだろう?
結城さんを紹介した意図? そんなの、莫迦正直に訊きだしてどうするの? 判りきってるじゃないの。
もやもやする胸の蠢きに、じっと浸るように身を任せる。
美夜。彼氏、欲しかったんだよね? 出会いが欲しいって、いつも思ってたよね?
昏い蠢きの中から、問いかけるもうひとりの自分がいる。
うん。思ってた。もう31歳だし、将来を思い描けるようなひとを見つけなきゃって思ってた。父親が病気で逝った年齢まで、あと十数年しかない。父親と同じ病気に罹らなくても、母親の両親は早くに亡くなったって聞いている。その、祖父母の年齢をわたしは越せるんだろうかって思いもある。
結城さんのお誘いは、渡りに船、なんじゃないの?
なに怖がってるのよ、美夜。
チャンスじゃない。しかも、あんなイケメンよ? 背も高くて、身のこなしも洗練されてて。こんな田舎には場違いなくらいのいいオトコ。
美夜。
飛び込んでみよう?
ね?
「……よし」
―――息を大きく吐き出すと、わたしは画面のアドレスをタップして、文章作成画面を表示させたのだった。
デートなんかじゃない。
わたしは自分にそう言い聞かせて、待ち合わせのカフェに向かう。
結城さんに初めての返信をしてから数日が経った。この日、わたしの日勤が終わるのに合わせて、週の中日だというのに結城さんと会うことになった。
勤務を終えたそのままで誰かに会うのは本当は好きじゃないのだけど、わざわざ自宅に帰って身支度して会いに行くのには、ためらいがあった。
だって、デートなんかじゃないし。
冬の夕暮れは早い。夏だとまだ空は明るいのに、西の空を見ても真っ暗で、すっかり夜の様相だ。
溜息が出ちゃう。まだ、吐く息は白くはならないみたい。溜息の大きさを見ずに済んで、ちょっとだけほっとする。
暖を求めてか、待ち合わせる全国チェーンのカフェはひとで溢れている。
その、混みあった店内にあっても、外から見ても彼の存在はすぐに判った。
だって、そこだけ微妙に空間が空いている。空いているんだけど、みんなの目がそっちに向かっている。
結城さんは、スーツ姿でカウンターに座って文庫本を読んでいた。文庫本よ? スマホの画面見てるんじゃなくて、文庫本を読んでるのよ!
な……、なんてサマになってるのよ、あのひとは……! どこの王子さまですか、って突っ込みたくなるくらい。
あんなどこから見ても完璧なひとが、なんだってわたしに興味を覚えたんだろう。上條の話では、会社ではよりどりみどりだっていうのに。
―――あ。
結城さんが文庫から腕時計に目を流した。
待ってる……んだよね。待ち合わせの時間はまだもう少し先なんだけど、もしかすると結城さん、定時に仕事終えてここまで来てくれたんだろうか。
結城さんの目が、腕時計から店内へと流れる。途端、周囲の女性客たちがそわそわと視線を外したり、合せようとしたりするさまが見て取れた。
傍から見てると、なかなか面白い光景かもしれない。
知らず緊張にこわばっていた肩から力が抜けた。
「ん」
よし。
行こう。
止めていた足を再び動かし、店内へと歩いていった。
お店に入るとすぐに結城さんは気付いて、軽く手をあげてくれた。
「小嶋さん」
「!」
す。すごい。みんなほとんどが赤の他人のはずなのに、一斉に倣ったかのように女性客たちの視線がわたしに突き刺さってきた。
「こ、こんばんは」
視線でひとが殺せるんだとしたら、わたしきっともう死んでる。瞬殺されちゃってる。思わず遠い目になってしまう。
事情を読めてしまっているんだろう。結城さんは苦笑いを湛えて「どうぞ」と、荷物を置いて場所を確保していた隣の席を空けてくれた。
「すごいですね、みんな結城さんのファンですか」
「だといいんですけどね」
「本気でそう思ってます?」
「はは。まさか」
からりとした笑い声は、少しも嫌味なところがない。思った以上に、気さくなひとみたい。あんまりよろしくなかった第一印象が、ちょっとだけ霞んで上書きされる。
「いつもこんな感じなんですか?」
目線だけで、店内を示してこっそりと訊く。うーんと困った顔が返ってきた。
「ここまであからさまなのは、滅多にないんだけど」
ということは、いつもなにかしらの視線を受け続けている、ということか。わたしだったら、きっと堪えられない。
「大変ですね」
「ありがとう。―――なにか、頼みますか? それとも、店を出て食べに行く?」
この状況を苦笑いだけでやり過ごすことができるだなんて、芸能人並みに注目される状況にすっかり慣れてしまってるんだろうな。
さもありなん。
カフェでコーヒーを飲んで最初の顔合わせは終わらせようかという後ろ向きな考えがふと頭をよぎったけど、さすがにそれは失礼だろう。
「出ましょうか。結城さん、ここ、居づらいでしょう?」
「小嶋さんも、女性陣のすごい視線に晒されてしまってるしね」
「敢えて気付かないふりをしてたのに」
わざとらしく、小さく溜息をつく。
「はは。ごめんごめん。じゃあ行こうか。来たばかりなのに、慌ただしくさせちゃったね」
「いえ……」
最後のひと言に、はっとなる。
気遣う言葉をさりげなく添えてくれる男性と出会ったことなんて、―――なかったから。しかも、荷物を取った結城さんは、わたしとつかず離れずという微妙な距離なんだけど、〝ただの知り合いなんかじゃないから〟という親密さを周囲に匂わせることも忘れない。視線の配り方、店の出口へと向かう際に皆の視線を遮ろうとしてくれる身のこなし。レディファーストで店を出るわたしの横から自動ドアに手を遣る自然な動き。
そのどれもが、全然嫌味じゃない。
上條……、そりゃ、元カノも心変わりするわよ。
まだ顔を合わせて数分しか経っていないけど、このひとには太刀打ちできないって判るもの。イケメンにこれをやられたら、勘違いしちゃうって。
これは結城さんの自然な仕草。わたしが特別だからじゃない。
勘違いしてはいけない。自分にそう言い聞かせながら、わたしたちは結城さんが選んだ創作イタリアンへと並んで歩いたのだった。
レールの上を滑る列車の音が、地下の空間に響いている。
結城さんとは、イタリアンを食べて、地下鉄の駅まで送ってもらった。手を繋がれたりなどの一方的なスキンシップはない。いい大人なんだから当たり前なんだけど。
ただ、赤面して言葉を失くすくらい、真正面から口説かれた。
初めて見た瞬間、息が止まった。このひとだと、直感した。―――と。
『この見てくれだからね。まわりは必要以上にもてはやしてくれる。もちろん、その中でいいなと思って付き合った女性もいる。この年齢だからね。あ、年齢、知ってる? そう、上條から。だけど、大袈裟かもしれないけど、雷に打たれたみたいな衝撃だったんだ。小嶋さんを見た瞬間、おれの中は、真っ白になった』
どうか付き合って欲しい。
―――判らないよ。
わたしは、向かいの窓に映り込んだ自分の姿を見つめる。
正直言うと、わたしは自分の姿が好きじゃない。
美人でもかわいくもなく、十人並みの平凡顔。小顔じゃないし、目も小さい。肌だって、スキンケアをしてはいるけどくすみは年々濃くなっていってる。胸も大きいほうじゃない。むしろ小さい。スタイルだって、太ってはいないけど、わたしよりも細身のひとはたくさんいる。可もなく不可もない、にすら届かない。
結城さんのまわりには、わたし以上に美人で素敵な女性が自然と集まってくるだろうに、どうして。
どうして、凡庸としか表現できないわたしを気に入ったんだろう。
『自分でも判らない。気がついたら、小嶋さんのことばかり考えてた。逢いたくて、声が聞きたくて』
結城さんはそう言ってくれたけど、本当なんだろうかって疑心暗鬼になってしまう。どこかに誰かが隠れていて、わたしが「はい」と言った瞬間に、「引っかかってやんの!」って嗤いながら出てくるのかもしれない。
―――ううん。
結城さんが、そんなことをするひとだとは思えない。
上條が、そんなひとを紹介するはずがない。
結城さんの言葉は、彼の真実の想いなんだろう。
どうして。
ただ、もの珍しいだけなのかもしれない。上條と一緒にいるのを見て、誰なんだろうって。こんな普通すぎてみんなに埋もれてしまうような存在が、珍しかったのかも。
別に、ネガティブになって僻んでいるわけじゃないのよ。ただ、ね。どうしたって、差がありすぎる。一緒に食事をしていても、結城さんの眩しさに息が苦しくなる。まわりからの、「なんであんな女が連れなの?」という妬みを隠そうともしない視線や態度に、本当にこういうことってあるんだなと思う一方で、ずっと全身に感じ続けていたせいで疲れてもくる。
結城さんの隣に立つ女性は、そんな嫉妬にまみれた空気なんて意に介さないようなひとであるべきなんじゃないのかな。
結城さんに見つめられて、嬉しくないわけがない。まっすぐに気持ちを告白されて、ときめかないわけがない。だってあんな素敵なひとから想いをぶつけられるだなんて、きっともう一生ないだろうし。
カバンの中で、スマホが震えた。
取り出して見ると、結城さんからのLINEだった。
『いま電車に乗りました。
今日は仕事帰りなのに無理をさせてしまってありがとう。
逢えて嬉しかった。
小嶋さんは、もうすぐ駅に着くころかな。
帰りの運転、気をつけてね。』
文面を目で追うのに合わせて、頭の中では結城さんの柔らかで低い声が甘く言葉を紡いでゆく。
胸の奥が、その優しさに蕩けるような痛みを返してくる。
どうして。
どうして、あれから一度も上條はメールをくれないんだろう。
結城さんの押しつけてくることのない想いを目の前にしながらも、どうしてだかわたしの中でぐるぐると渦を巻いているのは、ひとを突き放したかのような上條の態度だった。
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