この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお

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前編

雨の日の、結末?(過去)

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 少年は軍馬からヒラリと降り、私に駆け寄る。
 至近距離で見た彼は、私と同い年くらいに見えた。自身が身につけていた外套を脱ぎ、私に被せてくる。

 雨の下に現れた髪は金髪。海の色をした瞳には、心配そうな色が滲んでいる。

「どこかの町娘、……ではなさそうだな。どこの商家の娘だ?まさか……、貴族か?!」

 息を飲んだような気配が伝わってくる。見上げた彼の眉間には、深い皺が刻まれていた。
 包み込むように両手を握られる。先程の男の手が蘇って、反射的に振り払いそうになった。

「大丈夫だ。私が貴女は無事だと保証する。……何があったんだ?」

 ボタボタと少年の金髪から水が滴り落ちる。繋いだ手は小刻みに揺れていて、その時初めて自分が震えている事に気付いた。

 この少年が誰か――、なんて問い掛けることは出来なかった。言葉が喉に張り付いたように出てこない。
 でも多分味方。私を助けてくれた人だから。侍女達も助けてくれるはず。

 縋り付くように彼の手を握り返す。私よりほんの少しだけ大きい彼の手は、とても温かかった。

「じ、じょ、が……」

 カラカラになっていた喉から搾るように声を出す。私の声を的確に拾ってくれた彼は、眉を寄せた。

「侍女?」
「殿下!急に飛び出されたら困ります!……そちらの方は?」

 次々に木々の合間から軍馬が現れる。馬上の一人が少年に声を掛けて、私の存在に気付いた。

「どうやら殺されそうになっていたようだ。おそらく裕福な商家の娘か貴族の娘だと思うが――、それよりもまだ襲われている者がいるらしい。助けに行ってくれ」

 少年が顎で指し示した方向は、私が来た道だった。よく見ると未だにぬかるんだ土に足跡がついている。少年の忠実そうな部下達は、心得たとばかりにそちらの方へと馬を走らせていく。短い槍を持った少年と他に二人程の騎士らしき人が残った。

「……すまない。矢継ぎ早に聞いてしまった。もう大丈夫だ。怖い事はもうないか?」

 自身の服が泥まみれになる事も厭わずに、地に膝をついて私の顔を覗き込む。必死に頷くと、安堵したように息をついた。

「それならばよかった。……ここは雨がよく当たるから移動する。……失礼」

 膝裏と背中に腕を回されて、抱き上げられる。あまり年の変わらない少年だと思っていたが、意外と力持ちだった。

 彼が何やら呪文を唱えた後に、地面に敷いたハンカチの上に座らされる。その周りは雨など降っていなかったように乾いていた。

 気が付くと、汚れたドレスも乾いて綺麗になっている。さすがに裾の破れは元通りにはならなかったようだったが。靴も新品のようになっている。

「魔法だ。特段驚くことではない」

 平然とした面持ちで、少年は雨に濡れた自分の髪を一瞬で乾かした。私達がいる所は雨が降ってこない。たぶん雨避けの魔法を使ったのだろう。

「足を見せろ。怪我をしているんだろう?」

 目ざとく足の怪我を見つけた少年に、大人しく靴を脱いで足を見せた。ズクズクと熱を持つ足に辛抱が出来なかったのもある。

「……だいぶ腫れているな。可哀想に」

 彼が手を翳すとみるみるうちに治っていく。私の中で彼はすごい魔法使いなのだろう、と勝手に位置付けられた。

「……少しは落ち着いたか?何があったんだ?」
「えっと……、いきなり馬車が襲われて……、おじ様を守る為に護衛騎士達は私達を置いて行ったから、私は馬車が壊される前に侍女と外へ逃げたの……」

 鼻がツンと痛んだ。護衛騎士がおじ様について行ったと知った時、絶望しそうだった。

 怖かった、本当に怖かった。
自分がこれからどうなってしまうのか。

 貴族令嬢の純潔は大事だと、ずっと周りから言われ続けてきた。過去の人の例を出されて、穢される位なら死んだ方がマシな人生だろうとも言われてきた。
 だから、死ななければならないと思った。

 でも、いざ振り上げられた刃を見た時、何も考えられなかった。

 死ななければならないと思ったけれど、自分から死にたいとは思ったことはないから。
 周りの景色が滲んでいく。少年の顔も揺らいで、輪郭すら朧気になる。

「置いて行った?」
 少年の顔色が変わった。ただの家族だったら、置いて行ったと言われると薄情に思うだろう。

 だが遠縁とはいえ、そのおじ様が国王陛下。それを言って良いのかという判断を迷うくらいには、冷静さが戻ってきていた。

「ああ……、怖かったな」

 落ち着かせるようにゆっくり頭を撫でられる。

「取り敢えず、侍女を助けて、襲っている奴らを生け捕りにする必要があるな……。理由は物取りか人質辺りだろうが……」

 顎に手を当てて考え込む少年と、悩む私の元に複数の気配が伝わってくる。私の元には護衛騎士や、たぶんこの少年の部下の感情で分かったが、少年は気配で気付いたらしい。二人してパッと顔を上げて、固まった。

「その娘を渡してもらおうか」

 おじ様が平坦な声で少年に告げる。少年が私を庇うように立ちはだかって、個下の目の前で起こっていることが信じられないような声を出した。

「アルヴォネンの……国王……?!」
「いかにも。君はキルシュライトの王太子だね?アルヴォネン領で何をしているんだい?」
「……っ、悲鳴が聞こえたので参った次第だ。そちらこそこの娘とどういった関係だ?」
「君には関係ないだろう?」

 文官が生地の広い傘を持っているので、おじ様が濡れることはない。馬車はどこかに置いてきたのだろう。護衛騎士を含めて歩きだった。
 少年はおじ様の問いに食い下がる。

「いいや。私が間一髪の所でこの娘を助けたんだ。知る権利くらいはあるだろう?」

 おじ様が数秒黙り込む。雨の降る音が二人の間に流れた。

「私の……親戚の娘だよ」

 無難な回答をしたおじ様に、少年は牙を向いた。

「王族か?大した護衛も付けずにか?まだ子供なのにか?」
「全てこちら側の問題だよ。さあ、大人しく彼女を渡してもらおうか。彼女を助けてくれた事には感謝している。だけれど、国境を無断で越えられたとなっては、こちらもそれ相応の対応をしなければならない。国境の件は不問にするから、この場では事にしようじゃないか」

 少年は押し黙った。彼は指先が色を変える程、固く握り締める。

「殿下」

 おじ様の背後にいた少年の部下らしき人が、諭すような声を出す。少年は「分かっている」と吐き捨てた。

 私は流していた涙を手のひらで乱暴に拭った。そして立ち上がる。あれだけ痛んでいた足は、すっかり良くなっていた。

「助けてくれて、ありがとう」

 ほんの少し身長の高い少年と目を合わせて、お礼を言った。この場は無かったことになる。おじ様の口ぶりからして分かった。この機会を逃すと、彼には二度と会えなくなってしまう。本当は一言きりのお礼だけじゃ足りないものを、彼は助けてくれたのに。

 私がおじ様の元へ戻ろうと、歩き出したのを彼は止めなかった。おじ様の元に来ると、おじ様は私を見下ろして一言だけ投げる。

「無事でよかった」

 それがおじ様の本心だったかどうかは、分からない。
 全く感情が伝わってこなかったから。

 もう一度少年の方を振り向こうとしたけれど、護衛騎士達に遮られていて、姿を見ることは叶わなかった。

「おじ様。侍女達はどうしたの?」
「ああ。全員救出したよ」
「よかった……」

 見上げると、私の目線より遥かに高い位置にあるアメジスト色の瞳が、冷ややかに私を映していた。

「おじ様?」
「可哀想にね」
「え?」

 突然憐れむような声に私は立ち止まった。背筋に得体の知れない不安がゾクリと這い上がって来るかのような。

「君が領主の裏切りを見逃したから、彼女達は危ない目に遭ったんだよ」
「裏切り……?」

 領主が犯人だったというの?
 仮に領主だったとして、一体何があったの?
 急なおじ様の変化に戸惑っていると、おじ様は諭すように語りかけてくる。

「嘘はいけないよ、アリサ。今までちゃんと私にを教えてくれていたのに、一体どうしたんだい?」
「ど……、どうもなんてしてない」

 慌てて首を横に振った。なぜ、なぜおじ様は気付いているのか。なぜおじ様は、領主が裏切るかを知っていたのか。

「良い子にしてないと、ダメだからね?」

 ブルリと身震いをした。背筋が冷たくなっていく。

「い、今までもちゃんと教えてきたってば!」

 被せるように吐き出すと、おじ様はふっと余裕そうに微笑んで「そういう事にしておいてあげる」と地獄のような言葉を吐いて去っていった。

 怖い。ルーカス、ごめん。もしかしたら殺されるかもしれない。知られてしまったかもしれない。

 私達の小さな反逆が。
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