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後編
光の一族。(アーベル)
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やってしまった――、とアーベルは内心顔を引きつらせた。
母親と即興お茶会ならばまだよかったが、祖父が何故か付いてきた。国王の仕事なんて沢山あるだろうに。こんな所で油を売っていていい訳がない。
それに――、アーベルには時間がなかった。
元々一日という僅かな時間しかないのだ。多少強引にでもいいから、どうにか時間を作るしかなかったのである。
しゅんと落ち込んでしまった母親の姿に罪悪感はあったが、フォローするどころではない。そして、一応嘘はついていないのだ。
お茶会を抜け出してきたが、あらかじめ告げておいたお手洗いに行くのではなく、人気のない適当な建物の影に隠れる。
「《幻影光》」
小さく呟くと、淡い光アーベルの体をうっすらと包む。それは一瞬の出来事で、瞬き一つの間にアーベルの体は周囲の景色と同化した。
自分に当たる光を意図的に無くすことで、人の視界から自分の姿を消す光魔法。細かい魔法の操作が必要なので、かなり高度な技術を持つ者しか使えない。
一般的にはすごいと称賛されることでも、キルシュライト王家の直系は出来て当たり前の事だった。
――確か、王太子の私室はこっちだ……。
頭の中に入っている15年後の地図を頼りに、自分の居場所を把握した。
王城でも人気のない区画からそっと離れ、迷ったという言い訳が聞く位の時間を計りながら駆ける。王太子の私室がそこまで離れていないのが救いだった。
昨夜、アーベルは見ていた。
父親の部屋を荒らす国王の姿を。
その時は一体何をやっているのか……、と思っていたが、アーベルの目的に関わる重要な書類らしきものを目にした時に、その思考は消えた。
間違えたのではない。
この時期を指定してやってきたのだ。代償は大きいが、それでも払う価値はあると思っているから。
半ば賭けでもあった。
目的を達成する為の準備が出来るか、出来ないかの賭け。
途中、何度か侍女や使用人達と出くわした。そして、王城内に幾つも仕掛けられているトラップも、場所は分かっているので躱していく。
王太子の私室まで誰にも見つからずに済んだ。だが、王太子の私室の扉の両横には、近衛騎士が二人立っている。アーベルと同じ黒色の軍服。だが近衛騎士達は、装飾がやや華美なものだった。
片方の近衛騎士はまだ若い。きっと出世頭のようなのだろうと予測できる。もう片方は中年で、近衛騎士の制服もかなり着なれているような風格があった。
正面から突破するつもりはない。しかし、姿を消すことは出来ても、音を消すことが出来ない。
アーベルは慎重に近衛騎士にゆっくりと近付く。周囲に人がいないことをいい事に、取り留めのない日常的な雑談を交わす近衛騎士達は呑気に笑い声を上げた。15年後の彼らとは仲がいいが、今の彼らにとってアーベルは知らない人間だった。
だから、仕方ない。
注意力が逸れている今だと思い、ジリジリと距離を詰める。
そして、まだ若い片方が何か話そうと口を開いた所で――、中年の方がハッと武器を持つ手に力を込めた。
まずい。
「……?おい、なんか、変な風が」
人の気配を、その場の空気の流れを敏感に感じ取ったらしい。
身構えた中年の方に飛びかかる。懐から瞬きひとつの間に短剣を抜いた。柄で後頭部を殴って意識を落とす。
急に崩れ落ちた近衛騎士にやや動揺しつつ、しっかりと己の得物を握った若手騎士も、流石エリート近衛騎士と言うべきか。だが、その騎士に存在を認識される前に懐に潜り込む。そのままゼロ距離で腹部を柄で打ち抜いたが、意識を落とすまでには至らなかった。衝撃でくの字に折れ曲がった男の顔を拳を作って殴る。
床に倒れ伏した騎士が完全に伸びているのを確認し、再び《幻影光》を使った。近衛騎士が何も無かったかのように動いているのを見せる為に。
不意打ちで二人を襲ったアーベルは、ズボンのポケットから15年後から持ってきた鍵束を取り出す。迷いなく数多あるうちの一本を選び、ゆっくりと鍵穴に差し込んだ。
鍵を回すと、解錠した手応えが伝わってくる。部屋主が鍵は合っていると何度言っていても、実際使うまでは不安だった。
扉に僅かな隙間分だけ開け、部屋に誰もいないのを確認し、音をたてないよう慎重に中に入る。入るなり扉はキッチリと締め、施錠もした。
そして迷いなく部屋の中の本棚の前へ向かう。
人差し指をたて、棚をなぞるようにして本の背を確認する。焦らないように、意図的に深呼吸をした。
――キルシュライト王国詳細図、第三巻。あった。
目当ての本を本棚から抜き取った。パラパラとページを捲ると、とある所で止まる。そのページには二つ折りの紙が挟まっていて、アーベルは迷いなくそれを開いた。
ビッシリと一枚の紙に書き込まれた文字は、恐らく父親のもの。その文字で、事細かにスケジュールが記されていた。
食い入るように眺めていたアーベルは、気付かなかった。
いつの間にか、施錠していたはずの扉が開いていたことに。
コツ、と靴音が室内に響く。
アーベルは反射的にローブのフードを被り、息を潜めた。本は手に持ったまま。一応触れていたので、《幻影光》の影響下にあった。
チラリと視線だけで入ってきた人の方を見る。視界があまり良くなく、入ってきた人物の服が近衛騎士の隊服のズボンと同じ事しか分からない。
部屋の中央で、その人は勿体ぶるようにして立ち止まった。
「近衛騎士な様子がおかしいなって思ってよく見たら、中々高度な《幻影光》じゃ~ん?」
息が一瞬、止まった。
相手をおちょくるように、ふはっ、と息を漏らすように笑った男が、――こちらに靴先を向けた。
「も~、すげ~びっくりしたよねえ?どんな手練かな~って。オレ達光の一族に光属性で挑むなんてさ~~あ゛?」
考えるよりも体が動いていた。左足を後ろに下げて上体を傾ける。
先程までいた場所をキラリとした物が通過する。背後の本に刺さって、ようやくそれが何であるか視認できた。
針だ。
「あ~、やっぱりそこなんだ~?」
顔をあげると、思いっきり琥珀色の瞳と目が合った。キルシュライト王族に多い月光のような金色の長い髪。ややタレ目がちで優男風な印象を受ける顔。優男風、とは今では完全に瞳孔を見開いているから、狂人のように見えるのだった。口元がつり上がっているのが特に恐ろしい。
「次は当てたいね~」
ニヤニヤしながら、男は軽く手首を振る。針が少しだけ反射する光だけを頼りに、アーベルは床を蹴って避ける。
バレている。確実にバレている。
男が投げた針は、的確にアーベルのいた場所を狙っていた。手首のスナップだけの動きだが、避けなければ刺さっている。
まだ《幻影光》は解いていない。
となると、純粋にアーベルよりも光属性魔法の操作が上手だという事。
アーベルよりも光属性魔法に長けている父親と祖父には充分注意しなければならないと思っていたが、まさかの伏兵だった。
血の気が引く。
騎士には邪魔でしかない長い髪を項でひとつに結んだ男。恐らく、アーベルよりも純粋な戦闘能力は勝っている可能性がある。
どうやって、ここから抜け出すか。
「あっれ?も~終わりぃ?オレ達に喧嘩売っといてつっまんねえの」
じっと黙ったままのアーベルに我慢できなくなった男は、不機嫌そうに眉を寄せる。表情が忙しない男だった。
しかし、顔はアーベルの方を向いている。思いっきり目線も合っている。顔の角度を変えてみるが、男の目線もそれに合わせて動いていた。
無意識に唇を噛む。
ここまでの光属性魔法の使い手と出くわすのは、完全に想定外だった。懐にしまったままの短剣をいつでも抜けるように、手の位置を変える。
その瞬間、予備動作なしで男が動いた。
「ぐっ?!」
アーベルは反応出来ずに、殴られてやや後ろへと吹っ飛ぶ。途中で体勢を立て直したが、さすがに魔法の操作に対する集中力は切れた。今のアーベルは、誰の目にも認識出来る状態。
口の中に鉄の味が広がった。
アーベルはペロリ、と唇を舐める。
男のあまり筋肉がついていなさそうな体のどこから出ているのか分からない、重い拳だった。あまり力は入れているようには見えなかったのに。いよいよ不味くなった、と冷や汗をかく。
しかしそれ以上に相手の男の方が、アーベルの顔を見て、凄まじい衝撃を受けていた。隠しもせずに目と口を大きく開けている。
「お……お前……、まさか、陛下の隠し子?!」
「…………えっ?」
母親と即興お茶会ならばまだよかったが、祖父が何故か付いてきた。国王の仕事なんて沢山あるだろうに。こんな所で油を売っていていい訳がない。
それに――、アーベルには時間がなかった。
元々一日という僅かな時間しかないのだ。多少強引にでもいいから、どうにか時間を作るしかなかったのである。
しゅんと落ち込んでしまった母親の姿に罪悪感はあったが、フォローするどころではない。そして、一応嘘はついていないのだ。
お茶会を抜け出してきたが、あらかじめ告げておいたお手洗いに行くのではなく、人気のない適当な建物の影に隠れる。
「《幻影光》」
小さく呟くと、淡い光アーベルの体をうっすらと包む。それは一瞬の出来事で、瞬き一つの間にアーベルの体は周囲の景色と同化した。
自分に当たる光を意図的に無くすことで、人の視界から自分の姿を消す光魔法。細かい魔法の操作が必要なので、かなり高度な技術を持つ者しか使えない。
一般的にはすごいと称賛されることでも、キルシュライト王家の直系は出来て当たり前の事だった。
――確か、王太子の私室はこっちだ……。
頭の中に入っている15年後の地図を頼りに、自分の居場所を把握した。
王城でも人気のない区画からそっと離れ、迷ったという言い訳が聞く位の時間を計りながら駆ける。王太子の私室がそこまで離れていないのが救いだった。
昨夜、アーベルは見ていた。
父親の部屋を荒らす国王の姿を。
その時は一体何をやっているのか……、と思っていたが、アーベルの目的に関わる重要な書類らしきものを目にした時に、その思考は消えた。
間違えたのではない。
この時期を指定してやってきたのだ。代償は大きいが、それでも払う価値はあると思っているから。
半ば賭けでもあった。
目的を達成する為の準備が出来るか、出来ないかの賭け。
途中、何度か侍女や使用人達と出くわした。そして、王城内に幾つも仕掛けられているトラップも、場所は分かっているので躱していく。
王太子の私室まで誰にも見つからずに済んだ。だが、王太子の私室の扉の両横には、近衛騎士が二人立っている。アーベルと同じ黒色の軍服。だが近衛騎士達は、装飾がやや華美なものだった。
片方の近衛騎士はまだ若い。きっと出世頭のようなのだろうと予測できる。もう片方は中年で、近衛騎士の制服もかなり着なれているような風格があった。
正面から突破するつもりはない。しかし、姿を消すことは出来ても、音を消すことが出来ない。
アーベルは慎重に近衛騎士にゆっくりと近付く。周囲に人がいないことをいい事に、取り留めのない日常的な雑談を交わす近衛騎士達は呑気に笑い声を上げた。15年後の彼らとは仲がいいが、今の彼らにとってアーベルは知らない人間だった。
だから、仕方ない。
注意力が逸れている今だと思い、ジリジリと距離を詰める。
そして、まだ若い片方が何か話そうと口を開いた所で――、中年の方がハッと武器を持つ手に力を込めた。
まずい。
「……?おい、なんか、変な風が」
人の気配を、その場の空気の流れを敏感に感じ取ったらしい。
身構えた中年の方に飛びかかる。懐から瞬きひとつの間に短剣を抜いた。柄で後頭部を殴って意識を落とす。
急に崩れ落ちた近衛騎士にやや動揺しつつ、しっかりと己の得物を握った若手騎士も、流石エリート近衛騎士と言うべきか。だが、その騎士に存在を認識される前に懐に潜り込む。そのままゼロ距離で腹部を柄で打ち抜いたが、意識を落とすまでには至らなかった。衝撃でくの字に折れ曲がった男の顔を拳を作って殴る。
床に倒れ伏した騎士が完全に伸びているのを確認し、再び《幻影光》を使った。近衛騎士が何も無かったかのように動いているのを見せる為に。
不意打ちで二人を襲ったアーベルは、ズボンのポケットから15年後から持ってきた鍵束を取り出す。迷いなく数多あるうちの一本を選び、ゆっくりと鍵穴に差し込んだ。
鍵を回すと、解錠した手応えが伝わってくる。部屋主が鍵は合っていると何度言っていても、実際使うまでは不安だった。
扉に僅かな隙間分だけ開け、部屋に誰もいないのを確認し、音をたてないよう慎重に中に入る。入るなり扉はキッチリと締め、施錠もした。
そして迷いなく部屋の中の本棚の前へ向かう。
人差し指をたて、棚をなぞるようにして本の背を確認する。焦らないように、意図的に深呼吸をした。
――キルシュライト王国詳細図、第三巻。あった。
目当ての本を本棚から抜き取った。パラパラとページを捲ると、とある所で止まる。そのページには二つ折りの紙が挟まっていて、アーベルは迷いなくそれを開いた。
ビッシリと一枚の紙に書き込まれた文字は、恐らく父親のもの。その文字で、事細かにスケジュールが記されていた。
食い入るように眺めていたアーベルは、気付かなかった。
いつの間にか、施錠していたはずの扉が開いていたことに。
コツ、と靴音が室内に響く。
アーベルは反射的にローブのフードを被り、息を潜めた。本は手に持ったまま。一応触れていたので、《幻影光》の影響下にあった。
チラリと視線だけで入ってきた人の方を見る。視界があまり良くなく、入ってきた人物の服が近衛騎士の隊服のズボンと同じ事しか分からない。
部屋の中央で、その人は勿体ぶるようにして立ち止まった。
「近衛騎士な様子がおかしいなって思ってよく見たら、中々高度な《幻影光》じゃ~ん?」
息が一瞬、止まった。
相手をおちょくるように、ふはっ、と息を漏らすように笑った男が、――こちらに靴先を向けた。
「も~、すげ~びっくりしたよねえ?どんな手練かな~って。オレ達光の一族に光属性で挑むなんてさ~~あ゛?」
考えるよりも体が動いていた。左足を後ろに下げて上体を傾ける。
先程までいた場所をキラリとした物が通過する。背後の本に刺さって、ようやくそれが何であるか視認できた。
針だ。
「あ~、やっぱりそこなんだ~?」
顔をあげると、思いっきり琥珀色の瞳と目が合った。キルシュライト王族に多い月光のような金色の長い髪。ややタレ目がちで優男風な印象を受ける顔。優男風、とは今では完全に瞳孔を見開いているから、狂人のように見えるのだった。口元がつり上がっているのが特に恐ろしい。
「次は当てたいね~」
ニヤニヤしながら、男は軽く手首を振る。針が少しだけ反射する光だけを頼りに、アーベルは床を蹴って避ける。
バレている。確実にバレている。
男が投げた針は、的確にアーベルのいた場所を狙っていた。手首のスナップだけの動きだが、避けなければ刺さっている。
まだ《幻影光》は解いていない。
となると、純粋にアーベルよりも光属性魔法の操作が上手だという事。
アーベルよりも光属性魔法に長けている父親と祖父には充分注意しなければならないと思っていたが、まさかの伏兵だった。
血の気が引く。
騎士には邪魔でしかない長い髪を項でひとつに結んだ男。恐らく、アーベルよりも純粋な戦闘能力は勝っている可能性がある。
どうやって、ここから抜け出すか。
「あっれ?も~終わりぃ?オレ達に喧嘩売っといてつっまんねえの」
じっと黙ったままのアーベルに我慢できなくなった男は、不機嫌そうに眉を寄せる。表情が忙しない男だった。
しかし、顔はアーベルの方を向いている。思いっきり目線も合っている。顔の角度を変えてみるが、男の目線もそれに合わせて動いていた。
無意識に唇を噛む。
ここまでの光属性魔法の使い手と出くわすのは、完全に想定外だった。懐にしまったままの短剣をいつでも抜けるように、手の位置を変える。
その瞬間、予備動作なしで男が動いた。
「ぐっ?!」
アーベルは反応出来ずに、殴られてやや後ろへと吹っ飛ぶ。途中で体勢を立て直したが、さすがに魔法の操作に対する集中力は切れた。今のアーベルは、誰の目にも認識出来る状態。
口の中に鉄の味が広がった。
アーベルはペロリ、と唇を舐める。
男のあまり筋肉がついていなさそうな体のどこから出ているのか分からない、重い拳だった。あまり力は入れているようには見えなかったのに。いよいよ不味くなった、と冷や汗をかく。
しかしそれ以上に相手の男の方が、アーベルの顔を見て、凄まじい衝撃を受けていた。隠しもせずに目と口を大きく開けている。
「お……お前……、まさか、陛下の隠し子?!」
「…………えっ?」
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