AQAーArt Quality Automataー

高山小石

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8.AQA寮

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 二人は再びエレベーターに乗った。

 空也は社員証と手のひらを認証させただけで階を指定しなかったので、ルージュには降りたフロアが何階なのかもわからない。ホテルのように扉がズラリと並んでいるが、ホテルと違って部屋番号はないし、個人宅のように表札もない。

 空也はその一つの前で手続きを始めた。

「ずいぶんとセキュリティが厳重なのね」

「みんな寮でも仕事してるからね。データも社内と共通で持ってる人が多いし。誰がどの階に住んでいるか僕も知らないよ」

 チリひとつ無い廊下には、埋め込み式の明るい照明がたくさんついている。無駄がなく機能的、その上デザイン的で威厳もある。

(方向性は違うけど、ホワイトストーン病院と張り合えそうね)

 病院と違うのは、案内ディスプレイのかわりに個人認証システムがあることだ。

 部屋に入るのに、鍵はもちろん、社員証、指紋、声紋、角膜と毎日変わるパスワードだというから、寮というより研究所といったところだ。

「お待たせ。掃除は自動だからきれいだとは思うんだけど。お客さんなんて呼んだことないから、どうなのかな?」

 ようやく開いた扉をくぐってルージュは部屋へと足を踏み入れた。

「わ――」

 自動清掃システムのため部屋は壁がない造りになっており、全部屋を一望できた。広くて四角い空間に、ダイニング、リビング、書斎、寝室がある。

 外枠の壁は白く、ナチュラルブラウンのテーブルとイス、白いソファとベッド、木目調のキッチンと全体的に優しげな雰囲気なのだが、無駄なものがほとんどないので少し寒々しい感じもする。

 ルージュはなんとなくダイニングに行ったが、使われた形跡はなくきれいなままだ。

(男の人の部屋ってこんなものなの? スイレンの部屋とは大違いだわ。クウヤの私物って、壁にかかってる風景パネルと書斎の机にある観葉植物くらい? でもそれだって寮の規格品なのかも)

 書類や企画書が机に散らばり、床には作りかけのアクアが転がり、そこから四方に伸びてうずめくコード類……と、もっと雑多な部屋を想像していたルージュは拍子抜けした。

 書斎にいる空也にルージュは聞いてみた。

「資料とか置いてないの?」

「ああ、出してないだけ。ここの……」

 机に備え付けのペン立てをくるりとまわすと、書斎の壁がぽっかりと空いた。

「引き出しに入れてる。出しっぱなしだと自動清掃システムに捨てられちゃうんだ。いちいち除外登録するのが面倒で、一度うっかり捨てられてからは全部しまうようになったよ。この引き出し大きくって便利なんだ。他にまだ、小さいのや大きいのもたくさんあるんだ」

「引き出し、ね」

(部屋に入ってもセキュリティがすごいわね)

 空也がペン立てをさらにまわすと、隠し部屋は閉じ、寝室とダイニングを遮光壁が隠した。遮光窓と違うのは無色透明じゃない点だけで、同じ原理でできている。

 自動清掃システムは住人の不在時に自動で部屋ごと丸洗いするシステムだ。清掃の妨げにならないよう、最近の住居には敷居や壁がない。飾りや置物などの小物は登録すると清掃時に外枠の壁に収納され、埃を落とした後に元の位置に戻される。

 明かりや音が漏れないようにそれぞれ部屋として遮光壁で分割できるが、その分割の組み合わせはいつでも自由にでき、用途に応じて部屋をつなげたり分けたりできる。遮光壁の通り口だけがほんのり色が違い、前に立つと自動で開閉する。

 今はリビングと書斎がつながった状態だ。

 ダイニングを出て書斎リビングに入り、きょろきょろと見回すルージュ。

「それでアクアはどこにいるの? 別の引き出しの中?」

「これだよ」

 空也は書斎の机の上で天井からぶら下がって揺れる、観葉植物を指した。
 天井から吊るされた透明の鉢からは、小さなハート型の緑の葉が垂れ下がっている。

「この植物がアクア?」

「ううん、その下」

 鉢は水で満たされており、中には植物を支えるためのガラス玉が数個入っている。よくよく見ると、見慣れた青色のものがあった。ルージュは近づいて青い玉を指さした。

「まさかとは思うけど、コレ?」

 空也は嬉しそうに頷いた。

「そう。アクアって聞くとアンドロイドを想像しちゃうけど、あれはボディ。基本は小さな回路の集合なんだ。って技師の君には蛇足かな。反応回路、いわゆる『アクア』と呼ばれる本体と、視覚回路と聴覚回路、伝達回路もそこにある。それぞれが混ざらないように薄い球体で覆って稼動させているんだ。この植物に見えるものは、伝達回路の信号、つまり『声』を大きくするための増幅器さ。水に見えるのは特殊な液体で、コードはなくてもお互いがつながっているんだよ」

 空也は鉢に、いやアクアに微笑んだ。

「『ウォカーレ(Call……起動の宣言)』。アクア、お客様だよ。彼女はルージュ」

「ルージュ…………確認。はじめまして技師ルージュ。私はアクア」

 確かに、声は植物から聞こえた。

「はじめましてアクア。あなた、どうして私が技師だって知ってるの?」

「あなたが技師だということは」

「アクア、種明かしはしちゃダメだよ」

「はい」

「どういうことよ?」

「君には僕から話したいんだ。どうして僕がアクアを止められるのか、アクアの瞳の色が変わる理由もね」

 有無を言わせぬ様子にルージュは口を閉じた。

(クウヤってば。いったいどうしちゃったの?)

「空也、お客様にはお茶をお出しするものではないでしょうか?」

「そうだった。ありがとうアクア。ルージュ、ちょっと座って待ってて」

 いそいそと楽しそうに空也はダイニングへ向かう。

(クウヤのアクアに言う『ありがとう』ってほんとさりげないわね。自分で作ったモノに対してだから? それにしても、あの殺風景なキッチンにお茶なんてあるの? まさか毒を盛られたり……しないわよね。いったいどんなお茶がでてくるのかしら?)

 リビングのソファに座ったルージュに声が降ってきた。

「ルージュ、質問していいですか?」

(自分から質問するなんて学習中のロイドと同じだわ。こんな姿だけどほんとにロイドなのね)

 技師資格をとる際、ロイドの製作に立ち会うことが義務づけられている。

 学習中のロイドは基本的な知識を入れたあと、それを効率よく使えるように人間と問答する。人間は、同じ言葉、同じ状況でも、人によって言い方も感じ方も違う。問答を繰り返すことで、ロイドは微妙な違いを覚えていく。覚えたことを別の誰かに質問し、またそれを別の誰かに質問して……と、数が物を言う方法なので、問答相手は多いほうが良く、性格や年齢もバラバラなほうが良い。

 ロイドの問答パターンは幾度もバージョンアップを重ね、現在はほぼ完成されている。今では、わざと偏ったパターンを抽出し、『性格』として付加することもある。

 学習期間が終われば、ロイド自ら質問することは許されない。学習期間に形成された問答基本パターンが変わることはない。

「いいわよ」

(これって製作者の癖が出るのよね。いったい何を聞くのかしら?)

「あなたはラピス・ラビアル家の方ですね。どうして家を出てルージュと名乗っているのですか?」

「!」

 ルージュはダイニングに視線を走らせた。空也はまだ遮光壁の向こうにいる。

(聞こえてないわよね?)

「アクア、その質問に答える前に、私も質問していいかしら?」

 それでも声を落としたルージュに合わせて、アクアも小さな声になった。

「はい、どうぞ」

「私がラピス・ラビアル家の者だってこと、クウヤは知っているの?」

「いいえ。これは私だけの情報です」

「なら、クウヤには私から言うから、黙っていてくれる?」

「はい。では、質問の答えは?」

「家を出た理由も、いずれクウヤに話すわ」

「わかりました。空也から聞かれるまでは、あなたのことは話しません」

 ほっとしたルージュは奇妙なことに気づいた。

「あなたからクウヤに話しかけることがあるの?」

「はい」

「『今日の寮のおすすめ献立』とか?」

「それもありますが、最近のヘッドラインニュースやベストセラー、流行はやっている映画や楽曲、メールの有無や今日の予定などをお知らせします」

(学習中なのに稼動してるのね。テスト稼動かしら? ホームコンピューターと連携してる秘書タイプで、ニュースソースもゲットしてるニュースタイプでもあるのね。最新ロイドと同じように、衛星から情報をゲットしてるのかしら?)

「じゃあ最近はやってる映画を教えてくれる?」

「現在、『海の向こうで』が感動作品として大ヒット上映中です。アクションでは『フライングマン』、ファンタジーでは『ローディローディ』、アニメでは『神遊び』です。でも私のお勧めは『亡霊』です」

「それってどういう話なの?」

「死んだ恋人が幽霊になって現れるラブストーリーです。辛い出来事を次々と切り抜け、感動的な最後を迎えます」

 思わずルージュはくすくす笑った。

「クウヤったら案外ロマンチストなのね」

 ロイドには使う人の好みがうつるものだ。

 何度も呼び出される情報を素早く引き出し、より効率良く登録者マスターの役にたつために、登録者の好き嫌いをロイドは覚えていく。それが重なってロイドの『性格』となり、使用年数が長いものになると、ロイドと話すだけで登録者の人柄がわかってしまうほどだ。

 しかしアクアは言った。

「いいえ。空也のお勧めではありません。空也は映画を見ないのでお勧めもないのです」

「じゃあ誰のオススメなの?」

 誰がその情報を入れたの? という意味で聞いたのだが。

「ですから、お勧めです」

(どういうことよ? まさか)

「お待たせしちゃったね。台所、使うの初めてで、使い方がわからなくってさ」

 空也の緊張感のなさにルージュの気持ちも一気にほぐれた。

「初めてなら仕方ないわね」

 四年前のルージュは、すべてが『初めて』だった。『初めて』のことに関しては寛大だ。
 真剣な表情で空也はお盆からカップをテーブルに運ぶ。こぼれそうなお茶の色は薄くて香りもせず、種類もわからない。

(お湯の入れすぎなのよ。しかも熱湯で淹れたのね。これじゃあ熱くてすぐには飲めないわ)

 たどたどしい作業が終わるのを待ってから、ルージュは口を開いた。

「ねぇ、まさかとは思うんだけど、あなたアクアに感情をつけたりなんか」

「もうばれちゃったんだ。しまったなぁ。二人でなんの話をしてたの?」

「『しまったなぁ』じゃないわよ! ほんとに感情つけたの? 法律で禁止されてるでしょ! 条例じゃなくて世界規模の法律よ? バレたらどうなるかわかってるの? どこにも逃げられない、おたずね者になるのよ?」

 よっこいしょ、とルージュの向かいのソファに座ると、いたずらっぽい目で空也は言ってのけた。

「困るなぁ技師さん。法律では『アンドロイドに感情を与えてはいけない』。ここにいるのは『アクア』だよ」

「同じじゃないの!」

「違うね。だってアクアは僕の部屋に、僕だけのためにいるんだから。アンドロイドは仕事に携わるから問題なんだよ。法律のその部分だって『アンドロイド、但し、仕事をするために販売されたもの』とあるじゃないか」

「そうだったかも……? え、ちょっと待って」

(中華料理店でクウヤはなんて言った?)

『アクアを作ったのは僕なんだけど、目として使ったのは先輩の独断だったんだ』

(ばっちり仕事をするために販売されているじゃないの!!)

 勢いよくルージュは立ち上がった。

「どうしよう~。私とんでもないこと聞いちゃったんじゃないの~? このまま私、政府に、ううんAQAに消されちゃうのよ~! まだチェックしただけで行ってないお店もいっぱいあるっていうのに、彼氏もいないさみし~身のまんま殺されちゃうんだわ~」

 パニックになると、ついついスイレン口調になってしまうルージュだった。

「ちょ、落ち着いて」

「落ち着けないわよ~。なんだってそんな極秘情報を私に話すのよ~」

「だから、その、誤解だってば」

「誤解~?」

「まぁとにかく座ってよ」

 うながされるまま、ルージュは再びソファに身を預けた。

「『アクア』は確かにアンドロイドの目に使われている。でもね、『アクア』はアンドロイドじゃないから、アンドロイド定義を書いていない。定義がないってことはアンドロイドとして動かないってことだろう? 青いってこと以外の意味はないんだよ」

「じゃあ、どうして、よりにもよってロイドに使ったのよ?」

「先輩は、単に瞳の色として使ったんだ。反応回路だって知らずに、『ちょうどいい大きさと色だから使った』んだってさ」

(技術畑の人って……)

 ルージュはソファに沈み込んだ。

「色だけなら、わざわざこのアクアを使わなくてもいくらでも作れるじゃない」

「うん。先輩の本当の狙いは」

『空也。お話中、申し訳ありません。お客様です』

「客? そんな予定はないはずだけど……アクア、映して」

『はい』

 白い壁に、先程通ったエントランスが映し出された。

 十歳くらいの少女がこちらに向かってにっこり笑っている。赤い着物には艶やかな黒髪がまっすぐ伸び、お人形を思わせる美少女だ。

小百合さゆりちゃん!」

(誰が「女性の知り合いはいない」よ。いるんじゃないの)

「かわいい子ね。彼女?」

 ルージュは冷たい視線を空也に送った。

「ちょ、違っ。アクア、小百合ちゃんは何の用だって?」

「事故に関することでお話があるそうです」

 ルージュと空也は顔を見合わせた。

「外に出てほしいって?」

「いいえ。中でいいそうです」

「なら会うよ」

「クウヤ?」

「応接室を借りよう。アクア」

「ク・ウ・ヤ。誰なのか聞いてもいいかしら?」

 ルージュは出来る限り普通の調子で言った。

「白石家の娘さん。なにかと理由をつけては来るんだよ。断るにも断れなくって。今日はうまく病院から出られたと思ったんだけどなぁ」

(白石家といえばホワイトストーン病院の元締めだわ。AQAの大口取引相手の娘を、邪険にはできないわよね)

 なぜかルージュはほっとした。

「お見合い話とか出るんじゃないの?」

 冗談だったのだが。

「もうしたよ」

 さらりと答えられ言葉を失った。

(それってアレ? 結婚を前提としたお付き合い、両社公認のカップルってこと? ふぅん、それは出会いなんて必要ないわよね。ふうぅん)

『空也、もうすぐ上原社長と面会の時間ですが』

「検査結果を報告するように言われてたんだっけ。今の話を聞いて、僕も先輩に聞きたいことができたのに……。うん」

 空也が迷ったのは一瞬だった。

「ルージュ、君、先輩と話したいよね? 悪いけど先に話しといてくれないかな。僕も後から行くからさ」

 噂の社長とはもちろん会ってみたい。

「私はいいけど、いきなり私が会ってもいいの?」

「いいよ。先輩も事故のことを聞きたいと思うんだ。僕に話したことを、もう一度先輩に話してほしい」

 アクアはすでに応接室を手配し、上原にも事情を伝えたようだ。

「先輩もぜひ会いたいって。先輩の所へは直通のエレベーターがあるんだ。途中まで一緒に行こう」

 立ち上がりかけて、ちょっと待って、とルージュはソファに座りなおした。

「せっかく淹れてくれたんだし、飲んでから行きましょ。少しくらいなら待たせてもいいわよね?」

 空也も嬉しそうに腰をおろすと、ちょうど飲みやすいくらいに冷めたお茶を口に運んだ。
 ルージュにとっては予想通りの味だったが。

「おかしいなぁ。買うときに味見したのと違うよ」

「初めて淹れたからよ。良かったら今度、お茶の淹れ方を教えてあげる。お勧めのお茶もね」

 そして全部飲み干した。
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