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はずれ

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 ナルさんの寝かしつけをしながら、窓の外の月を見る。それから、今日のアッサム様の話を反芻した。
 貴族の社会で本当に原石がへりくだる必要があるのならば、ファイさんのお作法レッスンで私はそれを習うはずだ。私の知る範囲だけれど、社交の場のあれこれは、リオネット様が出ていた。それから、そのうち私も出る必要があるからとお作法を叩き込まれていた。
 アッサム様は?
 その様な会に出ていたと聞いた事は無い。それは、試合があるからだと思っていたけれど、今日の様子からだとそうでは無さそう。

「我が君」
「眠れない?」
「その輝く瞳の憂いの理由を聞かねば、死んでも死に切れません」
「いや、死ななくていいから」

 それでも少しは眠さが出てきているのか、声が少し掠れていた。

「今日お庭でアッサム様に会ったの。アッサム様は私をちゃんとナルさんの恋人だとは思ってくれたんだけど、なんだか妙に謙り過ぎる様に思えて」
「左様で、ございましたか」

 うっとりしながらのガン見。ナルさん目力強いから、毎回無駄にドキドキする。

「それは、アッシャーに直接お尋ねに、なられるのが良いかと」
「そうかな」

 意外にも、話し始めてすぐナルさんは寝息を立てた。結構究極に眠かったんじゃん。

「ありがと。そうするね。おやすみ」

 ここで間違って私も寝てしまうとマズイので、そう声をかけてから自分の部屋に戻った。

 アッサム様が自領に戻ってたのに驚いたけれど、良く考えればおかしくは無い。諸侯は王都と自領を行き来しているが、通例として役職を拝命している貴族は王都にある事が多く、御隠居様や息子、場合によっては弟や妻が自領を切り盛りしている物だ。マンチェスター家ではリオネット様が役職を頂いているので王都に居を構えていて、これまでは義父達が自領をみていた。義父達が自領を見る立場を失ったのだから、アッサム様にその役割はスライドするはず。
 それで、ご挨拶とかなんとかで今日サンダーランド家に来ていた……と考える事ができた。

 そうなるとアッサム様はこれから自領にずっといる事になるのだろうか?

 一応マンチェスター家の一員のはずなのに、全くどうなってるかか知らなくて、少し寂しく思う。それは、アッサム様のあの言葉のせいでもあるのかもしれないけど。

 翌朝、ナルさんに確認すると試合で数日空けていた分の仕事は終わらせており、マンチェスター家とのやりとりつつがなく終わっているとの事。ナルさんのお父様は王都にいて、サンダーランドの都と領全体のあれやこれやはナルさんが取り仕切っているそうだ。
 ただし、こちらでは長老院という歴史の長い行政の補助をしてくれる人達がいるそうで、日々の雑務にはそれ程手を割かなくても良くなっているのだとか。ちなみに地方はナルさんのご兄弟も活躍されてるそう。

「我が一族は鍛錬や芸事、学業等文武両道である事が必須ですので、そのため他所より誇り高き機関を作り上げております」

 との事。

 そんな訳で、大森林に行く事が思いの外早く叶った。

 森にはいくつかルートがある。資源を集めたり、有事の際の緊急路としてある程度整備や見回りが行われているルートだ。どこかへ続く訳ではなく、入口の出口がほかの入口になっていたり、必要な距離までしか無い行き止まりの道もある。

 今日はまず、その道を進んでみる。見慣れた景色や、動植物が有れば万々歳。無くて元々。整備されたルートはそもそも動物達と棲み分けがされた後なので、エンカウントも少ないそうだ。
 兄様がそんな所の近くに住んでいるとは思えないけれど、逆に欺くためという場合や、こちらの挙動を知るために何かしら感知できる結界はあるかも知れない。

 そもそも、ルートを外れて歩くには私とナルさんだけではパーティーとして危ういとナルさんは心配していた。
 ナルさんも白魔道士無しでは念の為踏み入れない様にしてるのだとか。

 ナルさんがお仕事で行けない日ももちろんあったが、数日かけてかなり入念に森を調べた。調べれば調べるほど、その手応えは確信に変わっていく。

「ここじゃ無い、と思う」

 通れる道のほとんどを調べ尽くして、更に空の上から見ても、私が過ごしたあの場所は見つからなかった。

「ぼくもそう思うかな。ここの葉っぱの魔力の匂い、知らないのが多かったよー」

 アンズも同意見らしい。ならば、他を探さなくては。

「時間をとってもらったのにごめん」

 ナルさんに謝ると、彼はいいえと言った。今日の森からの帰りの私の反応から、察しはついていたのかもしれない。森中を探している間、ナルさんは不平はもとより、ずっと私を励ましていてくれた。それなのにと申し訳なく思う。

「お探しの風景を表すためにも必要な事でした。それに、一箇所候補が減ったのですから。次はどちらに参りましょうか?」

 そして、イソイソと地図を出してきてくれた。

「ナルさん、次は一緒には行かないよ?お仕事あるでしょ?」

 ナルさん地図を落とす。

「……それは承服致しかねます。我が君はお強いですが、どれほどお強くても森は獣の領域。危のうございます」
「前から訂正しようと思ってたんだけど、私の方が弱いよ」
「まさか!」
「いや、本当に。忠誠とかなんとかあって、見たくない現実かも知れないけど、私が勝ったのはあの闘技場のあの条件の時だけ。それもナルさんが棄権したからだし。なんなら今から手合わせしても構わないんだけど」

 ナルさんの顔色が一瞬無くなった。その後、何故かいつもの切ない様な悲しげな表情になった。

「……カリン様は何があっても私の主人です」

 絞り出す様にそう言って、「本日はこちらで失礼します」と言って、彼は部屋に下がった。

「カリン、今のはちょっと酷いよー」

 その後をアンズが慌てて追いかけて行った。
 ほわい?

 多分だけど、ナルさんだって気がついてるはずだ。大森林に出かける時間以外では、一応鍛錬場で日々のルーチンくらいはやってたし、彼はそれを見ていた。アッサム様の足元にも及ばないのだから、流石にどの辺りのレベルかはわかるだろう。
 強くも無い。美しくも無い。望まれてできるもんなら、彼の主人にあたう人間になってあげたいけど、さ。彼の鍛錬の様子も見せてもらったり、お仕事も邪魔にならない範囲で見せてもらったりもしたけれど、ナルさんはナルシストであっても仕方ないほどに優秀だった。見た目も美しく、やる事も美しく、そして成果を出す。ついでに優しい。なんで、私なんかを主人に選んだのか。

 夕日が落ちて、だけどまだ暗くなる前の庭に出た。ナルさんから借りた地図の西を沈んだ太陽の方に置いてみる。異世界だから、正確には西でもなんでもなく、ただ日の沈むべき方向って意味なんだけど。

 地図の南は大きく大森林が描かれており、北は魔王の住まう未開の砂漠、西と東は山脈になっている。西は山の上が白く描かれており、東の山の裾野は森が点在している。西の森の方が少し広そうだ。

「次は西かな」

 私は地図を指で触る。進むにしても、一旦は王都に戻らなくては。情報も集めたい。
 不意に地図に夕日で長くなった影がかかった。

「また、お会いしましたね」
「ひゃっ!」

 またアッサム様?

「こんばんは、まさかこんな時間にお会いするとは」
「こちらのセリフですよ。姫君に夜風はまだ身体に触る季節です」

 毎度毎度だけれど、この爽やか青年は誰だ。

「ナルニッサ様はお部屋にいらっしゃるはずです」
「ええ、今日は手紙を……兄からの手紙を持ってただけですから。伝書鳩です」
「強くて早いハトですこと。安心ですね」

 ふっと、アッサム様は笑った。

「……何となく、貴女に会える気がしました」
「何かお尋ねになりたい事でも?」

 自分で言っときながら、そりゃ聞きたい事だらけでしょう。謎過ぎる不審者なんだから。

「分かりません。少し不思議な事をおっしゃってたのが、気にかかってるのかも知れない」
「少しも不思議な事は言ってないつもりです。今でも、勇者候補……、将来的には魔王と戦って、国を守ってくださる方で……、原石風情などと言う言葉は相応しくないと思っています」
「やはり、不思議な姫だ」
「世間知らず、と仰っていただいて結構です」

 是とも非とも答えず、アッサム様は今度は立ち去らずにこちらに来た。前回より少し近い距離に。

「私は原石です。平民でありながら、貴族並みに魔力の素質を持っていました」

 そうですよね。という意味で頷いて返す。

「貴族並みの魔力しか無いんですよ。それなら、他の素養……才能や、教養、後ろ盾のある貴族の方のほうが身分は上です」
「それでも勇者候補の一位なら、あなたが勇者としての務めを果たすのでは?」
「果たしますよ。その代わり貴族の身分にありながら、他の貴族の仕事……ナルニッサの様な芸事や治政、社交などの『雑事』はほとんど与えられません。貴族並みの魔力があり、貴族の素質は無い。だから、全てを剣術にかけて生きています。そうすれば、『雑事』を行っている貴族より秀でるのは当然です。だが……」

 しん、とした空気が流れた。

「勇者候補にはカリン、私の弟もいる」
「え?」
「私の義理の弟で、原石の召喚者です。魔力の素質は彼の方が高い」
「でも、先日の試合では勝たれたのでしょう?」

 というか、永遠に勝てる気配は無い。

「もちろん。これからも負けませんよ」

 アッサム様は破顔して、こちらもほっとした。

「ただ、それは俺がカリンの力量や適性を知っているからで、『普通』の貴族には……、それこそ俺の兄やナルニッサレベルでないと分からないんですよ。俺の魔力が本当に優れていたなら、養子になった後でも召喚の時に兄やカリンで無く俺が召喚されていたはず。原石は貴族になった後も召喚され得ますから。つまり俺の魔力は大した事が無く、ただ修行の時間があっただけ。そう普通の貴族は思うはずなんです」

 いつの間にか、さっきの破顔から苦笑に変わっていた。

「何故笑うんですか。馬鹿みたい。大した事が無い?なら他の貴族が担うべきでしょう。百歩譲っても他の方がアッサム様に勝ててから言うべき事では無いですか?最も、やる気を無くす事を匂わす様な人を相手にしなくてはいけないのは心底同情いたします……わ」

 ちょっと怒りが勝って、深窓の姫君設定が遠ざかってしまった。慌てて語尾で修正するも失敗した感。

「それに、リオネット様はその雑務とやらもなさっているのでは?」
「リオンは帰還人です。魔力が高く、召喚で帰ってたという事なので、推定貴族……恐らく貴族の胎児が彼方に流れたのだろう、という事になります。記録を元に『恐らく』マンチェスター家の実子であろう、と」

 開いた口が塞がらなくなった。

「リオンもカリンもどちらにしても天に選ばれし才能です。だから、2人とも雑事をこなしても天からの仕事はできる、と期待されています」

 はぁ?はぁ?はぁ?

「……いっそ、そこまでいけば期待されない方がマシかも知れないくらい、無茶な要求です、ね」
「ええ、ですから無難に貴族にはあの様な対応にしてます。それにしても、貴女は予想外だ」

 そりゃ、当事者ですし。

「……ナルニッサが羨ましいな。俺は貴女の名前も知り得ない」
「私の名前なんてものの数にも入らないので、お気になさらずに」
「……また、会えますか?」
「ご縁があれば」

 私は仮面をしている。仮面には玻璃が入っていて、アッサム様からは私の目が見えないはずだ。
 だけど、彼はまっすぐ私の瞳を見ていた。
 どうしてか、視線が外せない。その静かな時間に気まずさは無かった。

「……日が落ちました。部屋にお戻りください」
「え、ええ。失礼します」

 彼の瞳が緩んで、ようやく私はスタコラ部屋に退散できた。なんとなく、なんとなくだけど不味い気がする。もう仮面娘で会ってはいけない気がする。
 その一方でカリンでは聞けない事を聞ける手段にも思える。
 聞きたい事はまだあった。確かに常日頃の様子を見ても、気にしているとは思えない。だけど、試合の時、心の中に見た汚泥の様なアレ。
 本当に貴族のしがらみを気にした無いのだろうか?心の奥底から納得してるのだろうか?

「アレはなんとかした方が良いんだけど」

 見開みひらきはどんな相手でも出来る。でもアレを取り除くにはもう一歩は近づかなくてはならなくて。
 先が思いやられて、私は息を吐いた。
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