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 仕事の引き継ぎには数日かかったが、ようやく王都にもどる日になった。
 待ちに待ったこの日、リオネット様も今回は味方です。

「王都に戻りますが、カリンは魔力をセーブ中なのでアッシャーの騎獣に乗ってください」
「我が君でしたら、私が索冥でお連れする」
「いえ、索冥では早すぎます。今はカリンの各種耐性がアップされては都合が悪い。それらは維持だけで魔力を使ってしまいますから、なるべくゆっくりと向かった方が安全なんですよ。私はあちらの仕事がありますし、あちらではカリンの部屋の隣にナルニッサの部屋を準備している最中です。なのでナルニッサにも仕事がある。アッシャーが一番時間に融通がきくので、アッシャーが適役です」

 流石です。リオネット様。これで旅程の間、アッシャーは私から逃げられない。
 ナルさんは私の隣の部屋と言う言葉に釣られてくれたみたいだし、ちょっと心配だった当のアッシャーの拒否も無さそう。

 ……ナルさんが隣の部屋だって言うのは初耳ですが。

 リオネット様達はびゅんっと飛び立って行って、私はまんまとアッシャーと二人きりに。

「……おい、カリンの部屋の隣って使用人用の部屋だろ?あそこ、音筒抜けじゃなかったか?」
「一応、ファイさんのご配慮で音が通る穴は埋めてもらったんだけど」
「改装が、その穴の撤去か再建かで意味変わってこねぇ?」
「……撤去と信じてます」
「あの二人だぞ?まぁ、そん時はまた埋めるか」

 アッシャーはため息をついて私を騎獣に横座りで乗せ、それから自分も乗るった。

「アッシャー、私、自分で乗れるよ?」
「あ、わりぃ、つい癖で」

 癖?
 騎獣は前回と違いゆったりと浮上している。

「カリンはソフィアといっこしかかわんねぇから、つい、な。前は良くこうやってソフィアを乗せて散歩してた」

 以前私と飛んだ時と違って、揺れもせずに優しい飛び方だった。横座りでも怖くない。アッシャーは左手で大事そうに支えてくれている。私には必要が無いのに、これも癖なのか。義妹のソフィアさんはマンチェスターの城の肖像画で見たことしか無いが、私とは正反対の容姿……、華奢で可愛らしく、それこそ本物の深窓の姫って言う感じだった。

「……私はこっちのほうが落ち着く」

 アッシャーの支える手をぐいっと押して、前向きに座り直した。嫌な感情が私にまとわりつく。

「なんか怒ってるか?」
「そうだね、ちょっと」
「言わなきゃ分かんねぇぞ」

 そっくりそのまま言い返したい。

「アッシャーが私を見てないから」
「は?」
「私の向こう側に、ソフィアさんやアッシャー自身を見てるから、少し寂しい。こないだから変だよ。私の事見てないのに、私を過保護にして。困ってるのはやっぱアッシャーじゃない。アッシャーが困ってるなら、私だって力になりたい」

 背中のアッシャーは黙ってしまった。正直このままずっと着くまでと言うのは、気まずすぎて嫌なんだけど。

「……カリンだって俺らに言ってねぇ事あるだろ」

 なんですと?

「なんのこと?」
「元の世界の家族と離れてまで会いたい兄貴の事とか、話したくない事、あるだろ?」

 え?

 驚きすぎて思いっきり振り返った。そしてバランスを崩して……、落ち、る?

「お、お前、落ちるだろ?!何考えてんだよ!」
「ご、ごめ……」
「大人しく、横座りにしとけよ」
「はい」

 びっくりした。落ちかけた事より、アッシャーの表情。泣きそうな、辛そうな、そんな顔から一瞬で、いつもの顔に戻った。私がさっき少しソフィアさんに感じたような感情を、アッシャーも感じてた?

 途中、泉のある場所で一旦休憩を取る事になった。顔を洗うアッシャーにタオルを手渡す。

「……さんきゅ」

 いつもはもっと余裕がある彼は、なんだか拗ねた様な気まずげな様子に見えた。危うさを持った少年らしさが感じられて、今この機会を私は逃したくない。

「あのね、アッシャー、私の、向こうでの話していい?」
「なんだ急に?」

 気まずげな空気を変えたいと、彼も思っているのだろう。私の提案を頼り甲斐のある兄として聞き入れようとしている。

「重いかなーっと思って言ってなかったけど、アッシャーが平気なら聞いて欲しい」
「重いってなんだよ。重い訳無いだろ」

 ぐいっと頭を引き寄せられて、私は彼に抱かれた。アッシャーは私を勇気づけるためにしたんだろうけれど、聞こえる彼の鼓動は正直で凄く緊張しているのが伝わってくる。
 アッシャーは騎士様だ。理想の王子様でお兄さま。その仮面はハリボテでできている。

「私ね、あっちで親がいなかったの。こっちみたいなスラムじゃ無くて、親がいない子ばっかりが暮らしてる施設で育ったんだよ。そこは、多分悪い場所じゃなかった。先生も同じ様な子達もみんな、それなりに嫌な事はあったけど、何も困る様な場所じゃなかったと思う。でも、3年もこっちに来てから戻ったら、そこは居場所とは感じなくなっちゃってた」

 驚いてる表情になった彼に、私は笑顔で返す。

「誰かが悪かったんじゃ無いし、私もあちらで馴染もうと頑張った。でも、こっちの兄様の事を思い出す事が多くて、夢にまで見る様になっちゃった。それから、それを繰り返すうちに兄様がこちらで話していた言葉が急に分かったの。それは、『後数年もすれば兄様達が死ななくてはいけない』って意味だった」
「はぁっ?!」
「ってなるでしょ?だから、こっちに戻ってきたんだよ。何か兄様の住む森に大きな変化が起きて、多分ニュアンスだと5年かそれくらいで兄様達は玉砕する様な戦争の様な事が起きる、そんな感じだった。だから、私は兄様を探してるの」

 予想外だったのは、私に家族がいなかったからか、それとも兄恋しさに来たのでは無かったからか。両方かもしれない。

「……なんで、それ早く言わねぇんだよ?」
「初めはアッシャー達を利用するだけしたら、さっさと一人で探しに行くつもりだったからね。でも、アッシャーもリオネット様も後回しにせずに兄様探しを手伝ってくれてる。ちゃんと家族として、最善を尽くしてもらってる。だから、そんな事言ったら重いと思って言えなくなっちゃった」
「重くねぇよ」
「うん、だから今言った」

 アッシャーはいつもの顔では無かった。辛さと恥ずかしさ、それが混ざった顔。多分、仮面の娘用の爽やかな仮面と同じような、わたし用にもつけていた仮面が、剥がれてきてる。

「なんか、悪かった。駄々こねたみたいで、かっこ悪りぃ……」
「かっこ悪く無いよ。アッシャーはそのままで充分かっこいい。私は、今の表情のアッシャーが好きだよ」
「なっ!」

 絶句して、慌てて表情を取り繕おうとして、彼は失敗した。真っ赤な顔で顔に右手を当ててる彼の頭からは湯気が出そうだ。

 その手を優しくとる。

「アッシャー?私もあなたの事が知りたい。何からあなたは逃げたかったの?」

 ビクッとした彼の手を私の頬に当てて、手で包む。冷えた指先が温まる様に、彼の心も溶かしたい。

「あ」

 泣きそうなそんな顔。

「悪りぃ、こないだ俺のここの問題片付くとか言ってたけど、失敗した」
「うん」
「目の前に現れそうになって、俺は……、逃げた」
「うん」
「アレを叩きつぶチャンスだったのに」
「逃げて良かった」
「え?」
「アッシャーの心の中にいるんでしょ?それはアッシャーの一部だよ。私はたとえ一部でも貴方の心が叩き潰されなくて良かったと思う」
「俺の……、一部?」

 ドロドロした汚泥の様な澱は内側から溢れていた。無理をして、取り繕って、その結果生まれた物なら、あれはアッシャーの一部だ。アッシャーの、何某なにがしかの罪の意識に巣食う、アッシャーの弱さ。
 アッシャーは自分の心臓に手を当てて、呆然とした。それから、その瞳から雫が溢れた。

「っ」

 流石に見られたくないだろうと、私は座り込んだアッシャーの頭を膝立ちで抱きしめて、彼も私を強く抱き返してきた。

 アッシャーは凄く不安定だったんだ。それを色んな仮面で覆い尽くして生きていて、こんがらがってる。根本に何かはあるけれど、まずはアニマルセラピーなスキルでそこを癒した方が良いかも。
 アッシャーを慰めていたのはどの位の時間だったのか、分からないけれど少しずつアッシャーの小さな震えはゆっくりと止まった。大丈夫。ゆっくりと私達はそれを解いていけば良い。急がなくて良い。

「アッシャー?」

 そうやって、見開の提案をしようと声をかけたんです。ええ、これっぽっちも下心は無かったんです。直前までは確実に。

 でも、ひとしきり泣いた後のアッシャーの、赤い目をした少し呆けた顔に強い衝動が沸き立ち、私は彼の口に唇を重ねてしまった。

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