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 ただ、その声は悲しみが含まれている。
 意識は残っている?それならここを離れる訳にはいかない!

「アッシャー!」
「無駄よ!むだむだぁ!」

 再び奇声の様な笑い声がホールに響いた。
 アッシャーが両手で彼女の頬を包む。それはまるで壊物を持つ様に、そっと。

「……悪かった。約束破って」

 小さな声は私にも届く。約束?

「きゃあ!」

 目の前で、ソフィアさんはアッシャーに取り押さえられた。

「リオン!捕縛だ!」

 返事より早くソフィアさんは捕縛の魔法で縛り上げられた。
 でも、その必要が無い位、彼女は呆然としている。

「どう言うこと?アッサム兄様には、ちゃんと加護がかかったのに」
「加護はかかったよ。だが、俺は色香のスキルも耐性もある。応用して、お前への想いの出力下げたんだ。ちょっと手間取ったがな」
「そんな事……、魔力をどれだけ使うか……」
「お前が受けた怨嗟の回数は1回かせいぜい2回だろ?俺は3回受けてる。俺の魔力の方がつえぇよ」
「っとに、無茶をする!アッシャー!ちなみに私の方がそれでも魔力はもっと上です。さっさと加護を解きますよ!」

 リオネット様はアッシャーの加護を簡単に解いてしまった。

「そんな……」

 ソフィアさんは青くなり、絶句した。呆然とする彼女にリオネット様は何かの魔法をかけた。

「クラリスの魔力を受け継いだ訳では無くて助かりました。残念ながら貴女は今の私の足元にも及ばない。クラリスは私が精神的に弱めていたから、運良く貴女が降ろせただけです。力ない可哀想な貴女はとんだ勘違いをしましたね」

 彼女の目に憎悪が宿る。

「ああ、怨嗟を求めても無駄ですよ。今、怨嗟の元と繋がる道を切りました。最近、ようやくこの魔法を編み出したんですよ。これで魔力を受け取る方法は無い。……、その今持っている力も手放すならば、命だけは助けて差し上げますが?」
「白魔道士の加護持ちが、私を処刑するとでも?」
「アッシャーから勇者の加護を消せる私が、未だに白魔道士の加護を返上してないとでも?」

 え?

「あ、これも最近開発したばかりなんです」

 リオネット様……、そんな軽く……。

「あなたは、……あなたはいつもそうね。私はあなたが許せない」
「許さなくて結構です。生き恥を晒す位なら死にたいと言う覚悟ができないのも知ってるんですよ。さぁ、魔力を手放してください」

 ぎっと睨んだソフィアさんは、その目に涙を溜めていた。

 リオネット様の言う通り、愚かなのかもしれない。それでも、リオネット様への憎悪が半端で無く、違和感があった。
 アッシャーが好きで、私とアッシャーについての盛りに盛った小説を読んだなら、その憎悪は私に向くのではないか?何故作者とはいえリオネット様がここまで恨まれているのか。

「リオン、ソフィアと話をさせて欲しい」
「いい加減にせぇよ」

 アッシャーが口を出して、それを雨情が静かに止めた。雨情の声には怒りが含まれている。

「お前の元婚約者なんやろ?ここで情けを見せるんは、あかんやろ」
「それでも俺のせいで怨嗟を受けたんだ。謝罪はしておきたい」

 何か、おかしい。釈然としない様な。

「カリン、取り込まれてはいけません!」

 え?と思い、ソフィアさんを見た。彼女はニヤリと笑って、ズズっと意識が混じる。

『あなたも甘い人なのね。クラリスと同じ。どうせ私は死ぬか力を奪われるかなの。ついでに貴女も力を失ってもらうわ。そしたら貴女、死ぬんでしょ?死んだら、リオネット兄様もアッサム兄様も苦しむよね?!それで充分だわ!』

 意識が曖昧になっていく。彼女の求めた力は加護と、それから意識の融合させるような力なのか。それは、なんて、寂しい望みなんだろう。

 人を倒したいでも、人から身を守りたいでもない。
 ただ、人と魂を触れ合わせる事。拒絶されない事。
 それを求めた理由は?

 知りたい。

見開みひらき

 意識の主導権を握られる寸前に、私は自分の意思で彼女の中に飛び込んだ。



 小さなソフィアさんが見える。幼い、三歳になるかならないか位。それでも美しい容姿をしていて、城に飾られていた無表情の絵の何倍も可愛い。

『この子は天才だ』
『知能が高く、運動能力も素晴らしい。……惜しいな。この子が男の子ならば。可哀想に』

 周囲の声は両親か、親戚か。彼女は意味を理解していた。

『お父様。サルフォード地域の書類が落ちていました』
『ありがとう。ソフィー』
『報告では、犯罪率が高いと。それらは貧困によるものです。交通網を整備すれば立地は悪くありません。人の教育さえ……』
『ソフィー、それは家を継ぐものである男子が言うような事だ。大丈夫、お前には賢く聡明な夫を見つけてくるからね。マンチェスターをうまく収められる様な。そして、良い子供を産むのが、お前の仕事なんだよ』
『……、私が大人になるまで、その地域の子供は苦しまねばならないのですか?』
『ソフィア!』
『出過ぎた真似を申しました。ごめんなさい』

 話す彼女は五歳位にしか見えない。慈悲深く、聡明な彼女。

『ああ、なんて事、魔力が低いなんて。魔力が強い貴族の男子は生家を継ぐ。魔力が弱い男子しか婿には来ない。それでは家が潰えてしまうのに。可哀想に』
『まだだ、10歳までは魔力が増える事もある。魔力が上がると言う薬や全ての民間療法を試そう』
『でも、あなたそれらは効果が怪しいと言うのに副作用で身体を弱めるとも』
『うちには男子がいないんだ!仕方が無いだろう。だいたいお前がソフィアを産んだ時に……』
『お父様、お母様、私も魔力は強くなりたいです。頑張るから喧嘩はなさらないで……』

 彼女の思い出はあちこちに散らばっている。振り返ると伏せっている彼女。薬が身体を蝕んだ事が分かった。

 可哀想に。可哀想に。そんな声があちこちから聞こえて来る。
『あの穢れた一族め!誰もソフィアを見初めないとは!』
『魔力の高いナルニッサ殿に見初められれば希望はあったというのに。可哀想なソフィア』

 マンチェスターの家の中で、ソフィアは物か憐憫の対象としてしか見られていない。苦しみの中ですら、可哀想の声は止まらない。
 それが突然止んだ。

 少年とソフィア二人きりの世界が現れる。

『俺は、悪い事をしたんだ。だから、君の様な子の夫には相応しく無いとおもう』
『アッサム兄様は、可哀想、なの?』
『可哀想だと言ってくれるのか?』
『泣かないで、ソフィアがずっと側にいてあげるから。だから、ずっと側にいてね。可哀想なアッサム兄様』

 どこか目が空な少年はアッシャーだ。そのアッシャーをソフィアが抱きしめている。

 歪で穏やかな空気はすぐに消える。今度はアッシャーとは違う少年の声がする。

『サルフォードは、交通網さえ整備すれば収益化すら容易いですね』
『素晴らしい、リオネット、流石我が血筋だ』
『アッサムの褒美はまだ決まっていないなら、生みの親がそこ出身とでも言って開発すれば良い。そうすれば、掌握もできます』

 場面にリオネット様が加わった。でも、この話、さっきソフィアが言っていた話だ。

 また場面は移ろいで、リオネット様とアッシャーが二人で話している。ソフィアは物陰に隠れていた。

『……君の褒美なのに、君の希望は聞かないなんてバカバカしい。あいつら、君の事なんて何も分かってないし、わかる気もないね。……あたしは君の罪が何か知ってる。2回も力を求めるなんて危ない事をするね。……怖いでしょ?助けてあげる。でも、その代わり、君はあたしが道を踏み話さない様に見張るんだ。良いね?アッシャー』
『分かった、リオネット兄さん』
『あたし達は今日から運命共同体だよ、リオンって呼んで。アッシャーは、あたしの特別。あなたの正義とやってきた事、両方共とても……良い』
『リオン、ありがとう』

 リオネット様とアッシャーが近づく、何か深い繋がりが感じられる。
 ザワザワとした予感がして、ソフィアはアッシャーを捕まえた。

『私、リオネット兄様好きじゃない。最近アッサム兄様はリオネット兄様にかかりきり』
『俺達の大切な新しい兄様だよ。それにソフィー、俺が新しい兄弟に夢中になっても、だからって俺達が小さな頃の出来事が無くなったりはしない。俺にとっては大事な妹には変わらない』

 所々で、それでもアッシャーとソフィアさんが騎獣で散歩に出たりする景色も見えた。ただ、それも成長をするアッシャーは次第にソフィアさんの目を見ないようになって行く。

 知っているから、私には分かる。寂しさを埋めたいソフィアさんとアッシャーの恋心はすれ違っている。

『アッサム兄様!どう言う事?!ナルニッサさまに勝ってしまうなんて!そんな事したら、勇者に選ばれてしまう!』
『リオンが白魔道士で、俺が勇者だ。魔王を倒すよ。そうすればこの家は安泰だろ?』
『死ぬかもしれない!それに、勇者は聖女と結ばれる!』
『……俺は聖女とは結ばれねぇよ』

 アッシャーは、この時点でもう女王の事を知っているんだ。でも、ソフィアさんは知らない。

 王都に場面が移った。季節と二人の様子から今から一年程前の事だと分かる。

『お前は、好いた奴と結婚すれば良い』
『嫌よ。私はアッサム兄様が好きなの』

 アッシャーはこちらを見もしない。歓心を買いたくてソフィアは笑っている。けれど、心はズタズタだ。
 口にしない心の声が、私にははっきり聞こえた。
『魔力が無く、無駄に頭が良い出過ぎた娘を選ぶ貴族はいないのよ、アッサム兄様。穢れた血筋からも選ばれず、どうにもならなくて原石をあてがわれたのに反故にされた私の扱いは社交会では平民に婚約破棄された笑い物でしかない。そんな環境で、私に好きな人が何故できると思うの?いいえ、私がそんな立場だなんて、アッサム兄様は知らないわね。だって、もう興味すら無いんだもの。嘘つき。私はアッサム兄様でないとダメなのに。可哀想なアッサム兄様が側にいないと』

 そして場面は野外訓練の日の夜に。
 あの夜アッシャーはカリンを抱いていた。

『何故ここにいるんだ、ソフィア?』
『アッサム兄様が結界の外に居たから、意識を飛ばしてきたの』
『会いたかった』

 ずっと避けられて、辛かった。一目会いたくて、身体に負担がかかると禁止されていた魔具だったけど、ようやく手に入れられたの。

『来月の試合には観戦に来るんだろうが』
『いじわるね。……お父様からの提案断ったって聞いたの。何故?』

 討伐前に結婚してくれれば、その後離婚されても良い。一度で良いから、手に入れたかった。嘘でも良いから、愛して欲しかった。

『俺は魔王討伐に出る。お前の夫にはなれねぇだろが』
『新しい勇者候補が来たって聞いたけど?』
『俺の方が強えよ』

 知ってる。いつでもあなたは強くて輝いてる。

『確かにそうね。……私は帰るまで待っても良いのに』
『父上を早く安心させろ』

 お父様は安心だわ。リオネット兄様がいて、勇者も輩出できる。勇者候補の片方は必ず家に残るから、家は安泰。お父様には愛人がいて、お母様はその寂しさを私を可哀想がる事で埋めてるわ。

『ひどい人。……あら?その子は?』
『新しい弟だ。今日は野外訓練を』
『眠りこけてて、ほんとにダメね。それに鈍そう』

 良いな、この子はきっと可哀想じゃ無い子なんだ。気持ちよさそうに眠ってる。

『俺の弟子の悪口はやめてもらおうか』
『私のアッサム兄様の胸で寝るようなバカは要らな……』

 アッサム兄様が、その子を自分の方に引き寄せた。無意識のその動きを私は良く知っている。それは、少し危ない事が起きた時、「女の子は弱いから」と私を守った仕草だ。

『ちょっと待って。この子、女よ』
『んな訳あるか』
『違う!女だ!汚しい女!』

 止まらない。最近ずっと強い怒りが止められない。助けて、兄様。私を抱きしめて、止めて!

 視界に、兄様が私を打つのが見えた。

『……今、弾こうとした?私の手を打つ気だった?』
『悪い、反射だ。他意はない』

《力が、欲しいかい?》と声が聞こえた。

『もし、仮に女だとしても、俺らが男だっつってんだ。外に広めるなんてバカな事はすんなよ。リオンの敵に回る事になる』
『つまり、あのリオネット兄様のせいね』
『女王陛下相手に口は慎め』

 もう、魔力は要らないの。アッサム兄様が欲しい。寂しくなくなる力が欲しい。

『……私は女王陛下なんて言ってないわ』

《じゃあ、あげよう。よく頑張ったね。僕に思いが届くほどに。君の魂が体に戻れば、すぐにでも僕が君に力をあげよう》

『大丈夫、誰にも言わないわ。アッサム兄様。私達の……大事な弟、ですものね』

 笑顔を貼り付けたソフィアの顔が、ガラスの様に割れた。心が壊れる時は一瞬でも、壊れ得るまでには十年以上あった事を私は知った。
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