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9とある町の治安隊

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 リードさんはクロノ様が奴隷を何人も解放していると言っていた。エラスノの船に乗っているメンバーには事情があって、誰も彼もをエラスノで受け入れる訳にはいかない。でも、クロノ様は私が邪魔にならないと感じたから助けてくれたのかも知れない。あれだけ賭け事に強いなら、能力だか資質だかで勘は鋭そうだし……あれ?

 洗濯をしながら、昨晩の事を思い返しているとエウディさんの事をずっと聞きそびれている事に気がついた。普通は奴隷が主人に業務上必要でないことまで聞く事はありえない。
 だからこそ、クロノ様は聞けば教えてくれる筈だ。何故彼に聞くという選択肢がすっぽり抜けていたのか。

 でも、と考え直す。本当に夜専用の相方とか言われたら、なんかモヤモヤする、気がする。いや、それならそうと知っていた方が遠慮も配慮もできていいのだろうけど……なぜか少し、胸の辺りの血流が悪くなるような感じがする。はて?

 特に変わりもなく、日々は過ぎていくけれど、一向に自分が依頼遂行能力が上がったとは思えなかった。料理もマンネリ化してきたように思えるのだけど、この船にはレシピ本は見当たらず、出身の島が違う彼らの家庭料理も作れない。

 本が欲しいな。海図の読み方とか、船の図面の見方とか。操舵の仕方自体は教えてもらった事を書き留めているから、実際に船自体は少し動かせるけれど、出航準備で三番目に動かすレバーがなんの役目があるのかなどは分からない。応用がきかなくて、結局、『使えない』のだ。

 町に降りるのは大体夜か、早朝の朝市の時間帯で、しかも知らない町や村ばかり。一応給料という名のお小遣いはもらっているけれど、流石に手間を取らせたく無くて未だに言い出せなかった。

 海の男三人と並ぶと華奢である自覚はあるし、実際町では何度か女性だと思われた事がある。知らない町の、女性が立ち入ってはならない所に間違って足を踏み入れては面倒な事になるだろう。

 そんなある日、クロノ様からリードさんと二人で買い物に行くように言われた。

「アルの体調が思わしくありません。感覚過敏が酷いようで、船から人払いをした方が気が楽だと言っています。申し訳ありませんが、タブレットが効いてくるであろう夕刻まで、船外に、出ていただけますか?」

 昨晩の新月の力が強過ぎた、と説明を受けた。リードさんは慣れた様子で、クロノ様はリードさんに町に不案内な私をよろしく頼むよう言い含めていた。彼は何かあったときのために船に残り、私達を降ろした後は沖まで一度船を出すそうだ。

「リードを、頼みます」

 多めの小遣いを私に渡しながら、クロノ様は小声でそうつぶやいた。

「はい、行って参ります」

 訓示外のハプニングがあった時の事だろうと思って、私は大きく頷いて返す。
 降りた町はあまり大きくなく、リードさんは良く知っている場所だと言っていた。が、しかし……

「あれぇ?」
「こちらでは無いみたいですね」

 リードさんの記憶力はいい。良いんだけど、興味のない事は覚えていないらしい。本は一瞬で覚えられるから、逆に小さな町で売られている本はすでに記憶済みであり、彼は本屋に用は無い。

 つまり、本屋がどこにあるか分からない。ご飯屋さんと、お菓子屋さんと、日用品店と、食べ物市場、それから娼館の場所しか記憶していなかった。

「うーん、この辺りにあるっぽいってアルバートさんが前に言ってたような?」
「リードさんも、うろ覚えってあるんですね」
「うう、めんぼくない」
「いいえ。なんでも完璧なので、少し安心しました。自分と同じようなところが見れたので」

 しょげているリードさんが少しは可愛くて笑うと、「そう?」と彼は嬉しそうに返した。

 お目当ての本屋をようやく見つけて、リードさんが新刊を立ち読みしながらインストールしている隙に本を選ぶ。専門書は少ないから、とりあえずレシピ本を見て、味を想像しながら自分とセンスの似ている本をいくつか選ぶ。

「リードさんは……どれが食べたいですか?あと、皆さんがお好きそうなのってありますか?」
「うーん、これとこれ食べたい。後、こっちは本拠地のある所だから、クロノさんもアルバートさんも基本の味だよ」

 基本の味……おふくろの味的な?脳内補完して、その二冊を買い、次はその本に書いてある初めて使う調味料を買いに市場に行きたいと伝える。

「じゃあ、こっちだよ!」

 通った事があるのか、脳内マップが歩きながら作成されたのか、リードさんは躊躇なく進む。なんだか、明らかに治安の悪そうな方向へ。

「リードさん……少し遠回りしませんか?」
「なんで?」

 今思えば、この時『待って』欲しい事を口に出せば良かった。リードさんには伝わらず、彼を捕まえるために追いかけた私と先に歩いていたリードさんは、がっつりそういう地域に足を踏み入れてしまっていた。

「はーん?お子ちゃまが、随分良い女つれてるなぁ?」

 グイッと首根っこを引かれ、奴隷タグを隠していたスカーフが落ちた。しかし、どちらかというと相手を見て驚く。私をホールドしていたのは、治安隊の制服を着ていた。

「おお、こいつ奴隷か。しかもブルーダグじゃあねぇか」

 仲間と思われる治安隊数人に囲まれて、だけど不穏な空気が感じられる。

「そこのちびすけ、こいつのオーナーじゃ、ねぇだろが?泥棒か?」
「違います!離してください!」

 タグは主人が手をかざすと反応がある。もちろんリードさんがかざして反応が出るはずはないけれど、奴隷本人が否定すれば泥棒は誤解だと分かるはずだった。

「いや、どうせ抜け奴隷と使用人だろが。奴隷は没収だぁ」

 にやぁっと男達が笑って背筋が寒くなった。

「離せよ。その子の主人から了解は取ってる。ところであんた達は本当に治安隊?」
「そうだよ!じゃあ、その主人とやらをつれてくるんだな、詰所まで」

 会話の意図が、多分噛み合っていない。リードさんは今、訓示の何か、公的治安を守る人への何かしらの対処をするつもりだろう。問題はその訓示を私は知らない。仲間を守るが優先されれば、リードさんは彼らを傷つける可能性がある。そして、リードさんが怒っている事がその、語気から分かった。

「リードさん、夕方ご主人様を詰所まで連れてきてください。私は高価な物なので、大きな損害は与えられないはずです」

 ですよね?とむしろ気遣うつもりで治安達を見やったけれど、彼らは嫌な笑みを浮かべた。

「まぁ、怪我はさせるつもりは無いがな。少し性能確認はさせてもらう。偽物じゃあいけないしな。逆らわなければ、怪我はしないだろう。少しお口は汚れるかもしれないが」

 ざぁっと血の気が引いた。性的ご奉仕はした事がない。なのに、主人でもないこいつらに口でやるとか、嫌すぎる。
 しかし、だ。このままリードさんが前科者になるはもっと困る。奴隷身分でむしろ今まで経験が無かった事が奇跡なだけだ。はぁっとため息をついて「仕方ありません」と了承した。

「口?なんで口が汚れるの?」

 そこでまさかの、男女の営み経験者のリードさんが首を傾げた。

「ああん?俺らの息子のお掃除をしてもらうんだよ」

 髪を掴まれ、耳を舐められる。息が臭くて吐き気がした。

「息子?」

 リードさんの顔色が変わったのは、私の扱いを見てなのか、それとも意味が分かったのか。

「息子だよ、む、す、こ。なんなら、ここで見るか?」

 男の手がズボンに伸びたけれど、その手は一瞬で側まで来たリードさんが抑えていた。

「それは、ダメだ」

 怒気は含む、顔色は赤を超えて逆に血の気が引いている。けれど、訓示では手を出してはいけない、となっているのかもしれない。
 男達は一瞬で側に来た事に多少驚いていた。それから、生業の本能でリードさんのヤバさを感じたのか、少し威勢が無くなった。

「あー、だが、このまま解放って訳にはいかんよなあ?だが、罰さえ受ければ見逃してやってもいい」

 取り出されたのは拳銃だった。

「これで自分の左手撃ち抜けば、解放、だ?」

 言ったが早いか、リードさんはそれを取って一切の躊躇なく左手に向かって引き金を引いていた。

「リードさん!」

 バチンッ。

「これ、弾切れ。補充して?」

「ダメです!何やってるんですか?後でクロノ様呼んできてください!そんな事しちゃ、ダメですっ!」
「ダメ?僕はサヤを安全にエラスノの船まで連れて帰るんだ。大丈夫。すぐ離してもらえるよ」

 さっきまでの怒りは全く見せず、まるでクロノ様のように穏やかに、リードさんは微笑んだ。

「え?クロノ?エラスノ、の?」

 投げ返された拳銃を受け取った人、つまり私を掴んでいた人がそう呟いた時には、その人以外は既に遁走していた。
 そうか、所属の名前、名乗れば良かったんだ。と気づいたのと同時に私は下に落とされ、その場には私とリードさんだけになっていた。

「あれ?いなくなった?なんで?」
「エラスノ、の、名前を、聞いた、から、です!」

 バカな事をしたリードさんに抱きつき、無事を実感した。なんて、恐ろしい事をする人だろう。

「サヤ?なんで泣いてるの?痛かった?あいつら懲らしめた方が良かった?」
「違います!リードさんの手が無事で安心したのと!リードさんが自分を犠牲にしようとした事に怒ってるんです!」
「なんで?怒るの?サヤは守らなきゃいけない。治安隊に手を出すのは最後の手段。ほら、合ってる」

 キョトンとするリードさんの顔を両手で挟んで、言い聞かせる。

「私はリードさんが私のせいで前科者になるのは嫌です。でも、怪我をするのも嫌です。悲しいです。それが私のせいだったら耐えられません。訓示とは別に、覚えておいてください。私はリードさんが怪我をしたり、危ない目にあったら、悲しくて、泣きます!」

「僕は……サヤが泣くのは、嫌だな」

 通じないかと思っていたけれど、リードさんはポツリとそう返した。良かった!伝わった!よくわからない感動のまま、もう一度抱きつく。

「今回は、エラスノの名前を出せば良かった。ですけど、それが思いつかなかった時の次善は、私が囚われる事だったんですよ。私が怪我を負わされることは無かったんです」

 リードさんはそれには答えずに私を少し強く抱き返してきた。
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