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20 フィフィさん

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 お店は閑散としていて、エウディさんはラッキーだといった。ここは主に馬車待ちの人が利用するそうで、帰りの馬車が混まないと確約された様なものだった。港町から外へ出る船の最終便はまだ先だからか、逆にこの時間程度から港町へは空いている。
 飲み物を買って、まばらな客席につくと、ちょうど馬車が来るのが見える席が空いていた。

「……執行日はね、告知無しで執るものなのよ。良からぬ事を考えちゃう奴もいるからね。悪用されてたら、ルルーは鎖を失ってたかもしれないの」

 甘めのフレーバーだけど、味は少し苦い。そんなお茶を飲みながら、彼は説明してくれた。
 長い髪を無造作に束ね、それからこぼれ落ちた髪の束は柔らかく巻いて風になびいている。シンプルな服は作業効率重視な簡素なものなのに、彼のいる場所一点だけがこの軽食屋では別世界に見え、少しドキドキする。

「彼も迂闊な方では無いんだけど、あたしの方が上手うわてなんだから反発しなきゃ良いのに」
「鎖を失うとは?」
「帝国の管理下から外れるって事。身分保障も無ければ、安定した給餌もままならないわ。帝国ここではマンイーターが食べるために人を殺せば問答無用で死刑だし、その死刑が私刑でも罪にならないからね。それに鎖の跡は消えないから、まぁ、社会的にも死んだ様な感じよ」
「そんな……」
「それより、あんたどうする?」
「え?」
「ルルー達はあんたの教育をルルーがやるつもりだったっぽいけど、さっきの様子だと別のお仕事が下ったみたいよ?デイノは職人系だから、教育課程に関して言えば壊滅的に先生に向いてないわ」

 確かに、デイノさんは手を動かす事は上手く教えてくださるけど、知識関係は見て覚えろタイプだ。

「あたし、教えてあげよっか?」
「え?」
「リードん時も教育課程では無いけど、先生役やってあげたのよ。言ってもあいつはほとんど暗記は自分でできたけど。街で実地訓練は、完全にあたしが手ほどきしたわ」

 リードさんの先生……。もしかして、アルバートさんが言ってたあいつが居るって、このエウディさんのこと?

「いいんですか?」
「もちろん。ただ、来週からの助っ人をデイノに申し出る時に少しお力添えをお願いね。丁度仕事が契約満了で困ってたの」

 両手を合わせてお願いされて、私は「もちろんです」と答えた。

 宿に戻りエウディさんがデイノさんに助っ人について話すと、彼女は少し訝しんだ。やはり、執行日が事前に漏れる事はあってはならなかったらしい。私は経緯を説明した。
 執行日は年に数回しか無い。満月にかからないその時期に事前に人を雇うと執行日がバレてしまう危険があるので、宿としては事前に周囲に分からない様に助っ人を雇うのは毎回苦慮していたらしい。
 当日に助っ人を雇う事がほとんどで、賃金も高く、雇えない日は寝ずの番が数日にもなる。今回は私の家庭教師として今日から雇い入れる体にできるし、リードさんで前例があるから、執行だとは思われないだろうとのエウディさんの意見にデイノさんも同意した。

 一般的な宿の仕事としてだけでなく、エウディさんの方が全てにおいて先輩だった。料理や掃除もソツなくこなし、当然知識も豊富。教え方も上手くて、人手もあるから勉強時間も確保できる。ひと月も無い期間なので、ダイジェストと勉強の仕方、それから万事屋に必要なところを重点的にお願いした。拘束具の使い方や、マンイーターの専門的な知識、教科書外の事もどんどん教えてもらえる。お陰様で満月の大入りの日も滞りなく終わり、執行日も無事迎える事が出来た。

 実地訓練は主に外、それも酒場が多かった。アルバートさんは心配していたけれど、一人では無いし、身につく事が格段に多かった。エウディさんは毎日色んな種族の人を紹介してくれたり、色んな海域の話を聞く事が出来た。それにそもそもとして、楽しい。

「サヤはなんで好きな人作らないの?分化したくない?」
「えっと、好きな人って作るものなんですか?」
「あなた構造としては成熟してると思うのよねー。ちゃんと心にフォーカス持って行ったら、できると思うんだけど」
「うーん、心当たりが無いです」
「ドキドキーとか、きゅんっ、とか、かっこいいなー、みたいなのは?」

 アルバートさんの顔が一瞬浮かぶ。いや、でも、それを言えばエラスノのメンバー全員がかっこいいし、女の人の方のエウディさんは可愛いと思う。ついでにプテラ乙女にもときめいた事がある。

「あ、今誰か思い浮かべたでしょ?誰よ誰よ?」
「皆さん好きですよ」
「何、クロノみたいな事言ってんの。じやぁねー、その誰かが、他の異性と仲良しだときゅーってなる、みたいなのが恋愛的な好き、よ」

 アルバートさんは……デイノさんと仲良いところを見たけどなんとも無かったし、リードさんの女遊びを聞いた時も同じく何も……。でも、敢えて言えば

「クロノさん、かな……」
「なになに、あんた、エウディに嫉妬してんの?」
「や、嫉妬っていうか……嫉妬なのかな?ちょっとモヤモヤしなくはない、というか……って、そもそも、お二人はご夫婦だし!」

 アルコールが少し進むといつも口調がつい砕けてしまう。エウディさんは初回に謝った時に気にしなーいと言ってくれていたので、時々無礼講になる。

「ふーん、いーじゃんいーじゃん、取っちゃえ」
「いやいやいや、取れるわけ無いですって、エウディさん超可愛いし超性格良いし!」
「あらー、そーなの?」
「あなたじゃないですよ?」
「え、何よ、私は可愛くも無くて性格も悪いの?」
「え、いや、その、可愛いっていうか美人で、性格も良い……です」
「よろしい。まぁ、カッコいいって言われないのはちょい不満だけどね」

 髪をかきあげる彼は美人だし、十分カッコいい。周囲の男女もチラチラとこちらを見る程に。

「でもさー、恋心自体を押し潰すのは相手にも失礼よ」
「そうかな」
「叶う、叶わないは別でさ、好きって求める感情自体は押し込めちゃうと悪い気持ちにしかなんないわよ。好き、それから成就でも玉砕でも良いじゃん。ちょっとは考えてみ?ダメなら、私が慰めてあげる」

 そう言って横に座っていた彼は私の首筋にキスをした。あの甘い香りがして、お酒のせいかクラクラする……

「ちょっと!そこのちんちくりん!」

 視界外か、金切り声がして見やると、そこにはプテラ乙女が立っていた。

「あなた!アルバート様がいながら!そんな!ばかなの!」

 手にはジョッキで、私とエウディさんの間に割り込むように彼女は座った。

「エウディ様!この娘!この娘がアルバート様をたぶらかしたあの娘です!」
「フィフィ、あんたにアルバートは無理って言ったじゃない。まーだ、追っかけてんの?」
「だってかっこいいんだもん!」

 会話に口を挟む間も無く、プテラ乙女、もといフィフィさんは机に突っ伏して泣いてしまった。

「アルバートさんだけで無く、エウディ様もなんて狡いー!」
「あの、フィフィさん?エウディさんは私の家庭教師です……」
「そうそう、それに、アルバートが一方的にお熱なんでしょ、この子が本気にならなきゃつがいにもなんないわよ」
つがいにもならず婚約状態放置だなんて、なんて……」
「あの、つがいってなんですか?」

 ヒートアップしていたフィフィさんがぴたりと止まって、怪訝な顔で私を指差しながらエウディさんに目で問うている。居た堪れない。

「この子、記憶喪失ですって。それで私がカテキョしてんの」
「じゃ、じゃあ、もしかしてビロンギングカードの婚約中って……」
「相手がどなたか皆目……」
「それって、記憶が戻ったらしたら、アルバート様からターゲットが移るって事?」
「ええと」
「そもそも、この子自体はアルバートに本気じゃ無くない?」

 あれ?アルバートさんと恋人設定維持しなきゃ不味くない?と思ったけど遅かった。

「わたくし、あなたの記憶が戻る事に全力投球しますわ!」

 私の両手をひしと握って、フィフィさんは宣言した。
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