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荘厳なという形容詞にこれほど似つかわしい建物はないだろう。王立魔法学院の建物はそれ自体に意思があるのかと思うくらいの存在感があった。歴史は長く、その間多少の手入れはしてあったが、大元の造りはいじっていない。
 売買はされども貴族の位の数は決まっているし、子供の数もそれほど変わらない。だから、増築の必要には晒されなかった。リサは、初めの設計が良かったか変える必要もないんだろうなー、などととりとめもない事を考えながら一歩一歩廊下を進む。
 そうやってどうでも良い事を考えるのは余計な事を考えずに済む処世術だ。仕事中に不躾な事を言う客もいない訳ではないし、限度を超えたお説教好きな客もいる。そういう時は話を聞いているフリをしながら適度に余所事を考えてやり過ごし、無駄なストレスは溜めないようにしている。しかし、今それが役に立つとは予想していなかった。
 カサブランカとして散々羨望やら値踏みの視線は浴びまくってきたリサだが、現在の立場は成金の新参貴族で、推薦してくれたフランセンも数代前までは商人だった貴族で、箔はメッキレベル。浴びせられるであろう軽蔑や好奇の視線は覚悟していたが、みんなの反応は予想と少し違っていた。

 初回の授業で紹介された後、クラスメイト達は彼女の予想よりだいぶ淡白な反応だった。意外と貴族の位を買って転入してくる商人の子もいるのかもしれない。だから珍しくも無いのかな。そう考えてたけれど、教室の移動から休み時間まで誰一人声をかけてはもらえない。
 リサとクラスメイト達は目も合わないわけじゃない。ただ、こちらが作法に則って笑顔で会釈しても、見てないかの如き反応か、良くても黙礼されて終了。身分の下の者から上の者にみだりに声をかける訳にもいかず、どうやらリサはぼっちというやつになったらしいと了解した。
 楽しい学生生活は諦めるとしても、ビジネスとして没交渉のこのままではまずい。かといって初日からかっ飛ばすと大コケすること間違いなしだから、分かる範囲で勢力図を脳内メモすることにした。
 しかし今度は御子息御令嬢達の顔と名前が一致しない。御子息様方は授業のいくつかや、休憩時間は女子生徒勢とは離れて過ごす事が多いし、御令嬢様方は互いをキャンディとか、レモンパイとか、パンプキンなどと呼び合っている。しかも先生もあんまり生徒を呼ぶ事が少ない。パンプキンちゃんと呼ばれる貴女のお名前何ですか?だ。
 どうやらアレッタ様と呼ばれてる女子は身分が上で一目置かれてるらしく、彼女は名前ズバリで呼ばれているとまでは分かるのだけど……苗字、苗字は何?
 リサの頭の中の顧客名簿の備考欄には顧客のお子様達の特徴もしっかりメモしてあったけど、あまり現段階では役に立たない。『お母様とお父様の愛の曲五十八番』まで作曲したメイシー家の娘がどの子とかは見ても分からないのだ。
 ヨンゴに情報集めてもらってから動くか……でもヨンゴだって、警備のしっかりした学院内じゃ、そんなに自由には調べ回れないだろうし……
 先に社交界にデビューしてからの方がスムーズだったかもしれない、でも、口利きしてくださったフランセン様の都合もあったから仕方ないか。そう考えて、とりあえず焦るのはやめた。



 ヨンゴはそれでもどうにかして、御子息御令嬢達の容姿の特徴を、調べ上げてくれた。そこから顔、それから名前、大体の身分の如何を把握する。その間、どの顔の子が私に興味を持っているか、悪意を持っているか、も大体分かってきた。
 他にも赤目で身長の高いイケメンのレフィ様という男子生徒が人気であることもヨンゴは報告してきた。女子生徒の憧れの対象らしい。身分は高くなく優しい性格とのこと。
 赤目で身長の高いイケメン、か。五年ほど昔に一度だけ会ったことのある人の事を思い出させる。リサの初恋相手だ。彼は孤児院の子だったし、絶対こんな所にはいない。いないとは分かっているけれど、ほんの少しレフィ様とやらには興味は持った。初恋の彼もまた落ち込む私に声をかけてくれる優しい人だった。

 学院のアイドルに手を出すのは良くない。他の女生徒達を、敵に回すのはビジネスとしては下手だ。だから、ちらっとご尊顔を拝見できれば充分だと考えていた。関わることも無いだろうとも思っていた。しかし、その人はある日突然私の前に現れた。

「プティサレ!」

 廊下を歩いていると、前方から女の子を侍らせて歩いてくる男子生徒がいる。金の髪色に白い肌。赤い目は宝石のように輝いて、白い歯とともに眩しささえ感じる。それはきっと物理的なものではなくて、眩しい笑顔だったからかもしれないが、ともかくリサは衝撃を受けた。百八十センチ程の体は細身だけれど華奢ではなく、適度な筋肉が付いているのだろう、姿勢が良く隙もない。手足も長く顔も小さく、まるで絵画から出てきたような彼は制服も他の生徒と違ってバランスよく少し着崩している。下品にならない程度にアクセサリーもつけていた。

「君、リサ・カルスちゃんでしょ?僕はレフィ。よろしく」
「は、はい。よろしくお願い、します……」

 プティサレはリサの事だったらしい。
 手を出されたので握手したら、レフィは緩く握り返してきた。取り巻き女子の視線は矢の如くリサに刺さりまくる。

「僕達二人とも商人出身だし、困った事あったら気軽に声かけてね?父さんにも頼まれてるから」

 取り巻き女子達の目から怪光線には気づかないのか彼はそのままふんわりと繋いだ手を引いた。私は引き寄せられて、作り物のような彼の顔が眼前で微笑えんでくる。『父さんにも頼まれたいから』の部分は小声だったから、あまり周りに知られたく無いのだろう。
 父親を父さんと呼ぶ普通の貴族はいない。それから、フランセン様の息子さんも学院にいた事を思い出した。この人がその息子か。
 驚いて何も言えない私の頭を彼は二回ぽんぽんと叩いて、現れた時と同様に優雅に去って行った。
 更に彼の取り巻きの、多分近くにポジションを取れなかった子達が「いい気にならないでね?」とか、「真に受けないように」と口々にピーチクパーチク喚いて行く。

 ありえない……

 リサは珍しく動揺した。

 信じられない……

 顔には極力出さないようにしてリサは少し震えさえ覚えた。勝手に期待した事は重々自覚してはいた、だけど、これは理解できない。

 リサにとって魅力的な異性とは初恋の彼そのもの。シオンと名乗った孤児の彼はレフィとは対極にいる容姿だった。つまり、山の様な大柄な体躯で体重もそれに見合うゴツい系。唇は厚く、肌は健康的に日に焼けた浅黒い色で、太い眉に涼やかな一重の目。男臭いを通り越していっそ野獣臭い位のオス臭さがリサにとって男性としての魅力だった。

 絵画のそれは観賞用。女性も男性も絵画中は例え全裸であってもセクシーさは感じられないように描かれているから、二次元をそのまま三次元にしてウケるはずが無い、と言うのがリサの持論だった。実際、絵画の女性のようなドールは男性客に受けず、カサブランカもやや体型は肉感的だ。

 おまけに許可なく体に触れるなんて。握手はまだわかるけど、引き寄せたり頭を触るなんて、気安いなんてもんじゃない。ただ軽薄軟派なだけだ。初恋の彼は私を慰めながらも、決して触れなかったし紳士だった。

 あんな吹けばふわっと飛びそうな感じの男がここでは受けているの?あんなんなら、うちのローズの方が素敵だわ……

 ローズはカルスのハウスのドールだ。男装の麗人が売りで女性客にファンが多い。他のドールも客に合わせて男の装いをするが、男臭くならないようプロデュースしている。そして、レフィはその男性ウケすると計算し尽くしたドールの男装のような、男臭さ皆無の服装だった。
 ああいうのが御令嬢達に人気だというなら、こちらの勉強不足すぎる。セレネという町から出ずに知識しか吸収しなかったツケだろうか?

 そもそも、あんなのがイケメンで受けるなら、ローズに入れ込んでいる男の人は本当はただイケメンが好きなだけの?ローズに女を求めていない?いや、でも、さっき侍らじていたのは女子ばっかりだったし?あ、だめ、混乱してきた……

 自分の常識が破られた事と、初恋の彼の思い出、それとドールハウスのサービス向上のための考察がごっちゃになって、流石のリサもオーバーヒートしてきた。

「あの?顔色が優れませんが、いかがなさいましたのですか?」

 心配そうに小柄な女生徒が顔を覗き込んできた。こてん、と首を傾げる姿は愛らしくて、小さく華奢だ。
 そう、こういう守ってあげたいとかの不完全さもドールには必須よね、と少し冷静になる。彼女は後ろに数人女生徒を従えていたが、その中で一番可愛らしい顔をしていた。

「ありがとうございます。……突然殿方に声をかけられて驚いてしまって……」
「あら、レフィ様とはお知り合いじゃないのね。塩菓子だなんて特別な呼ばれ方されているから、懇意にされてるのかと思いましたわ」
「いえ、レフィ様のお父様が私の入学にお口添えくださったので、お気遣いいただいたのだと思います。私はリサ・カルスと申します。よろしければお名前を伺っても?」
「ルイサ・ベーンよ。社交の場でお見かけした事はあったかしら?お困り事があればおっしゃってね?」

 ルイサは一見ぼわわんとした笑顔だけれど、後ろの子達のくすくす笑いで台無しだ。

「ありがとうございます」
「あら、お礼なんていいのよ。私もいつかお願い事をするかもしれませんし……ところで、私、世間知らずだからカルス様のお家かどの様な事をなさっているのか存じませんの。伺っても?」

 後ろの子達が、「あら」とか「いやだわ」と扇子で口元を隠しながら笑っている。どうしたもんかと考えあぐねていたら、そのうちの一人がそっとルイサに耳打ちした。

「あら、その様なお仕事……他には?そんな下賎な仕事だけされてるお家がある訳無いじゃ無いですか。……まぁ!」

 ルイサは心底驚いた風で取り巻きと話した後、またこちらに向いた。

「失礼いたしましたわ。その様なお家の方とお会いするのは初めてなので……。殿方に話しかけられて困るはず無いと思い込んでおりました。いえ、けれどレフィ様の様な方とお話しされるのは初めてかしら?でしたら本当に何もかも気後れなさるかもしれませんね。浅慮恥ずかしく思いますわ。ごめんなさいね?」

 眉をハの字にして謝るルイサに一瞬呆気に取られる。すると、彼女の後方からぴよぴよと嫌味が聞こえてくる。「ルイサ様に謝らせるなんて!」なんて言われましても。

「いいえ、ルイサ様は『お優しい』方ですのね。それに賢明でらっしゃるし、私の様な者にまで目を配ってくださるなんて……きっと良く社交界のご事情にもお詳しいんでしょうね」

 笑顔で答えると、後ろの子達は満更でもなさそうな反応だが、ルイサは固まった。
 この集団で彼女だけが嫌味を理解する程度のオツムを持ち合わせているらしい。
 取り巻きの子の一言でカルスの家の仕事を理解する位に耳年増なのに私の入学を知らないなんて社交界デビューしてる割に情報疎いんだねーっと直接言うのは芸が無い。私の家の事を知ってたなら知ってたで、私の如き小物にわざわざ嫌味言いに来るなんて暇なのねー、と言う意味も込めてある。省エネ対応。

「うふふ、面白い方。では、またね?」

 結局ルイサは表情も崩さず取り巻き達と去っていった。

 ルイサ・ベーン。なかなかの役者だこと。恐妻家ゆえにうちの大得意様であるベーン様から「うちの娘は母親似で学校でもなかなかやっている」と武勇伝聞いててちょっと助かったかな?
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