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おいで。早く、おいで…。

第123話 エボニ of view

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「よいしょっと……」
 僕は毛玉の遺体が入った入れ物を抱え、次々と、安全な上の世界へ、運んで行く。

 「………あ」
 何度か、紐を上り下りしていると、部屋の白い模様が文字である事に気が付いた。

 ええっと…。
 獣、魔力、少量ずつ。検証終了。村、噴水、魔力、少量ずつ。様子見。

 ……この、獣、と言う文字は、僕たちを指す言葉だ。つまり、下にいる同族が、その検証結果だと言うのだろうか?

 こっちは?
 ……人間からの効率の良い、魔力生成法。感情、大切、痛み、憎しみ、恐怖、大切。何より、身と心を殺さない事。
 魔力を含んだ死肉の腐敗度。魔力の依存症状。知能衰退と、発達について。生物の分解、結合……。
 他にも、色々な情報が、所狭しと、部屋中に描かれていた。

 その中でも目を惹いたのが、獣を動けなくする方法。と言う項目だ。
 如何やら、触れる事もなく、部屋中にいる獣を、動けなくすることができるらしい。

 今、捕まれば、僕はどうなってしまうのだろうか。
 喋れる僕は、きっと貴重だ。あそこにいる毛玉達よりも、もてあそばれるだろう。

 「ウゥ~……」
 壁に拘束されている人間が、唾液を垂らしながら鳴いた。
 その声は、僕を誘っているような気がして、身震いする。

 それに、この字は、あの男の物ではない。きっと、今、あそこで、気が狂った毛玉達に囲まれて、安らかな寝顔を晒している、あの少女の物だろう。
 前に、この部屋に来てから、それ程経っていないはずなのに、良くもまぁ、部屋中をこんなに……。

 「あっ!」
 力が抜けて、持っていた入れ物が、棚の下に落ちてしまった。

 ガン!と、容器の落下音が鳴り響く。
 そんな音より、すぐそばで、毛玉達が暴れ狂っている方が、五月蠅いに決まっている。
 決まってはいるのだが、頭がそれを理解していても、あの、黒髪の化け物が、目を覚ますかもしれないと思っただけで、腰が抜けて、動かなくなった。

 「あ……」
 毛玉の一匹が化け物に近づいていく。
 あいつ…。もしかして、あの化け物をかじる気ではないだろうか。
 馬鹿!そんな事をしたら、あの化け物が起きてしまう!やめろ!やめろ馬鹿!ヤメロヤメロヤメロヤメ!

 「おい!エボニ!そんな所で何をしておる!」
 その時、ラッカの声が聞こえた。
 振り向けば、穴からこちらを見ているラッカ。

 「た、たすけてぇ…」
 涙で霞む視界。
 僕は、腰が抜けたまま、短い腕を伸ばして助けを求めた。

 ラッカは、その様子を見て、ただ事ではないと思ったらしい。
 それ以上、何も聞かずに、素早く首を伸ばすと、僕を咥えて、上まで引き上げてくれる。
 引き上げられた僕は、ラッカから飛び降りると、すぐさま、板を元に戻した。

 「………」
 あの化け物が、あれほど危険な存在と知っていたら、僕は同族たちなど、解放しなかっただろう。
 解放中に、目覚めていたらと想像すると、自身が、とんでもない事をしていたと分かる。
 それに、あの毛玉も、あの化け物が、あれ程、恐ろしい存在だと知っていたら、齧ろうだなんて……。

 っと、突然、板の間から煙が上がって来た。
 僕は咄嗟に板から離れ、様子を見る。

 …暫くすると、下からの騒音が聞こえなくなっていた。きっと、毛玉達が鎮圧されたのだろう。
 無知がもたらす恐怖を知り、僕は、その場にへたり込んだ。

 「……」
 二人の間を、気まずい沈黙が流れる。

 「……えへへっ。ありがとう。ラッカ。また助けられちゃったね」
 僕は、そんな空気を壊す為にも、お礼を言う。

 「あ、あぁ……。まぁ、良く分からんが、無事でよかったわい」
 困惑気味のラッカ。尻尾が気まずそうに揺れている。

 「……」
 またも、沈黙に包まれそうな空気。

 「あ!そうそう!これ見て!」
 僕は透かさず、持ってきた入れ物を、見せびらかす。

 「そ、それは……」
 僕の目の前だからか、ラッカは、反応に困ったような顔をしている。

 「なになに?やっぱり、僕の方が美味しそう?」
 僕が茶化すと、ラッカは「いや、そう言う訳では!」と、テンパる。
 それが面白くて「え?つまり、僕って、こんな、ぐちゃぐちゃのより、美味しそうに見えないって事?」「僕だと思って、食べてね♪」と、更に、ラッカを追い詰めて行く。

 「あぁ!もう!」
 最後には、ラッカが切れ気味で、入れ物を潰し、中身を貪り食い始めた。

 「……どう?美味し?」
 首を傾げながら、僕が聞くと、ラッカは嫌そうな顔をして「美味しい」と、答えた。

 「じゃあ、僕も食べてみようかなぁ~」
 ラッカの「おい!こら!」と言う、制止を無視して、転がっていた残骸の一部を口に運んだ。

 「……うん。思った通りの味だ」
 あの部屋に掛かれていた情報の一部から、察してはいたが、やはりと言うか、味わった事のある、味だった。
 あの男が、僕達に与えていた食べ物には、これと同じような物が、含まれていたらしい。

 最初から、僕だって、下にいた毛玉達と一緒だったという訳だ。
 理性が有るか無いかだけの違い。
 …でも、大きな違いだ。

 顔を上げると、ラッカが辛そうな表情で、こちらを見ていた。

 「何だよラッカ!何でラッカが、そんな顔するのさ!」
 気さくな雰囲気で、ラッカに近づくと、その体を、軽く、パシン!と叩く。

 「……あんまり、無茶はするなよ」
 どの事を言っているのだろうか?思い当たる節が多すぎて…。
 まぁ全部なんだろうけど。

 「何て言うのかな……。僕は、僕のしたい様に、しているだけで……」
 ラッカの為とか、そう言うんじゃない。自己満足の為の、お節介。
 本当に、ただ、それだけなんだ。

 「だから、僕は、ラッカの迷惑になっても、お構いなく、続けると思うんだ。……だから、ラッカも、僕に構わず、好きにやって欲しい」
 僕に、気を遣い過ぎないで欲しい。
 ラッカはラッカの好きにやって欲しい。

 僕は、無言で、ラッカの瞳を見つめ続ける。
 馬鹿な僕が、意思の強さを伝えられる方法は、これだけだから。

 難しい顔をしていたラッカが、ニヤリと笑う。

 「……つまり、お前をここに置いて帰っても良いという訳じゃな?」
 そうじゃない。そうじゃないのだが、そう言う事だ。

 僕の何とも言えない表情を見て、ラッカは「カッカッカ!」と笑う。

 「……好きにすればいいさ。僕も好きにさせてもらうけど」
 そう言って、僕は、頬を膨らませながら、ラッカに抱き着く。

 「……好きにせい」
 ラッカは、呆れた様な、それでいて、どこか嬉しそうな声で、そう、呟く。

 その優しい声色に、ラッカはどんな表情をしているのかと、顔を上げてみる。
 しかし、ラッカは、顔をこちらに向けずに、無言で、残りのご飯を漁っていた。

 尻尾が絶え間なく振られているので、照れ隠しだと言う事は、分かっている。
 本当は、追っかけ回してでも、その表情を見てみたいものだが……。

 「…ま、今日は勘弁してあげる」
 いつか、その表情を、自身から見せてくれる日を願って、僕は、ラッカの冷たくて、大きな体に、身を預けた。
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