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気付けた、けれど1
しおりを挟む真稀は一人、週末の歓楽街に佇んでいた。
『閉店』の案内が貼られた店の外壁にもたれ、道行く人々をぼんやり眺める。
痛いほどの光と音の洪水。雑多に立ち並ぶ建物の隙間からしか見えない狭い空と、どこか白々しさを感じる賑わい。
夜の街は、どこも似ている。
明るくて、昏くて、冷たくて、あたたかくて。
母は、夜の街は自分を育んだ故郷のような場所だと言っていた。
身寄りがないことでも、体質のことでも、ハンターから身を隠す生活のことでも、受けた恩恵は大きかったのだろう。
真稀としては、嫌な思いもしているので好きとまでは言えないが、様々な事情を持つ人が多く集うこの場所の片隅になら、自分の居場所もあると思えた。
幼い頃から身近だったこともあり妙な懐かしさを感じる場所でもあって、真稀は人の行き交う通りを見つめながら、「またここに戻ってきてしまったな」と微かな自嘲を浮かべる。
ローブの男の襲撃から数日が経過していた。
月瀬の話してくれた真実。これまでのことが仕事の一環で、好意どころか厚意でもなかったと知ってしまっては、流石にもう浮ついた気持ちで夜に彼の部屋を訪れることはできなかった。
頭の片隅で、真稀を家に住まわせることも供給源になることも月瀬が言い出したことだから遠慮する必要があるのかと囁く声がしたけれど、彼の職務への忠実さと優しさにつけ込むようなことはしたくない。
突然距離を置いたことで、月瀬からもの言いたげな視線を感じることはあったが、口に出して何か言われることはなかった。
決意が揺らぐ前に、早く出ていかなくては。
焦燥感を感じながらも、何のあてもなく出て行けば月瀬が心配するだろうと思い、ここ数日は大学で『新たな供給源(便宜上)』を物色しようとしていた。
だが、月瀬以外の誰かと、と考えるだけで嫌悪感が先に立ってしまい、行動に移せずにいるうちにすっかり空腹になって、結局、ここに立っている。
鷹艶の姿は、あれから大学では見ていない。
真稀を守るために(月瀬に命じられて?)そばにいてくれたということなので、実際に編入までしてはいなかったのだろう。
恐らく彼は、月瀬と同じく真稀の事情を知っている人だ。
あの日の言葉と真剣な眼差しを思い出し、力になって貰えるかもしれないと、連絡を取ることも何度か考えた。
しかし、鷹艶と月瀬はどの程度親しい間柄なのか。彼も月瀬と同じ考えなら、真稀の望む方向で力になってもらうことは難しそうだし、力になってもらえたとしても迷惑をかける可能性が高い。
悩んだ末、こちらも行動に移すことはできなかった。
飢餓感を抱えた真稀の足が自然と向かったのは、母が働いていた店があった場所だ。
この場所を選んだのには特別な理由はなく、どこに行こうと考えたときに頭に浮かんできたから。
だが、日が落ち、日中眠っていた街が本来の姿を現し始めてもなお、誰かに声をかけようという気になれない。
無意味にぶらついて、母が生前勤めていた店を見に行ってみた。
見覚えのある建物は変わらずそこにあったが、店の名前は四年前と違うものになっていた。
経営者が変わったのだろうか。そういうことがよくあることなのかどうかは真稀にはよくわからない。
ただ、母の痕跡はもうここにはないのだ。
真稀はふと母の気持ちを考えてみた。
母は、自分で言った通り本当に自分の人生に満足だったのだろうか。
真稀が存在しているということは、父親がいるということで、母はどうしてその人と一緒にいられなかったのだろう。
今更ながらに、話さないから聞かないでおこうと思ってしつこく聞かなかったことが悔やまれる。
この体質を抱え、一人で子供を育てるなんて明らかに大変なことのはずなのに、産むという決断をしたのはよほど子供が欲しかったか、あるいは相手を愛していたかのどちらかだろう。
別段子供が好きな素振りも、また真稀に特別な執着があったようにも見えなかったので、後者なのではないか。
そんなにも愛した相手と一緒にいられなかったのは特殊な体質のせいか、相手がそれを望まなかったからか……。
自分なら耐えられるだろうか。
想いが通じ合っているわけでもない今ですら、側にいられないことがこんなに辛いというのに。
月瀬への想いが強すぎて、側にいて触れてもらえるだけでもいいと、割り切ることすらできなかった。
今だって、切実な飢餓感はあるのに、欲しいのは、唯一人の……。
その時不意に、シャッターから人の顔がにゅっと飛び出してきて、真稀はざっと後ずさった。
「………………っ」
生気のない顔をしたワイシャツ姿の中年男性はそのまま夜の街へと吸い込まれて行く。
その体は透けていて、他の誰の目にも留まっていないようだ。
びっくりした。
だけど、……そうだ、自分は「視覚」も、普通の人とは違うのだ。
折角ずっと、忘れていたのに。
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