ブラックドラゴン

青香

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第二章 獣人の国バネーゼ

第十七話 開幕

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 運び屋の階段を駆け上がる二人。
 集合場所にしたキシムの部屋へ入ると、四人の姿がそこにあった。
 「準備できましたか?」
 キシムが問うと、避難道具をパンパンに詰め、大きくなった皮製のリュックを背負ったジジが答えた。
 「えぇ。これからどうするの?」
 皆んなの視線を集め、ディーバは先程決めた内容を話した。
 「嬢ちゃんはここに残ってくれ。ジジ達はオレの家がある丘があるだろう。そこが避難場所になるから向かってくれ」
 「はぁ?何でミリアさんだけ残らなきゃいけないのよ!」
 いつでも逃げれるように準備をするようにとキシムに言われたからこそ、ミリアも荷物をまとめて用意していたのに、残れとはどうゆうことか。
 それに残ったとして、魔獣が来ているのにどうするのか。
 ジジはディーバの言葉に納得がいかない。
 「ここに居たら危険なんじゃないの!?」
 怒った顔でディーバに詰め寄る彼女を静止し、キシムは説明した。
 「狙いはミリアさんの命です。避難場所に行かせると、そっちが狙われる可能性がありますからね。申し訳ないが、こちらで私が貴方を護ります」
 ジジは口を閉じた。
 ミリアが狙われる理由は分からないが、避難場所に行かせられない理由がキシムの言う通りだからだ。

 ミリアの顔は強張った。
 ーー光の精霊が言っていたのは、こういう事だったんだ。
 命を狙われると言っていたのが、現実の物となり恐ろしかった。
 たがそれ以上に、他人を巻き込んでしまう事が申し訳なく思った。
 「わかりました。私は残ります」
 ミリアは気丈にも残ると宣言した。
 だがその声は微かに震えており、間近で聞いていたジジは、彼女が怖がっているのに冷静さを装っているのを感じた。
 「私も残るわ!」
 ミリアを支えたいと思い、大きな声で宣言をした。

 そんなジジに対して、ディーバは言った。
 「ジジ、オメェはダメだ」
 「なんでよ!」
 否定されて高ぶる声を上げるジジ。
 彼女を納得させるために、目を合わせ普段よりも話す速度を落として話を続ける。
 「部族会に掛け合って、皆んな協力してくれる事になった。だがな、怪我人がたくさん出る。戦いが終わった後、オメェの作る薬が必要なるんだ。だからみんなと一緒にいてくれ」
 「たくさん?そんな大きな争いになるの?」
 「あぁ。魔獣の数が多いからな」
 ジジは想像していたより深刻な事態になっている事に気づいて、何も言い出せなくなった。
 怪我人が多く出るなら、ディーバの判断は正しいだろう。
 彼の正当性は分かるが、ミリアを支えたい気持ちも強い。
 ジジは選択を出来ずに悩んでいた。

 一方でミリアは、自分の命さえ差し出せば避けられる争いである事を理解していた。
 だが死ぬのが怖くて、その選択を取る事が出来ない。
 代わりに犠牲者が出てしまうかも知れないと思うと、謝罪の言葉が口から出る。
 「ごめんなさい」
 震える声で呟いた。
 命を狙われる事が恐ろしいのだろうと勘違いして、ディーバは元気付ける為に言った。
 「アンタはオレらが守る。だから心配すんな」
 ミリアは何も言えず、押し黙るしかなかった。
 「私が一緒に残りますから、サリーさんとジジとクロノ君は避難して下さい」
 キシムの指示で皆が動き出そうとした。

 しかし、クロノは声を張り上げた。
 「クロノここにいる!」
 今までの内容が全て理解していたわけではないが、ミリアのただならぬ雰囲気に側に居たいと思った。
 「ダメだ。母ちゃんと一緒に行け」
 クロノの身を案じて、ディーバはクロノにそう言った。
 しかし反発は強まる。
 「いるの!」
 ミリアにしがみついて離れようとしない。
 自分の意見を聞かないクロノに、困惑の表情を見せるディーバ。

 ミリアはクロノを目線の高さまで抱き上げ目を見つめた。
 「クロノ、良い子だからサリーさんとジジさんに付いて行って?」
 優しい口調で諭す。
 すると、クロノは落ち着きを取り戻し始める。
 「だって」
 「少しの間だけ。少しの間だけだから。すぐにまた会えるから、ね?お願い」
 「うん、わかった」
 クロノは小さく頷くと、自ら降りてサリーの隣に行った。
 しかしいつもの明るい笑顔はない。
 納得してはいないのだろう。
 「サリーさん、ジジさん。クロノの事頼みます」
 二人は頷き、荷物を手に部屋を後にした。

 廊下に出ると、追いかける様に部屋を出てきたディーバが声をかける。
 「早く行け。もう時間が少ねぇ」
 魔人と約束した時刻は、五分後に迫っていた。
 サリーは振り返り、息子の心配をする。
 「アンタ、戦うんだろう?怪我するんじゃないよ?」
 「わかってるよ、心配すんな」
 いつもの様にぶっきらぼうに応えると、キシムにミリアの事を念押ししようと、部屋に戻ろうとした。
 そんな彼の背後に、ジジが勢いよく抱きついた。
 「ディーバ。お願い。気をつけてね」
 「ん?心配すんな、オレは」
 言いかけながら、ジジの体が小刻みに震えているのが伝わって来た。
 ジジは先日の光景が忘れられず、ディーバの身を案じていたのだ。
 そんな気持ちを察して、ディーバは言い直した。
 「わかったよ。無事に帰ってくる。約束だ」
 その言葉に震えは弱くなり、腹部に絡んだ手を解く。
 そしてジジを正面から見た。
 潤んだ瞳で、今にも泣き出してしまいそうなジジの頭を、ディーバは大きな手で優しく撫でた。
 「約束だよ?」
 「あぁ、約束する。オメェも無事でな」
 「うん」
 目を細めながら笑顔を見せたジジの瞳からは、一雫の涙がこぼれ出ていた。
 




 みんなと別れ、ディーバは魔人の元へ急いだ。
 「急がねぇとヤベェな」
 約束した時間に間に合うかどうか、微妙な頃合いだ。
 もし時間に遅れでもしたら、あの魔人の事だ。
 一気に襲って来るかもしれない。
 そう考えると気が逸った。

 街の中は騒然としている。
 人々に避難の伝言が伝わったのだろう。
 ディーバの反対方向を目指して、街の人達は避難を始めていた。
 大きな荷物を担ぐ者、子供の手を引く母親の姿が横目を通り過ぎていく。
 ーーこうなっちまうよな。すまん。
 巻き込んでしまった事を申し訳なく思った。

 主要な路には、武装した狐族が避難の誘導をしていた。
 「丘の上に避難を!」
 「急いでください!」
 狐族は女性が多い。
 そのせいか、誘導する女性の声があちこちで響き渡っている。
 その甲斐もあって、住民達の避難は順調に進んでいるようだった。
 ーーアイツらやるな。
 部族の長と名乗るだけあって、その権限と行動力にディーバは感心した。
 これ程順調に避難が進むと思っていなかったからだ。
 これなら街に魔獣がなだれ込まれても、被害が少なくなると思い感謝した。

 ディーバは狼族の仲間である、カリムを探しながら走っていた。
 ーーアイツ、どこに居んだ?
 買い物に出かけた際、必要ないだろうと思い、キシムの部屋へ置いて来た。
 サリーからの伝言を聞いたキシムは、カリムを呼びつけて急ぎで持って行かせたと言っていたが、探せど探せど姿が無い。
 戦場となる場所へ近づいて行く最中、手にする物干し竿では不安が残る。
 いつも使っている金属製の棍と比べると、物干し竿では強度がまるで違う。
 このままでは戦闘で不利になるだろう。
 ーーチッ。これで何とかするしかねぇかもな。
 恐らく何処かですれ違いになっているのだろう。
 目的地までに何とか受け取れればいいが、最悪物干し竿で戦うことを覚悟しなければならないと思った。

 同時刻、魔人の男は住人達が避難する動きを確認した。
 「ん?何か逃げてなぁい?」
 街の反対側にある小高い丘に人影が集まっている。
 「使えない奴を逃がして、戦うつもりなのかなぁ?」
 魔人の男がぼんやりと考えていると、視界の端に人影を感じた。
 「あは!やる気?」
 牛のツノが生えた獣人達が横一列になり、街を守る壁の様に広がっていく。
 魔人の男は歪んだ笑みを浮かべる。
 「いいねいいね!やる気満々じゃない!?楽しくなって来たねぇ?」
 楽しさを抑えきれない様子で、今にも飛びかかっていきそうだ。
 だが彼は行動を抑えた。
 ワナワナと震える手を抑制し街の方向を見つめる。
 「早くあの犬帰って来ないかなぁ?人間の女を連れて来ない方が楽しくなりそうだねぇ?」
 魔人の男は、光の使い手を殺すより、数の多い獣人達を殺す方へ興味が移っていた。
 その方が楽しそうだからだ。
 殺戮を楽しみたい感情が高潮して、歪んだ笑顔が狂気を増していく。
 だが、彼は動かない。
 掟を自ら破る訳には行かないからだ。
 「まだかな?まだかな!?」

 その時、魔人の横に待機していた犬型の大型魔獣が、何かを知らせる様に遠吠えをした。
 その鳴き声は時間を知らせるもので、それを聞いた魔人の男は、より醜悪な笑顔を見せながら歩み出す。
 「約束の時間が過ぎちゃったねぇ?約束を守らない犬野郎が悪いんだからさぁ?行っちゃうよぉ!?」
 魔人が突進しようと身構えた時に、牛の獣人達が作った壁を掻き分けてディーバが出てきた。

 ディーバは魔人の男に遅れたことの謝罪する。
 「遅れた。すまねぇ」
 「なんだ。来ちゃったの?」
 殺戮を始めようとしていた魔人は、ディーバが来たことで興を削がれ、つまらなさそうした。
 そして小さな溜息をつくと、ディーバに結果の報告を求めた。
 「時間は守って欲しいねぇ?それで?人間の女はどこ?」
 人間の女の姿が見えない事で、多少の苛立ちを見せた。
 そんな魔人に対して、ディーバは牛族の長アゲナイの目を見て小さく頷いた。
 アゲナイは意図を汲み取って頷く。

 そのやり取りを見て、魔人の男は余計に苛立った。
 「何なの?わかんないじゃないの!?」
 ディーバは力強く言い放つ。
 「オメェには渡さねぇ。力尽くで奪うなら、ぶっ倒す!」
 そして応戦の構えを取った。
 魔人の男は歓喜に満ちた顔をする。
 「ハハッ!いいねいいね!楽しくなって来たじゃない!」
 魔人の男は、おもむろに片腕を高く突き上げた。
 「グチャグチャの、始まりだ!!」
 醜悪な笑顔を保ったまま腕を振り下ろした瞬間、魔獣達は奇怪な唸り声を上げて、街を目掛けて一斉になだれ込み始めた。

 戦いが幕を上げ、牛族の長アデダスは叫んだ。
 「みんな、よく聞け!避難するには、まだ時間がかかる!一匹たりともここを通すな!」
 「おう!!」
 彼が檄を飛ばすと、大きな金槌や戦斧を手にした同族の男達が応じた。
 どの男も牛族らしく巨躯だ。
 牛族が作った壁の後ろでは、犬族の男達が集まり、武器を手に息を潜めていた。
 壁をすり抜ける魔獣に備えてだ。

 「アハハッ!楽しい時間の始まりだぁ!」

 魔人が楽しそうに笑う。
 それと同時に、魔獣達とアゲナイ達がぶつかった。
 「死守しろぉっ!」
 アゲナイが戦斧で魔獣を切り裂きながら声を上げると、壮絶な状況を迎える。
 次々と押し寄せる魔獣を切り倒しながら壁を維持する者、魔獣の圧に負けて壁を維持できない者で混沌とした。

 争う声を背中に受けて、ディーバは構え続けていた。
 ーーあの野郎も、オレとサシでやりてぇのか。都合が良いぜ!
 自分にも襲いかかってくると思われた魔獣。
 だが、避けるように距離を取り、壁へ向かっていく。
 魔人の指示なのだろう。
 魔獣達が意図的に作った空間の先で、あの男が醜悪な笑みを浮かべ、こちらを見ている。
 「君が一番面白そうだからねぇ?僕と遊んでよ?」
 その笑みに釣られて、ディーバも武者震いした。
 そして不敵に笑い返しながら言い放つ。
 「話が早くて助かるぜ!」
 一番望んだ形になり、ディーバは力強く地を蹴った。
 すると、魔人の男は闇の魔法で黒い円球をいくつも空中に作った。
 大きさは直系三十センチほどで、浮遊を続けている。
 ーー魔法か?チッ。だが間合いに入らなきゃ勝ち目は無ぇ。突っ込め!
 ディーバは魔法と判っても恐れず進んだ。
 「犬とボール遊びだね?ほら、取っておいで?」
 小馬鹿にした言葉を投げつけ、魔人は腕を前方に翳した。
 その手で操っているのだろう。
 黒球はディーバを目指し直線上に加速していく。
 「ナメてんじゃねぇ!この野郎!!」
 黒球を防ぐ為に物干し竿を当てがう。
 ーークソ!硬てぇ!
 受けきるつもりだったが、物干し竿の強度では持たないと瞬時に悟り、黒球を横へ受け流した。
 ーーこの棒じゃジリ貧だ!どうする!?
 こちらに辿り着くまで、カリムと会う事が出来なかった。
 それでも無いよりはマシと考えていたが、想定が甘かったと思った。

 なんとか武器を折らないように、受け流す事に集中する。
 「グッ」
 いなすだけでは完全に防げず、黒球の衝撃が身体に蓄積されていく。
 その様子を見ていた魔人は、期待外れと言わんばかりに、ため息を吐く。
 「はぁ。買いかぶりすぎなのかな?大したことないねぇ?君」
 「チッ。なめんじゃねぇ!」
 黒球を無視して強引に前に出た。
 「そうそう!そうこなくちゃねぇ?」
 魔人を捉えられる間合いまで近づくことができたが、次々と作り出される黒球に翻弄され続ける。
 「少し強烈なヤツあげるよ!」
 ーーそこだ!
 興奮した魔人が、より大きな黒球を作ろうとした瞬間を見逃さず、頭部めがけて打ち込んだ。
 「おっと?」
 当たると思っていたが、黒球の一つが形を変えて盾のように広がり、ディーバの打ち込みを防いだ。
 「惜しかったねぇ?」
 不敵に笑いながら自身とディーバの間に黒球を作り、勢いよく放った。
 攻撃を防がれて体が硬直していたディーバは、腹部に直撃をくらう。
 ーークッソ。痛ぇ!
 内臓を抉られたような痛みを感じながら、空中に飛ばされる。
 意識を飛ばさないように歯を食いしばり、追撃を受けないように、身をよじって受け身を取った。

 「アハハッ!いつまで保つかねぇ?」

 確実にダメージを与えた事を魔人は喜んだ。
 それと同時に、このオモチャがいつまで遊べるのか、歪んだ笑顔で様子を見ていた。
 ディーバは胃から込み上げてくる嗚咽感を抑え、再び武器を構え直し魔人を睨んだ。
 ーーチッ。こんな薄ら笑い野郎に!
 長引かせると不利になって行くのは明確だ。
 短期決戦が望ましいが、武器がまともでない以上耐えて好機を待つしかない。
 そんな状況だったのだが、ディーバは頭に血が上り、冷静さを欠いていた。

 手にした物干し竿では、今から繰り出す技に耐えられるはずがないのに、切り札を出す為に木棒の持ち手を変えた。
 右手の掌に石突を握り、大きな石を足場として脚に力を込め始める。
 ディーバの体は筋肉の膨張で一回り大きくなっていき、特に脚周りはビキビキと血管が浮き出て、筋肉がギチギチと強張りを見せた。

 魔人の男は、ピタリと動かなくなったオモチャを動かそうと挑発を始める。
 「何してるんだい?もっと動いてよ?楽しくないじゃ」
 「死に、曝せっ!!」
 魔人の言葉を遮り咆哮すると、ディーバはつま先の指一つ一つに至るまで貯めた力を、一気に解放した。
 足場にした石がメギッとひび割れ、バラバラに砕けちる程の威力で加速した。
 物干し竿を前方めがけて勢いよく突き出し、一直線に魔人の胸元を目指した。

 ーーマズイ!
 刹那の瞬間、そう思った。
 とてつもなく速い攻撃。
 油断していた魔人は防御が遅れる。
 目の前に作り出していた黒球を、なんとか障壁に変形させるが不完全だ。

 バキッ!!

 砕ける音が響く。
 障壁が薄かったことも幸いして、渾身の攻撃は障壁を打ち破った。
 そして切っ先が、確かに魔人に届いたのだ。

 「あぁ、残念。もう少しだったのにねぇ?」

 魔人の男は不敵に笑う。
 攻撃は届いているが、体に軽く触れる程度。
 何のダメージも与えてはいなかった。
 木棒の先端は衝撃で折れてささくれ、心臓を狙った攻撃は貫く勢いを失っていた。
 「今のはかなり面白かったよ!」
 再び魔人が黒球を作ると、ディーバは吹き飛ばされた。
 またもやカウンターの様に直撃をくらってしまう。
 悪い事に、今回は連弾で打ち込まれた。
 身体全体に衝撃が走るが、その中でも肋骨付近の衝撃は凄まじかった。
 運悪く二発連続で同じ箇所に食らってしまい、骨がバキッと折れた音がした。

 倒れ込むも、即座に立ち上がる。
 後方から聞こえる争いの騒音が、ディーバを焦らせる。
 ーーオレがこいつを、なんとかしねぇといけねぇのに!
 使命感で睨みつけた魔人の男は、不敵に笑っている。
 「ほら、まだ遊べるでしょう?もっと楽しませてよ?」
 魔人の楽しそうにする姿に歯軋りした。
 直後、ディーバは硬直する。
 魔人の男の背後に、見覚えのある人物がいたからだ。

 その人物がゆったりとした口調で話し出す。
 「遊ぶのはいいけど、『癒し手』は殺したのかしら、ね?」
 忘れもしないその声に、ディーバの感情は大きく揺さぶられた。

 艶のある唇を動かし喋る女性。
 細い指を顎に沿わせ、呆れた様子で歩いてくる。
 細身な体つきで端正な顔立ちをしており美しい。
 だが纏う圧力は異質を感じさせ、妖艶な雰囲気が重なって畏怖を抱く存在感がある。
 魔人の男と同様に、頭部に巻きツノが生えるが、彼女のツノは男のより大きい。

 先程まで歪んだ笑顔を見せていた魔人の男は、ひれ伏すような鋼鉄のように固い表情で質問に答えた。
 「まだです、すみません」
 別人の様に大人しい対応。
 彼女の方が上位なのは明らかで、それを証明する様に魔人の女は嗜め始める。
 「ダーシャ、目的を忘れちゃダメじゃない。仕方ないわ、ね?手伝ってあげるわ」
 彼女の穏やかな口調を聞いたディーバの脳内で、十五歳の時の記憶が凄まじい勢いで再生された。
 ーーあの女!間違いねぇ!!
 ジジの家族を襲った魔人の女。
 父親を殺した、あの女で間違いないと確信させていた。
 「テメェ、やっと見つけたぜ!」
 ディーバは吠えた。
 唯一の武器は折れ、体にダメージが残る不利な状況など忘れて憎しみをぶつけた。
 「うん?どこかで会ったかしら、ね?」
 魔人の女は、自分を探していた物言いをする獣人を紫紺の瞳で見ながら、思考する仕草を見せた。
 知らない人物に会った様な発言。
 その言葉にディーバは激昂した。
 「親父の仇だ!覚悟しやがれ!」
 折れて短くなり、役に立ちそうにない棒の先を向け、腹の底から声を出した。

 その咆哮に魔人の女は思い出した。
 十年前の獣人から生命を吸い取った記憶だ。
 彼女にとって、獣人と揉め事になることは珍しく、すぐさま思い出す事が出来た。
 そして彼女は、意味深な微笑と共に唇を動かした。
 「あの時の裏切り者を守ろうとした子、ね?助からないと思っていたけど、生きてるってことは、あの時の輝きは。フフッ。貴方、目印みたいな子、ね?」
 「あぁ?目印だぁ!?」
 魔人の女が喋る内容が理解できなく思わず聞き返すした。
 彼女は言葉の意図を喋り出す。
 「あの時と一緒。『導き手』がいる所に貴方はいる。何か運命的な物でもあるのかしら?なんにせよ、感謝しないと、ね?」
 「感謝、だと?」
 戸惑うディーバを微笑しながら魔人の女は続ける。
 「フフッ。死んだと思った貴方が生きてると言うことは治してもらったのよ、ね?あの人間に。そのおかげで居場所が分かったわ。貴方のおかげで殺すことが出来たの。位置を教えてくれてありがとう、ね?」

 ディーバは青ざめた。
 魔人の女が話す内容が正しいのなら、ミリアの母親が死んだのは、自分のせいだということになる。
 ーーオレを治したから?
 想像もしていなかった事柄に、ディーバの思考回路は鈍り体を硬直させた。
 「今回も貴方が関係しているのかしら、ね?フフッ」
 そんな冗談で喋った言葉も、ディーバには突き刺さる。
 自分の為に能力を使ってくれ、命を救ってくれた経緯が偶然重なり、彼の精神を追い詰めた。
 覇気が無くなり、押し黙るディーバに興味を無くしたのか、魔人の女は街の方角を見つめた。
 そしてある一点を見据え、こう言った。
 「まだ街の中にいるみたい、ね?ダーシャ。私が行ってあげるわ」
 まるでミリアの居所がわかるかの様に、運び屋の方向を見ながら、自ら赴くと言い出した。
 そんな魔人の女を『ダーシャ』と呼ばれた男は気遣う。
 「良いのですか?」
 「えぇ。遊ぶのは構わないけど、今回は急いで、ね?」
 「わかりました」
 大きな子供に頼むような口調で話す魔人の女に、深々とお辞儀をするダーシャ。
 「速やかに終わらせます」
 その言葉を聞くと、魔人の女は口角を上げて微笑み、十匹程の犬型魔獣を引き連れて動き出した。

 「じゃあ、ね?」

 立ち去ろうとする魔人の女。
 ディーバは引き止める為に大声を上げた。
 「待ちやがれ!」
 咆哮を遮る様に魔人の女との間にダーシャが立ちはだかる。
 「君の相手は僕だよ。今の話、聞いていただろ?悪いけど、遊びはお終い。死んでくれる?」
 再度腕を翳して魔法で黒球を複数個作り出す。
 「邪魔なんだよテメェ!!」
 追いかけようとしたディーバめがけて、魔人の男は黒球を放った。
 
 ディーバは短くなった棒で凌ぐ。
 だが前に進む事は出来ず、ジリジリと後退していく。
 ーーヤベェ。ヤベェ。ヤベェ!
 追いかけるどころか、死の際に追い詰められていく。
 「しつこいなぁ?早く死んでくれない?怒られるのは僕なんだから、考えて欲しいなぁ!!」
 ダーシャは黒球の数を二倍に増やすと、ディーバに向けて一斉に放った。
 ーー多すぎる!
 ディーバは視界に映った黒球の数に死を覚悟した。

 その瞬間、周囲の時間が遅くなる感覚を味わう。
 自分の体では無い様に、思うように動かない世界。
 だが意識はハッキリとしており、迫る黒球がよく見える。
 パッと浮かぶジジの顔。
 ーージジ、約束守れそうに無ぇわ。すまん。
 幻想の世界で笑う彼女に、ディーバは謝罪をした。
 名残惜しそうに口元を少し笑わせ、ディーバは玉砕覚悟で突っ込む事を決意した。
 ミリアの為、街の為に、命を全て使い切ろうと覚悟した。

 顔を上げて前を見る。

 「ウォォォッ!!」

 彼は最期となるであろう雄叫びを、腹の底から絞り出した。
 そして、届くことはないであろう特攻を仕掛けた。
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