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第14話
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スチュワートは、実の母のことは余り話さなかった。
1歳になる前に、離縁された母親だ。
「あのひとの思い出なんて、何もないよ。
俺にとっては、母親はジュリア・アダムスだから」
その言葉の通り、彼が「母上」と呼び掛ける継母のジュリアとの関係は、本当に円満だった。
ジュリアは精神的に落ち着いた、暖かな母性を持った人で、実子のレナードと同様に継子スチュワートにも愛情を注いだ。
そして嫁のミルドレッドにも優しかった。
スチュワート自身にも実母メラニーの記憶はないし、離婚の際に使用人達も全員入れ換えたので、彼に母のことを教える人間もいなかったと聞いた。
だから現在この家を支えている家令のハモンドにしろ、侍女長のケイトにしろ、メラニーのことは何も知らないらしい。
「奥様、お待たせ致しました」
慌ててやって来たハモンドが頭を下げた。
仕事を途中で切り上げて来てくれたのだろうか。
それを申し訳なく思うが、ひとりでは対応出来ないと思った。
ハモンドが来てくれたので、少し落ち着いた。
「貴方には先に伝えておくわね。
連れてきた女の子の名前は、メラニーと言うそうなの。
この名前だけはご存知でしょう?
旦那様のお母様のお名前よ」
「……左様でございますか」
「もし……カールトン様か叔父様を呼びに行く事態になっても、この事は先にお伝えしておいてちょうだい」
彼等にも、先に教えていた方が驚きも少ないと思った。
ミルドレッドは招いてもいない来客に、こちらの動揺は見せたくなかった。
……そこにつけこまれそうな気がしたからだ。
ミルドレッドの中では、まだ会ってもいない、その女性はすでに仮想敵になっていた。
気を引き締めて、ドアをノックする。
返事は聞こえなかったが、構わず扉を開いた。
そこには待ち疲れてしまったのか、母親の膝の上に頭を乗せて眠る金髪の幼女と。
ミルドレッドが想像していたより貧しい格好をしていたが、黒髪の美しい女性が居た。
ミルドレッドは震える指先を、悟られないように握り締めた。
スチュワートと同じ髪色の子供を連れて彼を訪ねて来た女に、値踏みをされているように思えて、いつもよりゆっくりとした動作で、正面のソファに座った。
そして目元に力を込めて、艶やかに微笑んで見せた。
「初めまして、フェルドン様。
わたくしはスチュワート・アダムス・レイウッドの妻のミルドレッドと申します。
お聞きになったでしょうが、夫は2ヶ月前に事故で亡くなりました。
わたくしで良ければ亡きスチュワートに代わって、お話を伺いますわ」
大人げないかも知れないが、妻、夫と。
わざと強調して話した。
ミルドレッドは幼い頃から、容姿だけは褒められてきた。
普段はそれを特に意識することはなかったが、今だけは。
目の前の女も美しいけれど、今この時だけは。
わたしは彼女より綺麗に見えますように、と切実に願った。
その意気込みが女に伝わったのだろうか。
彼女は一瞬視線を逸らして、少したじろいだように見えたが。
再び真正面からミルドレッドを見つめて、彼女と同じ様に微笑んだ。
「こんにちは。
わたしはローラ・フェルドンです。
この子は3歳で、メラニーです。
今日は急に来て、ごめんなさい。
スチュワート様から聞いていた通り、ミルドレッド様は本当に可愛らしいひとですね」
「……わたくしの方は、スチュワートからはフェルドン様のお話は伺っておりません」
初対面なのに丁寧な言葉遣いもせずに、友人のようにごめんなさいと言われた。
貴族である夫や自分の名前を馴れ馴れしく呼んだ。
わたしに向かって、可愛らしいひとですね?
挨拶しただけなのに、平気な顔を続けるのが辛くなってきた。
後はハモンドに任せるか、カールトンを呼ぼうか。
いっそ、リチャードを呼んで。
この無礼な女を怒鳴り付けて貰おうか。
「わたしのことを、スチュワート様から聞いていらっしゃらないのは……
まぁそうでしょうね、言えるわけないですからね。
でもわたしの方は、ミルドレッド様のことはよく聞いていましたよ。
お子様が出来たと言うのも知っています。
もう6ヶ月でしょうに、お腹が目立たないのはお若くて、痩せ形だからかしら?
ミルドレッド様は悪阻がきつかったんですよね?
それで、これからはなかなか会いに来れないから、次に会う時にはある程度まとまった額を渡すと、スチュワート様に言われていたんです」
1歳になる前に、離縁された母親だ。
「あのひとの思い出なんて、何もないよ。
俺にとっては、母親はジュリア・アダムスだから」
その言葉の通り、彼が「母上」と呼び掛ける継母のジュリアとの関係は、本当に円満だった。
ジュリアは精神的に落ち着いた、暖かな母性を持った人で、実子のレナードと同様に継子スチュワートにも愛情を注いだ。
そして嫁のミルドレッドにも優しかった。
スチュワート自身にも実母メラニーの記憶はないし、離婚の際に使用人達も全員入れ換えたので、彼に母のことを教える人間もいなかったと聞いた。
だから現在この家を支えている家令のハモンドにしろ、侍女長のケイトにしろ、メラニーのことは何も知らないらしい。
「奥様、お待たせ致しました」
慌ててやって来たハモンドが頭を下げた。
仕事を途中で切り上げて来てくれたのだろうか。
それを申し訳なく思うが、ひとりでは対応出来ないと思った。
ハモンドが来てくれたので、少し落ち着いた。
「貴方には先に伝えておくわね。
連れてきた女の子の名前は、メラニーと言うそうなの。
この名前だけはご存知でしょう?
旦那様のお母様のお名前よ」
「……左様でございますか」
「もし……カールトン様か叔父様を呼びに行く事態になっても、この事は先にお伝えしておいてちょうだい」
彼等にも、先に教えていた方が驚きも少ないと思った。
ミルドレッドは招いてもいない来客に、こちらの動揺は見せたくなかった。
……そこにつけこまれそうな気がしたからだ。
ミルドレッドの中では、まだ会ってもいない、その女性はすでに仮想敵になっていた。
気を引き締めて、ドアをノックする。
返事は聞こえなかったが、構わず扉を開いた。
そこには待ち疲れてしまったのか、母親の膝の上に頭を乗せて眠る金髪の幼女と。
ミルドレッドが想像していたより貧しい格好をしていたが、黒髪の美しい女性が居た。
ミルドレッドは震える指先を、悟られないように握り締めた。
スチュワートと同じ髪色の子供を連れて彼を訪ねて来た女に、値踏みをされているように思えて、いつもよりゆっくりとした動作で、正面のソファに座った。
そして目元に力を込めて、艶やかに微笑んで見せた。
「初めまして、フェルドン様。
わたくしはスチュワート・アダムス・レイウッドの妻のミルドレッドと申します。
お聞きになったでしょうが、夫は2ヶ月前に事故で亡くなりました。
わたくしで良ければ亡きスチュワートに代わって、お話を伺いますわ」
大人げないかも知れないが、妻、夫と。
わざと強調して話した。
ミルドレッドは幼い頃から、容姿だけは褒められてきた。
普段はそれを特に意識することはなかったが、今だけは。
目の前の女も美しいけれど、今この時だけは。
わたしは彼女より綺麗に見えますように、と切実に願った。
その意気込みが女に伝わったのだろうか。
彼女は一瞬視線を逸らして、少したじろいだように見えたが。
再び真正面からミルドレッドを見つめて、彼女と同じ様に微笑んだ。
「こんにちは。
わたしはローラ・フェルドンです。
この子は3歳で、メラニーです。
今日は急に来て、ごめんなさい。
スチュワート様から聞いていた通り、ミルドレッド様は本当に可愛らしいひとですね」
「……わたくしの方は、スチュワートからはフェルドン様のお話は伺っておりません」
初対面なのに丁寧な言葉遣いもせずに、友人のようにごめんなさいと言われた。
貴族である夫や自分の名前を馴れ馴れしく呼んだ。
わたしに向かって、可愛らしいひとですね?
挨拶しただけなのに、平気な顔を続けるのが辛くなってきた。
後はハモンドに任せるか、カールトンを呼ぼうか。
いっそ、リチャードを呼んで。
この無礼な女を怒鳴り付けて貰おうか。
「わたしのことを、スチュワート様から聞いていらっしゃらないのは……
まぁそうでしょうね、言えるわけないですからね。
でもわたしの方は、ミルドレッド様のことはよく聞いていましたよ。
お子様が出来たと言うのも知っています。
もう6ヶ月でしょうに、お腹が目立たないのはお若くて、痩せ形だからかしら?
ミルドレッド様は悪阻がきつかったんですよね?
それで、これからはなかなか会いに来れないから、次に会う時にはある程度まとまった額を渡すと、スチュワート様に言われていたんです」
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