破賢の魔術師

うめき うめ

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3巻

3-1

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 プロローグ 望み



 栄光の――伝統ある《ルーデン》王国王城の中でも、最も厳かな場所の一つ。国のためになんらかの功績を上げた者を称えるための部屋。
《ラフタ》で採れる石材の中では最高級の「貴白石きはくせき」で組み上げられたその部屋には、余計な飾りや調度品は一切なく、石が放つなめらかな光沢のみが神聖な空気を漂わせている。
 天窓から差し込む陽光は、部屋の中心にある祭壇、その頂きに立つことを許された功労者へと降り注ぐ。
 誰でもその場所に立てば、神に祝福されたかのような多幸感とともに、《ルーデン》への感謝と忠誠の心に満たされるだろう。
 そして更なる栄光を掴むため、国への貢献を心に期するのだが――

「ケント・ヤマフジ、前へ」

 ――中には例外もある。


「は、はいっ」

 祭壇の前で整列する者達。彼らに向かって大臣ジェネルが呼びかけると、一人の男が緊張した面持ちで進み出た。
 灰色のローブを身に纏った華奢きゃしゃな男は、ふらふらと覚束おぼつかない足取りで祭壇へ辿り着く。
 光の下で彼を待つのは、一国の王である。

「よくやった。褒美を受け取れ」
「ありがたき幸せ。光栄に存じましゅ……ます」

 王の言葉にケントは引きつった笑いで答えた。
 どうやら彼は、神の祝福を受け入れられるほどの余裕がないらしい。
 これまでの人生で一度たりとも使ったことのない台詞に、舌も付いてこなかった。

「どうぞ」
「ははー!」

 ジェネルが褒美を差し出すと、震える手で深々とお辞儀をしながら受け取る。

「……もう下がってよいですよ」
「へ? あっ……は、はい!」

 足をもつれさせながら下がるケントを見て、ジェネルは彼が祭壇から転げ落ちてしまわないか本気で不安になった。
 王の前で醜態しゅうたいさらすこととなれば、ケントにとって不名誉であることはもちろん、このおごそかな空気も吹き飛んでしまう。
 式典を取り仕切るジェネルにとって、それは避けたいところだ。

「ゼン・ドウダ、前へ」
「っす……」

 ケントと入れ替わり、全身甲冑かっちゅうの大男が登壇する。
 今、行われているのは「昇位しょうい」と呼ばれ、異世界から召喚された者、通称〈旅行者〉の中でギルドクラスを上げた者を称えるための儀式だ。
 同期を出し抜き、いち早くクラス2へ到達した上位五名に、褒賞金100万マークと《ルーデン》国内の自由な行き来が保証される許可証が与えられる。 

「そなたは山のように大きいな。身長はいくつあるのかね?」

 王の問いに、ゼンはボソッと答えた。

「二メートル十センチっす……」
「ほう、それは凄い。記録ではないか、ジェネル?」
「はっ、おっしゃる通りです。これまでの〈旅行者〉の中で最も大きな者かと」
「やはり。この重厚な鎧もまた……重くはないのか?」
「別に……」
「なんとも頼もしい。今後に期待できそうだな」
「ども……」

 ――……ども、じゃないですよ。
 言葉少なに返すゼンを見て、大臣ジェネルは眉をひそめる。
 ――せっかく陛下が声をかけてくれたのですから、もう少し気の利いた言葉を返しなさい。ほら、陛下が白けた顔をなされている。ああ、それに兜も脱ぎなさい。不敬ふけいでしょう。


 ジェネルに与えられた使命は、この「昇位の儀」を通じてルーキー達に《ルーデン》の威光と寛大さを伝えることだった。
 神聖な儀式と王の懐の深さに感銘を受けた彼らが、できるだけ長くルーデンに留まってくれるように。そうでもしなければ、〈旅行者〉というのはそそくさと他所よその国へ旅立ってしまうのだ。
 何故かは分からないが、彼らは同じ場所に留まろうせず世界を渡り歩く。それが〈旅行者〉と呼ばれる所以なのかもしれないが……
 だが《ルーデン》側からすれば、せっかく召喚したのだからできるだけ自国で活躍して欲しい。だからこそ本来大臣クラスの任命時にしか使用しない「栄光の間」を開放し、褒章を与えるのだ。
 しかし――ジェネルは今回に限って言えば、その目論見が上手くいっていない気がしていた。
 兜で表情が見えないこの大男もまた、神の祝福に心を揺さぶられる感性を持ち合わせていないように思える。
 ――あまり陛下を失望させないでくださいよ……退席されでもしたら大変です。
 国王は気分屋で有名だ。
 面白いと思えば一兵卒の言葉にも耳を傾けるが、反面、退屈だと感じれば神聖な「昇位の儀」であろうと途中で放棄するタイプなのだ。
 そうなったら、その責任は式を執り行うジェネルが負うことになる。
 ――それだけは避けたいのに……

「……うむ。よくやった、褒美を受け取れ」
「ども……あっ」

 ゼンが頭を下げると、兜がすっぽり抜けて床に落ちた。
 カラン、カラン、カラーンと金属音が木霊こだまし、気まずい沈黙が流れた。
 ――はぁ……言わんこっちゃない。

「……ジェネル、拾ってやれ」
「はっ」

 兜を拾いながら、ジェネルは思う。今回の召喚はハズレだったと。
 ――先ほどの男も酷かったのですが……やはり、このゼンとかいう男も、ここにいられるのは運がよかったからということでしょう。
 長年に亘り、「昇位の儀」で有望なルーキーを見てきた彼がそう思うのは、登壇する者達がどれもいまいち頼りなさそうに見えたからだけではない。明確な根拠があった。
 ルーデンには過去二百年に亘って行われている異世界召喚の記録がある。
 その記録に基づけば、召喚した日からクラスアップ上位五名が選出されるまでには、早くて十五日、遅い場合は三十日ほどかかるといわれている。
 それに比べて、今回のルーキー五名が出揃うまでに費やした時間は四十八日。通常よりもずいぶんと長い時間がかかっていた。
 ――残念ながら、今度の〈旅行者〉は総じて能力が低かったのでしょう。でなければ、まさかあのような子供までここにいるはずがありません。
 ジェネルの視線の先にいたのは、女の子。
 それも幼女と言って差し支えないほどの背丈の子だった。
 物々しい〈旅行者〉達の中で、明らかに浮いている。
 ――そのうえ、なんですかあの格好は。


 幼女の服装は、黒一色だった。


 上着、スカート、靴下、靴……胸元のリボンまで黒で統一されている。
 その出で立ちはまるでこれから死者を送り出す者のように見えた。
 ジェネルは顔をしかめつつも、幼女の名を呼ぶ。

「ナユ・ハナヤ、前へ」
「……」

 だがナユは、無言で進み出る。
 王やジェネルを見ようともせず、祭壇の前での一礼も行わない。
 ――いけません……あれはいけません。これ以上陛下が気分を害する前に、私から一言注意しておくべきでしょう。
 たしなめようとして、ジェネルは息を呑んだ。


 正面に捉えたナユ・ハナヤの顔には、一切の感情らしきものが見当たらなかった。
 恐ろしく整った容姿だが、血の気が感じられず大きな瞳は空虚だった。
 人形が歩いている――ジェネルはそう思った。
 幽霊のように祭壇を上ったナユは、ゆっくりとルーデン王を見上げる。
 王はほんの少しひるんだように見えた。

「そなたで最後か。近くで見ればなおのこと幼いな。いくつになる?」
「……」
「背格好からして我が娘のリアリスと似たような年頃に見えるが……十はいっておるまい?」
「……」

 王の言葉にも、ナユは反応しなかった。

「ふむ。緊張しておるのかな。……モンスターは怖くないかね?」
「……」
「……その衣装は随分変わっておるが……魔法使いのものにも見えるな。杖は持っておらぬようだが、そなたは魔法使いか?」
「……」
「……ふぅ」

 大きな溜息を吐いた王は、やがて厄介払いするように言い放った。

「よし、褒美を受け取れ。下がってよいぞ」

 しかし、ナユは動こうとしなかった。

「どうした? そこのジェネルから褒美を受けるがよい」
「……せん」

 初めてナユが口を開く。

「……なに? 何と申した」
「いりません」
「いらない? 褒美は必要ないと?」
「はい。その代わり――騎士団長と戦わせてください」

 しん……とその場が静まり返った。ややあって、王は笑い出す。

「はっはっ、やっと口を開いたかと思えば……面白いことを言う。騎士団長とはルーカスのことを言っておるのかね?」
「はい」
「なるほど……怖いもの知らず、とはこのことか。よいか、確かにそなたは、今回召喚された者の中では最も優秀かもしれぬ……だが、それだけのことだ。このルーデンには、そなたの想像を遥かに超える豪の者がごまんとおるのだよ。ましてルーカスは、その頂点に立つ男……挑むには十年早いと思うのだがね」
「十年も待てません。私は、今、戦いたいのです」

 ガラス玉のような瞳が、王を覗き込む。そこには、傲慢ごうまんさも虚勢きょせいも見出せなかった。

「ただの興味本位ではないということか?」

 ナユは小さく頷く。

「『騎士団長に勝てば望みを叶える』――そう、書いてありました」
「……それは招待状のことを言っておるのか?」
「はい」
「ふむ」

 ルーデン王は、ほんの少し顔を顰め、ジェネルに視線を送った。

「どうなっている?」
「あり得ません」

 即答したジェネルが説明する。

「無用な混乱を避けるため、招待状の文面はあらかじめ私が作成しております。ギルドが無断でそれを編集することは許しておりません」
「何かの間違い……あるいは悪戯いたずらということは?」
「招待状の送り主は私の元部下で、信頼できる人間です。そのような過ちを犯すことは決して……」
「ふむ……あれはたしか【メッセージ】とかいう魔法だったか。随分希少な魔法と記憶しておるが」
「はい。言葉を送る【メッセージ】は有用な魔法ですが、同時にとても高度な魔法です。過去に宮廷魔導士達を使って習得を試みたことがありますが、結局誰も会得できませんでした。今も私の知る限り、使い手は彼一人だけです。その彼にしても、ギルドと【チェンジ】の契約を交わした者にしか送ることができなかったはず」
「招待状が改変される余地はない、ということだな」
「おっしゃる通りです」

 ジェネルはナユへ向き直ってさとすように言う。

「お嬢さん。あまり大人をからかってはいけません」
「……」
「時と場合によって、笑って済ませられることと、そうでないことがあるのです。今回は残念ながら後者。子供でも……いえ、子供だからこそ許すべきではないでしょう。性根は魔法でも矯正できませんからね」
「あれは……魔法なのですか」
「【メッセージ】は魔法です。証拠も何も残らない、便利な魔法ですよ。ですが、それを逆手にとって嘘をくなど不届き極まりない。あなたには教育が必要だ。さしずめまずは、その恰好から指導を――」
「【メッセージ】……」

 ナユは反芻はんすうした。
 そしてジェネルの声を遮るように目を閉じる。

「は、話を聞きなさ……いっ!?」

 ナユの胸元が微かに輝き、黒髪がふわりと舞い上がった。

「【メッセージ】」

 次の瞬間、王とジェネルの頭の中へ文字が流れ込んだ。
 それらは並び替えられながら整列し、やがて意味を持つ文章へと変化していく。


 おめでとう。有能なあなたは選ばれた。
 明日正午、ルーデン城を訪れなさい。王から褒美が送られる。
 褒美が気に入らなければ、騎士団長を指名するとよい。
 もしも英雄を打倒し、更なる力を証明したならば、偉大な王はあなたの望みを叶えるだろう。


「なんと……」

 ルーデン王が、思わずうめく。

「これは……あなたが?」
「私宛の【メッセージ】……転送してみました。上手くいったようですね」

 何でもない風に言うナユに、ジェネルは目をいた。
 ――あ、あり得ない! 国中から選び抜かれた優秀な魔法使いが誰一人扱えなかったあの【メッセージ】の魔法を即興で……しかも……転送ですと? このナユとかいう娘、何者ですか? それに、この【メッセージ】、〈旅行者〉へ送らせたものとまったく違う。一体どうなっているのです?

「騎士団長はどこですか?」
「い、いるはずないでしょう。そのような予定は、元よりないのですから。そ、そうです……たとえこの【メッセージ】が本当にあなたへ送られたものだとしても、我々が指定したものとは別物……偽の【メッセージ】だということに変わりはありません。まして騎士団長と戦うなど、陛下がお許しになるはずがない。そうでしょう、陛下?」

 ルーデン王は答えなかった。何事かを考えているようだ。

「……陛下?」
「ああ」

 二度目の問いかけで、ルーデン王から返ったきたのは微笑。
 ジェネルは嫌な予感がした。

「ジェネルよ――ルーカスを呼べ」
「へ、陛下、何を……。まさかこの差出人不明の【メッセージ】に従うおつもりですか?」
「従うわけではない……ただ、面白い提案だと思い直しただけだ」

 臆面もなく王は言う。
 ジェネルは悟った。王にとって【メッセージ】の送り主が誰かという問題はもはやどうでもよく、ナユ・ハナヤという幼女の能力に興味が移っていることに。

「相手は子供ですよ?」
「子供とはいえ、今回の〈旅行者〉の頂点に立った者、実力に不足はあるまい……そうだ。ナユ・ハナヤよ。そなたのクラスアップまでに必要とした時間を教えてくれぬか?」

 王の質問に、ナユは片手を上げる。

「五日! それは記録的な早さではないか! やはりそなたはとんでもない才能を――」

 ナユは首を左右に振った。

「――なんだ? 五日ではない? ……であれば……」
「五時間」

 ――嘘だ!
 ジェネルは頭の中で素早く算盤そろばんを弾く。
 クラス2へ上がるために必要な報酬額は100万マーク。対して、一部の例外を除き、ルーデン周辺で出現するモンスターから得られる報酬は一体当たり平均420マークにしかならない。
 クラスアップには二千四百匹近くのモンスターを倒さなくてはいけない計算だ。とても五時間で達成できるはずがない――

「――とは言えんよな、ジェネル。この娘がどれほどの力を持っているかは誰にも分からんのだから」

 ジェネルの思考を先回りして遮ったルーデン王の表情は上気していた。

「うっ……」
「そしてどうすればそれが迅速かつ明瞭に判断できるか、賢明なお前なら既に分かっているだろう?」

 興奮気味にまくし立てる王に、ジェネルは反論する気力を失った。
 こうなってしまうと、もう誰にも止められない。

「……ルーカス殿をお連れしてきます」
「それでよい」

 ルーデン王は頷くと、これまで一度も見せなかった喜々とした笑顔をナユに向ける。

「ナユ・ハナヤよ。どうやら私は、そなたの魔法にかかってしまったようだ。そなたがルーカスとどう戦うか、楽しみにしておるぞ」
「勝てば……望みを叶えてくださいますか?」
「おお、それが目的だったな。すっかり忘れておった。無論、約束しよう。私が叶えることができる範囲でな」
「ありがとうございます」
「まぁ、大抵のことは叶うだろうが……はっは。どれ、そなたの望み、申してみろ」

 ナユの瞳に初めて感情が宿る。新たな余興に胸躍らせた王は気付かなかったが、それは恨みとも憎しみともとれる黒い感情だった。

「私の望みは――」


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