〜蛇苺〜年下幼馴染に溺愛され過ぎて、何故か僕自身がストーカーになってしまいました。

鱗。

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第二章『蛇苺』

第四話『僕は、元気です』

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借りている別荘に戻ると、準備しておいたエスプレッソマシンが丁度良く温まっていて、克樹は直ぐに、そのエスプレッソマシンでラテを淹れてくれた。あまりの綺麗な手際に、うっかりとその後ろ姿に魅入ってしまう。職人の後ろ姿というのは、それだけでも単純に絵になってしまうのに、それが絶世の美貌を持つ克樹ともなれば、これはもう老若男女全てがお手上げになってしまうだろう。珈琲王子というネーミングも、この姿を見れば納得のいくネーミングだと思える。本人は気に入っていないらしいのだけど、それでも、言い得て妙だと僕には感じられた。


「お待たせ致しました」


出来上がったラテは、ハート型のラテアートが施されていた。話によるとラテアートの中でも難易度は低いようなのだけど、どうしても今日は、僕にハート型のラテを淹れたかったらしい。家にもエスプレッソマシンはあるから、やろうと思えば出来るのに、家ではやらない、この不思議。一体何が違うのか。頼めばやってくれそうではあるけれど。でも、態々僕の方から、『克樹の淹れてくれるハート型のラテが飲みたいな』だなんて、頼む気には……いや、やっぱり辞めておこう。こうしたものは、機嫌が良い時に乗っかるくらいが丁度良い。でないと、後からどんな見返りを求められるか、分かったものでもないから。


「美味しい!うわぁ、僕、こんなに美味しいラテ、初めて飲んだよ」


お世辞ではない驚嘆が口から飛び出ると、克樹は本当に嬉しそうに、それでいて得意げな笑みを浮かべた。


「ふふ、なら良かった。もう、口元に泡付いてるよ。子供じゃないんだから……おいで、瑠衣」


言われてみれば、口元辺りにふわふわと。だけど、自分でそれを拭う前に、克樹が僕のその口元に付いた泡を、親指の腹で拭ってくれた。そして、牛乳で作られたそれを、自分の口の中に……いや、待って。漫画でしか、見た事ないよ。本当にやる人が、いま、目の前にいますよ、お母さん。好きだったよね、そういう話。僕は、恥ずかしくて堪らないのだけど。


「お前は、なんてことをするの……」

「え、何が?」

「……なんでも、ない」


話が前に進まないし、僕が何に気を取られたのか、本当に分からないという顔をしているこの子に、事の経緯の怪奇さの説明をするのは僕が恥ずかしいし、徒労に終わりそうだから、辞めておく事にした。我ながら、良い判断だと思う。


「実は、これ、煎り過ぎた方の豆なんだよ」

「え?そうなの?でも、僕、これ本当に美味しいと思うんだけど」

「基準が刈谷さんだからね。それに、これだけの豆だから、淹れる人間が下手じゃなければ、誰でも美味しく淹れられるよ」

「へぇ……」

「やってみる?教えてあげるよ」


教えたがり、出ました。でも、何となく、そんな流れになるんじゃないかな、と思っていたから、うん、と頷いてみたい気持ちはあったんだけど。その、戯けた様な、明るすぎる態度は、僕の中にある『この時間を出来るだけ長く続けたい』という気持ちに、寧ろ、冷たい風を呼び込んでしまった。


無理を、させている。それが、僕には分かってしまったから。この明るくて暖かい時間を続ければ続けるほど、別れが辛くなると、理解していたから。


「ありがとう……でも、今はいい。僕達の大切な話が終わったら、ゆっくり教えて。これが、この旅行が、僕達の最後の思い出に、なるかもしれないから」

「最後だなんて………言わないでよ」


テーブルの上に置いていた僕の手を、上から覆う様にして掴み、その手に力を込める克樹に、穏やかに微笑んでから、首を横に振る。すると、涙を堪える様にして、ぐ、と唇を噛み締めた克樹が、僕のその包み込んだ手を、自分の顔に寄せて、自分の頬に僕の手の甲を擦り付けた。


「何が、ダメだった?俺の何処が嫌で、そんな話になったの?……言ってよ、必ず、直すから。貴方にとって、して欲しくない事はしないから。だから、俺を置いて一人で生きていくなんて、言わないで」


そうじゃない。違うんだ、克樹。僕は、君が嫌だったから、君に思う所があったから、あの部屋を出ようとしたんじゃない。これは、そう。


「僕自身の問題なんだ。いま、僕がお前に頼りきりになったら、僕は、お前無しでは自立出来ない人間になってしまう。それに何より、僕はまだ、自分の幸せを求めてはいけない人間だから。せめて、あの子が独り立ちする年齢までは、あの子の家に送金しながら、慎ましい生活をするつもりでいるんだ。そんな生活には、勿論、お前を巻き込んだりしたくない。だから、僕が、完全に自分の足で立てる様になって、その時、色々なタイミングが合えば……僕は、その時になって、漸く自分の幸せを求める気持ちになれるかもしれないと思うんだ。だから、いつになるか分からない、そんな時まで、お前に僕を待っていてとは言えないんだよ」


克樹の事が、大好きだ。世界中の誰よりも、この子を愛している。だから、僕は、僕の贖罪の人生に、この子を巻き込みたくない。結局、堂々巡りしてきた僕の思いは、昇華ではなく、胸の中で凝固してしまった。言葉にすれば、なんとも身勝手で、どこまでも情けない。でも、これこそが、混じり気のない、僕の本心だった。


「……瑠衣。実は、貴方に渡して欲しいと言われて、預かったままだった物があるんだ。本当は、ジャムの小瓶を受け取った時に一緒に預かっていたんだけど。貴方にもしも里心みたいな物が芽生えてしまったらと思ったら、怖くて渡せなかった。だから、今になって渡す事になって、ごめんなさい」


話の脈絡もなく、克樹は、突然話をぶつ切りにして、懺悔をし始めた。だから、意表を突かれた僕は、きょとんと目を丸くして、えっと、と気が削がれた人間の戸惑いを口にした。


「それは……よく分からないけど、どういった物なの?」

「……加害者の、先生からの、手紙」

「手紙?」


僕の鸚鵡返しに静かに頷いてから、克樹は僕の手をするりと自分の手から離して、カウンターテーブルの椅子に置いておいた自分のボディバッグから、無地の手紙用の封筒を取り出した。そして、一度封が外された印象のあるそれを僕に手渡すと、僕の座っている椅子の隣に座って、今すぐ僕に読んで貰い、内容を一緒に確認する、という言葉にしない圧を掛けてきた。僕は、少しだけ緊張したけれど、それ以上は何も言わずに、その封筒を開けて、中にある便箋を取り出した。


すると、そこには。


『今まで、ありがとう。そして、本当にすまなかった。私の言えた義理ではないけれど、どうか、誰よりも幸せに』


と言う言葉で終わる、先生から僕に宛てた、長い長い謝罪と感謝の気持ちが綴られていた。けれど、その文章の何処を探しても、僕に対する恨み節は、記されていなかった。あるのは、今までの生活がどれだけ自分を救ってくれたか、どれだけ支えられたかという思いと、そんな僕を傷付けてしまった事への謝罪と後悔のみだった。


「実は、この手紙を俺に渡してくれたのは、お子さんの預かり先のご家族では無かったんだ。お子さんが、留置所にいた父親から預かった物で、貴方には直接は渡せないからと、俺に。その子は、貴方の事をずっと心配していました。そして、俺に、もう一通の手紙を渡してくれたんです」


そう言うと、克樹は、隣に置いたボディバッグから、もう一通の手紙用の封筒を取り出した。そして、クレヨンで宛名が書いてあるそれを一目見た瞬間に、僕は、震えながら自分の口元を掌で覆った。


『るい あにいちやん へ』 


あの子は、文字の練習や覚えが、あまり得意な子では無かった。だからこそ、この宛名だけで、どれだけの数を書き直したかが、僕には、直ぐに想像がついた。震える手で、宝物を扱う手付きで、その封筒の中にある便箋を、恐る恐る、取り出す。そして、一枚だけあったその便箋を開くと、そこには。


『ぼくは げんきです るい あにいちやんは げんきですか ? 』


なんてこと。
僕は、一体、なんて事をしてきたんだ。


あんな、小さな子が、辛い立場にいる自分よりも、僕の事を心配しているのを、知りもしないで。あの子は、本当は、誰よりも優しく、強く、逞しい子で。だけど、やっぱり子供だからと、僕は、自分の価値観を押し付けていた。


あの子を勝手に、『可哀想な子』に、してしまっていた。


辛い事、悲しい事、沢山ある筈なのに、君は。僕なんかよりも、ずっとずっと、前を向けているんだね。


未来を生きて、いるんだね。


「……どっちが大人だか、分からないね」


僕は、元気です。


「返事の手紙、考えなくちゃ。一緒に、考えてくれるかな、克樹」


僕は、元気です。


「甘えてばかりで、依存しっぱなしで……本当に、ごめんなさい」


僕は、元気です。


「これで、最後にするから……今回だけでも、頼って、いい、かな」


僕は。


「その為に、俺は、貴方の隣にいるんだよ。何でも頼って。何でも相談して。それは絶対に、昔みたいな、依存じゃないから。そしてそれは、甘えでもない……ねぇ、瑠衣君、その感情はね」


いま。


「信頼って、言うんだよ」


とても、元気で、います。

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