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第二章
最終話
しおりを挟む聡は、幾つか、自分にとって都合が良い嘘を僕に吐いていた。
義兄弟だった僕達が、恋人同士だった時代は無かったし。つまりは、身体の関係だって一度も無かったし。そもそも、一緒にお風呂に入っていたのだって、小さい頃の内に限った話だった。
告白だって、一度も受けた事はない。だけど、聡が芸能事務所に入社して、無事に練習生になる事が決まって、上京する前日の夜になって、僕の部屋を久しぶりに、そして突然訪れた彼が。
「俺がデビューして、大きな授賞式で表彰されたら、一緒に住もう」
その真剣な眼差しには、これから先のずっと二人で生きていくのだという、強い意志が宿っていた。
その眼差しを受けた瞬間に、何十年も昔に見たTⅤに映っていた聡の姿を思い出した。あの時、インタビューに答えた際に口にした台詞を受けたのは、きっと僕じゃなかった。
あの時のあの台詞は、僕に向けられた物では無かった。感情の矢印を、無理矢理自分に向けさせたのは、僕の責任だ。僕が、聡の本当の運命の相手を、彼の輝かしい未来を捻じ曲げてしまったんだ。
自分の愚かさ、罪深さ、傲慢さ、狡さ、醜さ、貪欲さ、それを思い知り。僕は、これまでの人生で初めて、喜んで時渡りを受け入れた。
全てを、やり直す為に。
だけど、扉を開けて、スーツを粧し込んだ父と手を繋いでその部屋に入り、目の前に広がっていた、玩具箱をひっくり返した様な子供部屋にぽつりと立っていた少年が此方を振り返った瞬間に、僕は悟った。
「葵さん、みつけた」
彼もまた、僕と同じ、化け物なのだと。
◇◇◇◇
中学に進学し、お互いが精通を迎えると、聡は日常的に僕の身体を貪る様になった。まだ年端のいかない、義務教育真っ只中の少年が、親の目を盗んで、義理とはいえ兄の肌を強請る異常な光景には、自分自身の身に降り掛かった現実にも関わらず、目を覆いたくなってしまう。きちんと確認していないから分からないけれど、彼の精神的な実年齢はどうやら僕より上らしい。にも拘らず、聡は義弟という立場で二つ上の義兄を抱くというシュチュエーションに燃えていて、青臭い精液の臭いを子供部屋に充満させる事に、終始に渡り躍起になっていた。
中身はおじさんどころかお爺さんの域に達している可能性すらあるというのに、性癖を拗らせているにも程がある。僕の方が精通するのが遅かったり、身体の構造上思春期というものも普通に訪れたりするので、暫くの間、お互いに距離を置く時もあったけれど。そんな時、聡は僕に隠れて、僕の下着や僕のベッドを使って自分を慰めていた。
そして、いざ僕が精通を迎えるや否や、彼はその晩になって直ぐに僕の部屋を訪れて、夢精を処理して手洗いし、こっそりと干しておいた僕のブリーフを戦利品の様に手の中で弄びながら、『今日、おじさんとおばさん、遅くなるって』と言って、にやにやと下卑た笑みを浮かべた。
聡は、絶対に俺の両親を父や母とは呼ばなかった。何故なら、父と母に、聡は小さい頃から疎まれて育ったからだ。父は聡が自分達と同じ存在だと知った途端に育児を放棄し、母はそれを受けて聡から距離を置く様になった。聡も、自分の能力を家庭内に置いておおっぴらに話したりせず、その辺りを気にして生活すれば良かったものを、どれだけ話しても生活態度を崩す事はなかった。
『兄さんとの関係に口を出さない限りは大人しくしているし、稼げる年になったら家を出て行く。だから、こんな家なんてさっさと出て、一緒に暮らそう』
俺の肌を貪った夜になると、聡は決まって僕の指の一つ一つに唇を落としながら、うっとりとした口調で睦言を繰り返した。
ある日、ふと気になって、僕の身体の中に熱を解き放って、互いの汗を纏わりつかせながら、解放感に身を委ねている聡に、そう言えばもう、アイドルは目指さないのか、と尋ねた。すると、学費は僕に負担させてしまったけれど、個人的な投資を繰り返してひと財産は築いているのでそれで返せるし、だから今はあまり興味が無い、と話し始めた。それを聞いて眉を顰めた僕は、思わず聡の腕の中で彼の顔を振り仰いだ。
「なんで、だって、お前の夢だったんじゃ・・・」
「それは、兄さんにお金を返す為だったから。貴方と過ごす時間を仕事に奪われるなんて、ごめんです。ねぇ、二人で住む新居は、どんな場所にしますか?俺、大きな犬を飼いたいんです。だから、一軒家も良いかなって」
その台詞を聞いた瞬間に、僕は根本的な過ちに気が付いた。これは、この目の前にいる少年は、僕の愛した聡かも知れないし、そうでは無いかも知れない。だけど、ならば余計に。
「僕達、暫く離れて生活しよう」
どこで間違ってしまったのか。いつかどこかのタイミングで、突き放す必要があったのだろうか。それも違う。きっと違う。恐らく、これは、このルートは、そうか、だからか。だから、僕は。
彼の前から、姿を消したんだ。
僕は大学を卒業すると、単身上京して、再び造園業の仕事に就いた。代わり映えの無い面子と一緒に自然に触れ、公園や庭園の景観を整え、緑と一体化する仕事に邁進する生活は、やはり僕の性格に合っていた。
聡とは連絡を取らなくなった。年末年始の休みにもお互いに顔を見せる事なく、実家からの仕送りも必要ないくらいに生活が安定して来た所で、久しぶりに彼の顔を見た。街中にある個人経営の家電製品やのTVの中で、彼はレッドカーペットの上に立ち、カメラに向かって手を振っていた。しかし、以前の様にカメラの前で交際相手を匂わせる様な衝撃的な台詞を口にする様な真似はしなかった。
住む世界が、初めから違ったのだ。同じ体質の人間が、偶然同じ時代に二人いたからこそ、生まれてしまった事故の様なもの。だとしたらならば、出来るだけ、静かに、淡々と日々を過ごして、天寿を全うするまで、お互いに不干渉のまま時を過ごしていく方がいい。その内に、好きな人がお互いに出来て、子供が出来て、それが男の子だったら、この呪縛からも逃れられて、本当の終わりというものを経験できる。それまで、僕は、僕は。
これから一体、どうして、いよう。
そんな漠然とした想いを、ぽつりと胸に浮かべながら、自宅であるアパートの扉を開けると、山積みの段ボールの中で、一人掛けのソファに腰掛けて、冷蔵庫から勝手に取り出したコーン茶をガラス製のコップに注ぎ飲んでいた聡が、僕の目に飛び込んできた。手に持っていたマートのビニル袋を取り落とすと、その音で僕の存在に気が付いた彼が、僕のいる玄関を振り返った。
「おかえりなさい」
「・・・なんで、いるの」
「約束したから」
「知らない」
「知ってるくせに」
「知らないったら、知らない」
「待ってたでしょう。この場所で、変わらずに。だから、返事聞かせて」
それ、いつの時代の話だよ。約束したのが本当に今の僕なのか、確認した事ないだろう。お前の好きな雨宮 葵は、本当の愛情を捧げた僕は、本当に今の僕なんだって、信じきれるの。お前は、それでいいの。本当に、それで。
「帰って」
「どこに?」
「それくらい自分で考えてよ」
「なら、ここが良い」
「無理だよ、だって、お前・・・芸能人だし」
「会社には、話通してるから」
「そういう意味じゃ・・・」
「葵さん」
吐きそうだ。そんな風に、甘く名前を呼ばれたら。吐いてしまいそうだ、戯言を。
「生きよう、一緒に」
聡。君を、僕の初恋の人に仕立ててあげる。
だから、だから。
僕と浮気しても、良いよ。
◇◇◇◇
何回人生を繰り返せば、僕は君と、普通の恋人になれるんだろう。どうしたら、僕は、最初に出会った傷付いた君を、迎えに行けるんだろう。そして、未来永劫、たった一人だけの君と、ずっとずっと。そんな事ばかり考える人生だった。
つまりは、僕は君を徹底的に傷付ける必要があって。だからこそ、間違える必要があって。取り返しのつかない事をする必要があって。
君は、怒るかな。忽然と姿を眩まして、次に出会った時には、自分の腕の中に、一つの輝かしい命を抱いている、僕を見て。
それとも、喜んでくれるかな。僕が選んだ、ただ一人の君が、自分であると知って。
そして、殺してくれるかな。
この僕と生きる為に、己が永遠と、心を。
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