祈りの乙女は、辺境で恋をする

千宮寺みるく

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第一幕

祈る乙女に戻れない

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 神殿の朝は、静かだ。

 白い布をまとった巫女たちが、慎ましく祈りを捧げている。風が通るたび、祭壇の燭台が微かに揺れて、蝋の香りが鼻をかすめた。遠くで鐘が三度、澄んだ音を響かせる。

 この清らかな世界に身を置いて、私は、今日もひとり祈っていた。

「……偉大なる神よ、命のめぐみを与え給え……」

 声が震えないように、唇を整えて紡ぐ。何千、何万と繰り返してきた祝詞。神に近い存在とされる聖女の責務。それが今の、私のすべてだ。

 でも、私はもともと――ただの貴族の娘だった。

 父は侯爵家の出で、母は公爵家の遠縁。家の名誉は堅く、育ちもそれなりに誇れるものだった。
 聖女に選ばれる前、私はリリエル・エヴァンス侯爵令嬢として、屋敷のバラ園を歩くのが日課だった。

 その傍には、いつも彼がいた。

 レオン・ヴァレンタイン。名門ヴァレンタイン公爵家の嫡男で、私の許婚。

 私たちの婚約は、まだ私が七つのころに定められたものだった。形ばかりの契約だったとはいえ、彼は会えば必ず礼儀正しく接してくれたし、私が転んだときはすぐに手を差し伸べてくれた。

 ――私は、あの人を信じていた。
 それが、子供心の恋慕だったとしても。

 そして、私が十二歳になった年。
 巫女の選定で、私は“神の声を聴く者”とされ、聖女に任命された。

「あなたはもう、この国の祈りとなるのです」

 そう言われて、涙を浮かべながら送り出してくれた母の顔も、今では霞んで思い出せない。

 聖女に選ばれた少女は、家族との接触を制限される。
 感情を祓い、欲を断ち、ただ神とともにあること。
 それが、私が与えられた“生き方”だった。

 そして、それは同時に――彼との別れを意味していた。

 彼は、最後まで笑ってくれていた。
 「君なら立派な聖女になる」と、そう言って、私の髪に手を置いた。

 その感触を、私はずっと忘れられなかった。
 だから、ずっと、祈るときは彼を想った。

 レオンが無事であるように。
 彼の家族が、災いに遭わぬように。
 私に代わって、この国で幸せを得られるように。

 祈りは“心をこめなければ届かない”という。
 だから私は、祈りながら、願いながら――
 誰よりも深く、あの人の幸せを願ったのだ。

 ……それなのに。

 私は、聖女であるがゆえに、誰よりも神に近いがゆえに、
 彼の“本当の心”から、いちばん遠いところにいた。
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