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第二章
噂の怪盗
しおりを挟む「おはよう御座います!レベッカ様。よくお休みになられましたか?」
「ん……」
メイドの声が彼女を眠りから引き戻す。
朝の挨拶とともに窓のカーテンが勢いよく開け放たれた。
パチリと瞼を上げたら薄暗い中であるにもかかわらず、美しい天蓋(テンガイ)が目に映る。
ああそうか、ここは──
レベッカは身体を起こして垂れ幕を引いた。
「……っ」
同時に朝日が彼女の顔に射す。
「よくお休みになられましたか?」
目を細めたレベッカに、メイドは先程の言葉を繰り返した。
「おはよう、あなたは…」
「エマと申します」
シーツを両手で持ち、名前を言ったそのメイドは、レベッカと同い年ぐらいの女性だった。
今までの付き人は年の離れた大人ばかりだったのでそれが彼女にとっては新鮮だ。
「これからは私が、レベッカ様の身の回りのお世話をさせて頂きます!」
「よろしくお願いします、エマ」
「朝食の準備ができておりますのでお着替えください。旦那様もご一緒されます」
───
身支度を整えたレベッカは寝室を出た。
昨夜も歩いた長い廊下を進んでゆく。
エマに案内されるまま部屋に入ると、そこには長いテーブルと、その両端に椅子が二つ。
レベッカは、片方の椅子に腰掛けた壮年の紳士に挨拶した。
「お待たせして申し訳ありません、公爵様」
そう言ってドレスの裾を少し摘まんでお辞儀をした彼女を、その紳士は笑顔で迎えた。
「その堅苦しい呼び方はしなくていい、レベッカ。君も席に着きなさい」
「はい公爵…──、…ベノルト様」
笑顔を向ける公爵にレベッカも微笑む。
そして彼女が席につくと、先ずは前菜から二人の前に運ばれてきた。
「君はまだ昨夜着いたばかりだからね。一族との食事はまた後日にしよう。今晩も私と晩餐を共にしてくれるかい?」
「もちろんです。お心遣い感謝します」
公爵から次の食事の誘いを引き受け、他愛もない会話をしながら朝食を続けた。
レベッカが嫁いで来たのは
この国に二つとしかない公爵家のひとつ
Bernold Herzog von Montgelas
ベノルト・ヘルツォーク・フォン・モンジェラ
モンジェラ公爵家の家主である男だ。
由緒正しき公爵家に、貴族の末端のような身分のレベッカが嫁ぐなど普通では考えられないが…。こうして見初められた彼女を周りの令嬢は羨むだろう。
事実、その待遇の良さは彼女が身をもって実感している。
モンジェラ公爵の評判は社交界でもかなり高い。…まさに申し分のない相手だろうか。
しかし二人には親子ほどの歳の差があった。
Herzogin Lebecca von Montgelas
レベッカ・ヘルツォーギン・フォン・モンジェラ
十九歳の彼女は、モンジェラ公の第三夫人。
もう歳も四十を超えた公爵が新たに迎えた婚約者。
壮年ながらも若かりし頃の端整な顔立ちを残した公爵だが、この歳の離れた二人の婚姻を疑問に思う者は少なからずいるだろう。
──それはレベッカも同じである。
公爵にはすでに二人の夫人がいて、世継ぎの男子もいる。なのにどうしてこのタイミングで、レベッカとの婚姻を進めたのか…。
わからないけれど、今さら落胆することではなかった。
落胆したところで……
自分には何の選択肢もないのだから。
相手を選ぶ権利など持っていない、自分には。
“ いけない、わたしはまた… ”
レベッカは頭の中のイヤな考えを振り払う。
朝食を終えた彼女は自分の部屋に戻り、式用のドレスを仕立てるために寸法を測っていた。
“ またいつもの癖で、諦めの気持ちが先に出てきてしまう ”
エマに腰回りを測られながらレベッカは自嘲気味に笑みを浮かべた。
これが自分の運命だからと
貴族の娘なのだから当たり前だと
彼女はいつもそう自身に言い聞かせている。
──それでは駄目だとアドルフに言われた。
わかっている、本当は彼女だって
普通の女の子のように《 恋 》に憧れぐらい持っている。
ベノルト様は確かに尊敬できる御方だ。
でもときめくような相手ではない…。
レベッカは少しだけ寂しい目をしていた。…背後のエマはそれに気付かない。
“ 誰かにときめく気持ち、…もうわたしには無縁のものになるのかしら ”
その時、ドアの向こうからヒソヒソと楽しげな会話が聞こえてきた。
「──ねぇ聞いた?」
「そう、昨日の夜でしょ…?」
まだ若い女の話し声。それはレベッカの世話係たちのものだった。
同じく話し声に気づいたエマはレベッカに謝罪した。
「申し訳ありませんレベッカ様…!今、注意してきますので…っ」
「大丈夫よエマ。静かに働かれるよりは、少しくらい賑やかな方がわたしもいいですから」
レベッカは止めにいこうとするエマを制した。
わざわざ怒るほどでもないし、…やはりこういう女の噂話には少し興味がある。
どれどれ…
さりげなく聞き耳をたてるレベッカ。
「この近くの商人の屋敷にまた怪盗が現れたのよ」
「近く…って、怖いわねぇ」
「でね、その怪盗──とても素敵な男なのよ!」
「捕まえてないのにわかるの?」
「仮面をつけているらしいけど…それでもわかるぐらいの美形なの!!スタイルもよくて…髪はブロンドの長髪ですってっ!」
それに続いてキャーという乙女の悲鳴が聞こえた。
「──…!」
聞き耳をたてていたレベッカはがっくりと肩を下ろした。
それ、どう考えても…
“ 昨日の男の人だわ……っ ”
ああ、やってしまってわ。
わたしが手を貸してしまった怪しい男が、まさか泥棒だったなんて…。
昨夜の一連の出来事から思い当たるふしがありすぎる。
なら昨日は、商人の屋敷に盗みに入って逃げていたということ。
豪商ともなると貴族と変わらぬくらいの財を持っている。あの衛兵たちは商人お抱えの兵士に違いない。
彼等から逃げて公爵の庭に入り込んだ泥棒を、レベッカが逃がしてしまったのだ。
──なんて事をしてしまったの
世話係たちの会話はまだ続いていた。
「さすが怪盗…、怪盗はやっぱり美形に限るわね」
──何でそうなるの?
「しかもね彼は逃げた後に、きまって置き手紙を残していくの!」
──手紙…?
「へぇ~、何が書いてあるの?」
「Der Appetit kommt beim Essen 。…欲には限度がない、ですって。なんだか謎めいていて素敵じゃないっ//」
「怪盗様…// きっと欲深い商人や貴族への当て付けね、格好いいわ~!」
──格好いい……ですって?
“ 泥棒に対して格好良いなんてどうかしら…?それに欲深いのはどっちよ ”
レベッカは納得できなかった。
人の物を盗むなんて、どんな理由があろうと卑怯な行為だ。
何より、昨夜の怪盗の態度が気にくわない。
「わたしに見つかっておきながら逃げないなんて。まるで…わたしが衛兵にばらさないと初めから予想していたかのよう…っ」
「何か仰いましたかレベッカ様?」
「…っ…あ、何でもありません」
苦々しげにひとりボソボソ呟いていると…
心配したエマに顔を覗きこまれた。
“ 結局最後には、後から現れた男の子に見つかってわたしの方が隠れるように部屋に戻ってしまった ”
「なんでこっちが隠れるはめに……悔しい」
「?」
レベッカが不機嫌になるのが見てとれる。
やはりドア向こうの話し声のせいかしら…
後できちんと注意しないと。
エマはそう決めて採寸を進めた。
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