冷徹令嬢(中身42歳)の経営改革 ~企業再建のプロが転生したら、効率重視の行動が「聖女の奇跡」と勘違いされまして~

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第2話:人材の最適配置と、埃まみれの棚卸し

ローゼンベルク公爵家の図書室は、知識の殿堂というよりは、巨大な棺桶のようだった。  重い扉を開けた瞬間、鼻腔を突いたのは、古紙と埃、そして湿ったカビの複合臭だ。窓は厚いカーテンで閉ざされ、昼間だというのに薄暗い。床には埃が積もり、歩くたびに舞い上がった粒子が、差し込んだ一筋の光の中で渦を巻いている。

「……酷いな」

 私は思わず眉をひそめた。もちろん、顔面の筋肉はピクリとも動いていないはずだが、内心では深い溜息をついている。  情報の管理は組織運営の要だ。それがこの有様では、この家の経営状態が推して知るべしというものだ。

「お、お嬢様、やはりお部屋に戻られた方が……。埃でドレスが汚れてしまいます」

 後ろをついてきたメイドのマリが、心配そうに声をかける。  私は彼女を振り返り、静かに首を横に振った。

「必要ない。それよりマリ、あなたには別の仕事があるわ」 「はい? 何でしょう?」 「屋敷中の鍵を集めてきて。すべての部屋、倉庫、そして金庫の鍵を。それと、現在屋敷にいる使用人のリストと、彼らのシフト表もね」

 矢継ぎ早の指示に、マリは目を白黒させた。  当然だろう。七歳の、しかも病み上がりの少女が口にする言葉ではない。だが、私は待つつもりはなかった。

「……急いで。一刻も無駄にはできないの」

 私の言葉に、マリは「は、はいっ! ただいま!」と慌てて駆け出していった。  彼女の足音が遠ざかるのを確認し、私は再び図書室へと向き直る。

(さて、まずは現状把握(アセスメント)からだ)

 私は埃っぽい空気など意に介さず、部屋の中央にある巨大な閲覧机に向かった。そこには、何年も開かれていないであろう革表紙の帳簿が山積みになっていた。  私は一番上の埃をフッと吹き飛ばし、重い表紙を開いた。

 ――読める。  言語中枢にインストールされた知識が、羊皮紙に記された独特の筆記体を瞬時に日本語へと変換していく。  だが、問題は言語ではなかった。

「……なんだ、この杜撰(ずさん)な記帳は」

 支出の項目が大雑把すぎる。『食費:金貨五枚』『雑費:金貨三枚』。これでは何にどれだけ使ったのか、その価格が適正なのか、まったく分析できない。複式簿記どころか、子供のお小遣い帳レベルだ。  日付も飛び飛びで、収入の記録に至っては、数ヶ月前の『領地からの税収(一部)』という記述で止まっている。

(資金繰り表(キャッシュフロー計算書)どころの話ではないな。これは、破綻寸前(デフォルト)だ)

 私は次々と帳簿をめくった。ページを繰るたびに、この家の絶望的な財政状況が浮き彫りになっていく。  借用書の束も見つけた。利息の計算が間違っているものもある。これでは高利貸しの言いなりだろう。

「……ふざけている」

 怒りではない。純粋な呆れだ。  公爵という地位にあぐらをかき、経営努力を怠った結果がこれだ。  前世で私が再建してきた企業の中にも、同族経営で腐敗した組織はいくつもあったが、ここはワーストを更新しそうだ。

 その時だった。  私の背後で、誰かが息を呑む気配がした。

「……お嬢様?」

 振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。  年齢は十四、五歳だろうか。仕立ての悪い、サイズの合っていないブカブカの使用人服を着ている。髪はボサボサで、頬には泥汚れがついていた。手には掃除用の箒と塵取りが握られている。

「お前は?」 「あ、えっと……ハンスです。見習いとして、下働きをさせてもらってます」

 ハンスと名乗った少年は、落ち着かない様子で視線を泳がせた。  だが、私は見逃さなかった。  彼の瞳の奥にある、ギラギラとした光を。  それは、現状に満足していない者の目だ。飢えを知り、這い上がりたいと渇望する、野心家の目。前世のビジネス街でも、たまに見かけた類のものだ。

(……なるほど。使えるかもしれない)

 私は彼をじっと見つめた。ハンスは居心地が悪そうに身を捩(よじ)った。

「あの、お嬢様。ここは埃っぽいですし、病み上がりなんですから……」 「ハンス。お前、計算はできる?」 「え?」 「文字は? 読み書きはできる?」

 唐突な質問に、ハンスは警戒心を露わにした。  スラム出身者にとって、不用意に能力をひけらかすことはリスクを伴うのかもしれない。だが、彼は私の目を真っ直ぐに見返し、短く答えた。

「……少しなら。昔、教会で教えてもらいました」 「そう。なら合格ラインね」

 私は手元の帳簿をパタンと閉じ、埃が舞う中で彼に歩み寄った。

「ハンス。お前に仕事をあげる。一時的に私の直属となりなさい」 「は? 直属って……俺はただの下働きで、掃除とか薪割りとか……」 「それは人的資源(ヒューマンリソース)の無駄遣いね。お前にはもっと適した仕事がある」

 私は彼の目を覗き込み、淡々と告げた。

「今からこの屋敷の『棚卸し』を行う。すべての資産、備品、食料の在庫を正確に把握するの。お前はその記録係だ」 「た、棚卸し? 資産? 何を言ってるんですか? そんなこと、執事長の許可がなきゃ……」 「許可なら私が与える。私がこの家の娘、リリエラ・フォン・ローゼンベルクよ。文句があるなら、私に直接言うように伝えなさい」

 七歳の少女の口から出たとは思えない、絶対的な命令。  ハンスは完全に気圧されていた。彼の常識が、目の前の現実と衝突して悲鳴を上げているのがわかる。

「……わかりました。でも、何から始めれば?」

 観念したように肩を落とすハンス。私は心の中で小さく頷いた。素直なのは良いことだ。教育コストが下がる。

「まずは食料庫から。腐りかけているもの、消費期限が近いものから優先的にリストアップして。次に衣類倉庫。虫食いがないか、修繕が必要なものがどれだけあるか。最後に……」

 私は視線を巡らせ、部屋の隅にある埃を被った木箱を指差した。

「この図書室の整理よ。価値のある古書と、ただの紙屑を仕分ける。本は財産だ。場合によっては売却して現金化(キャッシュ化)する」

「本を売る!? そんな、ご先祖様が残した大切なものを……!」

「管理もできずに腐らせる方が、よほど先祖への冒涜(ぼうとく)だとは思わない?」

 私の冷たい指摘に、ハンスは言葉を詰まらせた。  反論できない正論。彼は唇を噛み締め、そして、何かを決意したように顔を上げた。

「……わかりました。やります。お嬢様の言う通りに」

 その目から、迷いが消えていた。代わりに宿ったのは、奇妙な熱を帯びた光だ。  それはまるで、理解不能な上位存在に遭遇した人間が抱く、畏怖と好奇心が入り混じったような眼差しだった。

        ***

 それからの数時間は、ハンスにとって悪夢と驚愕の連続だった。  幼いお嬢様は、まるで熟練の現場監督のように、的確かつ容赦のない指示を飛ばし続けた。

「そこの木箱、中身を確認して。カビているなら廃棄。使えるなら乾燥室へ移動」 「その棚の動線が悪い。頻繁に使う掃除用具は、もっと取り出しやすい位置に配置換えして。作業効率が二〇パーセントは落ちているわ」 「この穀物袋、底に小さな穴が開いている。ネズミの仕業ね。被害状況の確認と、侵入経路の特定を急いで」

 ハンスは埃と汗にまみれながら、屋敷中を走り回った。  彼が驚いたのは、お嬢様の指示が、いちいち理に適(かな)っていることだった。  今まで誰も気に留めなかった、しかし確実に仕事を遅らせていた小さな無駄。それを、彼女は一目見ただけで見抜き、改善策を提示してくるのだ。

(なんなんだ、この人は……)

 食料庫の奥で、腐りかけた芋をより分けながら、ハンスは戦慄していた。  リリエラお嬢様は、これまで病弱で部屋から一歩も出ず、いつもメソメソ泣いているような子供だったはずだ。  それが、高熱から目覚めた途端、別人のようになっている。

 ――悪魔憑き。  そんな不穏な単語が脳裏をよぎる。スラムの婆さんが話していた、人を狂わせる魔物の伝承。  だが、彼女の指示に従って動いていると、不思議なことに仕事が面白いように片付いていくのだ。  今まで一日がかりだった食料庫の整理が、たった二時間で終わってしまった。しかも、正確な在庫リストまで完成している。

「……報告します。食料庫の棚卸し、完了しました。廃棄対象の芋が麻袋二つ分、保存食の塩漬け肉は、半分がカビていました」 「ご苦労。カビた肉は削って、熱を通せばまだ家畜の餌にはなるわ。捨てずに厩舎(きゅうしゃ)へ運んで」 「……は、はい」

 徹底した無駄の排除。その姿勢は、冷酷なまでに合理的だった。  ハンスは完成したリストを差し出した。リリエラはそれを小さな手で受け取り、ざっと目を通すと、満足げに頷いた。

「悪くないわ。字も読みやすいし、分類も正確ね。お前、事務仕事への適性があるかもしれない」

 無表情なまま発せられた、淡々とした評価。  だが、ハンスの胸には、これまで感じたことのない奇妙な高揚感が湧き上がった。  スラムでゴミのように扱われ、この屋敷でも誰からも期待されていなかった自分が、初めて「能力」を認められた瞬間だった。

(この方は、何者なんだ……?)

 薄暗い廊下で、リストを見つめるリリエラの横顔を、ハンスは盗み見た。  窓から差し込む夕陽が、彼女の白銀の髪を赤く染めている。その神秘的な美しさは、やはり人間離れしていた。

 そして、ハンスは気づいてしまった。  彼女がこの数時間、一度も笑っていないことに。  腐った芋を見ても顔をしかめず、成果を上げても喜ばず。ただ機械のように、最適解を導き出し続けている。

(感情がない……? いや、違う)

 ハンスの鋭い勘が囁く。  感情がないのではない。もっと高次の、何か別の目的に向かって、全ての感情を抑制しているのだ。  それは、凡人には理解できない、天才のみが持つ孤独な思考回路。

「……お嬢様は、この家をどうするおつもりですか?」

 思わず、口をついて出た問い。ハンスは自分の不用意さに後悔したが、遅かった。  リリエラはゆっくりと顔を上げ、紫色の瞳でハンスを見据えた。その瞳の奥は、深淵のように静かで、底知れない。

「どうするも何も。快適に暮らせる場所にするだけよ」

 彼女は、まるで今日の夕食のメニューでも語るように、平然と言い放った。

「そのために邪魔なものは排除する。貧困も、不衛生も、非効率も。すべてね」

 ゾクリ、とハンスの背筋に戦慄が走った。  七歳の少女の言葉ではない。それは、一国の王、あるいは冷徹な支配者が口にするような、絶対的な宣言だった。

 この時、ハンスの中で何かが決定的に変わった。  彼女はただの子供ではない。かといって、悪魔でもない。  この腐敗しきったローゼンベルク家を、いや、もしかしたらこの国そのものを根底から覆すかもしれない、とてつもない「劇薬」なのだ。

 ――そして自分は、その劇薬の最初の目撃者になってしまった。

「……わかりました。俺の命、今日からお嬢様に預けます」

 気がつけば、ハンスはその場に片膝をつき、臣下の礼をとっていた。  それは彼なりの、本能的な生存戦略であり、同時に、未知なる才覚への全面降伏でもあった。

 リリエラは、そんなハンスの行動を奇異なものを見るような目で見下ろすと、短く言った。

「……大袈裟ね。命なんていらないわ。必要なのは労働力と成果よ。さあ、次は衣類倉庫へ行くわよ」

 彼女はそう言って、スタスタと歩き出した。  ハンスは慌てて立ち上がり、その小さな背中を追った。  彼の顔には、もはや迷いはなかった。あるのは、この奇妙な主君に対する、狂信にも似た忠誠心の萌芽だけだった。
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