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第5話:泥濘(でいねい)の中の視察と、肥料という名の資源
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領地視察の当日。 私たちを乗せた馬車は、屋敷のある高台を下り、農村部へと向かっていた。 馬車の窓から見える景色は、私の予想を遥かに下回る惨状(ディザスター)だった。
「……酷いな」
整備されていないガタガタ道。痩せこけた牛。そして、生気の抜けた顔で畑を耕す領民たち。 麦の穂は背が低く、まばらだ。これでは収穫量(イールド)など期待できるはずもない。 隣に座る父は、気まずそうに視線を逸らしている。
「あー、その……今年は天候不順でな」 「天候のせいではありません。土壌管理(ソイル・マネジメント)の失敗です」
私は窓の外を見つめたまま、即座に否定した。 土の色が白っぽく、乾いている。明らかに栄養不足だ。連作障害も起きているだろう。 これは天災ではない。無知と怠慢による人災だ。
やがて馬車は、領内で最も大きな集落に到着した。 村長が出迎えに来ていたが、その顔には恐怖が張り付いている。 無理もない。これまでは「税を取り立てに来るだけの領主」だったのだから。
「よ、よくぞお越しくださいました、お屋敷の方々……。し、しかし、今年の税はこれ以上……」 「挨拶は不要です」
私は御者の手を借りず、ひらりと馬車から飛び降りた。 その瞬間、周囲の村人たちが息を呑む気配がした。 泥だらけの貧しい村に、不釣り合いなほど美しい、白銀の髪の少女が降り立ったのだ。私の無表情な顔立ちも相まって、彼らには異界の存在に見えたのかもしれない。
だが、私の意識は別のところに向いていた。
「……臭い」
鼻を刺すアンモニア臭。 私は眉をひそめ(たつもりで)、村長の方を向いた。
「村長。排泄物の処理はどうなっていますか?」 「は? は、排泄物……ですか? そりゃあ、そこの川へ流すか、裏の林に捨てておりますが……」 「その川の水は、生活用水や農業用水に使っていますか?」 「へぇ、まあ。一番近いですから」
――絶望的だ。 衛生観念がゼロに等しい。川下に汚水を流し、その水を畑に撒き、自分たちも飲んでいる。これでは疫病が蔓延し、労働生産性が低下するのは当たり前だ。
私はズカズカと歩き出した。向かう先は、村はずれの畑だ。 履いているのは、とっておきの革靴。もちろん泥で汚れる。
「お、お嬢様! そこは泥が深いです! 汚れてしまいます!」
ハンスが慌てて止めようとするが、私は意に介さず泥濘(ぬかるみ)の中に足を踏み入れた。 現場を見ずして経営判断などできるか。 私は畑の中央まで進むと、しゃがみ込み、素手で土を掬(すく)い上げた。
ザラザラとした感触。湿り気がなく、団粒構造が崩壊している。 私はその土を鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。
(窒素、リン酸、カリウム。すべてが不足している。完全に死んだ土だ)
私は立ち上がり、パラパラと土を払い落とした。 そして、呆然と私を見つめる村人たちに向かって、声を張り上げた。
「よく聞きなさい。このままでは、今年の冬を越す前に、この村は飢えで全滅します」
冷徹な事実の通告。村人たちの間に動揺が走る。 泣き出す子供、青ざめる老人。
「だが、回避策(ソリューション)はあります」
私の言葉に、全員の視線が集中する。
「まず、川への汚水の投棄を一切禁止します。村の下手に穴を掘り、専用の『処理場』を作りなさい。そして、家畜の糞尿、落ち葉、生ゴミ。これらをすべてそこに集め、発酵させるのです」
「は、発酵? ゴミを集めてどうするんです?」
「『堆肥(コンポスト)』を作るのです。あなたたちが捨てているゴミは、土にとっての最高のご馳走です。それを土に混ぜれば、作物は劇的に育ちます」
私が説明したのは、前世の知識に基づく基本的な有機農法だった。 だが、彼らにとっては魔法のような話だったらしい。
「ゴミが……土の栄養になる?」 「汚いものを、畑に撒くのか?」
困惑する村人たち。 私は彼らの迷いを断ち切るように、キッパリと言い放った。
「これは命令ではありません。生き残るための『契約』です。私の指示通りに動けば、今年の収穫は倍増することを保証します。もし失敗すれば、私が私財を投げ打ってでも食料を補償しましょう」
そこまで言うつもりはなかったが、トップがリスク(責任)を背負わなければ、現場は動かない。 その時だった。 雲の切れ間から太陽が顔を出し、畑に立つ私をスポットライトのように照らし出した。 白銀の髪が輝き、泥に汚れたドレスさえもが、何か神聖な衣装のように見える――らしい。
村人の一人が、震える声で呟いた。
「……汚れることも厭わず、我々の大地に触れてくださった……」 「あんな小さな手で、腐った土を慈(いつく)しんで……」 「ゴミさえも宝に変える知恵を授けてくださった……」
……ん? 何やら雲行きが怪しい。 私はただ、資源の再利用(リサイクル)と公衆衛生の話をしただけだ。 だが、私の意図とは裏腹に、村人たちは次々とその場にひれ伏し始めた。
「あ、ありがたや……! これぞ、ローゼンベルク家に伝わる『豊穣の女神』の再来じゃ!」 「お嬢様……いや、聖女様!」
(……なぜそうなる)
私は内心で頭を抱えた。 彼らの目には、私が「泥に塗れて民を救う、慈愛の聖女」として映っているようだ。 実際は、「生産効率を上げるために現場指導に来たコンサルタント」なのだが。
ハンスまでもが、目を潤ませて私を見ている。
「お嬢様……俺、感動しました。貴族の方で、ここまで領民のことを考えて泥を被るなんて……。俺、一生ついていきます!」
誤解だ。この革靴はもう捨てようと考えていただけだ。 だが、この場のモチベーション(士気)が最高潮に達しているのは事実だ。これを無下にするのは非効率的だ。
「……わかればよろしい。さあ、直ちに行動開始(アクション)です。鍬(くわ)を持ちなさい!」
「「「おー!!!」」」
村人たちの雄叫びが響き渡る。 その熱気を見て、父・ルドルフ公爵がポツリと漏らした。
「……わしが何十年かけても得られなかった民心が、たった数分で……。リリィ、お前は一体……」
こうして、私の領地改革第一弾「堆肥プロジェクト」は、なぜか宗教的な熱狂と共にスタートした。 その結果、村中に強烈な発酵臭が漂うことになるのだが、それはまた別の話だ。
――そして、この噂は風に乗って広まることになる。 泥にまみれて民を導く、美しき幼女の噂が。
「……酷いな」
整備されていないガタガタ道。痩せこけた牛。そして、生気の抜けた顔で畑を耕す領民たち。 麦の穂は背が低く、まばらだ。これでは収穫量(イールド)など期待できるはずもない。 隣に座る父は、気まずそうに視線を逸らしている。
「あー、その……今年は天候不順でな」 「天候のせいではありません。土壌管理(ソイル・マネジメント)の失敗です」
私は窓の外を見つめたまま、即座に否定した。 土の色が白っぽく、乾いている。明らかに栄養不足だ。連作障害も起きているだろう。 これは天災ではない。無知と怠慢による人災だ。
やがて馬車は、領内で最も大きな集落に到着した。 村長が出迎えに来ていたが、その顔には恐怖が張り付いている。 無理もない。これまでは「税を取り立てに来るだけの領主」だったのだから。
「よ、よくぞお越しくださいました、お屋敷の方々……。し、しかし、今年の税はこれ以上……」 「挨拶は不要です」
私は御者の手を借りず、ひらりと馬車から飛び降りた。 その瞬間、周囲の村人たちが息を呑む気配がした。 泥だらけの貧しい村に、不釣り合いなほど美しい、白銀の髪の少女が降り立ったのだ。私の無表情な顔立ちも相まって、彼らには異界の存在に見えたのかもしれない。
だが、私の意識は別のところに向いていた。
「……臭い」
鼻を刺すアンモニア臭。 私は眉をひそめ(たつもりで)、村長の方を向いた。
「村長。排泄物の処理はどうなっていますか?」 「は? は、排泄物……ですか? そりゃあ、そこの川へ流すか、裏の林に捨てておりますが……」 「その川の水は、生活用水や農業用水に使っていますか?」 「へぇ、まあ。一番近いですから」
――絶望的だ。 衛生観念がゼロに等しい。川下に汚水を流し、その水を畑に撒き、自分たちも飲んでいる。これでは疫病が蔓延し、労働生産性が低下するのは当たり前だ。
私はズカズカと歩き出した。向かう先は、村はずれの畑だ。 履いているのは、とっておきの革靴。もちろん泥で汚れる。
「お、お嬢様! そこは泥が深いです! 汚れてしまいます!」
ハンスが慌てて止めようとするが、私は意に介さず泥濘(ぬかるみ)の中に足を踏み入れた。 現場を見ずして経営判断などできるか。 私は畑の中央まで進むと、しゃがみ込み、素手で土を掬(すく)い上げた。
ザラザラとした感触。湿り気がなく、団粒構造が崩壊している。 私はその土を鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。
(窒素、リン酸、カリウム。すべてが不足している。完全に死んだ土だ)
私は立ち上がり、パラパラと土を払い落とした。 そして、呆然と私を見つめる村人たちに向かって、声を張り上げた。
「よく聞きなさい。このままでは、今年の冬を越す前に、この村は飢えで全滅します」
冷徹な事実の通告。村人たちの間に動揺が走る。 泣き出す子供、青ざめる老人。
「だが、回避策(ソリューション)はあります」
私の言葉に、全員の視線が集中する。
「まず、川への汚水の投棄を一切禁止します。村の下手に穴を掘り、専用の『処理場』を作りなさい。そして、家畜の糞尿、落ち葉、生ゴミ。これらをすべてそこに集め、発酵させるのです」
「は、発酵? ゴミを集めてどうするんです?」
「『堆肥(コンポスト)』を作るのです。あなたたちが捨てているゴミは、土にとっての最高のご馳走です。それを土に混ぜれば、作物は劇的に育ちます」
私が説明したのは、前世の知識に基づく基本的な有機農法だった。 だが、彼らにとっては魔法のような話だったらしい。
「ゴミが……土の栄養になる?」 「汚いものを、畑に撒くのか?」
困惑する村人たち。 私は彼らの迷いを断ち切るように、キッパリと言い放った。
「これは命令ではありません。生き残るための『契約』です。私の指示通りに動けば、今年の収穫は倍増することを保証します。もし失敗すれば、私が私財を投げ打ってでも食料を補償しましょう」
そこまで言うつもりはなかったが、トップがリスク(責任)を背負わなければ、現場は動かない。 その時だった。 雲の切れ間から太陽が顔を出し、畑に立つ私をスポットライトのように照らし出した。 白銀の髪が輝き、泥に汚れたドレスさえもが、何か神聖な衣装のように見える――らしい。
村人の一人が、震える声で呟いた。
「……汚れることも厭わず、我々の大地に触れてくださった……」 「あんな小さな手で、腐った土を慈(いつく)しんで……」 「ゴミさえも宝に変える知恵を授けてくださった……」
……ん? 何やら雲行きが怪しい。 私はただ、資源の再利用(リサイクル)と公衆衛生の話をしただけだ。 だが、私の意図とは裏腹に、村人たちは次々とその場にひれ伏し始めた。
「あ、ありがたや……! これぞ、ローゼンベルク家に伝わる『豊穣の女神』の再来じゃ!」 「お嬢様……いや、聖女様!」
(……なぜそうなる)
私は内心で頭を抱えた。 彼らの目には、私が「泥に塗れて民を救う、慈愛の聖女」として映っているようだ。 実際は、「生産効率を上げるために現場指導に来たコンサルタント」なのだが。
ハンスまでもが、目を潤ませて私を見ている。
「お嬢様……俺、感動しました。貴族の方で、ここまで領民のことを考えて泥を被るなんて……。俺、一生ついていきます!」
誤解だ。この革靴はもう捨てようと考えていただけだ。 だが、この場のモチベーション(士気)が最高潮に達しているのは事実だ。これを無下にするのは非効率的だ。
「……わかればよろしい。さあ、直ちに行動開始(アクション)です。鍬(くわ)を持ちなさい!」
「「「おー!!!」」」
村人たちの雄叫びが響き渡る。 その熱気を見て、父・ルドルフ公爵がポツリと漏らした。
「……わしが何十年かけても得られなかった民心が、たった数分で……。リリィ、お前は一体……」
こうして、私の領地改革第一弾「堆肥プロジェクト」は、なぜか宗教的な熱狂と共にスタートした。 その結果、村中に強烈な発酵臭が漂うことになるのだが、それはまた別の話だ。
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