5 / 33
第5話:泥濘(でいねい)の中の視察と、肥料という名の資源
領地視察の当日。 私たちを乗せた馬車は、屋敷のある高台を下り、農村部へと向かっていた。 馬車の窓から見える景色は、私の予想を遥かに下回る惨状(ディザスター)だった。
「……酷いな」
整備されていないガタガタ道。痩せこけた牛。そして、生気の抜けた顔で畑を耕す領民たち。 麦の穂は背が低く、まばらだ。これでは収穫量(イールド)など期待できるはずもない。 隣に座る父は、気まずそうに視線を逸らしている。
「あー、その……今年は天候不順でな」 「天候のせいではありません。土壌管理(ソイル・マネジメント)の失敗です」
私は窓の外を見つめたまま、即座に否定した。 土の色が白っぽく、乾いている。明らかに栄養不足だ。連作障害も起きているだろう。 これは天災ではない。無知と怠慢による人災だ。
やがて馬車は、領内で最も大きな集落に到着した。 村長が出迎えに来ていたが、その顔には恐怖が張り付いている。 無理もない。これまでは「税を取り立てに来るだけの領主」だったのだから。
「よ、よくぞお越しくださいました、お屋敷の方々……。し、しかし、今年の税はこれ以上……」 「挨拶は不要です」
私は御者の手を借りず、ひらりと馬車から飛び降りた。 その瞬間、周囲の村人たちが息を呑む気配がした。 泥だらけの貧しい村に、不釣り合いなほど美しい、白銀の髪の少女が降り立ったのだ。私の無表情な顔立ちも相まって、彼らには異界の存在に見えたのかもしれない。
だが、私の意識は別のところに向いていた。
「……臭い」
鼻を刺すアンモニア臭。 私は眉をひそめ(たつもりで)、村長の方を向いた。
「村長。排泄物の処理はどうなっていますか?」 「は? は、排泄物……ですか? そりゃあ、そこの川へ流すか、裏の林に捨てておりますが……」 「その川の水は、生活用水や農業用水に使っていますか?」 「へぇ、まあ。一番近いですから」
――絶望的だ。 衛生観念がゼロに等しい。川下に汚水を流し、その水を畑に撒き、自分たちも飲んでいる。これでは疫病が蔓延し、労働生産性が低下するのは当たり前だ。
私はズカズカと歩き出した。向かう先は、村はずれの畑だ。 履いているのは、とっておきの革靴。もちろん泥で汚れる。
「お、お嬢様! そこは泥が深いです! 汚れてしまいます!」
ハンスが慌てて止めようとするが、私は意に介さず泥濘(ぬかるみ)の中に足を踏み入れた。 現場を見ずして経営判断などできるか。 私は畑の中央まで進むと、しゃがみ込み、素手で土を掬(すく)い上げた。
ザラザラとした感触。湿り気がなく、団粒構造が崩壊している。 私はその土を鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。
(窒素、リン酸、カリウム。すべてが不足している。完全に死んだ土だ)
私は立ち上がり、パラパラと土を払い落とした。 そして、呆然と私を見つめる村人たちに向かって、声を張り上げた。
「よく聞きなさい。このままでは、今年の冬を越す前に、この村は飢えで全滅します」
冷徹な事実の通告。村人たちの間に動揺が走る。 泣き出す子供、青ざめる老人。
「だが、回避策(ソリューション)はあります」
私の言葉に、全員の視線が集中する。
「まず、川への汚水の投棄を一切禁止します。村の下手に穴を掘り、専用の『処理場』を作りなさい。そして、家畜の糞尿、落ち葉、生ゴミ。これらをすべてそこに集め、発酵させるのです」
「は、発酵? ゴミを集めてどうするんです?」
「『堆肥(コンポスト)』を作るのです。あなたたちが捨てているゴミは、土にとっての最高のご馳走です。それを土に混ぜれば、作物は劇的に育ちます」
私が説明したのは、前世の知識に基づく基本的な有機農法だった。 だが、彼らにとっては魔法のような話だったらしい。
「ゴミが……土の栄養になる?」 「汚いものを、畑に撒くのか?」
困惑する村人たち。 私は彼らの迷いを断ち切るように、キッパリと言い放った。
「これは命令ではありません。生き残るための『契約』です。私の指示通りに動けば、今年の収穫は倍増することを保証します。もし失敗すれば、私が私財を投げ打ってでも食料を補償しましょう」
そこまで言うつもりはなかったが、トップがリスク(責任)を背負わなければ、現場は動かない。 その時だった。 雲の切れ間から太陽が顔を出し、畑に立つ私をスポットライトのように照らし出した。 白銀の髪が輝き、泥に汚れたドレスさえもが、何か神聖な衣装のように見える――らしい。
村人の一人が、震える声で呟いた。
「……汚れることも厭わず、我々の大地に触れてくださった……」 「あんな小さな手で、腐った土を慈(いつく)しんで……」 「ゴミさえも宝に変える知恵を授けてくださった……」
……ん? 何やら雲行きが怪しい。 私はただ、資源の再利用(リサイクル)と公衆衛生の話をしただけだ。 だが、私の意図とは裏腹に、村人たちは次々とその場にひれ伏し始めた。
「あ、ありがたや……! これぞ、ローゼンベルク家に伝わる『豊穣の女神』の再来じゃ!」 「お嬢様……いや、聖女様!」
(……なぜそうなる)
私は内心で頭を抱えた。 彼らの目には、私が「泥に塗れて民を救う、慈愛の聖女」として映っているようだ。 実際は、「生産効率を上げるために現場指導に来たコンサルタント」なのだが。
ハンスまでもが、目を潤ませて私を見ている。
「お嬢様……俺、感動しました。貴族の方で、ここまで領民のことを考えて泥を被るなんて……。俺、一生ついていきます!」
誤解だ。この革靴はもう捨てようと考えていただけだ。 だが、この場のモチベーション(士気)が最高潮に達しているのは事実だ。これを無下にするのは非効率的だ。
「……わかればよろしい。さあ、直ちに行動開始(アクション)です。鍬(くわ)を持ちなさい!」
「「「おー!!!」」」
村人たちの雄叫びが響き渡る。 その熱気を見て、父・ルドルフ公爵がポツリと漏らした。
「……わしが何十年かけても得られなかった民心が、たった数分で……。リリィ、お前は一体……」
こうして、私の領地改革第一弾「堆肥プロジェクト」は、なぜか宗教的な熱狂と共にスタートした。 その結果、村中に強烈な発酵臭が漂うことになるのだが、それはまた別の話だ。
――そして、この噂は風に乗って広まることになる。 泥にまみれて民を導く、美しき幼女の噂が。
「……酷いな」
整備されていないガタガタ道。痩せこけた牛。そして、生気の抜けた顔で畑を耕す領民たち。 麦の穂は背が低く、まばらだ。これでは収穫量(イールド)など期待できるはずもない。 隣に座る父は、気まずそうに視線を逸らしている。
「あー、その……今年は天候不順でな」 「天候のせいではありません。土壌管理(ソイル・マネジメント)の失敗です」
私は窓の外を見つめたまま、即座に否定した。 土の色が白っぽく、乾いている。明らかに栄養不足だ。連作障害も起きているだろう。 これは天災ではない。無知と怠慢による人災だ。
やがて馬車は、領内で最も大きな集落に到着した。 村長が出迎えに来ていたが、その顔には恐怖が張り付いている。 無理もない。これまでは「税を取り立てに来るだけの領主」だったのだから。
「よ、よくぞお越しくださいました、お屋敷の方々……。し、しかし、今年の税はこれ以上……」 「挨拶は不要です」
私は御者の手を借りず、ひらりと馬車から飛び降りた。 その瞬間、周囲の村人たちが息を呑む気配がした。 泥だらけの貧しい村に、不釣り合いなほど美しい、白銀の髪の少女が降り立ったのだ。私の無表情な顔立ちも相まって、彼らには異界の存在に見えたのかもしれない。
だが、私の意識は別のところに向いていた。
「……臭い」
鼻を刺すアンモニア臭。 私は眉をひそめ(たつもりで)、村長の方を向いた。
「村長。排泄物の処理はどうなっていますか?」 「は? は、排泄物……ですか? そりゃあ、そこの川へ流すか、裏の林に捨てておりますが……」 「その川の水は、生活用水や農業用水に使っていますか?」 「へぇ、まあ。一番近いですから」
――絶望的だ。 衛生観念がゼロに等しい。川下に汚水を流し、その水を畑に撒き、自分たちも飲んでいる。これでは疫病が蔓延し、労働生産性が低下するのは当たり前だ。
私はズカズカと歩き出した。向かう先は、村はずれの畑だ。 履いているのは、とっておきの革靴。もちろん泥で汚れる。
「お、お嬢様! そこは泥が深いです! 汚れてしまいます!」
ハンスが慌てて止めようとするが、私は意に介さず泥濘(ぬかるみ)の中に足を踏み入れた。 現場を見ずして経営判断などできるか。 私は畑の中央まで進むと、しゃがみ込み、素手で土を掬(すく)い上げた。
ザラザラとした感触。湿り気がなく、団粒構造が崩壊している。 私はその土を鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。
(窒素、リン酸、カリウム。すべてが不足している。完全に死んだ土だ)
私は立ち上がり、パラパラと土を払い落とした。 そして、呆然と私を見つめる村人たちに向かって、声を張り上げた。
「よく聞きなさい。このままでは、今年の冬を越す前に、この村は飢えで全滅します」
冷徹な事実の通告。村人たちの間に動揺が走る。 泣き出す子供、青ざめる老人。
「だが、回避策(ソリューション)はあります」
私の言葉に、全員の視線が集中する。
「まず、川への汚水の投棄を一切禁止します。村の下手に穴を掘り、専用の『処理場』を作りなさい。そして、家畜の糞尿、落ち葉、生ゴミ。これらをすべてそこに集め、発酵させるのです」
「は、発酵? ゴミを集めてどうするんです?」
「『堆肥(コンポスト)』を作るのです。あなたたちが捨てているゴミは、土にとっての最高のご馳走です。それを土に混ぜれば、作物は劇的に育ちます」
私が説明したのは、前世の知識に基づく基本的な有機農法だった。 だが、彼らにとっては魔法のような話だったらしい。
「ゴミが……土の栄養になる?」 「汚いものを、畑に撒くのか?」
困惑する村人たち。 私は彼らの迷いを断ち切るように、キッパリと言い放った。
「これは命令ではありません。生き残るための『契約』です。私の指示通りに動けば、今年の収穫は倍増することを保証します。もし失敗すれば、私が私財を投げ打ってでも食料を補償しましょう」
そこまで言うつもりはなかったが、トップがリスク(責任)を背負わなければ、現場は動かない。 その時だった。 雲の切れ間から太陽が顔を出し、畑に立つ私をスポットライトのように照らし出した。 白銀の髪が輝き、泥に汚れたドレスさえもが、何か神聖な衣装のように見える――らしい。
村人の一人が、震える声で呟いた。
「……汚れることも厭わず、我々の大地に触れてくださった……」 「あんな小さな手で、腐った土を慈(いつく)しんで……」 「ゴミさえも宝に変える知恵を授けてくださった……」
……ん? 何やら雲行きが怪しい。 私はただ、資源の再利用(リサイクル)と公衆衛生の話をしただけだ。 だが、私の意図とは裏腹に、村人たちは次々とその場にひれ伏し始めた。
「あ、ありがたや……! これぞ、ローゼンベルク家に伝わる『豊穣の女神』の再来じゃ!」 「お嬢様……いや、聖女様!」
(……なぜそうなる)
私は内心で頭を抱えた。 彼らの目には、私が「泥に塗れて民を救う、慈愛の聖女」として映っているようだ。 実際は、「生産効率を上げるために現場指導に来たコンサルタント」なのだが。
ハンスまでもが、目を潤ませて私を見ている。
「お嬢様……俺、感動しました。貴族の方で、ここまで領民のことを考えて泥を被るなんて……。俺、一生ついていきます!」
誤解だ。この革靴はもう捨てようと考えていただけだ。 だが、この場のモチベーション(士気)が最高潮に達しているのは事実だ。これを無下にするのは非効率的だ。
「……わかればよろしい。さあ、直ちに行動開始(アクション)です。鍬(くわ)を持ちなさい!」
「「「おー!!!」」」
村人たちの雄叫びが響き渡る。 その熱気を見て、父・ルドルフ公爵がポツリと漏らした。
「……わしが何十年かけても得られなかった民心が、たった数分で……。リリィ、お前は一体……」
こうして、私の領地改革第一弾「堆肥プロジェクト」は、なぜか宗教的な熱狂と共にスタートした。 その結果、村中に強烈な発酵臭が漂うことになるのだが、それはまた別の話だ。
――そして、この噂は風に乗って広まることになる。 泥にまみれて民を導く、美しき幼女の噂が。
あなたにおすすめの小説
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
救世の結界師マールちゃん~無能だと廃棄されましたが、敵国で傭兵のおっさん達に餌付けされてるので、今さら必要と言われても戻りません~
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
ファンタジー
「ウチの子、可愛いうえに最強すぎるんだが――!?」
魔の森の隣、辺境伯家。 そこで八歳のメイド・マールは、食事も与えられず“要らない人間”として扱われていた。
――そしてある日ついに、毒と魔獣の禁忌領域《魔の森》へ捨てられてしまう。
「ここ……どこ?」
現れた魔獣に襲われかけたその瞬間。
救いに現れたのは――敵国の”イケオジ”傭兵隊だった。
「ほら、食え」
「……いいの?」
焚き火のそばで差し出された“温かいお粥”は、マールに初めての「安心」と「ごはん」を教えてくれた。
行き場を失った幼女は、強面のおじさん傭兵たちに餌付けされ、守られ、少しずつ笑えるようになる―― そんなシナリオだったはずなのに。
旅の途中、マールは無意識に結界を張り、猛毒の果実を「安全な食べ物」に変えてしまう。
「これもおいしいよ、おじさん!食べて食べて!」
「ウチの子は天才か!?」
ただ食べたいだけ。 だけどその力は、国境も常識もくつがえす。
これは、捨てられた欠食幼女が、敵国でお腹いっぱい幸せになりながら、秘められた力で世界を巻き込んでいく物語。
※若干の百合風味を含みます。
転生幼女は幸せを得る。
泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!?
今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−
召喚聖女に嫌われた召喚娘
ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。
どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
ハイエルフの幼女に転生しました。
レイ♪♪
ファンタジー
ネグレクトで、死んでしまったレイカは
神様に転生させてもらって新しい世界で
たくさんの人や植物や精霊や獣に愛されていく
死んで、ハイエルフに転生した幼女の話し。
ゆっくり書いて行きます。
感想も待っています。
はげみになります。
【完結】聖女召喚の聖女じゃない方~無魔力な私が溺愛されるってどういう事?!
未知香
恋愛
※エールや応援ありがとうございます!
会社帰りに聖女召喚に巻き込まれてしまった、アラサーの会社員ツムギ。
一緒に召喚された女子高生のミズキは聖女として歓迎されるが、
ツムギは魔力がゼロだった為、偽物だと認定された。
このまま何も説明されずに捨てられてしまうのでは…?
人が去った召喚場でひとり絶望していたツムギだったが、
魔法師団長は無魔力に興味があるといい、彼に雇われることとなった。
聖女として王太子にも愛されるようになったミズキからは蔑視されるが、
魔法師団長は無魔力のツムギをモルモットだと離そうとしない。
魔法師団長は少し猟奇的な言動もあるものの、
冷たく整った顔とわかりにくい態度の中にある優しさに、徐々にツムギは惹かれていく…
聖女召喚から始まるハッピーエンドの話です!
完結まで書き終わってます。
※他のサイトにも連載してます
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。