マンネリは切られた

織賀光希

文字の大きさ
上 下
4 / 10

④奇跡という世界

しおりを挟む
 店は営業を終えた。ソファに何かある。スマホだ。そこは、オジサンが座っていた場所だ。ということは、オジサンの持ち物か。そういうことになる。
 オジサンが、忘れ物をしていた。届けたいけど、仕事はまだある。片付けなどが残っている。抜け出せるほど、暇でもない。頭も心も、オジサンでいっぱいだった。

 オジサンのスマホ。オジサンのパーソナルが詰まった、青いスマホを持ち上げる。覗きたい気持ちが出てきた。でも、踏み込みたくない気持ちが、前に出た。
 そこは私にとって、有益な情報だけではない。求めていないものまで、見てしまうこともある。オジサンの知人に、落とした連絡だけならと、離したスマホをまた持ち上げる。
 でも、無理に連絡しても、良いとは思えない。やめよう、と心が言った。

"カランカランコロン"

「すすす、すみません」
「はい」
 オジサンだった。オジサンが、忘れたスマホを取りに来たのだ。連絡先を聞けなかったから、会えて嬉しかった。
 しかし、ここからの未来は、想像が追い付かない。時間がない。このままではオジサンは、すぐに後ろ姿に変わってしまう。

 ドアの奥の世界に消えたなら、ゲームオーバーだ。今度こそ、一生のサヨナラになってしまう。
 厳しい先輩も上司も、今はいない。ちょうど、どこかに行っている。私の声の届く範囲には、オジサンしかいない。チャンスとばかりに、ストレートに気持ちを伝えた。

「今度、一緒にどこか行きませんか?」
「えっ、僕に喋ってますか?」
「はい」
「統計学から、外れてますね」
「ああ」
 とりあえず、誘ってしまった。好きなものも場所も、カット中はほとんど話さなかった。だから、趣味などの接点はほぼ分からなかった。
「話をしたら、友達として合うなと思いまして。お願いします」
「いいですよ。連絡先交換しましょう」

 オジサンは、胸ポケットからメモ帳を出した。そしてそこに、太い銀色のボールペンを走らせていた。華麗にキャップを閉じると、紙を手渡しして、すぐ去っていった。
 行動がオジサンだった。今どきの連絡先交換ではない。それが、逆に面白かった。

 思いきって、デートに誘ってよかった。他の人がいないときで、本当によかった。
 でも、私には彼氏がいる。そのことを、排除していた。すっかり、消し去っていた。フリーのつもりで、アクションを起こしていた。
 彼氏と、別れられない雰囲気。それが、私の心に張り付いている。今の脳で再生されているのは、オジサンの去り際のリピートだ。それだけだ。

 私から連絡しないと、一生始まらない。オジサンからの連絡は、受けられない。
 私は、ずっと握り潰していたメモの紙を、ポケットにしまった。ファスナーのついたポケットに、大事にしまった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

神様の贈り物は美しい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

紅一葉

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

ユメ見るスズかはウラオモテ

青春 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

紅の華 ー夏ー

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

孤独

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

リセット結婚生活もトラブル続き!二度目の人生、死ぬときは二人一緒!

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:3,578pt お気に入り:42

無能女神のおっちょこちょい転生記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

抱擁された夢、失われた時

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...