【実験的創作小説】

MJ

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第1段階(順序バラバラでもとにかく書きたいように書く)

女子大生と待ち合わせ

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 僕は小さなレストランで女子大生と待ち合わせをしていた。店に着いて「カランコロンカラン」とドアを開けると、中には家族連れが一組だけテーブル席に座っていて、大学生風の女性はいなかった。
店の海側はガラス戸になっており、瀬戸内海が一望できた。そこから店内に春のやわらかい光が射していた。
 僕は窓際の二人席に座り、ガラス越しに見える瀬戸内海の景色を眺めた。風はそんなに強くなく、海面は穏やかだった。時折、漁船やプレジャーボートが走行して白波をたてていく。待ち合わせの時刻まではまだ10分ある。
 メニューの上の方に『村上水軍』というこのレストランの名前が書かれてある。それはかつてこの辺りに君臨した海賊の名前に由来している。なるほど、ここに浮かぶ島々が作る複雑な地形は、海賊が暮らすにはもってこいの場所だったんだなと偲ばせた。今では数隻のタコ釣り漁船が操業している。

ウェイトレスがやってきて水とおしぼりを置いた。僕は既に昼食を済ませていたので、ホットコーヒーだけを注文した。
 待ち合わせている女子大生とはSNSで知り合った。彼女の方からDMで連絡をよこしてきて、大学のレポートを書くためのアンケートに協力して欲しいと言ってきた。何度かDMでやり取りを交わしたあと、謝礼を払う事はできないけれど、直接会って話を聞かせて欲しいといわれた。僕は少し迷ったが、結局引き受けることにした。こういったイレギュラーな事態は嫌いではないし、休みの日にすることもなかった。そして、誰かに必要とされるという事は素直に嬉しかった。
 ただ、何かしらの詐欺的な事に巻き込まれる可能性も否定はできない。セールスとか宗教や恐喝とか美人局とか、そういった類いの話には用心が必要だった。しかし、僕の性格上、恐怖心よりも好奇心の方がまさった。もし、彼女が僕を何かしら騙そうとしているのなら、どのような方法で騙そうとしているのかに興味がわいた。それに僕から奪えるものなんて何も無いのだ。財産どころか中古車のローンを払っていくのもやっとなのだ。
 ちなみに僕は女子大生に対して下心というものは全くなかった。僕にとっては女子大生は親子ほども年齢が離れていて、話も合わないはずだ。誰に言っても信じて貰えないかもしれないが、そんな若い子は僕にとっては全く恋愛対象とはならなかった。それに、僕は今まで十分すぎるほどの恋愛をしてきた。もう誰かと深く心を通わせて傷つけたり、傷つけられたりするのはうんざりだった。例えるならば、愛犬が死んだ後に犬を飼うのを嫌がる愛犬家と同じ感情だ。そんな事を考えながら、僕は初対面の女子大生を待っていた。

 先程のウェイトレスがコーヒーを運んで来た。その時、ドアが開き「カランコロンカラン」と鐘の音が鳴った。
「いらっしゃいませ」とウェイトレスが振り返った。その先に立っている女性が僕の方を見ていた。目が合った。恐らく僕が待ち合わせしている女子大生だ。予想していたよりも美人さんだ。長袖の白いシャツにジーンズという簡素な出で立ちである。彼女は僕の方に近寄ってきた。
「お連れ様でしょうか」というウェイトレスの質問に彼女の方が「そうです」と答えて僕の前に座った。
「しゅんさんですよね」
「はい」と僕は声が上ずらないように答えた。
「まなみです。今日はよろしくお願いします」
そう言って頭をペコリと下げた。それから快活な笑顔で僕の方をじっと見た。僕は思わず視線を外しながら「よろしくお願いします」と彼女よりも小さな声で答えた。
彼女は僕が照れるのを楽しむかのようにまっすぐな視線を僕に向けてきた。僕は明らかに視線に圧倒されていた。あるいは人見知りの悪い癖が顔を覗かせていたのだろうか。緊張して上手く間合いを測りかねていた。
そんな緊張しているおじさんを前に彼女はとてもリラックスしていた。
「あの、私、お昼まだなんで、お腹すいてて、何か食べてもいいですか」
「はい」
彼女は水とおしぼりを持ってきたウェイトレスに海鮮パスタを注文した。初対面のおじさんの前でもりもり食事をするのは恥ずかしく無いのだろうかという疑問がわいた。しかし、彼女からしてみれば、目の前にいるおじさんなんて空気みたいなものなのかもしれない。なんにも気を使う必要も無いし、気取る必要も無い。僕は自分だけ緊張して脇の下から汗がにじんできているのがバカバカしくなってきた。
 「アンケートなんですけど」
彼女はそう言いながら、膝の上の大きなカバンの中から何かを取り出そうとした。その間、僕は彼女の方を見た。視線を合わさないようにほんの少しだけ。
肩にかかるウェーブのかかった黒い髪の間から見える下向きの顔、その先の胸元。ふとそのシルエットに僕はなにかの面影を感じた。何の面影かは分からなかったが、なぜか懐かしさみたいなものを感じた。僕は記憶の箱をつついてみたが、何も符号するものは見つからなかった。明らかに初対面の人だった。
 彼女はA4の数枚綴じられた紙を出して僕の方に向けてテーブルの上に置いた。
その表紙には『社会人類学講座 テーマ 日本人中年男性の恋愛』と書かれていた。
僕はその文字を目にした時、口に含んだコーヒーをその表紙の上にぶちまけそうになった。
彼女は満面の笑顔でこう言った。
「すみませんが、このアンケートに30分以内で答えてください」
「はい?」僕はペラペラとアンケート用紙をめくってみた。表裏両面に印刷された設問はざっと100問近くある。『はい』と『いいえ』で答えるものもあれば、記述式で答える設問もあった。
「できるだけ素早く直感で答えてください。そうしないと正確な調査が行えないんです」
「へ?」と面食らっている僕に彼女は先の尖った鉛筆を渡し、いつの間にか手に持っていたストップウオッチのボタンを押した。
「はじめ!」彼女の合図と共に、僕は急いでアンケート用紙をめくった。そして、メガネを外して設問に取り掛かった。老眼なので眼鏡を外さないと近くが見えないのだ。
設問は「結婚してますか」などの一般的なものから、「初体験はいつですか」といった際どいものまで色々あった。これがなぜ社会人類学に必要なのかは分からなかったが、僕は最初のうちはできるだけ正直に答えていた。しかし、「経験人数は何人ですか」と言う設問に答える時に少々見栄を張って多めに書いてしまった。それがきっかけとなり、僕はこんなプライベートすぎる設問を正直に答えるのが理不尽に思えてきた。
それから僕はアンケートに嘘を混じえて答えることにした。

僕がそんな風にしてアンケートに答えている間、いつの間にかまなみは海鮮パスタを食べていた。スプーンとフォークを使って器用に食べていた。イカやらエビやら貝やらを口にせっせと運ぶ様は妙にいやらしかった。当の本人はお構いなしに食べ終わると口紅も塗っていない分厚い唇をナプキンで拭いた。
僕はドギマギしていた。
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