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四
秘密の約束
しおりを挟む「夕食の膳を、鉄之助さんの部屋に届けてちょうだい」
いつの間にか、ノブは鉄之助を「市村様」ではなく、名で呼んでいた。そしてよく、ハツに鉄之助の部屋への配膳を頼んだ。
ノブは、最初の出会いや年の近さも考えて、ハツが鉄之助のいい話し相手になるだろう――そんな風に思っていたのだ。
「市村さま、夕飯で御座います」
ちょっと改まって言ってみた。
鉄之助が障子を開けると、部屋には書物が散乱していた。
「あ~あ、酷い散らかりようだべ。あれ、何の本?」
よそいきの言葉はすぐに崩れてしまった。それを見て、鉄之助がにやりとした。
「慰み本さ。おめえも読むか」
にたにたと鉄之助が口角を上げて笑っている。
ハツの顔が真っ赤になった。
その反応は、鉄之助を十分満足させたようで、顔をくしゃりとして歯を見せ大笑いしている。
「嘘だよ。ばぁか。ア、ハハハハ」
ガシャン! ――鉄之助の言いぐさにムカついて、乱暴に膳を置いた。
「あたしが読み書きできねえのを、馬鹿にしてんだろ?」
散らばった本を一冊ずつ集めながら、文句を言った。
「なあにが、慰み本だあよ。そんなのおっかなくも何ともねえべ」
一冊を開いて見ると、何やら難しそうな本だった。仮名しか読めないハツには、まるで何を書いているのかさっぱりわからない。
「こんなの読めねえから、いかがわしい本なのかどうかすら、わかんねえや」
ポンと、無造作に積み重ねた。
「俺だって、少しずつ佐藤様に習っとるんじゃ。読める本も、読めねえ本もある。あと、読めても理解できねえ内容もな」
笑いを収め、ぺろりと舌を出した。
「そうだ、お前にも教えてやろうか?」
思わず鉄之助の顔を二度見した。
字を習う――すごく魅力的な誘いだ。
丁稚の坊主は、手代らに夜、読み書きを習っている。だが、おなごのハツは、その中には入れずにいた。仮名だけの簡単な読み書き、せいぜい単純な足し算引き算さえできれば、女は十分。それが世間一般の常識だった。郷士だった父も、娘に読み書きそろばんなど必要ないと思ったのか、最低限の事しか教わっていない。
「おかみさんに叱られるよ」
「昼間の掃除のついでに、ここへ来ればいいさ。ばれやしねえよ」
「じゃあさ、あたしが市村さまと同じだけ、読んだり書いたりできるようになるまで」
「ああ、ここに居て教えてやる」
この日、ハツと鉄之助は、佐藤夫婦に内緒の約束を交わした。
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