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嫉妬

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『キス』がライブ・ハウスで好評を得てから、俺たちはもっと人間の愛の本質を突く作品を作ろうと貪欲になっていた。
 俺は1ヶ月で20作品以上の詞を書き、その中でメンバーと相談していいものだけをチョイスしてユウタが曲をつくった。

 以前はスタジオ161では専ら持ち歌の練習を繰り返していたが、それが段々、新曲を創作する場へと変わった。
 まずユウタがベースで新しい曲のメロディー・ラインを引き、アツシと俺が自分の楽器のアレンジを考える。三人で演奏を合わせては、これは違う、などと談義を重ね曲を仕上げるといった具合にして時間が過ぎた。

 この当時バンドのメンバーと一緒に創った曲で、今も俺がステージで歌っている曲がある。母の海よりも深いとされる愛を表現しようとした『マザー』という作品だ。

 マザー、教えてよ
 たとえ世界中を敵にまわしても
 あなただけは、味方でいてくれる
 だから、僕は強くなれるんだ。
 人の善意を信じるのは、愚かかい?
 そんなに人は、淋しい存在(もの)か?
 何度裏切られても
 僕は信じてキスをし続けるだろう

 この作品の根底にある母親像のイメージは、ミカだ。小学生とはいえ、色んな角度からミカを見つめて描くと、ミカは時に聖母のようになったり、天使や悪魔、恋人、妹など、何にでも変身する。
 一人の人間をとことん見つめ、受け入れることで表現の幅というものは驚くほど広くなるものだ。

 この詞を初めて見た時、ユウタは不採用にしようとした。
「ダメだって、こんなの。何か気持ち悪いよ。お前の犯罪に近い異常な愛を感じる」
 馴染みのスタジオ161に入って詞を眺めた途端にユウタが俺に言った。俺は、作品を講評する領域を超えて、俺個人を中傷するユウタの発言に腹が立った。
 俺を変人扱いするんだったら、憎い俺の家族と一緒だ。

「作品の内容と作者は別に捉えるべきだろう。俺個人の文句にしか聞こえないよ」
 俺は語気を強めてユウタに言った。

 アツシは静かに詞を眺めている。
「俺は認めない。この作品も、お前のロリコン趣味も。第一、あの小学生のどこがいいんだよ?」
 ユウタはまだ強気の姿勢でリーダーの俺に反目する。
 俺はユウタを睨みつけ、手を握り締めて振るわせた。
 ユウタはライブの度、最前列にいるミカに嫌う仕草を取るようになった。そして俺が新しい詞を出すと、その作品の奥にミカの存在が感じ取れて、ユウタは不快感を露にする。

 この頃は、単にユウタが子ども嫌いなんだろうと思っていた。
「そうか? タケシの詞って最近、クレイジーでいいじゃん。ユウタ、やんねえか?」
 黙っていたアツシが、俺と対峙するユウタに口を開いた。

「本気か?」
 ユウタは、アツシの支持が得られないと分かったら、意気消沈する。
「ああ、これくらい病的な詞の方がインパクトがあって良い」
 アツシは、俺とユウタのどちらかの肩を持とうとするのではなくて、バンドの音楽性を考えて合理的に判断した。
 喧嘩っ早い奴だが、クールな一面もアツシは持っている。

「分かったよ」
 ユウタはため息をついてから、諦めて言った。
「本当はユウタだって、いい作品だって思ったろう? 何でストップしようとした?」
 今度はアツシが、ユウタを追求し始めた。ユウタは黙ってベースを持った。

「別に。やると決まったからには、いいメロディにしてやるよ。こんな感じでどうだ?」
 ユウタはアツシの追求の手から逃れようと、新曲のメロディを思い尽くすままベースで弾いた。
 それを聞いてアツシがドラムを叩き、合わせ始める。俺もギターを弾いて、いつもの新曲創作のためのセッションが始まった。
 一度演奏が始まると、もうメンバーは音楽に夢中になってしまう。俺の詞を嫌うユウタの真意は分からないままになってしまった。

 この『マザー』は後日ライブで発表した際、会場にたまたま来ていたインディーズのレコード会社のプロデューサーが気に入ってくれた。
 そのプロデューサーはライブの後、俺たちの控え室を訪れてスカウトしてくれた。まさに出世作というべき作品だ。

 バンドの練習が終わって外に出たら、空はすっかり暗くなり、ちらほら雪が降ってきた。初雪だ。
 12月初旬に滋賀県で初雪となるのは、異様に早い。きっと積もることはないだろうが。

『マザー』の出来栄えに満足したアツシは、譜面に直す作業を明日までに仕上げたいから、と先に帰った。音楽が上手く噛み合い出すと、アツシは段々、音楽家として目覚め始めてきている。
 昔みたいに遊びで時間を費やすくらいなら一曲でも多くいい作品を完成させて、ステージで発表したい、とまで言う。

 アツシは家が金持ちだから、色んな音楽機材の他に、パソコン上で音のミックスや譜面を作成し編集できるソフトを持っていた。だから当然の成り行きで、でき上がった曲を譜面にする作業はアツシの担当となる。その楽譜を元に、スタジオが使えない日は、メンバーが自宅で練習するのだ。

 スタジオの外で俺はユウタと二人きりになった。
 左手に広がる琵琶湖を眺めると、対岸の街灯りが雪で霞んで見える。
 水面は穏やかで、予想以上に早く舞い降りた白い粒を歓迎して、優しく吸収していた。右手の国道161号線は車の渋滞が続き、赤いテール・ランプが夜の街に彩りを添えている。

「今日はアルバイトじゃないのか?」
 俺は、さっき生じた亀裂を少しでも埋めようと、ユウタに優しく話し掛ける。
 雪が降っているにも関わらず、俺たちは傘を差していない。体に付着する雪の感触が心地よかった。
「ああ」
 返事をするユウタはどこかぎこちない。

「そうか」
「ああ。あのさ、タケシ。あの子が好きなのか?」
 不意にユウタは、また俺のプライベートな面に口出しをしてきた。
「うん。でもセックスはしてない。小学生だからな。それぐらいの良識はあるよ」
 俺は正直に答えた。

「キスはしてるだろ? しかも皆の見てるライブのステージの上で毎回」
 聴衆の前で堂々とするキスにユウタは批判的な態度で言った。確かにライブが終わる度、ステージに上がってくるミカと俺は抱き合ってキスをしている。しかも皆の見ている前で、だ。

 面識のない人が見ると異常に思われるかも知れないが、俺にとってステージ上でのキスは習慣に近いものだ。
 欧州の人たちが日常でする挨拶とかいった次元だろうか。ユウタが思う程、深いキスではない。
「今の俺には、ミカが必要なんだ」
「俺は、いけないと思うよ」
 バンドのために平穏な関係を取り戻したかった俺は、心底では腹が立ったが、外見上反発した態度は取らなかった。

「そうか。考えておくよ」
 ユウタはこれ以上、ミカのことに触れなかった。
「タケシー!」
 100メートルくらい先にある国道の交差点から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 ミカだ。
 横断歩道で信号待ちしている。こいつも傘を差していない。雪はどんどん降る勢いを増して街中が底冷えしていた。
 ミカはハイ・ソックスを履いているものの、スカート姿なので寒くないのか、と心配になる。
 この日、浜大津駅でミカと孤児院のメンバーは募金活動をしていた。俺の練習終わり時間に合わせて、ミカが迎えに来たのだ。
 ミカの姿を見て、ユウタは顔を反らす。
 信号が青になった途端、全力疾走でミカは俺に向かってきた。が、勢い余ってマンホールに足を滑べらし転んだ。
「痛―い!」
 俺は急いでミカに駆け寄り、抱き起こした。
「大丈夫か?」
「うん」
 ミカは転んだにも関わらず、嬉しそうに笑っている。
「スカートって寒いだろ? 風邪ひくぞ」
「エッチ!」
 俺は、ミカの脚から目線を反らす。
「違うって。そんなつもりじゃないよ」
「本当?」

 ミカの顔を見ると、眉毛とまつげに白い雪が蓄えられている。俺は手で、ミカの顔に付着した雪を払った。
「ありがとう。私、寒いの全然平気だよ」
 ミカと会話をしている内に、すっかりユウタのことを忘れていた。ユウタは傘を広げて俺とミカの横を通り過ぎ、駐車してあった車に乗ろうとする。俺に振り向こうともしない。ミカもユウタの只ならぬ雰囲気を察知して黙った。

「じゃあな」
 車に乗りざま、背を向けたままユウタは声を発し、そのまま車の運転席に滑り込んでその場を去った。

「あの人は、何かに苦しんでいる」
 ミカは、去っていくユウタの車を眺めながらぽつりと呟いた。ミカは突然、淋しい目をする。
「ちょっと最近、あいついらいらしてるみたいだ」
「きっと、私のせいだ」

 ミカは勘がいい。ユウタを一目見て、自分がユウタの怒りの何かに因果関係があると見抜いてしまった。
「ミカのせいじゃないよ。原因は全部俺だよ」
 俺はミカに変な心配をさせたくない。
「あの人も救ってあげたい」
 ミカの覚悟に俺は危険性を感じた。ピュアなミカの心を打ち砕くような、酷い大人が世間にはうようよいるからだ。

「あいつは、俺が何とかするよ。気にするな」
「でも……」
「関わらない方が良い。ミカに何かがあったら心配だからさ」
「う……ん」
 俺は守りたいという一心で、ミカを説得する。そしてミカの手を取って、浜大津駅を目指した。

 この頃俺は毎週日曜日にミカのいる教会に通い、孤児院のメンバーが行ういろんなボランティアにも積極的に参加するようになっていた。全てミカの薦めによるものだ。
 社会のために奉仕するという精神が、俺の音楽性に与えた影響は計り知れない。
 募金活動は最初の頃、嫌々やっていたが、募金を受け取ったアフリカの現地の人から届けられた感謝状を見て、俺はやってよかった、と思えるように変わっていった。

 活動する孤児院のメンバーとは、すっかり顔馴染になった。全員小学生の女の子だ。親のいない、不遇の人生であるはずなのに、みんな顔が生き生きしている。
 この中で年長になるミカは、リーダーの立場にあった。神父のアランも活動に加わるが、全て子どもたちの自主性に任せている。

「ねえ、タケシ。この世に無駄なものなんてないよ。善意はちゃんと受け止めてくれる人がいる。アフリカの人たちがいるおかげで、私たちがここで活動する意味があるの。これってお互いが支え合ってるってことよね」
 募金活動を面倒くさがる俺に、ミカはこう言って諭したものだ。

「タケシ、声が小さいよ。ボーカリストなんでしょ!」
 募金活動の現場を仕切るミカは厳しい。
 アランは、ミカに支持されて動く俺の姿を見ると、大声で笑った。

 この街にまだ雪は早かった。夏から秋にかけて蓄えられた地の熱は、容易に雪の侵略を許さない。降っても溶けて水になる。
 ただタイミングが悪いだけだ。そう、タイミング。そのタイミングを間違うと時に致命的な結果になってしまう。

 俺とミカも、出会うのが早過ぎたのだろうか?
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