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悲しい知らせ

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 辰治は声が震えそうになるのを必死に抑えてエグモントに言った。

「本当ですか?おやっさんが死んだってのは」
「ああ、新しく吸血鬼にした奴が暴れてな。教育係としてついていた菊次郎が殺された」

 菊次郎とはエグモントが日本にやって来て、一番最初に吸血鬼にした男だった。辰治は菊次郎にはとても世話になっていて、おやっさんと呼んで慕っていた。

 エグモントは表情を変えないで辰治に言った。

「辰治。菊次郎を殺した吸血鬼の始末はお前に任せる」

 

 辰治は激しく怒っていた。怒っていないと、悲しみで動けなくなってしまいそうだったからだ。

 菊次郎を殺した吸血鬼の居場所はエグモントに教えられた。繁華街の裏道にいるという。

 辰治がその場に行くと、辺りに血の臭いが立ち込めていた。辰治は舌打ちをした。

 辰治の気配を感じ取ったのだろう、大男が振り向いた。口の周りは血だらけだった。大男は掴んでいた何かをドサリと落とした。それは若い男だった。首すじを食いちぎられ、こと切れていた。辰治は怒りにまかせて叫んだ。

「おい!人間を殺すのはご法度だろう!」
「何だ、お前も吸血鬼なのか。俺は力を手に入れた。人間は俺の食料だ、俺は誰よりも強い!強い者が正しいのだ!」

 辰治はもう一度舌打ちした。完全にいかれている。エグモントも何故こんな男を吸血鬼にしてしまったのだろうか。

 辰治は新参者の吸血鬼に言った。

「俺はご主人さまからお前の処分をするようにと言われた。俺はこれからお前を殺す」
「ギャハハ!やれるもんならやってみろよ!ひょろっこい身体で俺に勝てるわけねぇだろ!」
「俺についてこれるか?!うすのろ野郎」

 辰治は地面をけって跳躍すると、ビルの屋上に着地した。遅れて大男が到着する。それを確認した辰治は、ビルの屋上から飛び降りた。となりのビルの屋上に着地して、またさらに飛んだ。

 大男を繁華街から遠ざけるためだ。人間の行き交う街で大男と戦えば、ケガ人が出てしまう。

 チラリと後ろを見ると、大男が顔を真っ赤にして追いかけてくる。どうやら体力だけで頭の回転は悪いようだ。

 辰治は大男を、森の中におびき出す事に成功した。大男は慣れない追いかけっこをしたせいで、だいぶ疲労しているようだ。

 大男が吸血鬼になりたてで、身体の使い方をよく知らない所をつくしかない。辰治は大男に向かって走り出した。大男は辰治を殴ろうと、こぶしを振り上げた。辰治は大男のこぶしが届く直前で大きく跳躍し、空中で一回転して大男の背後に着地した。

 右手を手刀にして、大男の背中に突き刺す。大男の背中に辰治の手がめり込む。ギャアッと大男が大声をあげる。辰治は大男の背中にめり込んだ手を握りしめて肉を掴み、引きちぎった。大男はさらに悲鳴をあげる。

 大男は痛みと怒りで大声をあげながら後ろに振り向き、辰治を捕まえようとした。辰治は後ろに飛んでそれをよけた。

 辰治は吸血鬼になって三十年も経っている。吸血鬼の身体の使い方は熟知していた。そこに辰治の油断があった。

 怒り狂った大男は、足元にあった大きな石を掴んで辰治に投げつけた。突然の反撃に対応できず、辰治の左肩に石が命中した。辰治の左肩の肉がふっとんだ。肩から血がボタボタとしたたり落ちた。

 大男は辰治に傷を負わせた事に喜んで笑った。辰治は慌てなかった。自分にはエグモントだけではなく、ジュリアという純血の吸血鬼の血が流れているのだ。

 大男の吸血鬼よりも回復力が格段に早いはずだ。辰治はゆっくりと深呼吸をする。左肩の骨、腱、筋肉は瞬時に治癒した。

 それを見た大男は叫んだ。

「何でだ!貴様の傷は治るのに、何故俺の傷は治らねぇんだ!」
「バァカ。ご主人の保険に決まってるだろう。眷属にした吸血鬼がお前見たいなクソッタレだった場合、処分しやすいようにだよ」

 辰治はそう言って、再び右手を手刀に構えた。大男に向かって目にも止まらない速さで走った。辰治は大男の首を手刀で切断した。

 大男は驚いた顔のまま、首と胴体が分かれた。大男の首は、ポーンとサッカーボールのように飛んで行き、胴体はバタンと倒れた。

 しばらくすると大男の身体は灰になって消えてしまった。吸血鬼が死ぬと死体は残らないのだ。
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