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辰治の学校

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 辰治は主人であるエグモントの命令で、夜間中学に通う事になった。最初はイヤイヤだったが、次第に通うのが楽しくなった。生徒たちは高齢だったり、外国人だったりと様々なのだが、皆一様に学ぶ事を喜んでいるようだった。

 夜間中学校の教師は、中学校の先生が担当してくれた。皆現役の教師だけあって教え方がうまかった。辰治が考え込んでいると、すぐに机の側に来て、わからないところを丁寧に教えてくれた。

 生徒には日本で働いている外国人も多い。ベトナム人のクオンは、日本に出稼ぎに来ている。家族に仕送りするために日本の工場で働いているのだ。だが工場の仕事は給料が安い。そのため、日本語を学んでもっといい仕事につきたいと考えているのだという。

 クオンの年齢は二十三歳なのだそうだ。辰治は見た目年齢が三十歳で実年齢が七十歳だ。辰治はクオンの事を、若いのに立派な奴だと思った。

 クオンはカタコトの日本語でよくしゃべった。

「たつじさん、あなたいいひと。わたしともだち」
「そうかい、ありがとよ。クオンは若いのに立派な奴だな」
「りっぱ?」
「すごい奴って事だよ」
「わたし、すごい」
「ああ」

 辰治が適当な日本語を教えてはいけないのだろうが、辰治はクオンとの会話が楽しかった。

 学校には高齢の老人もいた広田慎之介という七十近い老人だ。彼は若い頃貧しくて、小学校を出てから、学校も行かずに働いていたのだそうだ。

 辰治は慎之介老人に聞いた。若い時に勉強する事ができなくて悔しくはないのか、と。老人は笑って答えた。

「この年になっても学べる機会があるという事はとても幸せな事です。過去を振り返って、こうしていればよかった、こうなればよかったなんて思う事は無意味です。今目の前にある事に夢中になればいいのです」

 慎之介老人は、家に帰ると中学生の孫に勉強を教えてもらうのだそうだ。女の子の孫は、仕方ないなぁと言いながら教えてくれるらしい。

 辰治は自分が無学だという事を、ずつとコンプレックスに感じていた。だから菊次郎が漢字や計算を教えてくれようとしても、こんな事もわからないのかと呆れられるのが怖くて勉強しないままだった。

 辰治は菊次郎の困りきった笑顔を思い出した。菊次郎はいずれ辰治に自分の跡を継いで、エグモントのために働いてほしいと考えていたからだ。辰治が勉強を始めたと知ったら、菊次郎は喜んでくれただろうか。辰治はぼんやり考えた。

 

 
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