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加奈子と椿姫

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 加奈子はぼんやりと伊織たちの出て行った扉を見ていた。加奈子の視界に幸士郎と桜姫、そして加奈子の大切な椿姫が駆け寄って来るのが見えた。加奈子はたまらず駆け寄って椿姫を抱きしめた。

 椿姫は幸士郎の同調により、動く事ができる。抱き上げた加奈子の首にしっかりと抱きついてくれた。椿姫の着物からはかすかな白檀の香り。加奈子の母親は和裁ができるので、椿姫に沢山の着物を縫ってくれた。

 母親は作った着物に香をたきしめて、椿姫に着せてくれるのだ。加奈子は椿姫の香りを肺いっぱいに吸い込んだ。離れていた期間はごくわずかなのに、まるで千日も離れていたように感じた。

 加奈子はあふれ出しそうになる涙を必死にこらえて、駆け寄った幸士郎につっけんどんに言った。

「椿姫の今度の契約者は、幸がなったの?」

 幸士郎は加奈子が案外しっかりしているのを見て安心したようだ。ハッと息を吐いてから答えた。

「いいや、椿姫の契約者はずっと加奈子だ」

 加奈子はカチンときて叫ぶように言った。

「ウソよ!バカにしてるの?!私に人形使いの能力がないのは幸が最初から知っているじゃない!」
「嘘じゃない。加奈子が十三歳の時、椿姫を一目で好きになったように。椿姫も加奈子の事を唯一の契約者にしたんだ」

 加奈子は恐る恐る抱きついている椿姫の顔を見つめた。椿姫の黒く美しい瞳は、しっかりと加奈子を映してした。加奈子のとなりに、テディベアを抱いた結がやって来て言った。

「加奈子ちゃんを助けてって言ったのは椿姫なのよ?」
「?」

 加奈子は訳がわからず無言でいると、結が言葉を続けた。

「椿姫が加奈子ちゃんのお母さんに言ったの。加奈子ちゃんに危機が迫っているって。加奈子ちゃんのお母さんは、椿姫を連れて私たちの所に来てくれたのよ。だから、近いうちに加奈子ちゃんに危険な事が起こるってわかったの」

 戦人形の中には、契約者である人形使いと強く同調しているため、契約者の未来を予知する事もあるのだ。加奈子の母親は、人形を操る事はできないものの、人形の心を感じる事ができるテレパスとサイコメトリーの超能力者だった。

 加奈子は母を無視した事を後悔した。加奈子の母は、加奈子が豊田家を出てから、ずっと加奈子の事を案じてくれていたのだ。加奈子が椿姫を強く抱きしめていると、結が話し出した。

「加奈子ちゃん。私、椿姫と沢山お話したわ?椿姫はね、自分は世界一幸せな戦人形だって言っているわ」

 加奈子は驚いて結を振り向いた。結は優しく微笑んでから言葉を続けた。

「加奈子ちゃんは椿姫の事を、自分の親友として大切にしてくれるって。素敵な着物やドレスを着せてくれたり、いっぱいお話ししてくれたり、それがとっても嬉しいって」

 加奈子はもうがまんができなかった。椿姫を強く抱きしめて大声で泣き出した。椿姫は、小さな手で加奈子の涙に濡れた頬を優しく撫でてくれた。
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