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2巻
2-3
「凄いな、君は。とてもEランクには見えない」
ニールさんは俺の冒険者の証を見てそう言った。
実際、キングキャタピラーは、もうさほど怖い相手ではない。これも成長速度が十倍になる加護のおかげだ。
ニールさんは五階層へ続く階段を見て、俺たちに声をかける。
「この階段を下りてすぐの通路の先に巣があるんだ! レン、パメラ……」
「行きましょう! ニールさん! エリス、リアナ、行こう!!」
俺の言葉にエリスとリアナも頷いた。
「ええ!」
「みんな気をつけて。ここから先は危険よ!」
「すまない、君たち……ありがとう」
俺たちは急いで階段を駆け下り、ニールさんの案内で通路を進んだのだが……。
これは……。
石でできた床が次第に茶色を帯びていく。
その表面には、何かが張り付けられているようだ。
エリスが硬い表情で言う。
「ここから先は、キングキャタピラーの巣よ。真新しい色をしてるもの、やっぱり最近できたのね。それにしても、こんな浅い層にあるなんて……この入り口から迷宮に入る冒険者は少ないから見過ごされていたのだろうけど」
ニールさんがエリスに言う。
「それに、五階層へ下りる階段ならもっと近いところにいくつもある。だから誰も巣に気づかなかったんだろう。俺たちも今日初めて知ったんだ」
思わぬところに蜂の巣ができていて、知らないうちに大きくなっていることがあるが、それと同じようなものかもしれない。
気がついたときは、手に負えない状態になっているなんて話を聞いたりするからな。
その時、リアナが叫んだ。
「エイジ、エリス!! 見て!」
悲鳴に近い声に驚き、俺たちはリアナが指さす先に視線を向ける。
そして、ニールさんが思わず叫び声を上げた。
「レン!!」
巣穴の入り口を蠢く一匹のキングキャタピラーが、俺たちに気づいてこちらを向いた時――
口に咥えられた人間の姿が見えたのだ。
俺はその瞬間、地面を蹴っていた。
右手に剣を構えて突き進む。
巣が近いからだろう、通路の向こうから次々に魔物が溢れ出てきた。
「エイジ!!」
エリスの叫び声が聞こえる。
「エリス! リアナ! 俺の傍を離れるな!!」
自分の体が黄金に輝くのが分かる。
目の前の無数の魔物の動きがハッキリと見えた。
前回から一日が経って使用可能になったが、効果時間は限られている。
俺にとって、これは一番の切り札だ。
『時魔術【時の瞳】を使用。利用可能時間一分。警告!! 一度使用すると、次に使えるのは一日後です』
『時魔術【加速】を使用。利用可能時間一分。警告!! 一度使用すると、次に使えるのは一日後です』
頭の中で警告音が鳴り響く。
俺は襲い掛かってくる魔物を、一気に斬り倒していく。
「おぉおおおおおおお!!」
牙を剥く敵を斬り裂きながら、巣に向かって突き進んだ。
中級になったからだろう、以前よりも速く動ける。
自分の残像が、辺りに数体浮かんでは消える。
レンさんを咥えている魔物にたどり着くと、そいつを両断した。
横倒しになった魔物の口から、レンさんが転がり落ちる。
ニールさんの悲痛な声と、リアナの回復の詠唱が通路に響いた。
「レン! レン!! しっかりしろ!!」
エリスが俺に駆け寄る。
「やったわね、エイジ! きっと全部倒したのね、もう魔物が出てくる様子はないもの! 新しい巣だから、まだ数が少ないんだわ」
「いや……違う!!」
エリスは、俺が鋭く睨みつける先を見た。
そして、声を失う。
「ギィイイイイイイイイイイイ!!」
ダンジョンを揺るがすほどの咆哮が鳴り響いた。
エリスが怯えたように俺の手を握る。
巣穴の奥で、こちらを見ながら巨大な顎を震わせている生き物。
「エイジ……あれって」
俺は震えるエリスの手を強く握り返して頷いた。
「ああ、あれが女王だ」
蜂の化け物、と言う他ない。
頭と胸部を合わせて人の二倍はあろうかという大きさで、そこに五メートルほどの腹部が繋がっている。あそこから卵が産み落とされるのだろう。
背中に付いた大きな羽根が俺たちを威嚇するように唸りを上げ、巨大な顎はガチガチと音を立てて動いていた。
その生き物の足元には女性が倒れている。あれが……パメラさんだろう。
女王の脚の一本が無慈悲にも女性の体を地面に押さえつけ、その下で青ざめた唇が呻き声を漏らした。
「に……ニール……」
零れた言葉を聞いて、俺の後方にいるニールさんが叫ぶ!
「パメラァアア!!」
その直後、レンさんの回復を終えたリアナが巣穴の奥にいる化け物に気づき、悲鳴に近い声を上げた。
二人の叫びを聞きながら、俺は真っすぐに女王に向かって突き進む。
やるなら今しかない! 時魔術が切れたら終わりだ!!
「エイジ!!」
エリスの声が俺の耳に届いたときには、すでに巨大な生き物の真正面にいた。
パメラさんを押さえつけている右前脚を狙って剣を薙ぐ。
キイイイイン!!
だが俺の剣は、まるで金属を斬りつけたかのように女王の固い脚の外骨格に弾かれる。
表面に傷がついて体液が溢れ出ると、巨大な女王蜂はつんざくような咆哮を上げた。
「グギィイイイイイイイイ!!」
そのあまりの怒声に俺の鼓膜が激しく揺れる。
女王が上半身を大きく反り返らせたせいで、脚がパメラさんの体から外れた。
俺は敵を睨みつけたままパメラさんに叫ぶ。
「行け! 走れ!!」
おそらく彼女も毒に侵されているだろう。
だが、それでも必死に体を動かして逃れようとする気配を感じて、俺は息を吐く。
「おぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
全身をアドレナリンが駆け巡る。
巨大な魔物の前脚が、まるで槍のように何度も襲い掛かってきた。
凄まじい速さの攻撃を黄金の瞳で捉え、節を狙って剣を振るう。
そして節から斬り飛ばされた女王の脚が宙を舞い、脚に生えたトゲが俺の頬を掠めて切り裂いた。
その瞬間――!
恐るべきスピードで女王の巨大な顎が俺に喰らいつく。
「いやぁあああ!!」
「エイジ!!」
リアナとエリスの悲鳴が響き渡った。
だが、顎に寸断されるはずだった俺の体は今、宙を舞っている。
かろうじて魔物の一撃をかわした俺は、女王の顎門を踏み台にして跳んでいた。
眼下には、無防備になった女王の頭部が見える。
剣を握る右手に力を込めた。
その手が燃えるように熱くなる。
これが最後のチャンスだ! 俺に力を貸してくれ!!
獲物が目の前から消えたことに気づいた女王が、宙に跳ぶ俺の姿を捉えた。
その瞬間、俺の剣が十字を描く!
「うぉおおおおおおお! クロススラッシュ!!」
魔物の頭部に縦と横の一閃が刻み込まれ、白い光が輝く。
女王の外骨格にひびが入り、巣が崩れ落ちそうなほどの叫びがその口から放たれた。
衝撃で、巣穴が揺れている。
女王が蜂のような上半身をよじると、俺が切り裂いた十字の傷から体液がまき散らされた。
やったか!!
身構える俺の目の前で怒りの咆哮を上げる化け物が、その鋭い牙をガチガチと噛み合わせる。
地面に着地した俺は、思わず膝をついた。
くぅ!! 駄目か!?
深手を負って凶暴化した女王は大きく身を起こし、俺に牙を剥く。
「駄目ぇええええええ!!」
エリスが、こちらに向かって走ってくる。
「エリス! 来るな!!」
今来たら、一緒にこいつの餌食になるだけだ。
俺は右手の剣を再び強く握りしめる。
もう一度俺に力をくれ!! 頼む!!
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は獣のように吠えた!
白い光が剣から溢れ出る。
俺は立ち上がり、猛然と目の前の敵に突っ込んだ。
「クロォオオオス!! スラァアアアシュ!!」
今までにないほど強烈な一閃が縦横に刻まれると、女王の体は反り返った。
描かれた十字の光が巨大な体を貫通し、魔物の背中まで突き抜けて眩い光を放つ。
その瞬間――!
ビクン!!
声も上げずに一瞬、女王の体が激しく痙攣した。
背中の羽根が白い炎で燃え上がっていく。
凄まじい生命力で動き続けていた体が、ゆっくりと動きを止めた。
巨体がずれるように左右に分かれ、その表面は白い炎で焼かれていく。
やがて、巨体は地響きを立てて横倒しになった。
やったか……。
俺の体を包む黄金の光が消えると、強烈な疲労感に襲われてその場に倒れそうになる。
よろめく体を、エリスがギュッと抱きしめた。
「エイジ!!」
真紅の髪が俺の鼻をくすぐる。
「……エリス」
エリスは何も言わずに、強く俺の体を抱いている。
俺たちは目の前に広がっていく白い炎が巨大な女王を焼き尽くしていくのを、黙って見つめていた。
4 昏倒
「エイジ!!」
リアナも俺のもとに走ってくる。
危険だと止めるニールさんの手を振り払って、駆けつけたようだ。
「エイジ! 良かった無事で!!」
そう言って、しっかりと俺に抱きついた。
俺はリアナの頭を撫でる。
「ごめんな、心配かけて。でも迷ってる暇はなかったんだ」
リアナが傍にきて安心したのか、エリスが俺を睨む。
「馬鹿! 無茶をして!! 女王の討伐はCランクのパーティでないと受けられないほど危険なのよ。それに、あの硬い表皮は物理攻撃と相性が悪いもの。剣士だけで倒すなんて、Bランクでも難しいんだから!!」
「はは、それは先に教えてくれよ」
とは言ったものの……聞かなくてよかった。
それを知っていたら、足がすくんだかもしれない。
エリスは俺を睨む目に浮かんだ涙を拭いて、顔を背けた。
しばらく機嫌は直りそうにない。
でも、それだけ俺を心配してくれているのだろう。
女王か、恐ろしい相手だったな……。
確かに、他の個体とは別次元の強さを持つ魔物だった。
時魔術と、【武器覚醒】でこの剣から目覚めさせた力――クロススラッシュがなければ、とても倒せなかっただろう。
それに、あの巨体と敏捷さだ。【時の瞳】と【加速】が使える状態で戦わなければ、到底勝ち目はなかった。
エリスが言うには、浅い階層でも、巣を構えてそこに潜む主クラスの魔物は別格なのだそうだ。
向こうから仕掛けてくることは滅多にないが、こちらが巣に入れば命はないという。
俺は改めて、目の前で燃えている女王の姿を見つめる。
ニールさんも、仲間のレンさんに肩を貸してこちらにやってきた。
そして、逃げる途中で毒で動けなくなったパメラさんの傍で跪く。
「……ニール」
「パメラ……良かった」
リアナはもう一度俺の体にギュッと抱きついた後、パメラさんのもとに駆け寄って解毒をすると、ヒールで体力を回復させる。
リアナがいてくれて良かったな。そうじゃなかったら助けられなかった。
毒に侵されている人間を、俺はどうすることもできない。
魔物を倒しても二人を救えなかっただろう。
パメラさんの服はところどころ破れており、その瞳からはまだ恐怖から抜け切れていない様子が見て取れる。毒が引いても、顔と唇は真っ青だ。
だが、ニールさんはパメラさんをレンさんに任せ、こちらにやってきた。
そして、俺の手を強く握る。
「ありがとう! 君たちのお蔭だ、本当にありがとう!」
その瞳には涙が浮かんでいた。
しばらくすると、パメラさんが少し落ち着いたらしく、リアナとともにレンさんたちも傍にやってきて、俺たちに頭を下げた。
パメラさんが、俺の手を握りしめて涙を流す。
「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません!」
俺はパメラさんの無事な姿に改めて安堵すると、ニールさんたちに言う。
「ニールさん……早く迷宮を出ましょう。俺……少し疲れてしまって」
連続してクロススラッシュを放ったせいだろう。
あるいは、最後の一撃は、文字通り全身全霊を込めて放ったからかもしれない。
酷い倦怠感に襲われていた。
「エイジ?」
「大丈夫なの?」
エリスとリアナが、心配そうに俺を見つめる。
リアナが回復魔法をかけてくれたが、強い疲労感は全く抜けない。
一度外に出て、しっかりと休息をとったほうがいいだろう。
ニールさんは、パメラさんに自分が羽織っているマントをかけて言った。
「ああ、エイジ君の言う通りだね。肩を貸すよ」
俺がふらついていることに気づいたのか、ニールさんは俺に肩を貸してくれた。
俺たちは巣を後にして、上層階に向かっていった。
浅い階層で出会った魔物は、ふらつきながらも何とか倒すことができた。
ニールさんが前衛として戦ってくれたのが大きい。
六人で協力しながら、迷宮の出口を目指す。
巣穴から這い出すキングキャタピラーと女王を倒したからだろう、俺は中級剣士LV10になっていた。
メルティの加護のお蔭で、女王だって十匹も倒したことになるんだからな。そりゃ、レベルも上がるだろう。
「エリスやリアナにも経験値が入ればよかったのにな」
上の階層に来た安心感から、少しだけ軽口を叩けるようになった。
初級クラスはレベル20からは上がらないもんな。もしエリスたちも中級だったら、結構レベルアップできたはずだ。
惜しいことをしたと言う俺に、しかしエリスは首を横に振って答える。
「大丈夫よ。初級クラスのままだからレベルは上がらないけれど、魔道士として積んだ経験は中級クラスになったときに活かされるの。クラスチェンジしたら、私たちもかなりレベルが上がると思うわ」
「そうなのか! 良かった」
二人と差がついたら、一緒にレベル上げするときに困る。
エリスの奴、あんなに頑張ってレベルを上げたがっていたもんな。
「少し休んだらさ……みんなで教会に行こう。な、エリス?」
微笑んでそう言ったのだが……駄目だ、段々と意識が……。
視界が少しずつ歪んでいくのが分かる。
話していたほうが意識を保てると思ったんだが、言葉を発するのも辛くなってきた。
朦朧としている様子を見て、エリスは俺の手をしっかりと握りしめる。
「馬鹿ね。今はそんなことどうでもいいから、早く迷宮の外に出ましょう」
「ああ……そうだな」
俺はニールさんに体を預けつつ、エリスに手を引かれて前に進む。
一歩一歩が重くなってきた頃、暗闇を照らすエリスの魔法ライトーラではなく、外の光が迷宮に差し込んでいるのが見えた。ようやく出口にたどり着いたのだ。
外に出ると、肉体と精神の疲労が極限に達して、俺はその場に崩れるように倒れた。
「エイジ!!」
「しっかりして!!」
エリス……リアナ。
二人の呼ぶ声が遠のいていく。
その瞬間、俺は完全に意識を手放した。
◇ ◇ ◇
エイジが意識を失ったその頃。
テルームドの武器屋では、店を営む夫婦が楽しげに話をしていた。
「おい、あいつはきっと今日も腹を空かして帰ってきやがるぜ。なあ、フィアーナ!」
鍛冶仕事の手を、しばし休めているのだろう。階下の鍛冶場から聞こえた夫の声に、店番をしていたフィアーナは答える。
「分かってるよ、あんた。昨日だってあんなに量があったのに、エイジったらペロリと平らげたじゃないか!」
「そうだな、まったくよく食いやがる! 油断しようもんなら俺の分まで食われちまいそうだぜ!」
夫のその言葉に、フィアーナは声を上げて笑った。
しばらくすると、また鍛冶場から剣を鍛える音が聞こえてくる。
その力強い響きを心地好く聞きながら、フィアーナは店の武具の手入れを続けた。
(昔を思い出すね……)
フィアーナは、傍に置かれている額に入った小さな絵を見つめる。
そこには自分と夫、そして息子の姿が描いてあった。
描いたのはフィアーナだ。
彼女はその絵を優しく撫でた。
(あの子が帰ってきたわけじゃない。そんなことは分かっているんだけどね)
亡くした息子は、夫のロイにとっても自分にとっても特別な存在だ。
誰かが代わりになれるはずもない。
そんなことはフィアーナもロイも、充分に分かっている。
それでも彼女は、今朝自分を「母さん」と呼んで出かけていった少年に息子の姿を重ね、無事を祈らずにはいられなかった。
胸から下げたネックレス。その先についている大きな銅貨を指で触る。
エイジが初めての稼ぎだと言って、ロイとフィアーナに渡してくれたものだ。
この国ではありふれた大銅貨にすぎない。
だが、フィアーナにとっては高価な宝石よりも遥かに価値があり、何より大切なものに思えた。
夫が打つ剣の音を聞きながら、フィアーナは一人呟く。
「馬鹿な子だよ。あの人や私なんかで良いのかね?」
自分が少し涙声になっていることに気がついて、フィアーナはシャンと背筋を伸ばす。
「さあ、夕飯の準備をしないとね。あの子、きっと沢山食べるに違いないんだから!」
そう言って椅子から腰を上げたフィアーナは、ふと店の入り口に立つ人影に気づいた。
ニールさんは俺の冒険者の証を見てそう言った。
実際、キングキャタピラーは、もうさほど怖い相手ではない。これも成長速度が十倍になる加護のおかげだ。
ニールさんは五階層へ続く階段を見て、俺たちに声をかける。
「この階段を下りてすぐの通路の先に巣があるんだ! レン、パメラ……」
「行きましょう! ニールさん! エリス、リアナ、行こう!!」
俺の言葉にエリスとリアナも頷いた。
「ええ!」
「みんな気をつけて。ここから先は危険よ!」
「すまない、君たち……ありがとう」
俺たちは急いで階段を駆け下り、ニールさんの案内で通路を進んだのだが……。
これは……。
石でできた床が次第に茶色を帯びていく。
その表面には、何かが張り付けられているようだ。
エリスが硬い表情で言う。
「ここから先は、キングキャタピラーの巣よ。真新しい色をしてるもの、やっぱり最近できたのね。それにしても、こんな浅い層にあるなんて……この入り口から迷宮に入る冒険者は少ないから見過ごされていたのだろうけど」
ニールさんがエリスに言う。
「それに、五階層へ下りる階段ならもっと近いところにいくつもある。だから誰も巣に気づかなかったんだろう。俺たちも今日初めて知ったんだ」
思わぬところに蜂の巣ができていて、知らないうちに大きくなっていることがあるが、それと同じようなものかもしれない。
気がついたときは、手に負えない状態になっているなんて話を聞いたりするからな。
その時、リアナが叫んだ。
「エイジ、エリス!! 見て!」
悲鳴に近い声に驚き、俺たちはリアナが指さす先に視線を向ける。
そして、ニールさんが思わず叫び声を上げた。
「レン!!」
巣穴の入り口を蠢く一匹のキングキャタピラーが、俺たちに気づいてこちらを向いた時――
口に咥えられた人間の姿が見えたのだ。
俺はその瞬間、地面を蹴っていた。
右手に剣を構えて突き進む。
巣が近いからだろう、通路の向こうから次々に魔物が溢れ出てきた。
「エイジ!!」
エリスの叫び声が聞こえる。
「エリス! リアナ! 俺の傍を離れるな!!」
自分の体が黄金に輝くのが分かる。
目の前の無数の魔物の動きがハッキリと見えた。
前回から一日が経って使用可能になったが、効果時間は限られている。
俺にとって、これは一番の切り札だ。
『時魔術【時の瞳】を使用。利用可能時間一分。警告!! 一度使用すると、次に使えるのは一日後です』
『時魔術【加速】を使用。利用可能時間一分。警告!! 一度使用すると、次に使えるのは一日後です』
頭の中で警告音が鳴り響く。
俺は襲い掛かってくる魔物を、一気に斬り倒していく。
「おぉおおおおおおお!!」
牙を剥く敵を斬り裂きながら、巣に向かって突き進んだ。
中級になったからだろう、以前よりも速く動ける。
自分の残像が、辺りに数体浮かんでは消える。
レンさんを咥えている魔物にたどり着くと、そいつを両断した。
横倒しになった魔物の口から、レンさんが転がり落ちる。
ニールさんの悲痛な声と、リアナの回復の詠唱が通路に響いた。
「レン! レン!! しっかりしろ!!」
エリスが俺に駆け寄る。
「やったわね、エイジ! きっと全部倒したのね、もう魔物が出てくる様子はないもの! 新しい巣だから、まだ数が少ないんだわ」
「いや……違う!!」
エリスは、俺が鋭く睨みつける先を見た。
そして、声を失う。
「ギィイイイイイイイイイイイ!!」
ダンジョンを揺るがすほどの咆哮が鳴り響いた。
エリスが怯えたように俺の手を握る。
巣穴の奥で、こちらを見ながら巨大な顎を震わせている生き物。
「エイジ……あれって」
俺は震えるエリスの手を強く握り返して頷いた。
「ああ、あれが女王だ」
蜂の化け物、と言う他ない。
頭と胸部を合わせて人の二倍はあろうかという大きさで、そこに五メートルほどの腹部が繋がっている。あそこから卵が産み落とされるのだろう。
背中に付いた大きな羽根が俺たちを威嚇するように唸りを上げ、巨大な顎はガチガチと音を立てて動いていた。
その生き物の足元には女性が倒れている。あれが……パメラさんだろう。
女王の脚の一本が無慈悲にも女性の体を地面に押さえつけ、その下で青ざめた唇が呻き声を漏らした。
「に……ニール……」
零れた言葉を聞いて、俺の後方にいるニールさんが叫ぶ!
「パメラァアア!!」
その直後、レンさんの回復を終えたリアナが巣穴の奥にいる化け物に気づき、悲鳴に近い声を上げた。
二人の叫びを聞きながら、俺は真っすぐに女王に向かって突き進む。
やるなら今しかない! 時魔術が切れたら終わりだ!!
「エイジ!!」
エリスの声が俺の耳に届いたときには、すでに巨大な生き物の真正面にいた。
パメラさんを押さえつけている右前脚を狙って剣を薙ぐ。
キイイイイン!!
だが俺の剣は、まるで金属を斬りつけたかのように女王の固い脚の外骨格に弾かれる。
表面に傷がついて体液が溢れ出ると、巨大な女王蜂はつんざくような咆哮を上げた。
「グギィイイイイイイイイ!!」
そのあまりの怒声に俺の鼓膜が激しく揺れる。
女王が上半身を大きく反り返らせたせいで、脚がパメラさんの体から外れた。
俺は敵を睨みつけたままパメラさんに叫ぶ。
「行け! 走れ!!」
おそらく彼女も毒に侵されているだろう。
だが、それでも必死に体を動かして逃れようとする気配を感じて、俺は息を吐く。
「おぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
全身をアドレナリンが駆け巡る。
巨大な魔物の前脚が、まるで槍のように何度も襲い掛かってきた。
凄まじい速さの攻撃を黄金の瞳で捉え、節を狙って剣を振るう。
そして節から斬り飛ばされた女王の脚が宙を舞い、脚に生えたトゲが俺の頬を掠めて切り裂いた。
その瞬間――!
恐るべきスピードで女王の巨大な顎が俺に喰らいつく。
「いやぁあああ!!」
「エイジ!!」
リアナとエリスの悲鳴が響き渡った。
だが、顎に寸断されるはずだった俺の体は今、宙を舞っている。
かろうじて魔物の一撃をかわした俺は、女王の顎門を踏み台にして跳んでいた。
眼下には、無防備になった女王の頭部が見える。
剣を握る右手に力を込めた。
その手が燃えるように熱くなる。
これが最後のチャンスだ! 俺に力を貸してくれ!!
獲物が目の前から消えたことに気づいた女王が、宙に跳ぶ俺の姿を捉えた。
その瞬間、俺の剣が十字を描く!
「うぉおおおおおおお! クロススラッシュ!!」
魔物の頭部に縦と横の一閃が刻み込まれ、白い光が輝く。
女王の外骨格にひびが入り、巣が崩れ落ちそうなほどの叫びがその口から放たれた。
衝撃で、巣穴が揺れている。
女王が蜂のような上半身をよじると、俺が切り裂いた十字の傷から体液がまき散らされた。
やったか!!
身構える俺の目の前で怒りの咆哮を上げる化け物が、その鋭い牙をガチガチと噛み合わせる。
地面に着地した俺は、思わず膝をついた。
くぅ!! 駄目か!?
深手を負って凶暴化した女王は大きく身を起こし、俺に牙を剥く。
「駄目ぇええええええ!!」
エリスが、こちらに向かって走ってくる。
「エリス! 来るな!!」
今来たら、一緒にこいつの餌食になるだけだ。
俺は右手の剣を再び強く握りしめる。
もう一度俺に力をくれ!! 頼む!!
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は獣のように吠えた!
白い光が剣から溢れ出る。
俺は立ち上がり、猛然と目の前の敵に突っ込んだ。
「クロォオオオス!! スラァアアアシュ!!」
今までにないほど強烈な一閃が縦横に刻まれると、女王の体は反り返った。
描かれた十字の光が巨大な体を貫通し、魔物の背中まで突き抜けて眩い光を放つ。
その瞬間――!
ビクン!!
声も上げずに一瞬、女王の体が激しく痙攣した。
背中の羽根が白い炎で燃え上がっていく。
凄まじい生命力で動き続けていた体が、ゆっくりと動きを止めた。
巨体がずれるように左右に分かれ、その表面は白い炎で焼かれていく。
やがて、巨体は地響きを立てて横倒しになった。
やったか……。
俺の体を包む黄金の光が消えると、強烈な疲労感に襲われてその場に倒れそうになる。
よろめく体を、エリスがギュッと抱きしめた。
「エイジ!!」
真紅の髪が俺の鼻をくすぐる。
「……エリス」
エリスは何も言わずに、強く俺の体を抱いている。
俺たちは目の前に広がっていく白い炎が巨大な女王を焼き尽くしていくのを、黙って見つめていた。
4 昏倒
「エイジ!!」
リアナも俺のもとに走ってくる。
危険だと止めるニールさんの手を振り払って、駆けつけたようだ。
「エイジ! 良かった無事で!!」
そう言って、しっかりと俺に抱きついた。
俺はリアナの頭を撫でる。
「ごめんな、心配かけて。でも迷ってる暇はなかったんだ」
リアナが傍にきて安心したのか、エリスが俺を睨む。
「馬鹿! 無茶をして!! 女王の討伐はCランクのパーティでないと受けられないほど危険なのよ。それに、あの硬い表皮は物理攻撃と相性が悪いもの。剣士だけで倒すなんて、Bランクでも難しいんだから!!」
「はは、それは先に教えてくれよ」
とは言ったものの……聞かなくてよかった。
それを知っていたら、足がすくんだかもしれない。
エリスは俺を睨む目に浮かんだ涙を拭いて、顔を背けた。
しばらく機嫌は直りそうにない。
でも、それだけ俺を心配してくれているのだろう。
女王か、恐ろしい相手だったな……。
確かに、他の個体とは別次元の強さを持つ魔物だった。
時魔術と、【武器覚醒】でこの剣から目覚めさせた力――クロススラッシュがなければ、とても倒せなかっただろう。
それに、あの巨体と敏捷さだ。【時の瞳】と【加速】が使える状態で戦わなければ、到底勝ち目はなかった。
エリスが言うには、浅い階層でも、巣を構えてそこに潜む主クラスの魔物は別格なのだそうだ。
向こうから仕掛けてくることは滅多にないが、こちらが巣に入れば命はないという。
俺は改めて、目の前で燃えている女王の姿を見つめる。
ニールさんも、仲間のレンさんに肩を貸してこちらにやってきた。
そして、逃げる途中で毒で動けなくなったパメラさんの傍で跪く。
「……ニール」
「パメラ……良かった」
リアナはもう一度俺の体にギュッと抱きついた後、パメラさんのもとに駆け寄って解毒をすると、ヒールで体力を回復させる。
リアナがいてくれて良かったな。そうじゃなかったら助けられなかった。
毒に侵されている人間を、俺はどうすることもできない。
魔物を倒しても二人を救えなかっただろう。
パメラさんの服はところどころ破れており、その瞳からはまだ恐怖から抜け切れていない様子が見て取れる。毒が引いても、顔と唇は真っ青だ。
だが、ニールさんはパメラさんをレンさんに任せ、こちらにやってきた。
そして、俺の手を強く握る。
「ありがとう! 君たちのお蔭だ、本当にありがとう!」
その瞳には涙が浮かんでいた。
しばらくすると、パメラさんが少し落ち着いたらしく、リアナとともにレンさんたちも傍にやってきて、俺たちに頭を下げた。
パメラさんが、俺の手を握りしめて涙を流す。
「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません!」
俺はパメラさんの無事な姿に改めて安堵すると、ニールさんたちに言う。
「ニールさん……早く迷宮を出ましょう。俺……少し疲れてしまって」
連続してクロススラッシュを放ったせいだろう。
あるいは、最後の一撃は、文字通り全身全霊を込めて放ったからかもしれない。
酷い倦怠感に襲われていた。
「エイジ?」
「大丈夫なの?」
エリスとリアナが、心配そうに俺を見つめる。
リアナが回復魔法をかけてくれたが、強い疲労感は全く抜けない。
一度外に出て、しっかりと休息をとったほうがいいだろう。
ニールさんは、パメラさんに自分が羽織っているマントをかけて言った。
「ああ、エイジ君の言う通りだね。肩を貸すよ」
俺がふらついていることに気づいたのか、ニールさんは俺に肩を貸してくれた。
俺たちは巣を後にして、上層階に向かっていった。
浅い階層で出会った魔物は、ふらつきながらも何とか倒すことができた。
ニールさんが前衛として戦ってくれたのが大きい。
六人で協力しながら、迷宮の出口を目指す。
巣穴から這い出すキングキャタピラーと女王を倒したからだろう、俺は中級剣士LV10になっていた。
メルティの加護のお蔭で、女王だって十匹も倒したことになるんだからな。そりゃ、レベルも上がるだろう。
「エリスやリアナにも経験値が入ればよかったのにな」
上の階層に来た安心感から、少しだけ軽口を叩けるようになった。
初級クラスはレベル20からは上がらないもんな。もしエリスたちも中級だったら、結構レベルアップできたはずだ。
惜しいことをしたと言う俺に、しかしエリスは首を横に振って答える。
「大丈夫よ。初級クラスのままだからレベルは上がらないけれど、魔道士として積んだ経験は中級クラスになったときに活かされるの。クラスチェンジしたら、私たちもかなりレベルが上がると思うわ」
「そうなのか! 良かった」
二人と差がついたら、一緒にレベル上げするときに困る。
エリスの奴、あんなに頑張ってレベルを上げたがっていたもんな。
「少し休んだらさ……みんなで教会に行こう。な、エリス?」
微笑んでそう言ったのだが……駄目だ、段々と意識が……。
視界が少しずつ歪んでいくのが分かる。
話していたほうが意識を保てると思ったんだが、言葉を発するのも辛くなってきた。
朦朧としている様子を見て、エリスは俺の手をしっかりと握りしめる。
「馬鹿ね。今はそんなことどうでもいいから、早く迷宮の外に出ましょう」
「ああ……そうだな」
俺はニールさんに体を預けつつ、エリスに手を引かれて前に進む。
一歩一歩が重くなってきた頃、暗闇を照らすエリスの魔法ライトーラではなく、外の光が迷宮に差し込んでいるのが見えた。ようやく出口にたどり着いたのだ。
外に出ると、肉体と精神の疲労が極限に達して、俺はその場に崩れるように倒れた。
「エイジ!!」
「しっかりして!!」
エリス……リアナ。
二人の呼ぶ声が遠のいていく。
その瞬間、俺は完全に意識を手放した。
◇ ◇ ◇
エイジが意識を失ったその頃。
テルームドの武器屋では、店を営む夫婦が楽しげに話をしていた。
「おい、あいつはきっと今日も腹を空かして帰ってきやがるぜ。なあ、フィアーナ!」
鍛冶仕事の手を、しばし休めているのだろう。階下の鍛冶場から聞こえた夫の声に、店番をしていたフィアーナは答える。
「分かってるよ、あんた。昨日だってあんなに量があったのに、エイジったらペロリと平らげたじゃないか!」
「そうだな、まったくよく食いやがる! 油断しようもんなら俺の分まで食われちまいそうだぜ!」
夫のその言葉に、フィアーナは声を上げて笑った。
しばらくすると、また鍛冶場から剣を鍛える音が聞こえてくる。
その力強い響きを心地好く聞きながら、フィアーナは店の武具の手入れを続けた。
(昔を思い出すね……)
フィアーナは、傍に置かれている額に入った小さな絵を見つめる。
そこには自分と夫、そして息子の姿が描いてあった。
描いたのはフィアーナだ。
彼女はその絵を優しく撫でた。
(あの子が帰ってきたわけじゃない。そんなことは分かっているんだけどね)
亡くした息子は、夫のロイにとっても自分にとっても特別な存在だ。
誰かが代わりになれるはずもない。
そんなことはフィアーナもロイも、充分に分かっている。
それでも彼女は、今朝自分を「母さん」と呼んで出かけていった少年に息子の姿を重ね、無事を祈らずにはいられなかった。
胸から下げたネックレス。その先についている大きな銅貨を指で触る。
エイジが初めての稼ぎだと言って、ロイとフィアーナに渡してくれたものだ。
この国ではありふれた大銅貨にすぎない。
だが、フィアーナにとっては高価な宝石よりも遥かに価値があり、何より大切なものに思えた。
夫が打つ剣の音を聞きながら、フィアーナは一人呟く。
「馬鹿な子だよ。あの人や私なんかで良いのかね?」
自分が少し涙声になっていることに気がついて、フィアーナはシャンと背筋を伸ばす。
「さあ、夕飯の準備をしないとね。あの子、きっと沢山食べるに違いないんだから!」
そう言って椅子から腰を上げたフィアーナは、ふと店の入り口に立つ人影に気づいた。
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