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2巻
2-2
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「貴方たちは……」
先頭に立ついかにもキザな男は、クリスティーナを見つめると笑みを浮かべた。
「いけませんな。クリスティーナ様ともあろうお方が、そのようなデタラメを。王国軍が勝ったのは、我らの神の導きがあってこそのもの。光の勇者などという、どこの馬の骨とも分からぬ者の力のはずがありますまい? 我が主が聞いたらどう思われることやら」
それを聞いて、クリスティーナは思わず声を荒らげた。
「よくそんなことが言えますね、ジェザイス! そもそも貴方たちラセファーリス神殿の騎士は、戦いもせずに何故こんな所にいるのです?」
男の名はジェザイスというのだろう。
ラセファーリス神殿とは、女神ラセファーリスを祀った神殿である。
都であるアルカディレーナの南に位置する、エルフにとっては聖地とも呼べる場所の一つだ。
「それはどういう意味でございますかな? クリスティーナ殿下」
「貴方たちのような臆病者が光の勇者様を悪く言うなど、この私が許さないと言っているのです!」
彼らの制服には泥一つついていない。
それは、彼らが民を守るために戦うことなく、ここにやって来た証だった。クリスティーナたちとは対照的だ。
ジェザイスは、普段温厚な第一王女が声を荒らげるのを聞いて、思わず怯む。
広場に集まっている民の視線も、クリスティーナの味方だ。
それを感じて、ジェザイスたちは後ずさった。
「ぐっ! 我らを侮辱することはあのお方を侮辱するも同じ……クリスティーナ殿下、今のお言葉、我が主にそのままお伝えしますぞ。後悔をなさらぬことですな!」
そう捨て台詞を吐いて、神殿の騎士たちはその場を後にした。
ロファーシルはクリスティーナの前に膝をつく。
「よかったのですか? クリスティーナ様。連中を敵に回すと後が厄介でございますぞ」
「構いません。エルフェンシアをお救い頂いた勇者様に対してあのような無礼、私が断じて許しません!」
リーニャは目を丸くしてアンジェリカに囁いた。
「お姉様があそこまで怒るなんて、今まで見たことがないわ」
「そうかしら? お姉様が怒らなければ私が怒鳴ってたわ」
「アンジェリカ。貴方なら分かるけれど、冷静なお姉様にしては珍しいもの」
クリスティーナは怒りに震える手を握りしめると、大きく息を吐く。
(勇者様が侮辱されたと思ったら頭に血が上ってしまって。本当にどうしたのかしら? 私らしくないわ)
クリスティーナは、カズヤを思い出すと不思議に高鳴る胸を、両手でそっと押さえる。
そして暫くすると冷静さを取り戻し、民を落ち着かせるために戦況の詳細を話して聞かせた。
その後、怪我人の治療にあたる王妃と三人の王女の姿がそこにはあった。
王女自らの治療に、人々は手を合わせて感謝する。
「おお、ディアナ様、クリスティーナ様……何とありがたいことか」
「リーニャ様、ありがとうございます」
「アンジェリカ様、私などのために」
ロファーシルはアンジェリカを見て、思わず笑みを浮かべた。
彼女の服はところどころ泥にまみれて汚れてしまっているが、それを気にする様子もなく姉たちと共に治療にあたっている。
(アンジェリカ様、少し大人になられましたな。これもあのお方のお蔭だ)
長い夜が明けた。
怪我人たちの治療があらかた終わると、クリスティーナとリーニャはその場に座り込んで眠りにつく。余程疲れていたのだろう。
「ロファーシル、お父様たちよ!」
アンジェリカは夜明けの光の中で、こちらにやって来る国王軍を遠くミラファトルから眺めていた。
◇ ◇ ◇
俺たちは日の出の光を眩しく感じながら、王妃と三人の王女が待つミラファトルに向かって行軍していた。
体調が万全ではないエディセウス王には、馬車の中で仮眠をとってもらいながらの移動となっている。
あの黄金の結界を維持するために、誰よりも死力を尽くしていたのはエディセウスに違いない。
おのれの命をかけても民を守る。まさに男のロマンだな。
『カズヤさんって、ほんとロマンが好きですよね。ロマンじゃ生きていけませんよ、だから甲斐性なしって言われるんです』
……ぐっ。
ろくでなしを夫に持った妻みたいなことを言いやがって。誰が甲斐性なしだ。
俺に金がないのは、財布を一緒に転生させなかったあの女神のせいだと何度言えば。
こいつだけは、ロマンを共に語れない天敵だ。
俺はふぅと溜め息をつく。
まあとにかく、エディセウス王に倒れられては困るからな。
帝国の追撃もなくミラファトルが見えてきたので、国王には少し休んでもらうことにしたのだ。
「意地を張って休もうとしないから、説得に苦労したぜ」
代わりと言っては何だが、俺たちは今大空を飛んで、周囲の警戒にあたっている。
相棒の飛竜アッシュに乗る俺と、天馬に乗ったエルフェンシアの魔道騎士団の騎士たちだ。
俺の横に並んで飛ぶのは、クリスティーナの副官のサラという女騎士である。
「大したもんだな、一糸乱れぬ編隊ってやつだ。流石王国の魔道騎士団だな」
「いいえ、勇者様の腕前にはとても及びません。でも助かります、あのドルーゼスを打ち破った勇者様がお姿を見せてくださいますと、兵士たちの士気も高まりますから」
兵士たちはこちらを見上げて歓声を上げている。
赤い飛竜のアッシュは目立つからな。
「これぐらいで士気が上がるなら安いもんだ」
ふと地上を眺めると、少し離れた所に、豪華な装いの荷馬車の車列が見えた。
俺は思わず首を捻った。
「いやに重そうな荷物を積んだ馬車だな、戦場から逃げるには似つかわしくない連中だぜ」
それを見てサラは眉をひそめた。
「あれは恐らくヴァンベルファン大公の手の者たちの荷馬車でしょう。愚かな……こんな時に民ではなく、財を守るために奔走するとは」
「ヴァンベルファン?」
「はい、エルフの聖地でもある、ラセファーリス神殿の周辺を治めている有力者です」
俺は肩をすくめる。
「こんな時に金のことばかり気にしてる奴がいるなんてな」
「はい、勇者様。真っ先に逃げ出し、自らの財をああやって運ばせているのでしょう。あれ程の荷馬車があれば、多くの民を救えたでしょうに。大公を名乗るのもおこがましい恥ずべき男です」
サラの言葉に、俺は再び眼下を走る荷馬車の車列を眺めた。
ヴァンベルファン大公か、ロクな奴じゃないってことは間違いなさそうだな。
『自分の領地の人々よりも、財産を優先させるような領主ですからね。でも、大公ってことはエルフェンシアの王族でもかなり身分が高い人間のはずですよ』
確かにな。俺はサラに尋ねた。
「そのヴァンベルファン大公っていうのは、王族なんだろ?」
「はい、国王家以外の王族の筆頭を務める程の名門。本来ならば、このような時こそ真っ先に国を支える立場の人間です」
いわゆる分家の代表格ってことか。サラは唇を噛み締める。
「エルフの聖地、ラセファーリス神殿がある領地を治めているのもその証。本来ならば神殿の騎士を引き連れて、一番に戦場に駆けつけるべきではありませんか!」
怒りが湧き上がってくるのだろう、天馬の手綱をギュッと握りしめるサラ。
「国王家に男子がいないことをいいことに、クリスティーナ様を娶り次の国王の座を狙っているとも言われていますが、王になろうという者がこんな真似をするとは。断じて許せません!」
「次の王にか?」
「ええ、そのことで両陛下もクリスティーナ様も、ずっと悩まされてきましたから」
エルフェンシアにはクリスティーナを次の王に推挙する勢力と、ヴァンベルファン大公の妻にクリスティーナを迎えることで大公を国王に、という勢力があるらしい。
「この様子を見る限りじゃ、どう見てもクリスティーナが女王になった方がいいだろう? 誰か反対する奴でもいるのか?」
「ええ、神殿を治めるラセファーリス教団は大公を次の王に推しています。ラセファーリス教団は強い政治力を持っていますから」
まるで映画に出てくる王位継承問題みたいだな。実際に周りで起きてみると、当然だが生々しく感じる。
……クリスティーナも大変だな、まだ十八か十九歳だろう。
清楚で凛とした美貌の持ち主なだけに、その心の内側までは分からない。
だが、第一王女として苦労も多いのだろう。
王族か、俺にはとても想像がつかないぜ。
『でしょうね。生まれも育ちも庶民中の庶民ですからね、カズヤさんは』
(……黙れ)
キング・オブ・庶民みたいな言い方しやがって。
俺の個人情報はこいつにだだ漏れなのか。
サラは溜め息をつきながら微笑んだ。
「お許しください勇者様、みっともないお話をいたしました。今はあんな男のことよりも、やらねばならないことが山程ありますから」
「ああ、そうだな。クリスティーナたちがあそこで待ってるぜ」
ミラファトルの街はもう間近である。
国王軍は順調に進軍し、いよいよミラファトルに入るという頃には、すっかり日も昇っていた。
国王も目を覚まし、馬車から皆に手を振っていた。
歓声が上がる街の中を進むと、王妃と三人の王女がいるはずの広場に到着する。
クリスティーナ、そしてリーニャも死んだように眠っている。
必死に怪我人の治療にあたって、残りの魔力も使い果たしたのだろう。
アンジェリカも疲れ果てた顔をしていたが、俺たちの姿が見えると勝気な表情に戻って、こちらにやって来る。
俺たちの傍に来ると流石に安心して気が緩んだのか、少しふらつく。
その細くしなやかな体を支えると、俺は汚れている彼女の鼻の頭をそっと拭いた。
「少しは王女らしい顔になったじゃねえかよ、アンジェリカ」
アンジェリカは俺の体に顔を埋めるようにして、こちらに体を預けた。きっとエディセウス王の顔を見て、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。
魔力も使い果たしたのか、華奢な体から力が抜けていくのが分かる。
「疲れた……わ」
そう呟いて彼女は静かに目を閉じた。気が付くと、顔を俺の体に押し当てたまま寝息を立てている。
嫌っている俺に体を預けて寝るぐらいだ、余程疲れたに違いない。
こうしていると、こいつも天使みたいなんだがな。
俺はアンジェリカの安らかな寝顔を見ながらそう思った。
王女たちの護衛として付き従っていたロファーシルも、アンジェリカの姿を見て微笑んだ。
そして、エディセウスの前に膝をついて礼をする。
「国王陛下。アンジェリカ様は、ディアナ様やクリスティーナ様と同じく、立派でございました」
それを聞いて、ロファーシルの後ろで見ていた王妃ディアナが、俺の傍に歩み寄る。
「光の勇者様、お会い出来て光栄です」
「こちらこそ光栄だ。ディアナ王妃」
そして彼女は、俺に寄り掛かったまま眠っているアンジェリカの髪を優しく撫でた。
「この子も少しは大人になったようですね。それにしても、夫以外の殿方にここまで気を許しているアンジェリカは見たことがありません」
妻のその言葉を聞いて、エディセウス王は俺を睨んだ。
「ぐぬ……確かに。勇者殿、もしやアルーティアでアンジェリカと何かあったのですかな? この子の天使のような可憐さに、まさか我慢が出来ずに……」
「変な冗談はやめてくれ、こいつといたお蔭で、寧ろこっちが我慢のし通しだったぜ」
おかしな疑惑をかけられる覚えはない。
そもそも、こいつが俺に気を許す理由がないからな、単に疲れ切っているだけだろう。
俺はとりあえずその場に腰を下ろした。
アンジェリカをエディセウスに引き取ってもらおうと声をかけると、ディアナが俺に微笑んで首を横に振る。
「せめてもう少しだけでも、そうしてあげてくださいませ」
「そうか? まあ俺は構わないけどな……」
まるで、仇を見るような目で俺を凝視しているエディセウス王が気にかかるが、まあいいか。
そもそも国王の親馬鹿のせいで、こいつの我がままに手を焼いたんだからな。少しは嫌な思いをしてもいいだろう。
「ふぅ」
俺は広場の中央にある銅像の台座を背にして座り込み、膝の上にアンジェリカの頭を置いて寝かせる。
……今更だが、起きたら噛み付かれやしないだろうな?
『あり得ますね。寝ている時と起きてる時では、天使と悪魔程違いますから』
(はは、そりゃ言えてるな)
俺はそう思いながら肩をすくめた。
アルーティアの兵士たちが、国王たちを彼らのために用意した屋敷へと案内したいと声をかけてきたが、エディセウスはそれを固辞した。
「民が皆こうして石畳の上で眠っておるのに、どうして王であるこの私が、温かいベッドの上で眠ることが出来ようか」
「ええ、貴方。クリスティーナたちもそう思っているはずです」
石畳の上で深い眠りについているクリスティーナやリーニャの髪を撫でながら頷くディアナ。
俺はそれを聞いて笑った。
「馬鹿だな、あんたらは……でも嫌いじゃねえぜ」
俺の言葉にエディセウスもディアナも笑った。
ナビ子が俺に言う。
『また男のロマンですか?』
(さてな……)
俺は、その場に腰を下ろした国王と王妃を見つめていた。
男であろうが女であろうが、分かる奴にはロマンが分かる、そういうもんだ。
「アンジェリカじゃねえが確かに疲れたな。少しだけ眠るとするか」
俺はそう呟くと、膝の上で眠るエルフェンシアの王女の横顔を少しだけ眺めた後、静かに目を閉じた。
2、小さな訪問者
「ん、んぅ……」
清楚な美貌がピクリと震える。
エルフ族の中でも際立って整ったその顔は、母親であり王妃のディアナによく似ている。
クリスティーナだ。
開きかけた彼女の目に、疲れ果てた国王軍の兵士たちが眠る様子が映る。
周囲の警護は、アルーティアの警備隊が行っていた。
広場から溢れて、辺りにも眠っている兵士たちの姿が見えた。
(いけない……私、眠ってしまったのね)
起きて父親たちを迎えるつもりだったクリスティーナだったが、魔力を使い果たし、意識を失っていたらしい。
ふと気が付くと自分が、誰かの肩にもたれかかるようにして頭を乗せているのが分かった。
静かに相手の横顔を見るクリスティーナ。
その人物が誰か気が付いて、心臓がドキリと音を立てた気がした。
(ひ、光の勇者様!?)
クリスティーナと同じく、広場の銅像の台座を背もたれにして、仮眠しているようだ。
いつ敵が来てもいいように、ということなのだろうか、その傍には一本のロングソードが立てかけられている。
周囲では、父親であるエディセウス王やディアナ、あのロファーシルも仮眠をとっている。
休める時に休むのも戦士の仕事だろう。
起こしてはいけないと思い、クリスティーナはもう一度そっとカズヤを見つめた。
少し口を開けて寝ているその横顔に、彼女は目を細める。
(ふふ、なんだか可愛い。戦場での凛々しいお姿とは全く違いますわ)
自分でも、年上の男性に「可愛い」はないだろうとは思うが、クリスティーナの正直な気持ちである。
彼は一人の少女と一緒に眠っていた。
「カズヤ……むにゃ、私頑張ったんだから」
カズヤの膝の上に頭を乗せて、むにゃむにゃと寝言を言うアンジェリカ。
寝返りを打ち、天使のようなその美貌をカズヤのお腹にこすり付けるようにして、しっかりとその体にしがみつく。
(アンジェリカったら! どうして勇者様の膝の上で!?)
あり得ない光景である。末の妹の性格はよく知っているが、父親以外の男性にこんな風に甘えたりはしないタイプだ。
クリスティーナは複雑な心境で、妹とカズヤを見つめた。
(アルーティアで何かあったのかしら? こんなに親し気に……)
妹を少し羨ましく思う、エルフェンシアの美しき第一王女。
自分がこんな風に彼の膝の上に頭を乗せて、甘えている姿を少しだけ想像する。
(馬鹿馬鹿しい、何を考えているのかしら)
頬を染めると小さく咳ばらいをした。
そして、微笑むと妹の美しい髪を撫でる。
「アンジェリカったら。勇者様に褒めて欲しくて、あんなに頑張っていたのね」
昨晩のアンジェリカの活躍は目覚ましかった。
クリスティーナとリーニャの魔力が尽きかけていたこともあり、怪我人の治療にアンジェリカは大きく貢献したと言えるだろう。
ふと、クリスティーナは少し離れた場所から、誰かの視線を感じた。
幼い少女と少年だ。少女は五歳ぐらい、少年はその兄だろうか? 七歳ぐらいに見える。
頭には二人とも大きな猫耳がある。獣人族だろう。
クリスティーナと目が合うと、少女は少年の後ろに隠れてしまうが、少年はジッと彼女を見つめたままだ。
(私に用かしら?)
クリスティーナはカズヤたちを起こさないように静かに立ち上がると、少年と少女の元に歩み寄る。
少女はビックリしたように、手に持った果物が入った籠を地面に落とした。
「はう! こっちに来たです。綺麗です、王女様みたいです」
「馬鹿だな、リン。当たり前だろ、ほんとのお姫様なんだから」
「ふみゅ~、ジンお兄ちゃん意地悪です。リン、馬鹿じゃないです」
話す度にパタパタと動くリンの大きな耳が愛らしい。
アルーティアの警備兵が慌てて止めに入った。
「こら、お前たち。ここには入るなと言っただろう? これは、クリスティーナ殿下、申し訳ありません。この者たちには先程も帰るように言ったのですが」
広場の警備にあたっているアルーティアの兵士は、そこかしこに見受けられた。
相手が子供ということもあって、兵士たちも強くは言わなかったのだろう。
屈強な獣人の兵士に注意され、またジンの後ろに隠れるリン。
クリスティーナは兵士に申し出た。
「ご配慮感謝いたします。ですが、私なら構いませんわ」
先頭に立ついかにもキザな男は、クリスティーナを見つめると笑みを浮かべた。
「いけませんな。クリスティーナ様ともあろうお方が、そのようなデタラメを。王国軍が勝ったのは、我らの神の導きがあってこそのもの。光の勇者などという、どこの馬の骨とも分からぬ者の力のはずがありますまい? 我が主が聞いたらどう思われることやら」
それを聞いて、クリスティーナは思わず声を荒らげた。
「よくそんなことが言えますね、ジェザイス! そもそも貴方たちラセファーリス神殿の騎士は、戦いもせずに何故こんな所にいるのです?」
男の名はジェザイスというのだろう。
ラセファーリス神殿とは、女神ラセファーリスを祀った神殿である。
都であるアルカディレーナの南に位置する、エルフにとっては聖地とも呼べる場所の一つだ。
「それはどういう意味でございますかな? クリスティーナ殿下」
「貴方たちのような臆病者が光の勇者様を悪く言うなど、この私が許さないと言っているのです!」
彼らの制服には泥一つついていない。
それは、彼らが民を守るために戦うことなく、ここにやって来た証だった。クリスティーナたちとは対照的だ。
ジェザイスは、普段温厚な第一王女が声を荒らげるのを聞いて、思わず怯む。
広場に集まっている民の視線も、クリスティーナの味方だ。
それを感じて、ジェザイスたちは後ずさった。
「ぐっ! 我らを侮辱することはあのお方を侮辱するも同じ……クリスティーナ殿下、今のお言葉、我が主にそのままお伝えしますぞ。後悔をなさらぬことですな!」
そう捨て台詞を吐いて、神殿の騎士たちはその場を後にした。
ロファーシルはクリスティーナの前に膝をつく。
「よかったのですか? クリスティーナ様。連中を敵に回すと後が厄介でございますぞ」
「構いません。エルフェンシアをお救い頂いた勇者様に対してあのような無礼、私が断じて許しません!」
リーニャは目を丸くしてアンジェリカに囁いた。
「お姉様があそこまで怒るなんて、今まで見たことがないわ」
「そうかしら? お姉様が怒らなければ私が怒鳴ってたわ」
「アンジェリカ。貴方なら分かるけれど、冷静なお姉様にしては珍しいもの」
クリスティーナは怒りに震える手を握りしめると、大きく息を吐く。
(勇者様が侮辱されたと思ったら頭に血が上ってしまって。本当にどうしたのかしら? 私らしくないわ)
クリスティーナは、カズヤを思い出すと不思議に高鳴る胸を、両手でそっと押さえる。
そして暫くすると冷静さを取り戻し、民を落ち着かせるために戦況の詳細を話して聞かせた。
その後、怪我人の治療にあたる王妃と三人の王女の姿がそこにはあった。
王女自らの治療に、人々は手を合わせて感謝する。
「おお、ディアナ様、クリスティーナ様……何とありがたいことか」
「リーニャ様、ありがとうございます」
「アンジェリカ様、私などのために」
ロファーシルはアンジェリカを見て、思わず笑みを浮かべた。
彼女の服はところどころ泥にまみれて汚れてしまっているが、それを気にする様子もなく姉たちと共に治療にあたっている。
(アンジェリカ様、少し大人になられましたな。これもあのお方のお蔭だ)
長い夜が明けた。
怪我人たちの治療があらかた終わると、クリスティーナとリーニャはその場に座り込んで眠りにつく。余程疲れていたのだろう。
「ロファーシル、お父様たちよ!」
アンジェリカは夜明けの光の中で、こちらにやって来る国王軍を遠くミラファトルから眺めていた。
◇ ◇ ◇
俺たちは日の出の光を眩しく感じながら、王妃と三人の王女が待つミラファトルに向かって行軍していた。
体調が万全ではないエディセウス王には、馬車の中で仮眠をとってもらいながらの移動となっている。
あの黄金の結界を維持するために、誰よりも死力を尽くしていたのはエディセウスに違いない。
おのれの命をかけても民を守る。まさに男のロマンだな。
『カズヤさんって、ほんとロマンが好きですよね。ロマンじゃ生きていけませんよ、だから甲斐性なしって言われるんです』
……ぐっ。
ろくでなしを夫に持った妻みたいなことを言いやがって。誰が甲斐性なしだ。
俺に金がないのは、財布を一緒に転生させなかったあの女神のせいだと何度言えば。
こいつだけは、ロマンを共に語れない天敵だ。
俺はふぅと溜め息をつく。
まあとにかく、エディセウス王に倒れられては困るからな。
帝国の追撃もなくミラファトルが見えてきたので、国王には少し休んでもらうことにしたのだ。
「意地を張って休もうとしないから、説得に苦労したぜ」
代わりと言っては何だが、俺たちは今大空を飛んで、周囲の警戒にあたっている。
相棒の飛竜アッシュに乗る俺と、天馬に乗ったエルフェンシアの魔道騎士団の騎士たちだ。
俺の横に並んで飛ぶのは、クリスティーナの副官のサラという女騎士である。
「大したもんだな、一糸乱れぬ編隊ってやつだ。流石王国の魔道騎士団だな」
「いいえ、勇者様の腕前にはとても及びません。でも助かります、あのドルーゼスを打ち破った勇者様がお姿を見せてくださいますと、兵士たちの士気も高まりますから」
兵士たちはこちらを見上げて歓声を上げている。
赤い飛竜のアッシュは目立つからな。
「これぐらいで士気が上がるなら安いもんだ」
ふと地上を眺めると、少し離れた所に、豪華な装いの荷馬車の車列が見えた。
俺は思わず首を捻った。
「いやに重そうな荷物を積んだ馬車だな、戦場から逃げるには似つかわしくない連中だぜ」
それを見てサラは眉をひそめた。
「あれは恐らくヴァンベルファン大公の手の者たちの荷馬車でしょう。愚かな……こんな時に民ではなく、財を守るために奔走するとは」
「ヴァンベルファン?」
「はい、エルフの聖地でもある、ラセファーリス神殿の周辺を治めている有力者です」
俺は肩をすくめる。
「こんな時に金のことばかり気にしてる奴がいるなんてな」
「はい、勇者様。真っ先に逃げ出し、自らの財をああやって運ばせているのでしょう。あれ程の荷馬車があれば、多くの民を救えたでしょうに。大公を名乗るのもおこがましい恥ずべき男です」
サラの言葉に、俺は再び眼下を走る荷馬車の車列を眺めた。
ヴァンベルファン大公か、ロクな奴じゃないってことは間違いなさそうだな。
『自分の領地の人々よりも、財産を優先させるような領主ですからね。でも、大公ってことはエルフェンシアの王族でもかなり身分が高い人間のはずですよ』
確かにな。俺はサラに尋ねた。
「そのヴァンベルファン大公っていうのは、王族なんだろ?」
「はい、国王家以外の王族の筆頭を務める程の名門。本来ならば、このような時こそ真っ先に国を支える立場の人間です」
いわゆる分家の代表格ってことか。サラは唇を噛み締める。
「エルフの聖地、ラセファーリス神殿がある領地を治めているのもその証。本来ならば神殿の騎士を引き連れて、一番に戦場に駆けつけるべきではありませんか!」
怒りが湧き上がってくるのだろう、天馬の手綱をギュッと握りしめるサラ。
「国王家に男子がいないことをいいことに、クリスティーナ様を娶り次の国王の座を狙っているとも言われていますが、王になろうという者がこんな真似をするとは。断じて許せません!」
「次の王にか?」
「ええ、そのことで両陛下もクリスティーナ様も、ずっと悩まされてきましたから」
エルフェンシアにはクリスティーナを次の王に推挙する勢力と、ヴァンベルファン大公の妻にクリスティーナを迎えることで大公を国王に、という勢力があるらしい。
「この様子を見る限りじゃ、どう見てもクリスティーナが女王になった方がいいだろう? 誰か反対する奴でもいるのか?」
「ええ、神殿を治めるラセファーリス教団は大公を次の王に推しています。ラセファーリス教団は強い政治力を持っていますから」
まるで映画に出てくる王位継承問題みたいだな。実際に周りで起きてみると、当然だが生々しく感じる。
……クリスティーナも大変だな、まだ十八か十九歳だろう。
清楚で凛とした美貌の持ち主なだけに、その心の内側までは分からない。
だが、第一王女として苦労も多いのだろう。
王族か、俺にはとても想像がつかないぜ。
『でしょうね。生まれも育ちも庶民中の庶民ですからね、カズヤさんは』
(……黙れ)
キング・オブ・庶民みたいな言い方しやがって。
俺の個人情報はこいつにだだ漏れなのか。
サラは溜め息をつきながら微笑んだ。
「お許しください勇者様、みっともないお話をいたしました。今はあんな男のことよりも、やらねばならないことが山程ありますから」
「ああ、そうだな。クリスティーナたちがあそこで待ってるぜ」
ミラファトルの街はもう間近である。
国王軍は順調に進軍し、いよいよミラファトルに入るという頃には、すっかり日も昇っていた。
国王も目を覚まし、馬車から皆に手を振っていた。
歓声が上がる街の中を進むと、王妃と三人の王女がいるはずの広場に到着する。
クリスティーナ、そしてリーニャも死んだように眠っている。
必死に怪我人の治療にあたって、残りの魔力も使い果たしたのだろう。
アンジェリカも疲れ果てた顔をしていたが、俺たちの姿が見えると勝気な表情に戻って、こちらにやって来る。
俺たちの傍に来ると流石に安心して気が緩んだのか、少しふらつく。
その細くしなやかな体を支えると、俺は汚れている彼女の鼻の頭をそっと拭いた。
「少しは王女らしい顔になったじゃねえかよ、アンジェリカ」
アンジェリカは俺の体に顔を埋めるようにして、こちらに体を預けた。きっとエディセウス王の顔を見て、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。
魔力も使い果たしたのか、華奢な体から力が抜けていくのが分かる。
「疲れた……わ」
そう呟いて彼女は静かに目を閉じた。気が付くと、顔を俺の体に押し当てたまま寝息を立てている。
嫌っている俺に体を預けて寝るぐらいだ、余程疲れたに違いない。
こうしていると、こいつも天使みたいなんだがな。
俺はアンジェリカの安らかな寝顔を見ながらそう思った。
王女たちの護衛として付き従っていたロファーシルも、アンジェリカの姿を見て微笑んだ。
そして、エディセウスの前に膝をついて礼をする。
「国王陛下。アンジェリカ様は、ディアナ様やクリスティーナ様と同じく、立派でございました」
それを聞いて、ロファーシルの後ろで見ていた王妃ディアナが、俺の傍に歩み寄る。
「光の勇者様、お会い出来て光栄です」
「こちらこそ光栄だ。ディアナ王妃」
そして彼女は、俺に寄り掛かったまま眠っているアンジェリカの髪を優しく撫でた。
「この子も少しは大人になったようですね。それにしても、夫以外の殿方にここまで気を許しているアンジェリカは見たことがありません」
妻のその言葉を聞いて、エディセウス王は俺を睨んだ。
「ぐぬ……確かに。勇者殿、もしやアルーティアでアンジェリカと何かあったのですかな? この子の天使のような可憐さに、まさか我慢が出来ずに……」
「変な冗談はやめてくれ、こいつといたお蔭で、寧ろこっちが我慢のし通しだったぜ」
おかしな疑惑をかけられる覚えはない。
そもそも、こいつが俺に気を許す理由がないからな、単に疲れ切っているだけだろう。
俺はとりあえずその場に腰を下ろした。
アンジェリカをエディセウスに引き取ってもらおうと声をかけると、ディアナが俺に微笑んで首を横に振る。
「せめてもう少しだけでも、そうしてあげてくださいませ」
「そうか? まあ俺は構わないけどな……」
まるで、仇を見るような目で俺を凝視しているエディセウス王が気にかかるが、まあいいか。
そもそも国王の親馬鹿のせいで、こいつの我がままに手を焼いたんだからな。少しは嫌な思いをしてもいいだろう。
「ふぅ」
俺は広場の中央にある銅像の台座を背にして座り込み、膝の上にアンジェリカの頭を置いて寝かせる。
……今更だが、起きたら噛み付かれやしないだろうな?
『あり得ますね。寝ている時と起きてる時では、天使と悪魔程違いますから』
(はは、そりゃ言えてるな)
俺はそう思いながら肩をすくめた。
アルーティアの兵士たちが、国王たちを彼らのために用意した屋敷へと案内したいと声をかけてきたが、エディセウスはそれを固辞した。
「民が皆こうして石畳の上で眠っておるのに、どうして王であるこの私が、温かいベッドの上で眠ることが出来ようか」
「ええ、貴方。クリスティーナたちもそう思っているはずです」
石畳の上で深い眠りについているクリスティーナやリーニャの髪を撫でながら頷くディアナ。
俺はそれを聞いて笑った。
「馬鹿だな、あんたらは……でも嫌いじゃねえぜ」
俺の言葉にエディセウスもディアナも笑った。
ナビ子が俺に言う。
『また男のロマンですか?』
(さてな……)
俺は、その場に腰を下ろした国王と王妃を見つめていた。
男であろうが女であろうが、分かる奴にはロマンが分かる、そういうもんだ。
「アンジェリカじゃねえが確かに疲れたな。少しだけ眠るとするか」
俺はそう呟くと、膝の上で眠るエルフェンシアの王女の横顔を少しだけ眺めた後、静かに目を閉じた。
2、小さな訪問者
「ん、んぅ……」
清楚な美貌がピクリと震える。
エルフ族の中でも際立って整ったその顔は、母親であり王妃のディアナによく似ている。
クリスティーナだ。
開きかけた彼女の目に、疲れ果てた国王軍の兵士たちが眠る様子が映る。
周囲の警護は、アルーティアの警備隊が行っていた。
広場から溢れて、辺りにも眠っている兵士たちの姿が見えた。
(いけない……私、眠ってしまったのね)
起きて父親たちを迎えるつもりだったクリスティーナだったが、魔力を使い果たし、意識を失っていたらしい。
ふと気が付くと自分が、誰かの肩にもたれかかるようにして頭を乗せているのが分かった。
静かに相手の横顔を見るクリスティーナ。
その人物が誰か気が付いて、心臓がドキリと音を立てた気がした。
(ひ、光の勇者様!?)
クリスティーナと同じく、広場の銅像の台座を背もたれにして、仮眠しているようだ。
いつ敵が来てもいいように、ということなのだろうか、その傍には一本のロングソードが立てかけられている。
周囲では、父親であるエディセウス王やディアナ、あのロファーシルも仮眠をとっている。
休める時に休むのも戦士の仕事だろう。
起こしてはいけないと思い、クリスティーナはもう一度そっとカズヤを見つめた。
少し口を開けて寝ているその横顔に、彼女は目を細める。
(ふふ、なんだか可愛い。戦場での凛々しいお姿とは全く違いますわ)
自分でも、年上の男性に「可愛い」はないだろうとは思うが、クリスティーナの正直な気持ちである。
彼は一人の少女と一緒に眠っていた。
「カズヤ……むにゃ、私頑張ったんだから」
カズヤの膝の上に頭を乗せて、むにゃむにゃと寝言を言うアンジェリカ。
寝返りを打ち、天使のようなその美貌をカズヤのお腹にこすり付けるようにして、しっかりとその体にしがみつく。
(アンジェリカったら! どうして勇者様の膝の上で!?)
あり得ない光景である。末の妹の性格はよく知っているが、父親以外の男性にこんな風に甘えたりはしないタイプだ。
クリスティーナは複雑な心境で、妹とカズヤを見つめた。
(アルーティアで何かあったのかしら? こんなに親し気に……)
妹を少し羨ましく思う、エルフェンシアの美しき第一王女。
自分がこんな風に彼の膝の上に頭を乗せて、甘えている姿を少しだけ想像する。
(馬鹿馬鹿しい、何を考えているのかしら)
頬を染めると小さく咳ばらいをした。
そして、微笑むと妹の美しい髪を撫でる。
「アンジェリカったら。勇者様に褒めて欲しくて、あんなに頑張っていたのね」
昨晩のアンジェリカの活躍は目覚ましかった。
クリスティーナとリーニャの魔力が尽きかけていたこともあり、怪我人の治療にアンジェリカは大きく貢献したと言えるだろう。
ふと、クリスティーナは少し離れた場所から、誰かの視線を感じた。
幼い少女と少年だ。少女は五歳ぐらい、少年はその兄だろうか? 七歳ぐらいに見える。
頭には二人とも大きな猫耳がある。獣人族だろう。
クリスティーナと目が合うと、少女は少年の後ろに隠れてしまうが、少年はジッと彼女を見つめたままだ。
(私に用かしら?)
クリスティーナはカズヤたちを起こさないように静かに立ち上がると、少年と少女の元に歩み寄る。
少女はビックリしたように、手に持った果物が入った籠を地面に落とした。
「はう! こっちに来たです。綺麗です、王女様みたいです」
「馬鹿だな、リン。当たり前だろ、ほんとのお姫様なんだから」
「ふみゅ~、ジンお兄ちゃん意地悪です。リン、馬鹿じゃないです」
話す度にパタパタと動くリンの大きな耳が愛らしい。
アルーティアの警備兵が慌てて止めに入った。
「こら、お前たち。ここには入るなと言っただろう? これは、クリスティーナ殿下、申し訳ありません。この者たちには先程も帰るように言ったのですが」
広場の警備にあたっているアルーティアの兵士は、そこかしこに見受けられた。
相手が子供ということもあって、兵士たちも強くは言わなかったのだろう。
屈強な獣人の兵士に注意され、またジンの後ろに隠れるリン。
クリスティーナは兵士に申し出た。
「ご配慮感謝いたします。ですが、私なら構いませんわ」
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