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お酒なんて飲むものじゃない
しおりを挟む目が覚めると見覚えのない部屋に居た。
ベッドの上にひとり。わたし以外誰も居ない。
確か昨日は月に一度の強制参加の飲み会とかで、銀翼のみんなと酒場に行ったんだっけ。
ここに来てもうじき一ヶ月。
ギルドの人たちとも最近はよく話すようになった。
だからって、……うぅ。頭痛いかも。
飲み過ぎちゃったかな。
「………………」
それで、あれ……?
ここは、どこ……?
昨晩の記憶が、ない……。
辺りを見渡すと少し散らかっていて、……なんだか無粋な部屋。
……それにこのベッド、埃臭いかも。
なんていうか生活感に溢れてる……。
そう思った瞬間、心臓がドクンッと大きく脈打った。……とてつもなく、嫌な予感がした。
だってここ、男の人の部屋みたい。
──そんな、嫌な予感は的中した。
バタンとドアが開くとウィングさんが入って来た。それはもう当たり前のように。
この部屋が誰の部屋なのかを悟るには十分過ぎた。
「おお、起きたのか。ちょうど珈琲が切れててな。取りに行ったところだ。どうだ。付き合ってくれるかい?」
普段とは違うラフな格好。
それは、今までに見たことのない“オフモード”のウィングさんだった。
なに、この状況……?
え。これって……。
一気に不安が押し寄せてくる。とても珈琲だなんて呑気なことは言ってはいられない。
そんな心境が顔に出てしまっていたのか、ウィングさんの笑い声が響いた。
「はははっ! そんなに焦らなくても大丈夫。一切手は出してないよ。安心しなさい」
その言葉を聞いて心底ホッとした。
それと同時に失礼な態度を取っちゃったなとも思った。
ウィングさんに限ってそんなこと、あるはずない。戦場を共にしたからわかる。わかってたはずなのに。……冗談は過ぎるけど、優しい人。
「なんだかすみません……。ウィングさんがそんな人じゃないってわかってるのに……」
「それはどうかな。昨晩、君に何かしているかもしれないよ? 言わなきゃバレないのだから」
「絶対にありえません。笑えない冗談はやめてください」
「あー、もう! すぐそうやってツンケンするー!」
「当たり前じゃないですか!」
この人は本当に冗談の絶えない人だなぁ。……なんて、思っていたけど、
冗談を言う顔から一変、真剣な眼差しに変わった。
「でも、なんというか。お酒は気の許した相手とだけ飲みなさい。危なかっしくて見てられない」
「……はい」
なんだか無性に恥ずかしくなって返事をするので精一杯だった。
◇◇
男の人の部屋で朝を迎え、珈琲を飲む。
なにもなかったとは言え、なかったから良いってわけじゃない。
わたし、なにやってるんだろう。こんなこと、レオンには絶対言えないなぁ。墓場まで持ってこ。
なんて事を考えながら珈琲を飲むわたしに対し、ウィングさんは味わい深く飲んでいた。
そして、珈琲を飲み終わる頃には普段のギルドマスターとしての顔付きに変わっていた。
「さて、と。そしたら俺はギルド長室に行くかぁ~。のんびりし過ぎるとアスラインの野郎にドヤされるからな。エリシアちゃんは今日休みだろう。後で来てくれるかい? 少し話したいことがあってね」
「……話、ですか?」
「あぁ。ギルマスとしての話だ。ここじゃなんだ。向こうでな。午前はアスラインと用事があるから午後以降で頼めるか」
「わかりました」
話ってなんだろう。そんなことを思っていると、鍵を渡された。この部屋の……鍵。
「よしっ。この部屋にあるものは自由に使っていいから。ゆっくりしていきなさい。まだ眠そうな顔してるからな」
「……はい?」
わたしは首を傾げながら返事をした。
でも、そんな様子にもお構いなしに「はっはっはっ」と笑いながらウィングさんは部屋を後にした。
待って。おかしくない?
なにもなかったのはわかるけど。なんかこれ合鍵渡されたみたいで、やだ!
一秒でも早くこの部屋から去ろう。今すぐ!
とも思ったんだけど。少しだけ部屋を掃除してから出て行くことにした。
◇◇◇
休みといっても特にすることはない。
次の任務に備えて一日中寝てるだけ。
のんびり過ごして午後を待つ。
そうしてギルド長室に向かう途中、テトくんとニアくんに会った。
普段通りに挨拶をしようとすると、ニアくんが突如として声を荒げた。
「お姉ちゃんのバカーッ!」
それはもう突然のことにビックリした。
「ずっと、ずっと一緒に居るって約束したじゃんか!」
続けてそう言うとニアくんはバッとわたしの手を掴んできた。目には涙を浮かべて。
理解の追いつかない状況にあたふたしていると、隣に居たテトくんが跪いた。
「姫。ニアの馬鹿が取り乱してしまい申し訳ございません。すぐに黙らせますので騒がしくすることをお許し下さい」
そう言うと即座に立ち上がり物凄い剣幕でニアくんの胸ぐらを掴みに掛かった。
「表に出ろ! 姫を困らせる奴は例えお前でも容赦しない」
「ああ。全力でぶっ殺してやる」
「ちょ、ちょっと! 二人とも‼︎」
声を大にして二人を止めようとしたとき、肩をポンッと叩かれた。振り返るとそこに居たのはアスラインさんだった。
「放っておいて大丈夫だよ」
「え。でも、このままじゃ……」
「あれで二人はお互い認め合ってるから。大事には至らないよ」
「そういうものなんですかね」
「そういうものなんだ。それに今、あの二人にとっては必要な事なんだろうさ。やり場のない思いを互いにぶつけ合う。決して止めてはいけないよ」
その言葉はとても意味深だった。
嫌な予感が……する。
「あの……もしかしてわたしが──」
アスラインさんは人差し指を口に当てると「しーっ」と、その先を言うことを拒んだ。
「ウィングに呼ばれているのだろう。さぁ、行った行った! ……エリシアさん。短い間だったけど、ありがとうね」
「え。あのそれってどういう──」
そして今度は言葉を遮るように背中を押された。
「行けばわかるよ。エリシアさんにとって、とても良い話だからね」
良い話とは言うけどアスラインさんの顔は悲しげに曇っていた。
とても、とても嫌な予感がした。
だってそれは、さよならを言っているようだったから──。
☆☆
ギルド長室に入るとウィングさんは机に足を掛け煙を吹かしていた。大きく煙を吸い込みスゥゥゥと鼻からゆっくり出すと「よしっ」と火を消した。
そして、机に掛けていた足を床に戻すとゴホンと軽く咳払いし話を始めた。
「うちのMVP制度は知ってるね? 今月はエリシアちゃんに決まった。それがこの報酬だ」
ウィングさんが腰掛ける机の上に『白金貨』2枚『金貨』8枚が置かれると、そのままわたしに差し出された。計208万G。
MVP制度……。
この人は嘘を吐いている。直感的にそう思った。
だってそれは、わたしの手持ちと合わせるとちょうど500万Gになる金額だったから。
こんな都合の良い話、ありえない。
昨晩、飲みの席で何があったのかなんとなくわかってしまった。
わたし、何やってるんだろう。
「……いただけません」
本音を言えば喉から手が出るほどに欲しい。けど、こんなのは違う。絶対にダメ。
「そう言うと思ったよ。でもね、これはギルドの総意として、しいてはギルドマスターである俺の決定でもある。銀翼のメンバーである以上、エリシアちゃんに拒否権はないよ」
「……それでも、拒否します」
「そうか。なるべく穏便に済ませたかったのだがな。……仕方ない」
ウィングさんは困り顔でため息を吐くと、首を横に振った。
そして椅子から立ち上がると、鋭い眼差しを向けてきた。
「エリシア・ア・エルリシア。君を《銀翼の宴》から追放する。そのお金を持って直ちに立ち去れ!」
その言葉を聞いて、事の深刻さを悟った。
単にお金の話をしただけじゃない。
もっとなにか、ウィングさんがこうまですることを、しちゃったんだ。
それなら、尚更……。
「……嫌です」
「困ったな。ギルドマスター命令なんだがな。強制的に追い出すようなことはしたくない。どうかその足で、自らの意志で、このギルドから去ってくれ」
「こんなのってないです……」
「意固地になるな。レオン君とやらの元へ帰りなさい。帰る場所があるのなら、こんなところに長居をしてはいけないよ」
ドクンッ。
背筋からゾッと冷たさが迸った。
ウィングさんの口からレオンって言葉が出た。ただの一度もその名前を言ったことなんてないのに……。
……でも。
やっぱりそうなんだ。とも思った。
あの日から、わたしの頭の中はいつだってレオンのことでいっぱいだった。
お酒に酔って枷が外れた心で何を喋ったのか。……もう、全てわかっちゃった。
レオンに会いたい気持ちが溢れ出して、きっと止まらなくなったんだ……。
本当、なにしてるんだろう……。
「ダメなんです。ちゃんと働いたお金じゃないと……。ただお金があれば、いいってわけじゃないんです。こんなズルしたら、わたし……もう二度とレオンに顔向けできない……」
「……すまんな。この決定に関してはエリシアちゃんの是非は問わない。これは今日までの働きに対する正当な評価であり対価。報酬だ。受け取らない場合は実力を持ってして受け取らせるまでだ」
駄々をこねるわたしに対し、ウィングさんが折れることはなかった。
きっと、わたしが思うのと同じようにウィングさんも決めてしまった事なのかもしれない。
「わかりました」
だからわたしはお金を受け取ることにした。
これ以上、なにを言っても無駄だとわかったから。
机に並べられたお金を全て手に取り、ゆっくりと窓へと向かった。
「窓、開けてもいいですか?」
「ああ。こんなやり方しかできなくてすまんな。君は頑固だから」
「……頑固。本当にその通りだと思います。……ウィングさん、このお金はもうわたしのってことでいいんですよね?」
「無論。それはもうエリシアちゃんのお金だ。好きに使いなさい」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
これはもうわたしのお金。
だからどう使おうとわたしの自由。
地上10階。窓から顔を出し下に目をやると、都合の良いことにテト君とニア君が居た。実は居るだろうなと踏んでいた。
まさに喧嘩の真っ最中。
「テトくーん! ニアくーん!」
二人の耳に届くように大声で呼び掛けると、テト君はピタッと止まり跪いた。ニア君はキョトンとして首を傾げて見上げてきた。
ギルドの最上階に位置するこの場所から声を掛ける事。言葉なくしても、この二人ならきっとわかってくれる。
「これあげるー!」
手に持っていた金貨を二人めがけて全て投げた。白金貨。一枚あたり100万G。それを二枚も窓から投げる。おまけに金貨も八枚。
きっと、この先の人生において二度とない。
だからなのか、手が震えた。
投げ終わっても震えが治らない。
バカなことをしてるって自覚はある。
このお金があればレオンの元に帰るきっかけにはなる。
でも、お金の問題だけじゃない。
自分のことが許せない。
あの日、考えなしにわがまま突き通した自分が、ひどく許せない。
それは今も変わらず、この先も変わることはない。
けど、だからこそ。
500万Gだけは自分の力でどうにかしたい。
他の誰かに与えられるような形で遂げたくない。
きっと、本音とは矛盾しているのだと思う。
酔ったときに溢れたであろう言葉が本音なのだから。
ウィングさんは優しい人だから全てをわかった上で、わたしにお金をくれたんだ。
だから、投げた。
こんなお金、わたしはいらない──。
☆
ウィングさんはバサっと椅子から立ち上がると、眉間にシワを寄せながら近付いて来た。
そして、窓から覗き込むように外を見下ろした。
テトくんとニアくんが素早い動きでなにかを広い集めている。
首を傾げわたしの手に視線を移すと、あっけらかんとした表情で問いかけてきた。
「え、投げちゃったの?」
わたしは笑顔で頷いた。
「っっ⁈ は、白金貨だぞ? 白・金・貨! 正気か⁈」
そう言うと窓に足を掛け飛び降りようとした。
「おいガキ共──」
ウィングさんの怒号に近い叫び声が響き渡った。それに対しテトくんとニアくんは笑顔でグーポーズを向けるとくるりと回り走り出した。
「超超超重力操作」
ウィングさんはすぐさま得意とする黒魔法を唱えた。右手から円球状の黒い空気の塊が出現する。
おそらく重力の檻に入れて拘束するのだと思う。……でも、大丈夫。
ウィングさんとテトくんニアくんとの間にはそこそこの距離がある。手加減と手心を加えるであろう今のウィングさんの目を誤魔化すことは、きっと容易い。
『空間屈折魔法』
心の中で光属性の魔法を唱えた時だった。
「ははっ、はははははっ!」
ウィングさんは声高らかに笑い出した。
勘付かれたと、そう思った。
まだ発動前だった。それなのに気付いちゃうんだ。
ウィングさんの凄さはわかっているつもりだった。でも戦っている姿はいつだって対ドラゴン。
それに普段、冗談交じりにおちゃらけてる姿ばかりを見ていたから、誤解していた。
この人の目を欺くなんて、不可能だ……。
「まったく。君って子はむちゃくちゃだな。ギルド長室では俺以外の魔法行使は禁止だというのに。銀翼の一員なのだから守ってもらわないと困る」
そう言うとわたしの頭をポンっとした。
そのまま膝を曲げ、視線を合わすとにぱぁと笑った。
「エリシア・ア・エルリシア。君の追放を、今この場を持って取り消そう」
「……はい。ありがとうございます」
◇
いつからだろう。
初めて会った時は手を握っただけで寒気がしたのに、今はとても温かく感じる。
ウィングさんなら怒らず、こうしてくれるだろうと心の何処かで思っていた。
それは現実に起こり、追放を取り消してくれた。
何も言及せず、わたしの意地も通してくれた。
黙ってお金を受け取ることよりも、よっぽど甘えている。好意を踏みにじったはずなのに、笑ってなかったことにしてくれた。
わたしはこの人に、なにを返せるのかな──。
もらってばっかりだ。
◇◇◇
それからウィングさんは朝に続きまたコーヒーを淹れてくれた。少し話を聞かせてくれと、対面してソファーに腰を掛けている──。
「とはいえ、この件に関しては不可解な点も多い。たかだか魔獣の討伐をすっぽかしただけで500万Gもの損害が出るわけがない。そんなに大事なら冒険者組合ないし、ギルドや騎士団に緊急で依頼をかければ済んだ話だ」
「それは、一階の冒険者風情が貴族様との約束を蔑ろにしたから……だと思います」
わたしの後にリリィちゃんとレイラさんまでもが出て行ったことを考えると、確かに不可解な点はある。ここまでの違約金になることを誰一人として想定していなかった。
そして、高貴な出で顔の利くレイラさんでも介入できなかった。
そう考えると、首を突っ込んでいい話じゃない。
「それが常識か。やはりこの国は腐ってるな。貴族は腐敗している。表向き、魔獣討伐で依頼したのだろう。あいつらがそんなことに興味があるとは到底思えないからな。冒険者組合もろともこれを機に潰すか」
「…………え」
「確か、元剣聖が天下ってたか。その辺に今回の裏がありそうだ。あぁ、殺すか」
背筋がゾッとした。
普段、温厚でおちゃらけてて優しいはずのウィングさんからとてつもない憎悪と殺気を感じたからだ。
「あ、あの……お気持ちだけで」
「おぉぉっと、これはすまん。怖がらせちゃったかな」
「……い、いえ」
「これはその、あれだ。やがて生まれてくる、エリシアちゃんの子供たちのために何か出来ないかなと思ってね。こんなことがまた起こるようなら、結婚生活もままならないだろう?」
それはなんだか、誤魔化しと訂正のような気がした。それなら、わたしは普段通りにしよう。
「あの! そもそも結婚する予定ないですからね!」
「予定ならあるじゃないか。レオン君とは結婚しないのか?」
「……な! やめてくださいよ。笑えない冗談ばかり」
そうなればいいなとは思うけど。
想像したことは何度もあるけど。
でも、今はそれどころじゃないし。
「冗談とは失礼だな! 君はそれだけ魅力的な女性だ。大丈夫。未来は確定している。でもそうなると、俺はお爺ちゃんになってしまうのかな。エリシアちゃんのパパを自称しているわけだし」
「あー、もう知りません。勝手に言っててください!」
最近、からかわれてるような気がするのは気のせいかな。
でも、追放を言い渡されて、大金を窓から投げて、追放を取り消されて。それでもこうやって、何事もなかったように接してくれる。
これもウィングさんの優しさだ。
ただ強いだけじゃない。みんなから慕われるのはきっとこういうところなんだろうな。
……なんて、思ったのも束の間──。
「そうだ。明日からギルド内で新たなルールが施行される。エリシアちゃんには直接的には関係のないことだがな」
なんだろう。追放は取り消されたのだから、わたしだって銀翼の一員なのに……。
「あの、それはどういう意味ですか?」
「うん。見た方が早いな」
そう言うとにぱぁとして壁にかけられた額縁を指差した。
そこには十の盟約とやらがあり、十一行目に、新たな盟約が追加されていた。
☆《我ら銀翼の宴、最高顧問にして真のギルドマスター『女神・エリシア』の幸せと安寧を願い、一日三度の祈りを欠かさぬこと。これ、絶対‼︎》☆
「…………え?」
「なぁに。エリシアちゃんは祈る必要ないからな! 自分で自分を祈っても仕方がないだろう! わっはっは!」
……素直に追放されておけば良かったかも。
☆
翌日、昨日の出来事が嘘のようにみんな普段通りに接してくれた。
むしろ知らない? って思うくらい何事もなく任務に就き、ドラゴンの討伐を終えた。
荒廃した辺境の地。あとはギルドに帰るだけ。なのに、誰もワイバーンに乗ろうとしない。
そして、ゾロゾロとウィングさんの周りに集まりだした。
みんなが集まり終わると、ウィングさんはまるで予定していたかのように「うしっ始めるか」と口を開いた。
「エリシアちゃん、ちょっといいかな」
え、わたし?
自分を指差して首を傾げると、優しい顔付きで頷いてきた。
昨日の今日だ。良からぬ企みが脳裏を掠める。
その場にきょとんと立ち竦むと、みんなが声を掛けてきた。
「ご指名だぞ! エリシアちゃん」
「よっ! 戦場の女神様! 壇上へ行った行ったー!」
「「「エリーシア! エリーシア!」」」
「そういうの恥ずかしいんで、本当にやめてくださいっ!」
「「「あはははははっ」」」
笑い声と笑顔で溢れ、なんだか温かい雰囲気に。
昨日、ウィングさんから追放を言い渡された時とは全然違う。
いったいなにが、始まるっていうの……。
──そんな不安は、的中することとなる。
ウィングさんはとんでもないことを口にしたんだ。
◇
「再度、皆の者に問おう。此処にあるは《認識阻害の首飾り》。これを我らが女神、エリシアに捧げることに異論のある者は前へ」
「あるわけないだろー! 早くしろおっさん!」
「格好付けなくていいぞー!」
認識阻害の首飾り。
これには聞き覚えがあった。
確か、SS+の国宝級に該当するアイテム。
さすがにこれは冗談じゃ済まされない。女神だのなんだの言ってからかうのとは訳が違う──。
ウィングさんの手がわたしの目前を掠めた。
首飾りが、わたしの頭を──。
「ちょっ、ちょっと待ってください‼︎」
とっさに、ウィングさんの体を両手で押しのけた。
「おぉぉっと。まぁ、そう来るよな」
「当たり前じゃないですか! こんな高価なもの、いただけません!」
わたしが断ることをわかっていたかのように、ウィングさんは落ち着いた装いで「ゴホン」とわざとらしく咳払いをすると、用意していたであろう言葉を並べた。
「まー、あれだ。この首飾りはエリシアちゃんの魔法と相性がいい。昨日俺に行使しようとした空間制御魔法と合わせれば目眩しも可能だ。あの時、ピンっとひらめいちゃってな!」
あの時って、あの時……?
笑ってたのはそういう意味だったの?
違う。あの時の笑いはそんなんじゃない。それにこのアイテムをもらったところで、わたしがギルドに貢献できることは何もない。
「ドラゴン相手には通用しないはずです。いただいたとしても宝の持ち腐れです」
「俺がいつ、ドラゴン相手に使えと言った? 会って来なさい。レオン君に」
「……え?」
「そうだぞ! 女神様っ!」
「ドラゴンとかどーでもいいから!」
「俺たちはエリシアちゃんの笑顔を守りたい!」
「あ、あの……! え、ちょっと待って……」
レオン? レオンって言ったの?
なんでここでレオンの名前が出てくるの?
理解が……追い付かない……。
「もう待てないよエリシアちゃん。君はもっと自分の気持ちに素直になりなさい」
その言葉は胸を抉るようだった。
本音を言えばレオンに会いたい。会いたくて会いたくて……とにかく会いたくて。
でもそれと、国宝級アイテムになんの関係があるの……。
まさかレオンに会うためだけに使えって言ってるの?……そんな馬鹿なこと……あるわけ……。
「本当に困ります。わたし、こんなこと望んでない」
「そうか。これの使い道を理解できてないんだな。つまりだ、レオン君に気付かれることなく近づける。側に寄り、温もりを感じて来なさい。たったそれだけのためにとか言うのは無しだからな。俺らにとっては今、それが全てだ!」
「たったそれだけのために国宝級のアイテムを渡すなんて、どうかしてます」
「はははっ。それを言うのは無しって言ったはずなんだがな。このアイテムを使えば、エリシアちゃんの体裁は守られるだろう? これ程までに価値のある使い方はこの世のどこを探してもないだろうさ」
「その通りっ!」
「よっ、我らがギルマス!」
「よく言った!」
「……………………」
この人は冗談抜きで、わたしの通したい意地のためだけに国宝級アイテムを持ち出してきたんだ。……馬鹿だよ。馬鹿過ぎるよ……。
言葉にならない想いが溢れて来る。
もう、どうしたらいいのかわからない。
どうしてここまで優しくしてくれるのかも、なにもかもがわからない……。
「そんな顔をするな。君はレオン君のお日様の香りが好きなのだろう?」
「んなっ、なんの話ですか?」
──ドクンッ。
えっ。何言ってるのこの人!
澄まし顔で悟ったような顔して何言ってるの!
「バッカ! ギルマス! それは言わない約束だろ!」
「それ言っちゃダメなやつ……」
「だぁー、これだからおっさんは。デリカシーがねえや」
バサっとみんなの顔を見るも誰一人として目を合わせてくれない。
嘘……でしょ?
「いーや。俺は言うぞ。ここを逃したらこの子はずっと我慢をし続ける。レオン君の温もりを感じてきなさい。……って、かぁぁぁ! 言ってるこっちが恥ずかしくなっちまうな! おい!」
本当に恥ずかしいんだけど。
確かに、レオンの隣は好き。レオンの匂いも好き。レオンの温度もなにもかも、……好き。
でも、どうしてその事を?
酔っ払ったわたしはそんなことまで口にしてたの……?
「あの晩、酒場でみんな見てるんだよ。レオン君に会いたいって泣き崩れる君の姿を。言葉にならない声で必死に気持ちを吐き出す君の姿を。それは普段の君からは程遠いものだった。気付いてやれなくてすまん」
「ダメだぁ。この男、まじでデリカシーの欠片もねえや」
「お、俺は何も見てないぞ」
「俺もエリシアちゃんの泣き顔とか一切見てない。知らない! 初耳だぁ!」
なんだろ。今すぐ消えちゃいたい。
でもそっか。全てが繋がった。
涙を晒したことに、同情してくれているんだ。
それなら尚更、たったそれだけのことだよ。わたしはこの人たちになにも返せない。
近い将来、レオンの元に帰ることは決まっているのだから。……だから、だから……ダメだ。
「アイテムは受け取れません。お気持ちだけいただきます。でも、レオンには会って来ます。なので首飾りは閉まって下さい。返せないですから。ウィングさんにもみんなにも、優しくしてもらってもなにも返せないですから……」
そう言った直後だった。
わたしの頭の上を掠めてウィングさんの手が通った。そして、認識阻害の首飾りはわたしの首元に。
「あの、わたしの話、聞いてました?」
「あぁ、聞いてたよ。君からは既にたくさんのものを貰っている。命の尊さを教えてもらった。とかな。それこそ命そのものをもらった者もいる」
「意味わからないです。わたし、そんなの教えた覚えもあげた覚えもないです……」
「自己評価が低いってのも困ったものだな。エリシアちゃんが加入してから死傷者ゼロ。死者はおろか負傷者すら出ていない。これを功績と言わずなんとする。ここはドラゴン討伐の為なら死すら恐れない馬鹿どもの集まりだ」
「ははっ。その通りだ」
「ギルマス、あんたもその馬鹿の一員だがな!」
「ドラゴンを相手にする以上、死は当たり前だと思っていたが、違った。それを教えてくれたのは君だ。エリシアちゃん。たとえ君が近い将来このギルドから去ることになろうとも、ここでの経験は未来永劫刻まれる。死傷者が出た際は『敗北』と知りなさい。これは君が常々口にしていた言葉だ」
「そんな……わたしはただ……」
当たり前のことを言っただけで……。
「だからこれは、俺だけじゃなくギルドの意思として頼む。嗅いで来なさい! レオン君のお日様の香りを!」
「……な! か、嗅ぐとかそういうのじゃないですから!」
本当にふざけてる。いい事を言った後にだってすぐそうやって……。
でも、だから。素直になれる。
張らなくていい意地を張らずに済む。
「わかりました。行きますから。もう二度とそんな恥ずかしいことは言わないでください……!」
「はははっ! よぉし行くぞ! 野郎共! 俺たちもレオン君のお日様の香りを嗅ぎにー!」
そう言うとウィングさんはワイバーンに跨った。と、同時に、
「いやいや、おっさんはこっちだろ!」
「なにちゃっかり着いて行こうとしてんだよ!」
みんなに取り押さえられ降ろされた。
「おっとこれは失敬。娘が彼氏の元に行くと聞いてついうっかりな」
もう本当の本当にふざけてる。冗談ばかりの人。……それに、レオンは彼氏じゃないし。
でも──。
「ウィングさん、ありがとうございます」
にぱぁとしてわたしの頭をポンっとすると、みんなの方を向いた。
「よぉしお前ら! 我がギルドの女神を送り出すぞ!」
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
ウィングさんが剣の鞘を地面に叩きつけるとその場に居るみんなも各々の武器を叩きつけた。
〝ドンッ! ドンッ! ドンッ!〟
〝ドンッ! ドンッ! ドンッ!〟
「「「エリーシア! エリーシア!」」」
大地が激しく揺れた。
まるで戦地に単身で赴く戦姫。それを送り出すかのような、過度な演出。
この人たちは本当に……。
恥ずかしさのピークはとっくに過ぎていた。
それが勇気になったのか、気付いたら迷うことなくワイバーンに跨っていた。
この子のスピードなら王都まではあっという間。
レオンの元まで、あっという間。
わたしは飛び立った。
レオンの住む街へと──。
0
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