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『霧の淡雪』増殖編

お母様には隠しスキルがいっぱい

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 夜が明けた。
 エリカとアンナが持ち込んだ食糧で、攫われてきた女性たちの体力も回復した。

「『パティスリー・プサン』のマロングラッセ。限定品で食べてみたかったのよ」
「『ひよこのおやつ』のホットケーキ。小さい頃ご褒美に連れて行ってもらいました。懐かしいです」

 エリカの実家の菓子店の商品はスィーツに飢えていた若い娘に大受けだ。
 ちゃんとした食事と睡眠、女子会の恋バナに甘いお茶請け。
 これだけあれば元気百倍というものだ。

「男の人たちなら塊肉一択なんでしょうけどね。私たちにはこういうのが一番。ありがとう、負けない勇気が出てきたわ」
「その意気ですわ。全員で脱出いたしますわよ」
「後少しですから、もう少し弱ったふりをしてくださいね」

 というわけで商品一同、体力温存の為にベッドでゴロゴロするのだった。



「娘たちの様子はどうだ」
「昨夜は泣きながら寝たようで、朝飯を渡したときは目の周りが赤く腫れていましたよ」

 昨日はゴロツキを演じていた部下が、楽しそうにヤハマンに言った。

「今朝も泣きそうな顔でヤハマン様はご無事ですか、ヤハマン様にひどいことをしないでと訴えておりましたよ。愛されておられますね、ご主人様」
「可愛い子たちだろう ? おまけに頭もいい。国に連れ帰るのが楽しみだ」

 ヤハマンは自分たちの演技に少女たちが騙されていると信じ込んでいる。
 だから都合のいい未来しか見えていない。
 予定としては奴隷市場で高額で競り落とすか、その前に救出して後宮に送り込む。
 その後は賢いとは言えまだ子供。
 なんとでも言いくるめて自分の妾妃にするつもりだ。

「午後にはここを発つ。娘たちにも準備をさせておけ」
「かしこまりました」

 部下は娘たちの元に向かう。
 やっとこの国ともお別れだ。
 仕事を引き継いで数年経つが、これでしばらくはゆっくりできそうだ。
 ヤハマンは満足そうに傷一つない口に茶を運んだ。



「昼過ぎまで待機と言われてもなあ」
「そもそも何で昼過ぎなんでしょうね」

 例の廃坑跡を見下ろす崖の上で、皇太子殿下二人はうつ伏せになって入り口を見下ろしている。
 眼鏡はあれど双眼鏡や望遠鏡は存在しないこの世界。
 斥候は目視で行うしかない。 
 廃坑はグルリと崖に囲まれていて、一方に荷物を運び出すための広い道がある。
 そこを押えられれば逃げることは出来ない。

「こんな逃げ場のないところをよく本拠地に選びましたね」
「毎年冒険者ギルドからの調査は日程が公開されているし、見つかるはずがないと高を括ってるんだろう。本当は三日後の予定だったしな。まさかそのずっと前に目をつけられていたなんて思ってもいないんじゃないか ? 」

 廃坑入口近くには数台の馬車が用意されている。
 人用の物は一台だけで、後は荷馬車。
 一台は窓の無い箱型だ。

「多分、あれが奴隷用の馬車だな。外からカギがかけられるようになっている」
「・・・あんなものにアンナを乗せるなんて。ファー、アンナに奴隷体験なんてさせられません。その前にやりますよ」
「やるのかるのかどっちでもいいんだが、昼過ぎまで大人しくしていればいいんだろ。平地に移動するぞ」

 ギルド経由で知らされているのは『昼過ぎまで待機』。
 騎士団、衛兵隊の捕縛部隊は入り口に通じる道を見張っている。
 それ以外は崖の上で威圧する係だ。
 だが、肝心の『待機』から後の指示はない。
 綿密な計画のわりには何故かそこだけが空いている。

「騎士団やギルマスも知らされていないらしいですよ。何しろ最終的な動きが『待てばわかるさ。迷わず待てよ』ですから」
「その時になればやるべきことは自ずとわかるということか。あの二人らしいな」

『待てばわかる』状況になるまでエリカとアンナが何をするつもりなのか。
 少し考えれば何某なにがしかの疑いが湧きそうなものだが、残念ながらこの二人の頭にはそんな疑問は浮かばなかった。
 なにしろ恋人を救出することしか考えていなかったのだから。



 なんで昼過ぎかといえば、エリカとアンナの考えでは荷造りの時間が必要だからだ。
 前日のうちに荷馬車に乗せられるものはいい。
 だがここを本拠地にしていたという痕跡は消しておかなければならない。
 エリカたちの部屋からはすでに布団などが撤去されている。
 動けない先住者の代わりに二人が作業をした。
 六人分の寝具に彼らが使っていた物もあわせると、どうしても午前中一杯はかかるだろう。
 移動のことを考えれば昼食も済ませるはずだ。
 あれこれ算段すると早くて現地時間の昼一つか二つ。
 遅くても三つ目の鐘が鳴る前に出発するはずだ。
 だから、二人はそれに合わせて脱出することにした。

「奥の方の物音が聞こえなくなったわ。お昼でも食べてるんじゃない ? 」
「と言うことは、今がチャンスですわね。皆様、ご用意はよろしくて ? 」

 二人の言葉に娘たちは力強く頷く。
 その両手には重そうなバケツが。
 
「では、行きましょう」

 エリカはアンナの髪からピンを一本拝借すると、扉の鍵穴に差し込む。

「よく鍵開けなんて技を持ってたわね、エリカ」
「そりゃあね。子供ってすぐに鍵をかけたがるのよ。トイレとか引き出しとかね。だからディンプル錠とかは無理だけど、おもちゃみたいな簡単な鍵ならなんとかなるわ」
「すごいわ、エリカ。さすが子育てのプロ」
「・・・上手になるくらい頻繁に迷惑をかけられたってだけよ。ホラ、開いた」

 カチッと何かが外れる音がした。
 エリカはゆっくりとドアを開けて外を覗き込むと、なぜかそこには四本の足が。

「キャ・・・」
「静かに。俺たちだ」

 エリカの口を押えて部屋に滑り込んできたのは、お昼過ぎまで待機しているはずの皇太子殿下たち。
 その顔を見たとたん、少女たちの口がへの字に曲がった。

「何しにきたの。予定の時間までまだ随分あるわよ」
「やっぱり心配になってな。ここまで鐘の音は聞こえないから太陽の位置でそろそろかと。て言うか、何で鍵が開いてるんだ ? さっきまでかかっていたのに」
「それはエリカが開錠したからですわ」
「は ? 」

 皇太子たちは助けに来た自分たちを見たら、妃殿下候補たちがどれだけホッとした笑顔を見せてくれるだろうかと期待をしていた。
 ところが目の前の少女たちは何故か虫けらを見るような目で自分たちを睨みつけている。
 そしてエリカはと言うと、ドヤ顔で髪ピンをヒラヒラさせている。
 
「自力脱出するつもりだったのか ? 」
「もちろんよ。だから昼過ぎまで動くなって指示しておいたのに。なんで来たの ? 」
「本当。迷惑ですわ。文字も読めませんの ? 人数が増えればそれだけ逃げられる可能性は低くなりますのよ」

 いや、聞きたいのはそこじゃない。
 ライは冒険者ギルドで借りてきた廃坑の鍵束を握りしめて、一体これはどういうことだろうと愛しい少女をまじまじと見つめた。

「ちょっと、アンナ。この子たち、やっぱり文字が読めなかったみたいよ」
「エリカ、今更そんなことを要求しては可哀そうよ」

 今までの色々もあって、皇太子殿下たちへの『霧の淡雪』の評価は氷点下まで下がっていく。 

「来てしまったものは仕方がありませんわ、エリカ」
「そうね。ここはしっかりと働いてもらいましょう、アンナ」
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