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1章:猫と少女
空っぽの記憶 1
しおりを挟む眠っていた少女の視界に月の光が差し込んだ。
うつらうつらの意識の中で、静かに体を起こす。
少女は、学校の制服の上にコートをまとい、首にはマフラーを巻いているが、手は赤くかじかんでいる。肩で切りそろえられた黒髪は、雪解けのようにところどころが濡れていた。
4月にはまるでそぐわない服装で、春の暖かな気候は少女の冷えきった身体を温めた。
意識がハッキリしたところで、少女は長い夢でも見ていたような喪失感を感じていた。
ふと、少女の座るそばに、1枚の桜の花びらが舞い落ちた。少女は大きな桜の木を目にすると、自分の周囲に桜の花びらが散りばめられていることに気づく。
━━━━ここは·····どこ·····?
少女は大木を見上げながらその答えを記憶の中から探ろうとするが、頭が真っ白になるばかりだった。
なにも思い出せない。自分の名前も、この場所にいる理由さえも少女は思い出せない。
でも、少女の記憶は確かにあるべき場所にあった。まるで、容器を置き去りに中身だけをすっぽりと取り去ってしまったかのような感覚が少女を襲う。
「やっと起きたか、娘」
人気のないこの丘に、少女を呼ぶ声が落ちた。
少女はどこからともなく聞こえる声に怯えながら、その声の主を探した。やはり、人の存在は感じられない。
少女は記憶がない不安と、不審な声に体を震わせた。
少女の不安を顧みないその声は、次第に大きくなっていって、ついには落ち着いた声を荒らげた。
「何度呼べば分かるんだ、小娘。上だ、上を向け」
少女は言う通り、桜の木の枝の間を見上げてみる。すると、白い毛をまとった猫━━━━猫神が少女を見下ろしていた。
月夜に照らされた猫神の体は暗い影に覆われている。
少女は不思議そうに尋ねる。
「あなたが喋ったの?」
「ようやく気づいたのだな。まったく、鈍感すぎる小娘だ」
はあ、とため息混じりに人の言葉を話す猫神に、少女は不安を忘れ、目を輝かせて近づいた。
「すっごーい! 喋る猫さんみるの初めて! すごい猫さんなんだね!」
そう言って木の周りを興奮して走り回っている少女に、猫神は不意をつかれたような気分になった。
猫神は今まで人の言葉を口にした途端、気味悪がられるか、怖がられてきたので、はしゃぎまわる少女が新鮮なものに見えたのだ。
「娘、お前には話さなきゃいけないことがある」
猫神は少女の足を止めさせると、真剣な面持ちになった。
猫神には少女に伝えなくてはならない仕事がある。
この大木が願いを叶える木であること。その願いを叶えると引き換えに、記憶を全て食べられてしまうこと。記憶をなくしたものが、それからどう生きればいいのか。そういった後始末のようなものだ。
猫神は大木から降りて、少女の足元に座る。少女も猫神の合図でそこに座り込む。
猫神は、小さな口を開いた。
「オレはこの木の守り神みたいなことをしている。だから、お前が変なことをしないように━━━━」
「神さま! えっ、猫さん神さまなの!」
猫神の話をそっちのけに少女は驚いた。出鼻をくじかれた猫神は気にしないように「にゃほん」と咳払いをひとついれて切り替える。
「そうだ。この大木のそばにいる身ではあるが、それなりに高貴な存在なのだ。それ故にオレのことは『猫さん』ではなく、『猫神様』と」「白猫さん!」
···············
···············
···············
···············
「小娘、今なんと言った?」
「白い毛だしフワフワしているから、白猫さん!」
聞き間違いではなかった、と酷く絶望する猫神。
少女の目は星空を映す鏡のように煌めいている。少女は何も間違えていないと主張するように、胸をはる。
「違う。猫神様だ」 あくまで冷静に訂正する猫神。
「なるほど、分かったよ白猫さん!」やはり少女に通用はしない。
だんだんと近づいていった2人の距離はいつの間にか、顔がくっつき合うほどになっていた。少女の無邪気な表情に反論する気力すら湧かず、白猫は深い息を落とした。
「まあ、それでいい」
少女は当然のように頷いた。
猫神、改め白猫さんは、子供が心の底から面倒なものなのだと思い知る。思い知ったついでに、2つ目のため息。頭を掻きながら話し出す。
「お前みたいな失礼なやつに言いたくはないが、一応しきたりだ。聞け」
白猫さんの目の色が変わった。
「オレはこの木・槐樹の守り神。槐樹に変わって命令する。·····娘、お前の願いは叶えてやった。早々にここから立ち去るが良い」
「ねがいごと?」
相変わらず興味津々に顔を近づける少女。うろたえつつ、白猫さんは語る。
「そうだ。槐樹は人々の願いを叶える代わりに記憶をもらって育つ。記憶を失くした者にあの街へ帰ってもらうように案内するのがオレの役目ってわけだ」
「じゃあ、わたしは記憶を奪われてしまったの?」
白猫さんは静かに頷いた。
それまで探究心で胸をときめかせていた少女は顔に影を被せた。
白猫さんから繰り出された話は、まるでフィクションのようで、少女にとってはあまりにも現実味の帯びたものだった。
少女は目を覚ましたすぐの感覚を取り戻す。
━━━━記憶だけが頭から綺麗に抜け落ちている。
少女が自分自身を何も知らない不安と夜のとばりが降り注ぐ土地で、独り眠っていたことへの疑問。妙に冷たく真っ白な記憶·····
少女は、「信じられない」とは言えなかった。
「わたしは、ここから出ていかなくちゃいけないんだね」
少女の声は困惑を隠しきれず、消え入りそうなほど小さくなっていった。しかし、白猫さんは無慈悲に、眉毛ひとつ動かさず、「ああ」と返事をした。
子供の姿をした少女は、見かけによらず受け入れるのは早かった。
少女の事実と認識した上で受け入れ難いといった顔を白猫さんはじっ、と見つめていた。
妙な静寂が降りてしばらく経つと、丘の上の2つを照らす月光が雲に隠れ始めた。 その瞬間を待っていたかのように少女は曇らせていた顔に笑顔を灯らせる。
「そっか! じゃあ、白猫さんに案内してもらえるってことだよね!」
満面の笑みだった。
「え、あぁ·····街までなら」
意表を突かれた白猫さんは、断る余裕をなくしていた。
白猫さんが気がつく頃には少女は白猫さんを抱え込み、丘を駆け下りていた。
なにもかも吹き飛ばすような清々しい笑顔を前に、白猫さんは抵抗することもできなかった。
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