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2章:幽霊少女の願い
元気な少女の恩返し5
しおりを挟む「あの、お願いしたいことがあるんです」
粛々とした様子で春のお風呂上がりを迎えたゆうきは、深深と頭を下げた。
ゆうきにとって2回目で、少し抵抗があるものだけど、宿の宛を持たないゆうきはこうするしか無かった。
「今日1日でいいので、ここで泊まらせていただけませんか」
ゆうきの精一杯の敬語と、礼儀だ。
「いいよ、そのつもりで呼んだのだから」
帰り道公演にひとり、猫を抱えた少女が涙を流していた。 声をかけてみると、その華やかな表情は春自身を救ったのだ。
泣いているゆうきを放っておくことは春にはできなかった。
「ありがとう」とゆうきはまた顔に花を咲かせる。
この笑顔をずっと見ていたい。
春の小さな世界の中で、ちっぽけな女の子の微笑む幸せを守りたい。それが春にのとっての心の安寧であり、血塗れた手の感触を紛らわすものだ。
ゆうきはリビングの端に置かれたベッドを使っていいと言われた。
遠慮はしたものの、春は別室でやることがあるからとゆうきの遠慮を聞かなかった。
「白猫さん、さっき春さんが言ってたこと、覚えてる?」
一人になったゆうきは、春に聞かれないように小声で白猫さんに問いかける。
聞かれて真っ先に白猫さんの頭に浮かび上がったのは夕食を食べ終えたときのこと。春の口から「安城さん」という人物がでてきたときのこと。
白猫さんは鮮明に覚えている。
白猫さんが頷くと、ゆうきは抱き抱えていた白猫さんをベットに下ろして、カーテンを開けた。
和人の部屋から見えた白い光をゆうきは思い出す。
「その子って女の子だったんだよね」
白猫さんは再び「ああ」と頷いた。
ゆうきは窓ガラスに写る童顔な自分の顔を見つめながら、問いかける。
「もしかしたら、全て同じ人なのかもしれないね」
白猫さんは『同じ人』という言葉の真意を分かっていた。
もし、安城和人という人に妹がいて、放課後に知り合った女の子がその妹で、偶然会った和人と同じマンションの住人がその妹の同級生で、幽霊になったままこの小さな世界にひとり取り残されている·····
そんな度重なる偶然が、ゆうきと白猫さんに降りかかった。
信じられないというように、ゆうきはカーテンを閉めた。
「知りたい」
ゆうきは思ったことを口にする女の子だ。建前も本音も表裏一体。そもそも、隠す記憶がないから、必然と素直になってしまう。
そんな真っ白なゆうきが、色を求めている。
人の事情という色。それはパンドラの箱のようで、白猫さんは少し口ごもった。
記憶を取り戻したいと言っているわけではない。
しかし、なにも覚えていない人間が染まっていく姿を、槐樹の傍で神様をやってきた白猫さんは幾度と見てきた。
その人たちが、喜び、絶望し、怒り、悲しみ·····様々な感情を得てしまうことも知っていた。
白猫さんは怖いのだ。
ゆうきはまた、同じ過ちをして同じように記憶を引き換えに願いを叶えてしまうのではないかと、恐れている。
「わたしね、最初は怖かったんだよ」
いつまでも言葉を話さない猫に、ゆうきは語りかける。
「最初、街外れの丘で言葉を発する猫と会ったとき、すごく怖かったんだ。でも、白猫さんがいてくれると思ったら、ひとりじゃないんだって、怖くなくなったの」
ゆうきはそっと、白猫さんの頬に手を添えた。初めての優しさを噛み締めるように小さな指を動かす。
「今もすごく怖い。なにも知らない自分がすごく怖い」
同じ『怖い』を白猫さんは感じていた。しかし白猫さんの中にある怖さとゆうきの言う怖さが全くの別物であることを、白猫さんは悟る。
「こういうとき、どうすればいいのかな。どう感じればいいのかな·····ずっと胸の中にあったはずなのに、今は全く思い出せないの」
白猫さんに触れていた手を引いて、ゆうきは落ちる涙を拭う。
「わたしの感情も、その名前もよく分からない。でも、誰かがいなくなってしまうことは嫌だってわかる」
それは白猫さんがいなくなることを恐れるゆうきの確かな経験。唯一知っている感情。
「和人さんや春さんみたいな優しい人が悲しい顔をするのは、どうしてか分からないけど·····嫌なの。なにもできないかもしれないけど、なにか恩返ししたいって思うの」
ゆうきの中にある名前のない感情が疼き始める。
「そのために、知りたい。知って、理解して、噛み締めて·····それで、きっと正しい感情を抱きたいの」
いつものように言いたいことを全て言った。しかしゆうきの表情だけが、白猫さんが見てきたゆうきとの数時間とは決定的に違う。
好奇心に人間の形を与えられたように、底知れぬ探究心をゆうきは見せた。顔を涙でぐちゃぐちゃにしてしまうくらい、抑えられない感情を覚えた。
白猫さんは、美しいと感じた。
知ってしまう怖さも、染まってしまう危惧も、全てひっくるめて恐れず歩を進めるゆうきを美しく見えた。
白猫さんにとって、懐かしい景色だ。
「って、ごめんね白猫さん·····急に泣いちゃったりして、変だよね·····変、なんだよね、わたし」
自分が今なにをしているかも分かっていないというように、ゆうきは必死に涙を堪えた。流れて流れてやまない涙をそれでも食い止めて、けれど結局変わることは無い。
「そうだな、知りたいよな」
白猫さんの心にも、懐かしさにあおがれた火がついていた。
「オレも知りたい。きっとまた嫌な気持ちになるかもしれないが、怖がって進まないよりずっといい」
鼻をすするゆうきに白猫さんは明るい声で言った。それはまた、いつもとは打って変わった真っ白な声。
「なんでまだ泣くんだよ·····そろそろ泣き止んだらどうだ?」
呆れる白猫さんに、ゆうきは戸惑いを隠せず、「だって、だって·····」と言葉にならない感情を伝えようとする。
「わかんないけど、白猫さんがわたしと同じ気持ちになってるって分かったら余計に涙が止まらないの」
思わず白猫さんは笑ってしまった。
「そりゃ、嬉しいってことなんだろ」
「嬉しいときに泣かないよ普通」
「そんなことない。人間ってのは弱い生き物だから、沢山泣いてしまうんだ。嬉しいときも、楽しいときも、悲しいときも、辛いときも。だから、誰かが支えてやらないと生きていけないんだ」
白猫さんの言葉は、どこか新鮮で、それでいて優しいものだった。
ゆうきはまた涙を流した。
今度は嬉しいと感じたときにでる雫。泣いて泣いて泣き疲れて、ゆうきはいつの間にか眠ってしまっていた。
ゆうきに包まれる白猫さんも、気持ちよく目を閉じた。
ふたりの会話は、隣の部屋にいる春にまで聞こえていた。
しかし春はふたりの空間に割り込むことはできなかった。
春の小さく鼻をすする音はゆうきたちには聞こえていない。
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