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月光猫、人に戻る

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俺の目の前に、女神がいる。…じゃなくて!!
 
「あ、ごめ、服、服…!!」
 
 彼女は恥ずかしそうに腕を組んで前を隠している。…全裸だった。そうだよな、猫なんだもの。何にもきていないもんな…って、妙な想像を首を振って打ち払い、慌てて外出用のローブをクロークから引っ張り出して、彼女のほうを見ないようにして渡した。
 
 「見てないから。俺、後ろ向いてるから…」
 
 後で考えれば、部屋を出たほうが彼女も安心できたんだろうけど。そのときの俺は、彼女のそばから離れたくない一心だったから、ぐるりと後ろを向いて待った。小さな衣擦れの音すら、俺の耳を打つと同時に自分の心臓の鼓動も大きく響いて煩い。
 
 「…大丈夫、ですよ」
 
 小さく穏やかな声が俺を引きとめ、俺はゆっくりと振り向いた。
 
 黒のローブをぴっちりと留めて、椅子に腰掛ける銀髪の乙女。真っ直ぐに伸びた銀髪が、時折窓から吹き抜けてくる風を受けて、さらさらと流れている。綺麗な緑の瞳が俺のほうを向いて少し細められていて、大きく俺の胸が高鳴った。
 
 「…綺麗ですね」
 
 「ええ、いい月夜ですね。本当、ここから見る月はいつも綺麗だと思っていました」
 
 そう答えて、彼女は猫のときに良くやったように、小首を傾げて微笑んだ。
 
 ああ、猫のときに首を傾げていた後、こんな風に笑いかけていてくれたんだな。そう思うと、俺の顔が一気に熱くなった。
 
 「なぜかわからないのですけどね。気がついたら、この姿になっていました」
 
 「うーん…俺の見立てですけど、貴方には月の女神の加護があるのかもしれませんね」
 
 「…月の?」
 
 それから、かいつまんで俺は現在の状況と、推測を彼女に話した。現在、ナターシャを探して彼女の父が捜索願を出していること。彼女の実家の家計が火の車になりかかっているようだということ。彼女の母が血なまこになって彼女を探している状況を。
 
 「…思ったよりも、状況が切迫していますね…」
 
 「君のお父君の取り扱う商品の価値が上昇していて、自然とお父君への注目が増している。貴方を狙う義母は、早く彼の証文が欲しいでしょうね」
 
 「…そうですか…」
 
 でも、困りました。そういって彼女は癖になっている首を傾げる。
 
 「…と、いうと?」
 
 「先程、窓に映った自分を見てびっくりしたんですけども」
 
 「そうですね、大変お綺麗な銀髪ですね」
 
 この綺麗な人を目の前にしていると、柄でもないのに敬語が出てしまう。
 
 「…私、こんな外見じゃなかったんです」
 
 「…は?」
 
 「私、今年で10歳なんですよね…」
 
 どうして、こんなに大きくなっちゃったのかしら。
 
 そうこぼして苦笑する綺麗な女性を前にして、俺は一つの可能性を導き出した。
 
 「貴女が…猫になったから…猫として肉体が成長したの…かもしれません」
 
 そうなると、俺は大変なことをしてしまったのだ。一人の少女の、人生をゆがめたのか。
 
 猫の、獣の成長は早い。猫は生後一年で成猫となり、子孫を残せるようになる。
 
 猫の一年を…人の一生に当てはめるのなら。一年で二十歳前後成長する。彼女を引き取ったのは春の季節。今、初夏を迎えていた。
 
 「…早く…解呪します!」
 
 俺はガタンと椅子から立ち上がり、頭を下げた。
 
 それを見届けて、彼女は穏やかに笑った。
 
 「命を助けていただいていますし、気にしていないといえば嘘にはなりますけど。あなたが好きでやったわけではないのは知っていますし。…普段から、とてもよくしてもらっていますから」
 
 「本当に…頑張りますから!!」
 
 そういってなおも頭を下げた俺に、困ったように彼女は笑った。
 
 「…そうですか。…でしたら、一つ約束していただけますか?」
 
 「何なりと」
 
 「…無茶はしないでくださいね。あと、もう少し自分の食べ物にも気を遣ってください。私にばかり、いいものを下さって…嬉しいのですけれど、ちょっと気になっていたんですよ」
 
 パンばっかり食べていたら、体がもちませんよ。そう笑う彼女を前に、俺は苦笑した。
 
 …やっぱり、彼女はミルなんだ。俺の、大事な大事な姫様だ。
 
 月光を受けて微笑む彼女の姿に、いつも出窓で俺を見つめる白猫の彼女の姿が一瞬重なって見えて、俺の胸は温かくなった。
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