夢で逢えたら

ねこセンサー

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贖罪

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 その頃、人気のない大聖堂の最奥の、厳かな聖人像が立ち並ぶ祭壇の間で、一人の青年が瞳を閉じて聖堂内でひときわ大きな聖像に一心に祈りを捧げていた。
 
 彼はここに来て以来、毎日祈りを捧げることを日課としている。忙しい公務の合間に、少しでも時間が出来れば静謐なこの空間で、一人祈りを捧げていた。
 以前の彼が好んできていた豪奢な刺繍がいたるところにきらめく華美な服は、ここに来た時に全て父に処分するよう伝え、ここに住む見習いと同じ、質素な麻の貫頭衣に、ゆるく腰紐を結びつけた姿で。その姿は、以前の彼を知るものを大いに戸惑わせた。
 
 「あの事件以来、あの方は人が変わってしまわれた」
 
 そう、人々は噂した。勿論彼自身も、その噂を知っていた。しかし、その件に関して彼は一言ももらすことはなかった。王位継承権を返上し、教会預かりとなった身に、弁解するつもりはなかったので。なにより、その噂自体が真実であるのだから、ことさらに騒ぎ立てるつもりもなかった。
 
 膝をつき、ひたすらに祈り続ける。どうか、自分のこの想いが通じますように、と。彼が祈っているのは、目の前の聖像に対してではなかった。
 
 …どうか、幸せに。
 
 ――どうか、自分のことは忘れて――
 
 …あとは、任せてくれ。
 
 ――不甲斐ないであった自分を許しておくれ――
 
 知らず、眉間に皺を寄せて、胸の前で組み合わせていた両手が力みすぎて、爪が手の甲に食い込んでしまっていることにも気づかぬまま、彼は一心に祈り続ける。
 
 そんな空間に、こつりと靴音が響いた。
 
 「…またここにいたのか、エリオット」
 
祈りを捧げていた見習いは、声のしたほうに慌てて向き直り、無言で頭を下げたまま平伏した。
 
 その姿を見て、声の主は いつものように苦笑して、声もなく平伏する見習いに歩み寄る。
 
 「…ここには誰もいない。そのような気遣いは無用だ」
 
 「…」
 
 「…エリオット」
 
 頑なに声を返さず、平伏したままの見習いの姿を見かねて、兄は声を落としてため息をつく。
 
 「…俺は、血を分けたたった一人の弟にすら、他人行儀にされてしまうのか…悲しいものだ。あんなに苦しい思いをしてまで娶った妻は次期国王と言う肩書きにしか興味はないし、苦楽を共にした側近達は殆どが廃嫡され、とうとう血を分けた弟にまで愛想をつかされるとは…」
 
 「…わたしは…ッ!決して、そのような…ッ!」
 
 「…ふ、こうでもいわねば俺の弟は素を出してくれないからな。…寂しいものだな。」
 
 「…あ…」
 
 やってしまった、とありありと顔に書いてある元弟王子を王太子は苦笑して立ち上がらせ、傍らの椅子に座らせた。
 
 二人で並んで礼拝堂の長いすに座り、血を分けた兄弟は光差す礼拝堂の大きな聖像を見上げた。
 
 「…長かったな」
 
 「…はい」
 
 何が、とは言わない。王族には、近年の情勢は量の夥多はあれ、様々な情報が伝えられる。二人しかいない空間であっても、言葉にしてしまうことを憚られる内容も多い。二人にしかわからない話題も、沢山あった。
 
 「…陛下に聞いたよ。十年前、なぜあんなに俺たちは自分の婚約者達を嫌っていたのか。…彼女達とは全く違う女性達に惹かれていたのか…」
 
 王太子の声色は暗い。少ない言葉だが、その声色には推し量ることの難しい後悔の念が滲み出していた。決して隣の弟の顔を見ることなく、まっすぐに聖像を眺める王太子は、礼拝堂に満ちる光に目を眇めた。
 
 「…精霊たちの呪い。先祖の犯した罪が、後世の我々に一気に押寄せたんだと…」
 
 それを聞いたとき、笑うしかなかったよ、と王太子は首をふった。
 
 「…好きだった。幼い頃は、確かに。政略的なものだとは言っても、共に育ってきた彼女とは、様々な思いを共有していた。いずれ国を導く立場にあるからこその苦悩、それを一番近いところで共有してくれていた彼女には、感謝の思いこそあれ、憎しみなど欠片もなかったのに」
 
 ミリア、と王太子は俯きながら小さく誰かの名を呼んだ。その声色には、隠すことの出来ない恋い慕う想いが滲んでいた。彼の呼んだ名は…現在の妻の名ではなかった。
 
 「…大丈夫です、は皆、元気ですよ。精霊たちは我らを憎みましたが、彼女達は憎んでいません。むしろ、被害者である彼女達には助力していますよ。…有り難い事に」
 
 「…そうか」
 
 王太子は俯いたまま、力なく笑った。
 
 「精霊たちの目的は達しているだろう。当時彼らが慈しんだ精霊殺しをした王家は、遠からず衰退するだろうから。…俺も、陛下の後を継いだら、少しずつ王権を弱めるつもりだ。…できれば、最後の王になれると良いのだが…」
 
 「…本当に、長い長い、復讐でしたね…」
 
 そうだな、としみじみと弟の言葉に王太子は頷いた。
 
 「悪事はするものではない、と当時の彼らに文句を言いたい気分だよ…我らが言えるものではないが」
 
 「まさか、後世の子孫に恨まれるとは、先祖も思っていなかったでしょうねぇ…」
 
 「…精霊の祟り。これを我らの代で、終わりにしなければ。…でなければ、俺は…」
 
 その先の王太子の声は、先細って声になることはなかった。しかし、彼らはその先を言わずとも理解していた。
 
 何も知らなかった頃。王宮の中庭で。彼女達の実家で。共に手を取り合って笑い合って踊った舞踏会で。…全てが終わった、祭りのあの日。
 
 いつも自分達の傍らで、支えてくれていた
 
 今更、のこのこと出て行ってあれは自分の意思ではなかった。他のものに操られて居たんだ、だから許してくれ。
 
 彼女達の前に跪いて許しを乞えたら、どんなに幸せだったか。
 
 許しを請うには、彼らの身分はあまりにも大きく、そしてあまりにも年月がたちすぎていた。
 
 ヒトの感覚では大昔の出来事である、精霊殺し。その報復が、あまたの年月を経て、十年前に実を結んだ。
 
 そうして、罪人の子孫は、彼らの大事な存在を、沢山失ったのだった…
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