鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

文字の大きさ
上 下
8 / 97

第8話 羽音

しおりを挟む
 社を囲う外壁の上を、一つの影が疾走する。

 砲台や監視塔などの障害物を軽く飛び越え、社に住まう鳥達と仲良く並走するという人外染みた行為を易々とこなしてみせるそれは、居住区付近の外壁に到達すると、突如として停止し膝をつく。

「42.195kmがたった一時間足らずか……、我ながらまともじゃないな」

 休息ついでにタイマーを確認しつつ独り言を呟いたのは、久方ぶりの休みを満喫する雪兎。

 社に帰還して既に一週間近くが経過しているが、その間ずっと尋問やら実験に付き合わされっ放しで気が休まる瞬間などなく、8時間ほど前にようやく解放されたばかりであった。

『巡回中の兵士がそちらに向かっているようです、さっさと退散して下さい。
 見つかったらまた色々と面倒ですからね』
「言われずとも分かってるさ、今から帰る」

 カルマへの返答もそこそこに、日課のジョギングを兼ねた身体の試運転を終えて雪兎はぐっと背伸びをすると、誰にも見つからないうちに自宅のある方角に向かって飛び降りる。

 傍から見れば明らかに自殺行為だが現在の雪兎にとってそれは当て嵌らず、小型飛行機ほどの速度を維持しながら高層建築物の影から影へと飛び渡っていく。

 そして見慣れた住宅街の上空付近へ差し掛かると、ビルの壁面を思い切り蹴って自宅の庭に飛び込んだ。 アメコミヒーローよろしく格好付けた着地を決めたその身には落下の衝撃による傷一つ無い。

『相変わらず無茶をしますね。 まだまだ詳しい調査はこれからだというのに』
「この位で死なないっつーことは自分が一番分かってるさ。 何せあのトカゲの化け物に本気でぶん殴られるよりずっと軽い衝撃なんだからな」


 手に付いた土を振り払いつつ、誰にも見つからないうちに速やかに家の中に入っていく雪兎。

 だが、その段になってようやくカルマが自宅にいなかったことに気が付いた。

 彼女のいつものポジションである可愛らしいデザインのビーズ入りクッションの上には、カルマが座っていた後と思われる痕跡こそ残っているものの、一切気配を感じない。

 動いているのはネットワークにアクセスしたまま放置された端末のみ。

「それで、お前今どこにいるんだ? この区画内にいることは確かなんだろう?」
『心配要りません。 あと5秒ほどでそちらに帰還します』

 周囲を見渡しながら口を開いた雪兎の問いに違わず、カルマは液状化して雨樋を伝い、網戸を通り抜けてリビングに姿を現した。

 見知らぬ者が見れば驚くだろうが、既に長い付き合いとなった雪兎には慣れたもので網目状に付いた埃を拭い取ってやる。

 しかしカルマのボディに僅かながら血痕があることに気が付くと、すぐさま態度と血相を変えて突っ掛かった。

「おい待てよお前、まさかまた面倒な真似をやりに行きやがったな!?」
『……私だって何度も警告はしたのですが、無視されたのでしかたないでしょう。 私だって人の気持ちの一つや二つきちんと理解しているつもりです。 言論の自由が誰にでも与えられるべき尊い権利であることも分かっております。 ――が! 無秩序と自由を履き違えた馬鹿者には相応の罰が必要なんですよ。 自業自得、因果応報、悪因悪果です。 同情の余地なんてありません。 故に、掲示板荒らしとフォーラム荒らしは老若男女問わずまとめて地獄逝きです』
「お前ー! マジでふざけんなよこのポンコツ!」

 長々と語った割には本当にしょうもない理由での蛮行に雪兎は激怒し、カルマのボディを無理矢理ボール状に丸めると、それを全力で壁に叩き付けた。

 重機を支えるタイヤが破裂したような爆音を立て、壁一面に引き伸ばされ張り付けられるカルマ。

 だが彼女も負けじと敢えてボール状にボディを再形成すると、部屋中を滅茶苦茶に跳ね回り、お返しとばかりに椅子やテーブルを吹っ飛ばす。

『わーん、ひどいーユーザーがいじめるー。 殺すなんてほんとにするはずが無いじゃないですか。 ちょっと下の口に大きめの詰め物をして上げただけです』

「五月蝿いぞこの馬鹿が! お前がそういうことをすると僕が開発課の連中に叱られるんだ! ウチの可愛いお姫様がお前のせいで乱暴で下品に育ったってな!」

 目にも留まらぬ勢いで跳ね回っていたカルマを雪兎はやっとのことで取り押さえると、嫌味をつらつらと言い聞かせてやりながら頬を抓り上げた。

 自分が全く関与していないことで責められては堪ったものでは無いと、往生際悪く逃げ出そうとするカルマを何とか腕の中に押し留め、長くクドイ説教を敢行しようとする。

 しかし、今まで碌でもない言動を繰り返していたカルマは突如として動きを制止すると、コネクタを射出して都市内ネットワークへ接続を開始した。

「あぁお前一体何のつもりだ!? 話はまだ終わっていないぞ!」
『すこしお静かに。たった今本社から緊急のメッセージが入りました。
 内容が把握されるまで少々お待ちください』
「何だと?」

 真面目なトーンで紡がれた言葉に、雪兎は反射的に仕事モードへ切り替わるとカルマのボディを床に置いて彼女の様子を見守る。 そして1分ほど経過した後、カルマは申し訳なさげな表情を浮かべながら宣告した。

『休暇に入ったばかりで残念ですがユーザー、お仕事の時間です。
 私と共に、今すぐ指定の場所に集合せよとのことです』
「……は?」

 カルマの言ったことが到底承服出来ず、雪兎は真顔かつ無言のまま乱暴に受話器を引っ掴むと速やかに勤務先への連絡を開始する。

『何をするおつもりですか?』
「決まってんだろ文句を言ってやるんだよ! こっちはついさっき解放されたばっかだってのにふざけやがって! 誰だ一体こんな馬鹿な命令を出した馬鹿は!」
「アタシだよ、アタシがアンタに仕事を依頼したのさ。
 アンタ以外には任せられないような仕事だったからね」
「ふぁえっ!?」

 カルマと自分以外には誰にもいないはずの家に突如響いた声。

 それを認識した瞬間、雪兎は身体を硬直させ首だけを器用に声が聞こえた方へ向けると、そこには紫紺色の機械鎧に身を包み、快活な笑みを見せる一人の女性の姿があった。

 “首領” 
 社に住まう全ての人々にそう呼ばれ、畏敬の念を抱かれる女傑。
 しかし、雪兎を含めた限られた人間からしてみれば、ハイキングという名のデスマーチを課し、生きながらにして地獄を見せつけた、鬼としか形容しようの無い上司。

 彼女は燃え上がるような赤い髪を棚引かせ、静かに雪兎の下へと歩み寄っていくと疲労の色が僅かに残る雪兎の顔に視線を向け、バツが悪そうに頬を掻いてみせる。

「せっかくの休暇に水を差したことは大人しく詫びるよ、悪かったね坊主」
「いえいえトンでもない! 仕方ないことです首領は何も悪くは御座いません! 悪いのは空気を読まず攻め込んできた敵対勢力で御座いますから!」

 上司直々の訪問に仰天し、雪兎は滝のような冷や汗を流しながらも必死に愛想笑いを浮かべる。
 
 特別に悪い感情を抱いている訳ではないのだが、過去にしこたま扱かれた時の記憶が抜けず、いつまた無茶を言われるのかと気が気でなかった。

「それで一体どんな連中が? まさかまた社から追放された凶悪犯共ですか?」
「いや、アンタがお得意の害獣相手だよ」
「害獣ですか? しかしその程度の相手なら僕らではなくとも……」
「ただの害獣相手じゃあないのさ、今ここに向かっている連中はな。 カルマ、さっきお前に渡したデータの再生を頼む」
『了解しました』


 首領が指図すると、カルマの手から伸ばされたコネクタがモニターに突き刺さり、そこにある光景が映し出され始める。

 それは大規模な害獣の群れが都市外を根城とする賊共相手に狩りに興じている場面だった。

 半壊した武装バギーや装甲車と、どこから調達してきたかも分からないアーマメントビーストに乗って必死に逃走を図るならず者共を、巨大な蜂型害獣が不愉快な羽音を鳴らしつつ追い回している。

 圧倒的物量を誇る害獣共に追われて右往左往暴走を続ける賊共。

 だが、どう足掻こうと逃げ切れない事を悟ったのか、リーダー格の合図と共に一斉に反転すると、搭載していた火器の砲門全てを開き、無謀な攻勢へと打って出た。

 汚染された砂塵の合間に無数の紅蓮の帯が乱れ舞い、迸った焔の華に巻き込まれて多くの害獣共が消し飛んでいく。

「なんだ、全然大した事ないじゃないですか」

 並みの軍隊以下の兵装しか持ち合わせていない賊如きに討伐されるようでは相手にならないと、雪兎は内心ほっとした様子で軽口を零す。 しかしそれも束の間、続いてモニターに映し出された光景を見て雪兎は思わず目を剥いた。

 噴煙を思わせる煤煙を切り裂き現われたのは、先程激しい攻撃を喰らって全滅した筈の害獣の群れ。

 それもただ復活しただけに留まらず、自分達の群れに先程撃ち込まれた兵器を学習し進化した結果、愚にも付かない畜生の群体から恐るべき軍隊へと変貌を遂げていた。

 全ての虫の甲殻にフジツボの様の如く張り付いた無数の砲門が、軋む様な甲高い金属音を鳴り響かせながら蠢き、砲口が賊共の方へと向く。

 刹那、轟音と共に撃ち出された誘導弾が目まぐるしく増殖を繰り返しながら雨の様に賊共の元へ降り注ぎ、周囲の地形ごと無慈悲に吹き飛ばしたところで映像が終わった。

「なっ……、何なんですかアイツらは一体!」
「言っただろう、ただの雑魚相手ではないとな。 見ての通りこちらからは迂闊に手は出せない相手だ。  無闇に砲撃を喰らわせれば逆にこっちが危機に陥る」
「だったら一体どうすればいいんです!?」

 あまりにも非常識な映像に困惑する雪兎とは対照的に、首領はカルマが続いてモニターに表示したデータを指し示しながら説明を続行した。

 その瞳の中には諦めや自暴自棄といった感情は一切見られず、負ける気がないことを雪兎に物一つ言わぬまま伝える。

「確かに恐るべき敵ではあるが決して勝てない相手では無い。 うちの科学班からの見立て通りなら、群れを統率する個体を始末すれば瞬く間に統制を失って瓦解してしまうらしい」
「らしいって、他に信頼出来る情報は無いんですか。 そんな都合の良すぎる出来事が実際に起こるとは限らないでしょう!?」
「戦前の記録と科学的検証を照らし合わせた結果だそうだ。 他に有力な情報も無い現状、それに縋る他は無い」
「……たとえ奇跡的にそうだとしても首領。 ドラグリヲは無敵のスーパーロボットなんかじゃないんです。 たった一機であの群れを滅ぼすなんて無謀です」

 死地に送り出される身としては堪ったものでは無いと、雪兎にしては珍しく感情を露にし首領に反抗する。 すると首領は不敵にニヤッと口端を吊り上げ、その認識が誤っていることを示した。

「いいや必ずやれる。 今のアンタが以前の軟弱坊主では無い様に、今のドラグリヲは以前の見てくれだけのガラクタでは無いのだ。 まぁ詳しくは後で新野にでも聞いてくれ。 アタシのような野蛮人よりもアイツのようなインテリの語る言葉の方がお前だって信頼出来るだろう」

 雪兎の不満を見透かしたかのように首領は述べると、ガラクタという発言を聞いて不満げな表情を浮かべたカルマの頭を軽く撫でて宥める。

「それにな雪兎、アタシらだって別に何もしない訳じゃない。 最大限のバックアップはしてやるし、お前の背中はアタシが責任を持って守ってやるつもりだ。 だから安心して殺り合って来い。 そして必ず生きて帰ってきな、命令だよ」

 しっかりとした目で雪兎を見据え、首領が静かに命じると雪兎は足元に居たカルマのボディを抱え上げ、黙って抱きしめる。

 すると、カルマのボディを構成するグロウチウムが雪兎の身体を余さず這い、頑健なパワードスーツへと変貌を遂げた。

「万が一死んだら必ず枕元に化けて出てやりますから」
「好きにしな、アンタがあっさり死ぬとは到底思えないがね」

 恨みがましく呟く雪兎の暗い表情とは対照的に、首領は健康的に歯を見せて笑う。

 そうして彼女は親愛なる部下の背中を軽く叩いてやると、針の筵に座らされていたような気持ちだった雪兎の身体は文字通り飛ぶような勢いで家の外に飛び出し、聳え立つ摩天楼を足掛かりに召集場所の方角へ消えていった。

 その様子を子供達を引率していた哀華に目撃され、複雑な心中で見送られていたことにも気付かぬまま。
しおりを挟む

処理中です...