鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第77話 悪意

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「カルマ! 鐘楼街の様子はどうなっている!?」
『どうやら九頭さんが危惧していた事態が起こっているようです。 目的地上空に天使型害獣の存在を多数確認。 幸いにも星海魔様麾下の生体戦艦が同時に転移していますが、頭数の差のせいで防戦一方のようです』
「急ぐぞ! このままじゃ大黒さんが死力を尽くして造り上げた街も、皆の命もゴミのように消し飛ばされる!」

 こんな理不尽なことが罷り通っていいはずがないと、雪兎は強く牙を噛み締めながらドラグリヲのスピードをを急激に上昇させた。 

 加速の過程で灼熱と零下の超局地的嵐がドラグリヲを中心に巻き起こり、針路上に存在する敵全てが燃え、凍り、磨り潰されて消えていく。

「一体何匹こちらに入り込んできているんだ! いくら仕込みがあったとしても多すぎるだろ!!!」
『リンボに潜む本隊が丸々こちらへ攻め寄せてこなかっただけ幸運だったと考えましょう。 それに貴方にとって、この程度の連中なんて大したことないのでは?』
「僕が良くとも他の皆が良くないだろ! 僕だけがこの地上に生き残っても意味ないだろうが! 文化や文明は一人じゃ維持できないんだぞ!」
『でしょうね。 しかしユーザー、貴方はご自身が轡を並べる相手を侮りすぎているのではないですか?』
「言いたいことがあるならハッキリ言え! 遊んでいる暇なんかないんだよ!」

 神話級害獣としての優れた膂力のみならず、圧倒的な数の力まで利用して雑に殺しに来る化け物共を問答無用で轢き殺しながら、雪兎は傍らで何故か余裕な態度をとり続けるカルマをどやしつける。 

 一匹でも抜かれてしまったらそこから大勢殺されるというのに、何故そんなに楽観的なのかと言葉に出さずとも強く思いながら。

 そんな雪兎の気持ちを察したか定かではないが、カルマはモニターの中へ自ら飛び込んで姿を消すと、レーダーに新たに感知されたものをそのまま押し付けてきた。 

『遭遇の記録無し、詳細不明』の文字が躍る謎の巨大熱源。 

 それの発生地点は他ならぬ鐘楼街の中心部。

「何だこれは? 新しい敵か!?」
『それはご自身の目で確認すれば全て納得して頂けるかと思います』
「あぁそうかい! 何を考えているかは知らないがせめてきちんとナビぐらいはして欲しいな!」

 仕事の一部を放棄したお転婆娘に苦言を呈しつつも、このまま手をこまねいている訳にもいかないと言わんばかりに、雪兎は出力を急上昇させてドラグリヲを最前線に突っ込ませた。 

 焼け焦げた肉と氷砕された骨を跡形残らず吹き飛ばし、一刻も早く鐘楼街付近に陣取る敵を皆殺しにせんと先を急ぐ。

 しかし、鐘楼街を隠す大規模偽装スクリーンが目視できる距離に到達した刹那、雪兎は本来ここにあるはずがないものを目撃し、思わず息を呑んだ。 

 微かに揺れる広大な光の幻覚を突き破って空高く聳え立っていたのは、青々と葉を茂らす巨木。

 それもただの樹木ではなく、以前遭遇した神話級害獣ドリアード以上に蔦や枝を巧みに操作し、街へ降下せんとする天使共を易々と撃ち落とす、植物の皮を被った何かであった。

「何だよあれは……、まさかあれも哀華さんの力なのか!?」
『そうです。 貴方の体内に宿った害獣が寄生先を乗っ取らないまま奇妙な成長を遂げたように、彼女の身体に投与された植物細胞も突然変異的な進化を遂げたようです。 その場に聳え立ったまま一歩も動かず全ての敵を思いのままに打ち倒す。 まるで大戦期の世界樹そのもの……』
「馬鹿なこと言うな! あの人はそんな恐ろしい害獣の身内なんかじゃない! あの人は人間だ! この世で誰よりも人間らしい人間なんだ!!!」

 比較の対象に全ての元凶たる大害獣の名を挙げられて雪兎は思わず真顔でカルマを怒鳴りつけるが、今は一秒でも時間が惜しいと荒立った気持ちを静め、すぐさま鐘楼街へと通信を入れる。

「大黒さん状況を教えてください! 哀華さんは……皆は無事なのですか!?」
「あぁ大丈夫だ! まだ一匹も街に入れてないから大袈裟な被害は出ていない! だがまさか、君の連れ合いのお嬢さんがここまで凄まじい力を持っていたとは驚きだよ。 おかげでジリ貧になることなく対処できている!」

 目で追いきれない程の情報を流すサブモニターに紛れ込んだのは、長引く戦闘のストレスに脅かされて額に汗を流す大黒の丸く大きな頭。 

 もっとも、普段以上に暑苦しく感じるその顔に一切絶望の色はない。 

 その証拠に王鼠の指揮下にあるレミング型戦闘支援端末群は、樹木自身が器用に拵えた武器を意気揚々と携えて、鐘楼街に向かってくる天使共に負けじと襲撃をかけていた。

 天使共が放った大量の生体弾に撃ち抜かれてバラバラにされるも、裂かれたボディを新たなネズミの兵隊として造り直し増えながら襲いかかる様は、雪兎に以前戦った赤い血を流す雀蜂型害獣を想起させ、改めて当時の自分がよく勝てたなと思うに至らせる。

 だが今は過去を振り返る時ではないと雪兎は首を振って気持ちを戦場へと引き摺り戻すと、現状把握の為、いつも哀華のそばにいるはずの腕白小僧に通信を送りつけた。

「おいグレイス! これは一体どういうことだ! お前哀華さんに何をしやがった!」
『何でもかんでも俺のせいにしてくれるな。 全ては哀華姉ちゃん自身に備わった資質と揺るがぬ決意の結果だ。 彼女の意思を無碍に扱ってくれないでくれよ。 ……それに雪兎兄ちゃんだって人のこと言えない身の上だろ』
「ぐっ……」

 ひたすら文句を叩き付けるはずが逆に図星を突かれ、思わず雪兎は牙を噛み締めながら黙り込むも、機嫌を損ねたグレイスが一方的に通信先を切り替えたことによって、雪兎が抱いていた焦燥の感情は途端に鎮まっていく。 

 グレイスが雪兎を一旦落ち着かせるために通信を押し付けたのは、他ならぬ哀華本人。

 彼女は自分に突然回線を回されたことに一瞬驚くも、すぐさま自分に何が求められたのかを察して画面越しに情念の篭もった瞳で雪兎の顔を見つめる。 

 最後の一線を共に越えられた故かそこに一切の照れは無く、圧すら感じるほどの濃密な好意と信頼の意思が、未だ納得していない雪兎の口を無意識に閉じさせた。

「心配しないで雪兎、私なら大丈夫。 これは私が望んだ道であり、私がありのままに望んだ力だから」
「でも……」 
「私はね雪兎、貴方と一緒に皆の盾になれたことが嬉しいの。 綺麗事を並べ立てることしか出来ないエゴイストから抜け出せたことが嬉しくてたまらないの。 だから、今度は遠慮無く私を頼って欲しい。 貴方が今まで背中を預けてきた方々と同じように」
「……分かりました。 でも決して無理はしないで下さいね!」

 哀華の強い覚悟と圧倒的な力を目の当たりにして、雪兎が心の底から不退転の闘志が燃え上がるのを感じ取ると、それに呼応してドラグリヲの周囲を取り巻く灼熱と零下の嵐がより一層激しく吹き荒れる。 

 矢弾どころかエネルギーの奔流すら容易くは届かない結界の中心。 

 そこで雪兎は小さく呟く。

「“誰かの為でなく自分の為に戦え”か……」

 今となってはずっと昔に感じる、不幸にも蠱毒に巻き込まれた男が雪兎に遺した最期の訓示。

 それを今さらになって強く噛み締めるように受け止めると、雪兎は遙か彼方の蒼い空を見上げた。

『さぁ、近場の敵は彼らに任せて我々は頭上で意味も無く偉ぶっている馬鹿野郎連中を叩き落としてやりましょう。 今なら我々も遠慮無く動けるはずです』
「あぁ、行こう!」

 以前と比べて感情豊かになったカルマの多少乱暴な言葉に促され、雪兎は一切躊躇いなくドラグリヲを雲の上まで飛び上がらせた。 

 数の優位を取られて防戦一方だった数隻の生体戦艦の死角をカバーするようにドラグリヲを動かし、意味も無く相手を嬲っていた天使の一匹を両断すると、宣戦布告とばかりに死骸を残りの天使共の前にばらまいた。

 咄嗟に足場とした生体戦艦から送られてくる通信の処理をカルマに全て任せながら、雪兎はただ眼前に群がる敵だけを見る。 

 以前リンボ内で遭遇した際には絶望しか感じられなかった軍勢の威容も、今は臆病な雪兎を震え上がらせるには至らない。

 数と見てくれだけは立派な神の使徒気取りのケダモノ共。 

 それらに殺気の篭もった視線を向けながら雪兎は叫んだ。

「お前等の相手は僕だ! 獲物に狩られる屈辱に塗れながら惨たらしく死んでいけ!!!」

 雪兎の迷い無き戦意に応えるようにドラグリヲは呼応して空を仰ぎ咆哮を上げる。 

 今まで自らを縛り付けていた枷から解き放たれたことを喜ぶかのように。 

 そうして足場としていた生体戦艦の甲板の思い切り踏み込んで飛び立つと、遮二無二群れの中心へ突撃していった。 

 背後から飛来する生体戦艦からの支援射撃を背に受け、フォース・メンブレンに充填した熱を自らのエネルギーへと変換しながら、ドラグリヲは四方から迫る敵をたった一機で相手取って斬り結ぶ。 

 機体の地力が天使共と比較にならない段階まで上昇したおかげで数の不利など最早問題ではなく、最前線に立ったドラグリヲはほぼ一機で雲の上に群がっていた天使共を蹴散らしてみせた。

 不用意に間合いに入れば逆に踏み込んで両断し、離れようものなら天使共から奪った武器を投擲して首を刎ね飛ばす。 

 せっかく確保したエネルギーを無駄遣いしてやる気など今の雪兎にはさらさらなく、長時間の戦闘を見越して節約しながら、確実に一匹一匹仕留めていく。

 最早雪兎にとってこれは戦闘などではなく、ただの害獣駆除。 

 人の生活圏に踏み込んだ猛獣を殺すという、普段の業務内容となんら変わらない行為であった。

 ドラグリヲが躍動する度に四散した死骸が宙を汚し、撒き散らされた汚臭と肉片が本能に従って動く天使共を竦ませ、日和らせ、怯えさせるも、雪兎が憐憫を垂れてやることもない。

 雪兎と相対し続ける限り、今一度地上を焼かんと降臨を果たした天使達に示されるのは、死出の旅への一本道のみ。

 それを悟ったのか、大多数の天使共は一部の個体を殿として見捨てるとそのままユーラシアの方角へ逃走を開始した。 

 ドラグリヲの瞬発的な突撃速度には劣ると言えども、オービタルリフターより速く飛行できるそれらは相手に背を向けることを恥と思うこともなく、脇目も振らず一目散に逃げていく。

「へっ、意外と損切りが上手い連中じゃないか。 カルマどうする? 追うか?」
『貴方一人の喧嘩なら乗り込んで皆殺しにしてやれるでしょうが、今はやめておきましょう。 まずは周辺一帯の被害状況を確認し、今後こういった事態が起こらないよう対策を講じなければ』
「分かった、なら一旦鐘楼街に引き返そう。 奴等以外の害獣が地下に紛れ込んでいないとは限らないしな」

 最後に残された天使の一匹を斬り殺し、雪兎は荒ぶった息を整えながら生き残った生体戦艦に向かって感謝の意を伝えると、そのまま帰路に就く。

「だが対策といっても一体どうすれば……」
『それは全て私やグレイスにお任せ下さい。 連中の侵入ルートが割れた以上、これ以上好き勝手にはやらせません。 えぇ決してやらせませんとも、新野さんの名誉にかけて』
「そうか……、でも無理はするなよ」
『ふふっ、機械相手に心配するなんて貴方くらいですよユーザー』

 わざわざコックピットに現れて必要以上に気負って見せるカルマの顔を視界に入れ、雪兎が思わず声をかけると、カルマは一瞬驚いたような顔をした後、可憐に微笑んで見せた。 

 まるで本当の人間の少女のように。

 暫しの歓談の後、先ほどまでの喧噪がなかったかのようにコックピットが静寂に包まれ、雪兎はようやくとばかりにシートに背を預けると静かに目を閉じた。 

 ほんの少しの間でも心身の回復を図るべく呼吸を整えながら、異常な回復力を持った己の身体に意識を集中する。

 しかし、カルマが発していた気配の性質が変わったことを察すると雪兎は反射的に目を開けて彼女の背を見た。

「どうしたカルマ?」
『いや、鐘楼街に設置されたグロウチウムリアクターが示すエネルギーの値が変です。さっきまでこんな馬鹿げたことはなかったのに』

 先ほどまで穏やかだった態度を一転させ、カルマは急いで鐘楼街の該当部署に連絡を入れる。

『もしもし都市電源管理部聞こえますか? 今すぐ一部のリアクターの操業を停止し状態を確認してください。 ステータス値が異常な値を示しています。 聞こえているならすぐに応答を……』

 再三に渡って警告を入れるも何故かそれに対する返答はなく、既に鐘楼街で何かが起こってしまったのを二人は理解する。

「カルマ急げ!」
『言われずとも分かっています!』

 一体いつ、どのタイミングで入り込まれたのかと考えても仕方ない。 

 今は入り込んだ敵を抹殺するのが先だと雪兎はドラグリヲを一気に加速させた。

 ――刹那、鐘楼街を構成する区画の地下に突如大規模な熱源が大量に発生し、加速度的に膨れ上がり始める。 まるで床一面にぶちまけられたガソリンに、点火されたマッチがこれ見よがしに一本投げ込まれたかのように。

「馬鹿な!? 嘘だこんなこと!!!」

 目を血走らせ、焦りで呼吸を荒くしながら雪兎が思わず叫んだその瞬間、鐘楼街を載せた地殻やそれらを覆い隠した偽装スクリーンを吹き飛ばすほどの巨大な火球が雪兎の眼前で発生し、そこに息づいていた命を全て容赦なく呑み込んでいった。

 鐘楼街の名の由来となった巨大な鐘の周囲で何とか生命を維持していたか弱い人々や、彼らを護っていた哀華をも含めて全てを。
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